第9話
「諒花!!」
シーザーを起こそうとしていた所に零が駆け寄ってきた。毛深い人狼化していた手があざやかな肌をした少女のものへと戻る。
「零! もう大丈夫なのか?」
「ええ、だいぶ落ち着いてきたから。諒花こそ怪我はない?」
クールだが自分のことを優しく心配してくれる零。眼帯に隠れていない方の琥珀色の左目が、銀の前髪に少しかかって眩しく暖かに輝いていた。
──こんぐらい大丈夫だっての。
歩美に言われたことをふと思い出した。
「あのさ、零……」
「どうしたの?」
「ベルゼなんとかのアジトを叩くことに反対したのは、あたしのことを思って言ってくれてたんだろ?」
すると零はそっと頷いた後、
「うん。諒花は私の数少ない友達。死なれたら本当に困るから」
やっぱりだ。その胸の内を聞いて乱れていた心が少しずつ安らいでいく。
そうだ、友達だ。歩美に言われた後、さすがに自分のことばかり言いすぎたような気がしていた。奴らへの怒りに囚われるあまり。
だから、ちゃんと──
「零。この前は悪かった。アタシ、お前の気持ちなんか全然考えてなかった。目の前のことばっかりで」
すると零は首を横に振って、
「いえ、私の方こそごめんなさい。私も少し言いすぎた。諒花みたいな考えが理想なのに、諒花の安全ばかり考えて、同調することが出来なかった」
謝罪に対する謝罪返し。それを聞いてようやく、先ほどの闘争で奥底に隠れていた絡まった糸がほどけて、晴れやかな気分に、そして安堵した。
「なぁ、零。誰かがやらないと何も変わらねえ。お前が納得する方法でベルゼなんとかを止める方法はないか? 敵が来るのを待って倒すだけじゃなくてさ」
昔から、自分より零の方が頭に優れてるのはよく分かっていた。
しかし今回は熱くなりすぎてその知恵を借りる発想に至れなかった。あの親子のためにも奴らをこの手でぶちのめしたくなったから。
それに答えたくて、つい零の前で自分の都合を押し通すような真似をしたのだと、自戒する。
「ならば、私も手伝う。諒花が行く時は私も一緒に行く」
「ホントか!? サンキュー、零が来てくれるなら助かるぜ」
諒花は子供のように目を輝かせ、思わずニッと歯を見せる。
「私の方こそ。諒花が助けた親子の話を聞いて思う所はあったの……いや、──これ以上はやめておく。行動で償わせて」
零は何やら自分の話を途中でやめて、首を左右に振った後、諒花の紫水晶の眼差しをじっと見てそう言った。
「──そうだ零。シーザーのことなんだけど──」
「諒花、危ない!!」
さっきまでの戦いで気絶したシーザーをどうするか零に相談しようとした時、何かを感じ取った零は諒花の横を素早く抜けていった。そして自らのチカラで左手に黒剣を出現させ、飛んできた燃える緑色の塊を両断した。
その塊は分散し、地表のコンクリートに燃え移るとその部分をたちまち黒く劣化させ、転がっていた小石は形すら残らず大気に溶けるように消えた。
「いやあ! 素晴らしい(インプレッシブ)!」
零がいなければ後ろから背中を貫いていただろう緑色のエネルギーの塊が飛んできた先で飄々とした盛り上がった口調で挨拶したのは──
「お前はあの時の……!」
その姿は親子を助けた直後に声をかけてきたあの奇妙な外国人だった。
「諒花、まさか彼に会ったことがあるの?」
「あぁ、前に渋谷の街でちょっとな」
「気をつけて。コイツは相当危険な異人。災厄を招きし道化、裏社会の帝王……レーツァン……!」
──帝王……!?
しかも異人……その名を冠する彼はどれほど強大な存在なのか。
「フヒャーハハハハハ!! さすが反応は鋭いな、黒條零。おれの攻撃を防ぐとは。よくお守りをやってらっしゃる」
なぜ零のことを知っているのか。そして、その勝ち誇ったような表情はなんなのか。
「そして初月諒花よ。よくぞ、おれの送り込んだシーザーを倒した。口の軽いバカだったが、まぁいいだろう。どうせおれ様が、こうして直々に姿を見せてやるつもりだったんだからな」
「お前があのカニ野郎を唆して、零を襲わせたのか!」
「あぁ、そうだとも。ついでにお前がブチのめした、この裏の世界に関して無知でバカなハエどもに異能武器を提供したのもおれだよ!」
その顔はこちらを嘲り、やったのは自らである事を面白がるように種明かすピエロそのものだった。
「バカな奴ほど甘い話に引っかかりやすいものだ。あのハエどもも、武器を渡して効力を試した瞬間、あの山猿を除いて『オレ達は最強だ!!』と、宣いていたよ。お前に殴られたことで一時の幻想から覚めただろう……豚箱の中でなァ!」
怒りの形相を見せる諒花を存分に嘲笑うレーツァン。その笑い声は耳障りで、諒花だけでなく、零も苦虫を噛み潰したような顔にさせる。利用した手駒を悉くジョークで笑い飛ばす。その姿はまさしく狂気だった。
「これは全部お前の仕業か!!」
最初の出会い以前にベルゼなんとかを含めて、裏で全て糸を引いていた元凶を前に諒花は啖呵を切った。
「何が目的だ、レーツァン!」
黒剣の先端を向けて、零が問いかける。
「目的? フヒャハハ、目的ねえ……それは簡単には教えられないな」
「が、その大切な奴を守る心意気に少しだけ教えてやる。そうだな……おれの目的は初月諒花、お前を手に入れることだ」
「アタシを……?」
零もそのまさかの指名に一瞬、思考が停止した。
「どうせ、ここでおれの女になれと言ってもついて来ないだろう? だからお前を叩き潰してでももらう」
レーツァンの人差し指、紫のつけ爪がその眼に向けられた。
「あぁ。悪いけど、アタシはそこらの男と付き合うつもりはねえんだわ」
軽くそっぽを向いた。その昔、愛していた男がいた。ともに見た残された夢も絶たれ、今はその先をどう生きるかしかない。
「フヒャハハハハハ!! そう言うと思ったぞ。しかしこれで引き下がるおれ様じゃねェ……諒花、お前に挑戦状を仕掛けよう! その若さで稀異人に値するチカラを持つお前は大きな可能性を持っている。欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい……!」
その異様な執着を表した声音は一瞬、諒花をヒヤッとさせた。
「うわっ、なんだよ!? というか、なんでアタシが稀異人だって知ってるんだよ?」
「お前の秘密を調べるなど簡単な話さ」
このロリコン変態ストーカー野郎。その汚い称号が喉から出かかった。が、裏社会の帝王には造作もないのかもしれない。
「諒花は下がってて。絶対に諒花は渡さない」
庇うように零は再度、黒剣を向けた。軽蔑の視線を向け、更に空いていた手からも黒剣を出現させ、二刀流で構える。
「フヒャハハハ! 黒條零、おれとやるのか? いいだろう、遊んでやろう」
緩やかな手招き、何も構えず、両手を広げて笑っているレーツァン。零が一層剣を強く握ると、その不気味で充血した大きな右目が怪しく光って見えた。
「──え? 奴が消えた……? どこ?」
唐突に零は辺りをキョロキョロし始めた。目の前に標的は普通に立っているにも関わらず。
「零! 目の前に奴はいるだろうが!」
「あ……!」
見失って混乱している零に彼は近づき、左から右に払う壮絶な平手打ちがお見舞いされ、地べたに叩きつけられた。
「うわあっ!」
因みに奴は何も能力は行使していない、誰にでも出来る平手打ち。ただそれだけで零を動けなくする。
「フヒャハハハ! 目が覚めたかァ?」
「零!! ──この変態ピエロ野郎!!」
たまらず、レーツァンに殴りかかっていた。再度、両手を人狼化させ、その笑い袋の鼻をへし折ってやる──その一心で眼前に迫った。
「お前のチカラだけが特別強いと思うなよ」
諒花の伸ばした人狼の拳に対して、レーツァンは緑の炎を帯びた左手で抑える。両者のエネルギーが互いに衝突し、やがて爆風が吹き荒ぶ。
「クソ……! なんだこのチカラは……!」
どうにか受け身を取って着地したはいいが、全身に重たく疲労が来る。なんて強いチカラなのか。反動が大きくのしかかる。
「これは全てを狂わせ破滅へと堕とす混沌のチカラ……! さあ、諒花よ。おれの女になれェ!」
レーツァンの左手の上で緑色に燃える炎が少しずつ大きくなっていく。
『ジリリリリリリリリリリリリリリリリ!!!』
突如聞こえたのは、目覚まし時計の音──その左手の炎はパッと消え、彼の懐から取り出された紫のスマホがタップされるとその音は止んだ。
「フッ……! ラッキーだったな。持ってるようだ。そろそろパーティの時間だ。今日はこれぐらいにしておいてやろう」
一瞬、レーツァンの姿が消えた。姿を探そうと辺りを見回すと、いつの間にか倒れているシーザーの前におり、肩に抱えた。
「待て!!」
近づこうにも、目の前に現れた激しく燃える緑色の炎の壁が行く手を遮って足が動かなくなる。足が前に進まない。
「また会えるのを楽しみにしているぞ。フヒャーーッハハハハハ!!」
そう言い残すと、レーツァンの姿は音を立てず、笑い声ごと緑色の炎とともに飲み込まれるようにして消えた。