第78話
懐かしき思い出。それは何年経って忘れてしまっても、実は記憶の彼方では消えずに断片として残っていたものだった。
本来ならば、気分転換にその懐かしい場所でみんなで昼食をとりたい。しかし今はあまり思い出したくない。その思い出を実際に共有した一人が今は敵なのだから──
四人の乗ったエレベーターが下の空気を突き破りながら徐々に降下していく。下にいくにつれて耳の鼓膜に伝わってくるのが気圧の変化による痛みと固い空気がツマるような感触。だが、今の諒花にはそれよりも懐かしき思い出の記憶が巡り巡っている。
「マグドはこっちだよ♪」
ビルを出て、耳の違和感も緩和されつつある中、街中で先頭を行くのは紫水。横に束ねる髪がルンルンと揺れる。日差しでその黒い髪が微かに青く煌く。
「ケッ、結局マグドかよ。たまにはああいう高級なレストランで奮発して飯食いたかったぜ」
その方角に向けてシーザーも先に歩いていく。あのレストランの料理が食べれなかったことの愚痴をこぼしながら。それはそうだ。メニューを見なくても、普段行かない場所ならば、店の外観だけで興味をそそられることは誰にでもある。
「ところで諒花。さっき上りのエレベーターの中で思い出したことってなに?」
そう言ったのはいつの間にか横を歩いていたのは零だった。零はこちらの異変に凄く敏感だ。こちらを察した彼女の言葉は今抱えてる思いそのもの。
確かに上がる時、自分はあの時こう言った。そういえばこの上はレストランになっていると。零ならば話しても大丈夫だろう。それに、もう抱え込んではいられない。決心した諒花はそっと口を開く。
「あのレストランさ、アタシ来たの初めてじゃなかったんだよ。それを思い出したんだ」
ビルとビルの間に挟まれた青い空を仰ぐと柔らかな風が吹いてくる。これは思い返せば長い話になる。
「着いたらどこかで話そう。今だからこそ、零には知ってもらいたい」
「うん、聞かせて」
「おい!! なに立ち話してんだ? 置いてくぞ!!」
遠くからシーザーの横槍が入ってきたので反射的に話を切り上げた。その彼の顔を嫌らしい視線で見る零。気がつけば街の歩道の先を行く紫水の背中が小さくなっていた。二人はこそこそと言葉を交わしてその後を行く。
これから行く場所はマグナガルド、通称マグド。全国にチェーン店を構えるハンバーガー店だ。偉大と言わんばかりに黄金に光輝くハンバーガーのロゴの看板がその目印である。内部は赤い壁に黄色いラインの装飾とアメリカンな香りが漂っている。
オランジェリータワーから歩いて約五分。三軒茶屋の街中、そしてタワーの最寄りという近隣の学生やサラリーマンを狙ったとしか思えない場所にその店舗がある。
先ほどのタワーの上にあったレストラン以外にも食べる場所は探そうと思えば色々ある。小さいカフェやレストラン、その気になればファミレスも。
だがエレベーターを降りる前の紫水のリクエスト、および腹ごしらえの後はすぐにタワーの下にある地下鉄で青山を目指す。あまりタワーから離れないで安く気軽にとれる昼食が望ましい。このマグドで適当に頼んだハンバーガーとポテトが本日のお昼だ。
昼前という時間も相まって、店内は人の数が増えつつある状態にあった。行列で溢れる一階から二階へ上がり、辺りを見渡すがどこも埋まっていて、人で賑わっている。
そこに食べ終えた包み紙や紙製の飲み物の容器をトレイに乗せて席を立つ一人のサラリーマン。その隣の椅子に置かれていた黒い鞄は肩にかけられ、小さいテーブルだが四人分の空席が生まれた。
「よし!」
偶然発生した空席に諒花は真っ先に手を置いた。
「ここなら座れるね」
零はその横の椅子に腰を降ろした。
──手筈通りだ。そしてここから。
「なあ、二人とも。アタシと零が席見張ってるからさ、先に下で買ってきていいぞ」
「お、気が利くじゃねえか。じゃ、席は任せたからな。とられるんじゃねえぞ」
「とられねえよ、バカ。さっきのことで、ちょっと零と二人で話したいことがあるんだ」
シーザーと紫水にも訳を話すことでパシリだと難色を示されないようにする。零のくれた作戦だ。
「なるほど。二人で事前打ち合わせってやつ?」
「まぁな」
「それならさ、あたしがお金預かって、代わりに二人のも買って来てあげるよ。このアプリでメニュー表見れるし」
紫水は自分のスマホをドヤ顔でこちらに向けて見せてくる。そこには四角いマス目の中に様々な形状をしたハンバーガーが映し出されていた。
想定外だった。二人が戻ってきた後に零と一緒に買ってくるつもりだったのに。その親切さに驚きと一緒に思わず顔がほころぶ。
「ああ、それがあったか」
出されたスマホ画面を指差し、言われて思い出す。ハンバーガー店にはファミレスのような各席にメニュー表はない。だがこのアプリがあればメニュー表を見ることが出来、ついでにクーポンまでついてくる。
諒花は自分のスマホにアプリを入れても機械はあまり得意ではない。それもあり、すっかりそのアプリの存在を忘れていた。
「オレもこのアプリ入れてるけど、使う機会あんまねえんだよな。食うもんなんか店着いたらその場でテキトーに決めればいいしよ」
シーザーも言う通り、このアプリはあくまでいつでもどこでもマグドのそれぞれの店舗のメニューが見れて、クーポンがもらえる程度のもの。食通や食に気を遣ってる人間が店に着くまでに見たりとか用途はそれぐらいしかない。
たまに渋谷のマグドにお世話になるが、諒花も殆ど店に着いてからメニューを決めてしまう。シーザーの言うことは同感だった。
「あたしは放課後に行く機会も多いからこのアプリ使うかな。お得なクーポンもらえるしさ」
青山の裏社会を掌握しているほどの滝沢家。紫水は実は姉からお小遣いも結構もらってるのではないか。という予感が浮かんだが、その口振りからそこまで贅沢はしていないのだろう。
「なるほどな」
「そういうことなら紫水さん。私達の分もお願い」
「オーケー。じゃあ、二人とも、ご注文の品をどうぞー」
状況を読んだ零に頼まれると急に注文を取る店員風の口調になる紫水。留守番の二人は彼女に欲しいメニューをそれぞれ注文した。




