第6話
「こんんのぉ!!!」
強烈な鉄拳がその頬を凹ませる。華奢だが目付きは鋭く、腕っぷしが強い黒髪の少女は大の男をコンクリートの上に屈服させた。
──まだだ。襟を鷲掴みにし、上半身を引き寄せた。
「お前らのアジトの場所を教えろ!」
「ははは、誰が教えるかよー!!」
──迂闊だった。
空いた手から何やら小さな容器を出され、噴射口から白い煙が大量に吹きかけられる。
「んはっ、なんだよこの煙……くそっ、涙が出てきやがった……」
辺り一面の視界がハッキリしない。目の前の動く相手が白いモヤで覆われる。目がくらんでたまらない。逃げるように街中の近くにあった小さな公園に駆け込むと、水道の蛇口を力強く回した。
「むもももももももももももももももも!!!?」
下から勢いよく噴射された水が諒花の顔面を突き上げた。するとさっきまでの歪な視界が綺麗に洗い流され、元の都会の景色が戻ってきた。
が、先ほど追い詰めた奴の姿はどこにもなかった。チッ、逃げられたかと舌打ちをする。右腕に忌々しいハエのタトゥーが見えたので確かだったのに──
授業が終わって放課後。初月諒花は真っ先に校舎を飛び出して、<部流是礼厨>のアジト探しを敢行していた。
彼らの特徴は決まって腕にハエのタトゥーをしていること。早速歩いていたら路地裏のコンビニ近くでたむろしている二人組を見つけた。一人には逃げられたが、もう一人の捕捉に成功して畳み掛けていた所だったのだが……また仕切り直しだ。
「あっ! 諒ちゃん!」
背後からの聞き慣れた声に振り向くとそこには歩美が立っていた。
「歩美か」
「零さんから話は聞いたよ。この前、わたしの荷物ひったくった連中のアジト探してるんだってね」
零の奴、歩美にアジト探しに行く話をしたのか。
「聞いたのか。あぁ、そうさ。零には止められたけど、早く見つけてやめさせねえと──」
「あのさ。諒ちゃんは零さんが言ってたことの意味、分かる?」
「え……?」
こちらを非難する歩美の言葉に思わず目が見開く。
「そんなもん分かってるよ! 敵の所にツッコもうとするアタシのことが心配だからなんだろ?」
それは分かる。危険だからと。零は小学生の頃から常に自分より二歩先を行く。頭の回転も速い。が、時々過保護に感じることがある。
「許せないから成敗してやりたい。諒ちゃんの言い分も間違ってないよ。でも諒ちゃんは分かってない。自分の意見を零さんに押し付けてるだけ」
「だったらどうすりゃいいんだよ! こうしてる間にもベルゼなんとかは渋谷で悪事を繰り返してる!」
さっぱり分からないと身振り手振りする諒花に歩美は人差し指を立ててこう言った。
「簡単だよ。諒ちゃんが零さんと会って、きちんと話し合いをすればいいんだよ」
「それかよ。零の奴はとにかくアタシの考えを真っ向から否定していたし、危険だからやめとけって。どうせ話しても協力もしてくれねえだろ」
「そうやって決めつけないで。零さんはそこまで諒ちゃんのこと悪く言ってなかったよ」
え──、じゃあなんであんな否定することを言ったんだ……
「歩美。零から何か聞いたのか?」
「理由は話してくれなかったけど、わたしが見た限りだと、諒ちゃんの意見には同意しきれない所があったみたい。たぶん零さんにも何か訳があって、あえて否定的な態度をとったんじゃないかな」
何か訳があって、適当にごまかしてしまうことは、確かに言われてみれば零でもあるのかもしれない。自分も自分で、粗暴な彼らを憎むあまり熱くなって言いすぎたのかもしれない。零の気持ちをそこまで考えず、気づけず置き去りにしてしまったような。
「こういうすれ違いがあっても、二人ならばちゃんと向き合えば分かるよ! それに時間を置いたら心境も落ち着いてくるってものでしょ? 小学生の頃から仲の良い二人を知ってるわたしが保証するからしっかりして」
にっこりと歩美は笑顔を浮かべた。そう言うなら信じてもいいのかもしれない。昔から他の友達以上に歩美の言葉は特別で信頼出来た。
こちらの言い分もきちんと汲み取ってくれるし、優しく芯があり不思議な魔力がある。自分が普通の人間ではないことも昔から知っていてそっと理解してくれる。その信頼の根底を改めて実感した。
同時に零と自分の関係も、喧嘩したのはこれが初めてというわけではない。小学四年の時に転校してきてから、時には少し喧嘩をしたこともあった。今起こっているこれも、久しぶりで忘れていたが、その一つなのかもしれない。
「喧嘩するほど仲が良いって言うしな」
「そーいうことー♪」
歩美は気持ちよく間延びした口調で言った。
「分かった。明日、アイツともう一回ちゃんと話し合ってみるよ。何か見えてくるかもしれないからな」
「絶対に仲直りしてね」
歩美にも悲しい思いをさせてしまっただろう。強く自戒する以外ない。
「そうと決まれば、連絡してみるか」
懐からスマホを取り出す。そこに零からの吹き出しを見て、目を丸くした。
『助けて。異人に襲われてる』
機械系統はあまり得意ではない。だが、添付された地図でその場所は一目瞭然だった。渋谷のアパートやマンションなどの中層の建物が並ぶ、閑静な住宅街の奥にある一つの裏路地だ。
頭の中に残っている記憶を上手く引き出す。あのコンクリートに挟まれた狭い通路の前を時々通り過ぎる光景が蘇る。確かあの通路にはゴミ箱が隅っこにいくつか並んで置いてあって、よく腹を空かせた猫がひっくり返しては中身の食べ残しを漁っている所に出くわす。
ゴミの回収業者しかまず通らないだろうあの通路の奥。踏み入れたことはないが、地図はその狭い通路を進んだ先の空間を指していた。
「諒ちゃん、どうしたの?」
「悪い、急用が出来た。また後でな!!」
スマホをしまうと諒花は公園を出て、一直線に駆け出した。