第36話
「いいね! キミの全力をあたしに見せてよ! いっくぞー!」
一瞬で間近に迫ってきた紫水の二発の鉄拳が飛んでくる。それを左、右に避けきり、更にもう一発来たその右手のコートの袖を掴み、後ろに引っ張って投げ飛ばした。
人狼化した両腕による怪力で、紫水はアスファルトの上に仰向けに浮いて投げ出されるも、全身を縦に大回転させて地面に強打することなく華麗に立ち上がった。
「激流拳!!!」
遠距離から紫水が拳を突き出すとジェット噴射の如く、大量の水が吹き出した。突如至近距離で飛んできた水弾に防御体制がとれず、視界が、目の前が冷水でいっぱいになる。
「──ウッ!?」
その時、腹部に尖った何かが突き刺さった。刃物ではない。それは先端が丸く、勢いをつければ身体能力も合わさって痛烈な武器になることを諒花も分かっていた。パンチではない。履いているスニーカーからの強烈なキックだ。
足の先端に突き飛ばされ、流れる無限の激流から景色が一気に星の見えない大都会の夜空へと変わった。灰色の地面に手をつけ、一瞬高く跳び上がって着地し、体制を立て直す。
「へえー、水が鼻と口に入ったのにすぐ立ち上がるってキミ、結構タフだね」
「お前は水使いか。こりゃ、一筋縄ではいかなさそうだなァ!」
鼻と口を通った水によって奥からの痛みが内側から伝わってくるが今はそんなことは言っていられない。人狼の右手に念を集め、全身からチカラがそこに集中する。
いつだったか。水のチカラは使い方が多種多様にある属性だと零が教えてくれたことがある。使用者に呼応し、様々な形や器へと姿を変え、固くなったり柔らかくなったりする。相手がどれだけの手札を持っているか予測出来ない。ならば、一気に片付けるまで。
「初月流・青狼速拳!!」
さっきのお返しと言わんばかりに突き出す拳から放った高速に飛ぶ球体の衝撃波。それは放たれた激流を余裕で突き抜け、当たれば対象の身体を丸ごと吹き飛ばす──
が、それを前にしても紫水は動じない。右手を前に出し、違う方向に逸らして消し去ったのだ。
「なっ!? アタシの一撃が弾かれたぁ!?」
受け止めたのではない。向かってくるエネルギーの塊に──勘なのか計算したのかは不明だが──タイミングよく直接拳を当てたことで、軌道を斜め上に逸らされた拳のエネルギー弾は夜空の彼方へと消えていったのだ。まさかの光景に、諒花は目を丸くした。
「ふーっ、星一つでも砕けたかな? へへっ、良い技持ってるね。危うくあたしの右手が消し飛びそうだったよ!」
紫水は艶やかな右手の甲をそっと撫でながらも笑って言った。あの戦法は人狼の拳で稲妻弾などの攻撃を振り払うのと同じだ。拳にチカラを込め、それを守りにも活用する防御術。どうやら、属性は違っても戦術はこちらと色々似ているようである。だが。
「お前、さっきのは計算してタイミング読んだのか?」
「いいや、勘だよ。キミの弾を見て拳を当てれば何となく上に飛ぶかなーって」
にっと笑みを見せる元気娘。要するに野球で投手が投げたボールを打者が飛ばすようなものと解釈する以外なかった。
「今度はこっちの番だね! もっとやろう!」
紫水がまたしても一瞬で目の前に近づくと素早い連続突き正拳が飛んでくる。右、左とひたすら避けると最後の一発が水色に発光し、
「水打ち!!」
水を纏った正拳突きとこちらの人狼の拳とがぶつかると、その衝撃で水の塊は大破裂した。
髪や服がビショビショに濡れても動じない。人狼の拳と水のベールが剥がれた生身の白い拳が両者譲らず押し合う。
「クソッ、濡れて風邪ひいちまうじゃねえか……!」
少し濡れたくらいなら平気だが、秋の季節に服が濡れるのはさすがに集中力が鈍る。水が徐々に人狼少女を追い詰めていく。
「強いチカラを持つキミも寒さと水のコンボには弱いみたいだね……! 一気に畳み掛けさせてもらうよ!」
こちらが稀異人だということに気づいたのか? 疑問を抱いた時、顔面に左手の拳が飛んできたのですぐ避ける。
そこから少し距離をとると、互いに腹の底からのかけ声とともに突き出す拳が次々と何発も交錯する。
拳と拳がぶつかり合う応酬、頬を殴られれば頬を、そして距離をとった紫水が放ってきた水弾は人狼の拳で砕かれ、またしても水しぶきが飛んで諒花の身体を濡らす。だが濡れても構わず攻める。
乱戦の中で砕いた水弾の感触から伝わるその威力。水弾として放たれ、時には拳を強化する目的でグローブ化して叩き込まれるそれらを所詮ただの水と侮ってはいけない。
紫水の強力なパワーも乗った水の剛拳と水弾は銃弾やメリケンサック以上の破壊力だ。水は使用者のコントロールだけでなく環境によっても姿を変え最悪、鉄をも凹ませ破壊する。今の気候では秋の寒さも相乗して戦う気力を奪う毒にもなる。まさに性能は変幻自在。
「キミ、やるね……!」
「お前もな……!」
凌ぎを削り合う中、反射的に返してしまった。なぜだろう。この女はこれまでの奴らと違って妙に親近感が出てくる。
互いに拳で嵐の殴り合い、そこから衝撃波と水弾の撃ち合い、そして睨み合う。紫水は膝に手をついている。もう一息だ。相手の出方を伺い、攻撃に入ろうと構える。ところが、向こうは白い歯を見せて微かに笑い、
「そこまで! この勝負はここで終わりだよ!」
先ほどまで何度も殴られた白い右手を前に広げて、待ったと合図を送る紫水。
「──お、おい、なんだよいきなり?」
挑んできた相手が自ら勝負を切り上げる。その様に壮大に意表を突かれ、意図が分からず混乱した。
「キミと殴りあって、そのハートや強さ、凄く伝わったよ。そして分かった。これ以上キミと戦う必要ないって」
「お前何言って──?」
「キミがあの女騎士なわけがないって確信したんだ。女騎士だったらそのまま倒してた。あたしさ、真っ直ぐな眼や強さとか、拳で語り合えば何となくそこから分かっちゃうんだよ。あんな酷い事する奴じゃないって」
──こいつ……もしかして謎の女騎士のことを言っているのか……?