八話
春と夏が長かった今年は、その反動のごとく秋が短かった。
残暑を追いやった紅葉が早くも冷風に散らされ、しんしんと涙のような雪が降って地面を湿らせる。
雪が降るなら手袋でもしてくればよかった。
残念そうに快晴を伝えた天気予報には文句を言いたい。なんで快晴なのに残念そうにするのか。しかもその予報を外すとは何事か。晴れると聞いたから、俺は待ち合わせをOKしたのに。
とはいえ、しかし。
雪が降っているにもかかわらず、街は色彩に溢れている。
いっそ雪に閉ざされ、白銀の世界になってしまった方が気が楽だった。
誰もかもが雪に浮かれている。何が手袋忘れちゃっただ。数分前まで手袋してスマホいじってたの見てるんだぞ。そんなことを知らない男は、冷たいだろうと女の手を取って歩いていく。
もう帰りたい。
駅から出てきた女子高生たちがはしゃいでいる。あんなに短いスカートで寒くないのかと思うようになった辺り、俺もおっさんだ。急に突風でも吹いてくれないかな。
決定的瞬間を見逃さぬよう横目で追っていって、背筋が凍った。
「……センパイ?」
風は吹いていないはずなのに、妙に手足が強張っている。
なんでだろう。
いや考えるまでもない。
「いっそ僕がスカート穿きましょうか? 好き放題できますよ? サンタコス買います?」
「勘弁してください」
アサギとの二人暮らしを始めて二ヶ月が過ぎようとしていた、十二月の下旬。
今日は世間が待ちに待っていたクリスマス――ではなく、その前日だ。
ここ最近は当日より前日、クリスマスイブの方が盛り上がっている気がするが、元々の意味合いを考えると二十四日の夜に盛り上がるのは正解なのかもしれない。
とはいえ、宗教的祝祭の面影などどこにもないクリスマスだ。
聖なる夜を性的な夜に変換するリア充と、そのリア充を妬む非リア充の努力は涙ぐましい。
「センパイ?」
「なんだ?」
「そんな小難しい顔しても女子高生のパンツは見えませんよ?」
「……知ってる」
あとそういうことを駅前で平然と口にするな。俺が変態みたいじゃないか。
しかしまぁ、なんというか、今日は街がキラキラしている。イルミネーションは勿論だが、それだけでは説明できないキラキラだ。一言で言うと、あまりに眩しい。
「で、どうしたんですか?」
手を繋いで歩くカップル、青春を謳歌する中高生、そして定時には帰路に着き子供向けケーキを購入するサラリーマン。誰もが幸せという名の輝きを身に纏っている。
「ここ、ニートがいていい世界じゃない。もう帰りたい」
引きこもりの気持ちが今分かった。
ここはニートが住む世界じゃない。ニートは画面の前にいるべきなんだ。もし嫁が画面から出てきた時、そこに俺たちがいなくてどうする? 嫁にお帰りを言うために、俺たちニートは――
「じゃあ、よかったじゃないですか。センパイ、もうニートじゃないですよ?」
……訂正。
嫁にお帰りを言うために、ニートは画面の前で待っているべきなのだ。
「帰りたい。あの平和だった頃に帰りたい。画面の前にいればいいじゃん。ポチポチゲー最高」
「うわぁ……。いくら僕でも若干引きますね、これは。ほんとにどうしたんです?」
露骨に呆れた顔のアサギが何か言っているが、そんなの知ったことじゃない。
「ていうことで、俺もう帰っていい?」
「ダメですよ。これからバイトじゃないですか」
必死に目を背けようとしているのに、最低最悪の現実が突き付けられる。
クリスマスイブで世間が浮かれる今日も、俺はバイトなのだ。というか、週休ゼロ日なので毎日がバイトだった。それでもなんとか心を繋いでやってきたが、もう無理だ。辞めたい。
「でも今日、クリスマスだよ……?」
絶対リア充来るじゃん。
なんで飲食店なんかで働いているのか。カップルが来て、クリスマステンションであーんとかやりやがるに決まってる。そして良い感じの雰囲気になって帰っていくのだろう。
俺の仕事?
良い感じになって帰っていくリア充に笑顔を向けることだ。それはもう遠回しの自殺じゃないだろうか。絶対に嫌だ。帰りたい。
「じゃあ帰ります? いいですよ、帰っても。風邪引いたってことにしますから」
あぁそうだ、風邪を引きやすい季節だ。アサギが言うなら店長も信じてくれるだろう。
「……でも、明日どうするんでしょうね。ミユさんは心配してくれますよね。『もう熱ない? 大丈夫?』って心配そうに言ってくれるんですよね、きっと。センパイは仮病で休んだだけなのに。この一番忙しい日に仮病で休んだセンパイを心配してくれるんですよね」
「ま、そこなんだよなぁ」
大きな大きなため息が漏れる。
嫌だ、帰りたい。
半年の間に乱れまくった生活リズムはなんとか二ヶ月で戻してきたが、これはダイエットや禁煙と同じだ。少しでも気を緩めた途端、取り返しのつかないところまで逆戻りする。
面倒だからとズル休みしたが最後、顔を出しづらくなって再びニートまっしぐらだ。
「ほら、行きますよ」
やる気は出ないが、足は前に出る。
アサギに手を掴まれ、引っ張られていた。
その手は暖かくて、少し湿っている。そんなに緊張するなら手なんて握らなければよかったのに、アサギも健気だ。それを言うなら、バイトに行くだけなのに待ち合わせごっこに付き合った俺もか。
この二ヶ月、特に進展らしい進展はなかった。
まぁ当事者の一人である俺が頑なに一線を引いている以上、進展のしようがないのだが。
ただ、それでも諦めない辺り、やはり健気というか一本気というか、飽きない奴だ。
またため息が零れる。
引きずられるように前に出していた足で、しっかり地面を踏んでみた。一方的に握られていた手を握り返し、その手を今度は引いてやる。
「センパイっ?」
「あー、もうちょいこっち来い」
アサギがおずおずと顔を覗き込んでくる。何が面白いのか、くすりと笑った。
マフラーはずるい。
元々女みたいな顔をしているアサギだが、コートで身体のラインを、マフラーで喉仏を隠せば、余計に女っぽく見える。少なくとも、ぱっと見では性別が分からないだろう。
一方、手を繋いで横を歩く俺は、どこからどう見ても男だ。
少し恥ずかしさが残るも、今は偉大な先入観様を信じよう。今日だけは周りのカップルたちが隠れ蓑になってくれる。鼻の下を伸ばした男どもがアサギを女と勘違いしたように、男と手を繋いでいる人物は女だと誰もが勘違いしてくれるだろう。
「うぅ……、どうしたんですか、急に!」
恨めしそうに、けれども嬉しそうな声でアサギが喚いた。
「これで少しはカップルぽく見えるだろ?」
「なんですか、それ。センパイは僕とカップルに見られてほしいんですか?」
「そりゃ勿論」
笑う。
嘘ではない。そこまでは本心だ。
「こうしていれば、少しは胸がすく」
周りを見る。
自然だ。俺がそう思いたいだけかもしれないが、浮かれたクリスマスの景色に馴染んでいる。
「……まぁ、そんなことだと思ってましたよ」
「嫌か?」
「嫌じゃないですよ? 嫌じゃないですけど、僕は本当のカップルになりたいですね」
「そりゃそうか」
ため息まで白く染まる寒さだ。
半ば冗談で手を繋いだままにしているが、俺もアサギも手袋なんてしていなかった。現在進行系で手汗をかいているアサギはいざ知らず、俺の方はかなり寒いというか、冷たい。
これならポケットに突っ込んでいた方がまだマシだろう。
いや、マシどころか、それが正解だ。最適解と言ってもいい。
とはいえ、だが、しかし。
「センパイ?」
こういう時に限って、アサギの超人的な嗅覚が発揮される。
「また何か馬鹿なこと考えてません?」
「馬鹿て。お前、仮にも先輩に向かって馬鹿て」
「事実じゃないですか」
事実ですけども、という一言は飲み込む。ここでいじけるのは、あまりに大人げない。
「まぁ、アレだ、アレ」
いい加減寒いから手を離してくれないか、とも言えない。
俺自身に置き換えて考えてみよう。片思い中の先輩(勿論、女だ。この際だから美人設定でもいい)と手を繋ぐに至ったのに、寒さを理由に離されたらどうなるか。
控えめに言って、お通夜である。
「ほら、ドラマとかで見るだろ? あのポケットに手入れて繋ぐやつ。あれってどういう意味があるんだろうな、と」
一昔前のドラマ、と言うべきかもしれないが。
手に当たる冬の風よりなお冷たい視線がアサギから向けられていた気がしたが、しばらく無視していれば、それもため息に取って代わられた。
「要するに、手が冷たいってことですか」
「よく分かったな」
「分からないはずがないです」
俺はそんなに分かりやすかったのか。
違うか、そうじゃないな、多分。ではどうしてだろうと考えてみて、答えを見つける。
「そういや、冬の寒い日にデートとかしたことないわ」
「…………はぁ」
一度経験してみれば分かるのかもしれない。
まぁ真横からは、推論を否定するかのごとく呆れ返ったため息が聞こえたが。
「もしかしてセンパイ、僕の方は手が冷たくないとか思ってます?」
「そりゃあな、手汗もかいてるし」
言った瞬間にアサギの手が強張った気がするが、気にしないのがアサギのためだろう。
それに、気にしようとしまいと、アサギの方から手を離すことはないと知っている。
「僕だって、手は冷たいんですよ?」
「なら離すか、やっぱり」
大学終わりのアサギと待ち合わせたのはバイト先の最寄り駅だったが、かといって近いわけではない。駅から離れていることもあって人手が不足するような職場だ。
ずっと冷たいのを我慢する必要もないとは思う。
思うが、それでも我慢するのがアサギなんだとも思ってしまった。
アサギに限らず、恋に恋するような連中は大抵がそうだろう。我慢、我慢。我慢しなければ続かない関係に意味があるのかは甚だ疑問だが、少し我慢すれば楽しい時間を長く過ごせると考えれば頷けないこともない。
「……僕は好きですよ、センパイのこと」
唐突にどうした。
そう一蹴していれば、いつもと同じ他愛ない雑談に流れたのだろう。
「俺は別に好きじゃないな、お前のこと」
突き放す言葉を、けれども笑って口にする。
「じゃあ、分からなくて当然ですね」
「正直なところ、分かりたいとも思わんが」
これといった感情を覗かせないアサギの言葉。
寂しいとか、悲しいとか、もっと漠然と残念だとか。何かしら読み取れれば、対処もできる。ただ最近、アサギはずっと笑っているようだった。曖昧な笑みだ。
「分かりたいとも思わんが、まぁ、お前に偉そうな顔されるのはムカつくな」
その笑みの意味は分からない。
分かりたいとも思わない。
なのに、見ている俺の方が悲しくなってくる。寂しくなってくる。これはなんだろう。
分からないままにしておいてもいい気がするのに、ふとした瞬間、知りたくなってしまう。
自分でも深く考える前に、アサギの手を引いていた。
使い古して薄くなってきたコートのポケットに、握ったままの手を突っ込む。
ほんの少し、考えてみた。
「窮屈だな、これ」
「……期待した僕が馬鹿でしたよ」
でもまぁ、風を直に受けながら歩くよりはマシか。
分からない。
こんなことをするなら、手袋でも用意すればいいのに。不意の寒さで用意できなかったなら、手を繋ぐのなんて諦めて各々ポケットに突っ込めばいいのに。
「山積みダンボールの中から手袋引っ張り出そうって顔してますね」
「そんなに読みやすかったか?」
「そりゃもう、センパイの考えることなら」
怖いな、それは。
しかし同時に、本当にそうならどれだけ楽かと考えてしまう。
言葉にせずとも察してくれるなら、どんな勇気も俺には必要なくなる。素のまま、なんの努力もしなくてよくなる。楽だろうな、それは。だが楽なだけで、楽しくはないのだろう。
「僕はこっちの方がいいです。ちょっと窮屈でも、センパイと手を繋いで、センパイの体温を感じていたいです」
そういうことか、と心の中でだけ頷いた。
「また気色悪いこと言うなぁ……」
「そういうこと、正直に言っちゃいます?」
「気色悪いは気色悪いだろ。体温とか、できるだけ感じたくないね」
特に入れ替わりで入ったトイレで便座が妙に温かった時。
太ももは温かいが、背筋はぞっと涼しくなる。もしかして、あれにも喜びを感じられる変態なのだろうか。だとすると先は長い。長すぎる。墓に入るのと、どっちが先か。
「まぁ、お前がその気なら好きにすればいいと思うけど」
この言葉がどこまで伝わるのか分からない。
伝わらなければ、それまでだ。いっそ伝わらない方が、俺のためにもアサギのためにもなる。
だったら、どうしてわざわざ言うんだろう。
言わなければ、アサギだっていつかは諦めるかもしれないのに。
答えは探さない。
自問自答し、答えを見つけてしまったら、俺はどうすればいいのか分からなくなる。
「精々気長に待つことだな」
アサギは何も言わなかった。
伝わらなかったのか、ちゃんと理解した上で黙ったのか。
どちらにせよ、同じことだ。
答える気がないなら、それでもいい。今まで通り、これからも、だ。
少なくともその時の俺は、そう思っていた。
夜までバイトして帰路に着いた頃には、もう忘れていたほどだ。
だから、それは青天の霹靂に等しかった。
強かに打った背中が痛い。正面には、夜空の星々ではなく常夜灯の淡い光が見える。
何が起きたのか分からなかった。バイトが終わって家に帰り、二ヶ月も暮らしてきたリビングで突然転んだのだ。わけが分からない。本当に、何が起きたのか分からなかった。
しかし、それとて数瞬のことだ。
どこかで見たことのある状況だぞ、と思考力が戻ってきた矢先、否応なく理解させられた。
常夜灯が見えなくなる。俺の上にアサギがいた。馬乗りにこそなっていないが、肩が押さえられている。そこまで再現する必要はないだろ、と冗談を言おうとして、酔ってもいないのに赤くなっているアサギの顔が見えた。オレンジがかった常夜灯のせいかもしれない。
まぁ、そうでなくとも、赤くはなっているか。
俺が何も言わないのをいいことに、アサギが唇を重ねてくる。ほんの一瞬だけ悩んで、それを受け入れた。俺の口の中に、アサギの舌が入ってくる。今度は酒臭くなかった。
こういう時、俺はどうすればいいんだろう。
ひどく冷静な、言い換えれば冷めた自分を見つけてしまって、嫌になる。それでアサギを押し退けた。離れていく口元から糸が伸びているのが見えて、俺自身の口元を拭う。
「待ちませんよ」
そんな俺を見て、アサギが言い捨てた。
「気長になんて待ちません」
なんのことだと言いたくなった。
言わなかったのは、言う前に思い出したからだ。
「じゃあ、どうするっていうんだ?」
「落とします」
毅然と、あるいは憤然と、アサギは言い切った。
「センパイが女の人しか好きにならなくてもいいです。でも僕は、僕だけは例外だと言わせてみせます。思わせてみせます。ただの後輩じゃなくて、例外的な男の恋人になってみせます」
また馬鹿なことを言い出した。
脈絡がない。文脈というものを知らない。
気長に待つのが嫌だから恋人になる? いや、そこを気長に待てと言っているんだ。
そう感情のままに言いかけ、思わず黙ってしまった。
「……なんです、その目は」
まるで反抗的な生徒を睨む熱血教師の眼差しだ。
勿論、俺ではなくアサギの目付きが。これは逃げるのも面倒臭そうだ。
「そこを気長に待てって言ったつもりなんだが?」
もう隠すことはないと、何度自分に言い聞かせただろう。
数え切れない。数え切れないほど言い聞かせてなお、まだ足りない。なんともはや、いっそアサギが可哀想になってくるほどだ。
「だから、僕はそんな気長になんて……へっ?」
可哀想なアサギは鳩が豆鉄砲を食ったように固まってしまう。
どれほど遠回りしてきたのかも分からないが、これが俺の果たすべき責任の姿だ。
「センパイ、それって、もしかして……?」
言いながら、早くも期待の眼差しを向けてくる。
期待させるのも悪いが、さりとて違うと突っぱねるのも、それこそ違うだろう。
「俺には男を好きになる気持ちがよく分からない」
少し悩んで、結局、そんな曖昧な言葉を口にしていた。
「女相手なら分かりやすいだろ? 顔が可愛いとか、胸が大きいとか、ぶっちゃけエロそうだとか」
まぁ好みは人それぞれだが。
……と心の中で付け加えたものの、アサギの表情が曇っているのを見つけて気付いた。
「可愛い系が好きか綺麗系が好きか、大きい方が好きか小さい方が好きか、尻が軽い方がいいかガードが固い方がいいかはともかくとして、だ」
まさかとは思うが、アサギは胸がないことを気にしているのか?
男なんだから当然というか、胸の前に喉と股の無駄な突起を気にしろと思うのが一般男性代表たる俺の意見なのだが、それを言い出すと話がこんがらかるのでやめよう。
「ともあれ、女相手なら分かりやすい。多分、お前が男を見るのも同じだろう?」
「僕は性格重視です」
「嘘でも面食いだと言ってくれ」
とか言うと「顔も好きですよ?」なんて真顔で言われそうなので、咳払いして話を戻す。
「まぁこの際だからヨシノでもミユさんでもいいか」
「ヨシノって誰ですか」
「飲み会で会ってるだろ。あのつまらなそうに酒を飲む女だ」
ちなみにミユさんはバイト先の先輩である。自分の方が先輩のくせに、俺のことを『センパイ君』と呼ぶ変わった人だ。原因は分かりきっているが、今はそれをとやかく言っている場合ではない。
「話を戻すが、ヨシノとかミユさんが相手なら分かりやすい。一緒にいて楽しいとお互いに思っていたら、付き合ってそういう関係になることも……いや待て、例え話だ、例え話」
露骨に嫌な顔をするアサギに笑って言うが、自分でも思う。
どうして知っている女性を例えに出してしまったのか。ヨシノ相手とか、考えたくもない。
ミユさんは……まぁ、綺麗な人だとは思う。心というか、腹の底はどす黒いが。いっそ腐っていそうだ。なにせアサギの猛攻を受ける俺を見てニヤニヤしていた。
「とにかく、だ」
再びの咳払い。
「正直に言うと、俺はお前と一緒にいるのが楽しいと思ってる」
二ヶ月半前、まだ一緒に暮らすかも決めていなかった頃にも言ったことだ。
「お前がどう思ってるのかは分からないけど、俺は楽しかったよ、この二ヶ月が。この先も楽しいんだろうと思う。でも、多分、それだけだ。それ以上にはならない」
女相手なら違うのかもしれない。
というか、違うだろう。
性欲は、何も男にだけあるわけじゃない。男がミニスカートを横目に天に突風を祈るような何かが女にあるのかは知らないが、女も女ですることをしたいとは思う。
アサギではなく誰か女と同居していて、互いに互いを憎からず思い、毎日を楽しく過ごしていたなら、もう一歩前に進むことも十分に有り得る。まぁ、端的に言って、お互いにそういうことをしたいと思えば、なし崩し的に男女の仲にはなるだろう。
しかしアサギは男だ。
「俺は好きだよ、お前のこと。でも、性的な意味じゃない。人として、後輩として、友人としてだ。俺は男相手に興奮する理由も、意味も分からない」
心の底から疑問に思う。
女にとっての女子高生のミニスカートと突風はなんなのだろうか。筋肉だろうか。腕まくりが女子に人気と高校時代に聞いた記憶はあるが、パンチラとは意味合いが違いすぎる。
それが何か分かれば、また違うんだろうか。
けれども今は、まだ分からない。
「だからまぁ、待ってくれ。いつか分かるかもしれない、その時まで」
多分、これでいい。
こうする以外に、正解はなかった。
……なかった、はずなのに。
「嫌です」
アサギは微笑し、また顔を近付けてくる。
また唇を重ね、舌を入れてきた。念入りに、執拗に、気持ち悪いくらいに絡ませてくる。
やがて離れていくが、いつまでも口の中に違和感が残っていた。
「いつかなんて、待ちません」
常夜灯の下、暗さに慣れてきた目が、アサギの静かな眼差しを捉える。
「分からないなら、教えます。分からないなんて言えないくらい、惚れさせます」
それはどういうことだろう、と数秒も考えてしまった。
鼻と鼻がぶつかりそうな距離で頬を膨らませるアサギを見て、あぁ今のがそうだったのかと思い至る。
「だから、センパイが待っていてください。いつか必ず、好きと言わせてみせます」
とかなんとか言いながらキスしてくるのは、なんというか、違うと思う。
豪語した割に考えが浅はかだ。
しかしまぁ、仕方ないのかもしれない。
初恋ではないにしても、つい二ヶ月半前に初めてキスを経験した男だ。中学高校の頃の自分を思い返してみれば、文句を言えた立場ではないと分かる。
それで結局、されるがままに任せていた。
あまりに長くしていると息が辛くなってきて、頭を撫でてやる。我に返ったアサギが恥ずかしそうに顔を上げ、自分でも深呼吸した。そしてまた、顔が近付いてくる。
これはもう先輩後輩でも友人でもないな。
かといって恋人でもないし、なんだろう。
答えは見つからない。
答えが見つからないといえば、いつか本当にアサギのことを好きになるんだろうか。
まぁ、いいか。
マタタビを見つけた猫みたいに延々と引っ付いてくるアサギをいい加減に引き剥がし、ため息を零す。
「そろそろ腹減ったんだけど」
「それって、その――」
「言葉通りの意味だよ、変態」
あと冷たいし寒い。
人の上で名残惜しそうにしているアサギをどかして、電気とエアコンをつける。ついでにテレビの電源も入れた。直後にテレビを消す。
「……どうしました?」
「や、今日、クリスマスイブだったなと」
男に好き放題キスされた直後に見るクリスマス特番とか、拷問でしかない。
考えること、数秒。
答えが見つかった。そうだ、あと二時間か三時間もすればテレビで不幸自慢が始まる。
「アサギ、この後、暇か?」
「え……、あっ、はいっ!」
なら決まりだ。
充電が切れかけたスマホに最後の仕事をしてもらおう。
そろそろ深夜と言っていい時間帯になるが、まだ宅配ピザ屋は営業中だ。
「……ん?」
「……どうした?」
アサギが不思議そうに首を傾げ、俺も釣られて首を傾げる。
はて、何か誤解でもあったのだろうか?