嘘ー機械だった君へー
「ねえ、クロ見てくれないかい?」
クロがぼんやりと目を覚ますと、嬉しそうな顔でナシタカがこちらを覗き込んだ。
「それはなんですか?」
「この服買ったんだよ。どうだい、似合うかい?」
と袋からシャツを取り出した。シャツには紫やピンクのぐるぐる模様が入っていた。
「判断できません。」
無表情にクロがそういうと、
「そこはお世辞でもかっこいいとか言うものだよ。」
ナシタカは少しムッとして笑った。
「嘘はダメですよ。」
ナシタカはとても気まぐれな人だ。
窓の外をぼんやり眺めていたかと思うと、「引っ越ししよう!」と突然いい出すのだ。
今月に入ってからすでに3回目である。
「人はナゼ死ぬのですか?」
クロはそう唐突に聞いた。クロのその表情からは感情を読み取ることが出来ない。
「生物には寿命があるからね。」
「もしも僕が君の前から居なくなっても、それは悲しいことばかりではないよ。君はまた誰かと出会うんだ。僕と君が出会ったようにね。」
そういって、ナシタカは愁いを帯びた目で微笑んだ。
「ボクにはよく分かりません。」
ナシタカはとても心配性だ。
毎週、定期健診をするといってボクの頭や身体が正常かどうか診てくれている。
また、健康に気をつかっているらしく、栄養バランスにもとてもうるさい。
「人間になりたいです。」
クロはある日、ナシタカにそういった。
「どうしてだい?」
「人間じゃないとアナタと結婚できないでしょう。」
『結婚』という予想外の言葉にナシタカはコーヒーを吹き出しそうになった。クロはいつもの無表情に見えたが、その真っ黒な瞳の奥が微かに揺れているような気がした。
「どうして結婚したいんだい?」
「結婚すればずっと一緒にいられると聞きました。」
「ずっと一緒がいいです。」
「僕は君は君のままがいいと思うけどな。」
そういうナシタカはちょっと嬉しそうに笑った。
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「ついに見つけたぞ。No.968、貴様に処分命令が出ている。」
「見つかっちゃたかぁ。大丈夫、抵抗はしないよ。」
屈強な男たちに囲まれたナシタカは、まるで危機感を持たないかのように柔らかい笑みを浮かべる。
「おい、一緒にいた男の子はどうした?」
男の1人が怖い顔でにらみつけた。
「施設から誘拐したことは分かってるんだぞ。」
「ああ、あれね。」
「邪魔になったから殺したよ。」
ナシタカが冷ややかに笑うと男はナシタカにつかみかかった。
「ふ、ふざけんなっ!」
「言っても無駄だ。こいつは感情のないただの殺戮兵器だからな。」制止したもう1人の男は笑うことしか出来ない不気味な人型の機械を軽蔑するように見つめた。
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「コーヒー豆を切らしてしまってね、隣町まで買いに行ってくれないかい?」
「分かりました。」
ナシタカがそうボクにお使いを頼むのは珍しくなかった。
それにナシタカはここ最近、体力が落ちてきていた。
ただ、いつもと違っていたのはナシタカが「余ったお金で好きなものを買っておいで。」といったことだった。
好きなもの…好きなもの…
好きなものがよくわからず、悩んでいたらすっかり日が落ちてきてしまった。
結局、クロはナシタカにシャツを買うことにした。ナシタカはすぐに服を汚すからだ。
急いで帰ると、ナシタカと生活していたはずのそこは、ひどく荒らされていた。そして、ナシタカの姿もなかった。
きっとナシタカに何かあったのだ。
ーーその時、クロの脳裏にはある言葉が浮かんだ。
「オマエは道具だ。いらなくなったら捨てる。」
ナシタカに買われる前の主からよく聞いた言葉だった。
そうか…ボクはいらなくなったのか…
クロは、コーヒー豆とシャツが入った袋を力なく下した。
そして、窓の外をぼんやり眺めていると、羽の生えた機械が飛んできた。
あれは、ナシタカが作った音声を録音する機械だ。その機械がチカチカと赤く光った。
「この音声を聞いているってことは、僕はもう君の前にはいないんだね。」
流れた音声は、ナシタカのものだった。
「ごめんね。僕はね罪を犯したんだよ。
僕はね。痛みを感じない本物の機械だったんだ。
でもね、あの日、感情のない機械のような君を見て、僕は変わったんだ。
クロ…ありがとう。僕にこの温かい気持ちをくれて。
あっ、そうだ。この間の返事をいっていなかったね。
いいよ。結婚しよう。」ーーそこで音声は途切れた。
嘘だ。嘘だ。ナシタカは機械で、罪を犯したなんて…
でも本当はどこかでその嘘に気づいていた。気づいていたけど、認めたくなかった。
ああ、『結婚しよう』なんてボクの前からいなくなってしまったのに、きっともう会えないのに…。
ナシタカはどうしようない大嘘つきだ。
でもその嘘が胸に焼き付いて離れないくらいに、どうしようもなく愛おしかった。
クロの目からは熱くなった液体がポロポロとこぼれ落ちた。クロはその正体が『涙』だと知っていた。もうとうの昔に忘れていたはずの涙がナシタカを疑ってしまった後悔やナシタカとの思い出とともにボクの身体から溢れて止まらなかった。
そして、涙が枯れ果ててヘトヘトになったボクはまた、窓の外をぼんやりと見た。
この、平和になりつつある世界を。
追記:クロの名付け親はナシタカです。