第62話 紅蓮に揺れる心(3)
少女の薄い耳朶に、ヴァンパイアの指が触れ、2つの耳飾りを外す。
「僕の魅了はね、女性必中の設定らしいんだ。でも……」
眉間にぎゅっとシワを寄せて、にらむように見上げてくる瞳に、ヴァンパイアはうっとりと笑った。
「きみは、女の人が好きなんだね。だから、魅了されない……と、いうことだと思うよ」
天井の方を向いたヴァンパイアは、まるで誰かにそれを報告するかのように言った。
「おーう、なるほどねー。サンキュー」
前回ソフィアに魅了が効かなかったことを、チャンスがあったら確認してみてくれと頼んだのは、もちろん管理者だ。
過去のデータを照合すると、アクセサリを装備せずにリリスの魅了に一度もかからなかった冒険者がいる。
「精神系の判定は、肉体の性差だけによらない……っと?」
メモの最中に、パチンと乾いた音がして、管理者は画面に視線を戻す。
目に涙をためたソフィアが、ヴァンパイアの頬を叩いた手を、自分の胸元に引き寄せたところだった。
「違うわ。女の人が好きなんじゃない。姉さまが……姉さまだけが特別なだけよ」
ソフィア、顔はマズいぜぇと管理者はつぶやく。
ヴァンパイアがゆっくり向き直ってきた視線に見下ろされて、少女がぞわりと身を震わせたのが分かる。それでもソフィアは目を逸らさなかった。
「そう、どうしてお姉ちゃんだけが特別なの?」
張りつめた空気の中、やけにゆっくりヴァンパイアは尋ねる。
「そんなこと、魔物に話す必要はありません」
つれないなと囁いたヴァンパイアの長い爪が、ソフィアの肩から胸の上をなぞり、腹のあたりまで滑り降りても、少女は何の反応も返さない。
「ふふ、そうか。確かにお姉さんは炎の申し子みたいに魅力的だものね。小さい頃から魔法の才能があったのかな?」
今度は目を逸らして、何も答えるまいと唇をかみしめる回復術師がいじらしい。
「でもカッとなりやすいし、もっと前に出たいってウズウズしててさ、あんなんじゃリーダーは連携に苦労して……」
「悪口はやめて! 姉さまは、情熱的でいつでも仲間想いよ。オースのことも認めて……みとめ……て」
うん、と優しい声でヴァンパイアに涙を拭われて、ソフィアは慌てて泣き顔を覆った。
「オースも、姉さまを……認めて。きっと、ふたりは想い合うわ。姉さまは、オースのものになってしまうんだわ」
「ジーザス……」
洋画で見たつぶやきは、こういう時に使うんだなと思って口にしてみた。
「メイはオーガストを、オーガストはソフィアを、そんでソフィアはメイを……か。綺麗な正三角関係だなぁ」
骨の指で三角を作ってみて、管理者は「百合とか、はしゃいですまんかった」とコッソリ謝る。
そしてヴァンパイアに、胸の内を吐露しはじめたモニターの音量を、そっとミュートにした。
ソフィアはヴァンパイアに話しているのだ。これを盗み聞くのは、管理者とて越権行為だろう。
姉妹の母は、魔法使いの才能に恵まれながら、生涯一度も魔法を使うことは無かったかもしれない。
村長の娘として、ひたすらに穏やかに守られて育ち、伴侶を得てからは夫に守られて暮らし、綺麗な宝石とドレスを愛した。
「女の子は、そんなことしないの」
母の声で一番覚えているのは、このセリフ。屋敷の外のあらゆることを「危険だからダメ」と禁じてしまう母だった。
そして、ソフィアは自分のことを、母親そっくりな性格だと思っている。内向的で保守的で、できることならずっと甘いケーキを食べて、美しい音楽を聴いて暮らしていたい。
姉のメイは、同じ親に育てられたとは思えないほど、常に心が外に向いていた。
「あらあらダメよ」なんて生ぬるいお叱りの声は蹴散らして、今日も仁王立ちで、丘の上から町を見下ろしている。
「あの畑の作物の成長だけが遅いでしょう、それはね上の畑で水を取りすぎなのよ」
傍らで話を聞くソフィアは、姉の目に映る世界は、自分のものよりずっと広いのだろうと思っていた。
悪ガキたちに意地悪されている妹をかばって、一歩も引かないメイ。
王都から理不尽な税率で運ばれてきた荷に、大人と対等に交渉をするメイ。
これはまだ誰にも秘密よと、自分にだけ火の魔法を見せてくれた。憧れて、愛してやまない、私の姉さま。
1つだけ姉のすることに納得がいかないことがあるとしたら、出会った時から弱虫オーガストに心を奪われていることだ。
小さな頃はいつもメソメソ泣いていたし、ダンジョンに潜り始めた頃もてんで頼りにならなかった。
姉の好意に気付かずに、自分の方を向いているのをいいことに、つかず離れずの距離を保つ。そのうちもっとふさわしい相手が現れるまで、自分がメイを守っていたかった。
だから、どんなに迷宮が怖くても、自分だけ町へ帰るとは言えなかったのだ。
「迷宮の探索を終えたら、テペロノの町へ帰ると姉さまは言いました。そうしたら、お婿さんをむかえて、子どもを産んで、次の長になるでしょう」
ソフィアは一度、深く息を吐き、そして吸った。
「その相手には、オーガストが。今のオーガストなら、相応しいと思います」
彼は、強くなった。そして、やっと姉の魅力にも気が付いてしまった。宿で見つめ合った2人から、それを感じた時の衝撃が、再び胸を締め付ける。
「それじゃ、きみの気持ちはどうなるの?」
ヴァンパイアの残酷な問いに、乾いていた頬に再び涙が溢れた。




