切り裂きジャックと死神の再会
──クソッ、初月諒花め、よくもやってくれたぜ……!
上から強く叩きつけられた全身を引きずりながら、どうにか渋谷の街に戻ってきた。夜も相まって一段と煌びやかな街頭ビジョンには洋楽のPVが流れ、スクランブル交差点には会社帰りの多くの人がごった返している。
午後九時。忠犬の像や交番の前には適当にタムロしている連中もいる。木の棒にしがみつき、杖代わりにしながらここまでどれほどの距離を歩いてきたか────
財布もカードも宿泊した渋谷のラブホの中。ラブホというのは気にしてはいけない。観光客が多く泊まるホテルと比べて、渋谷の暗い路地裏にひっそりあるラブホやビジネスホテルの中には無茶苦茶安い所も珍しくない。ネカフェでは寝ても疲れがとれない。どうせならちゃんとしたベッドか布団で寝たい。ならばここしかないのだ。
つい一週間前のことだ。ある敗北をきっかけに周りからオワコンの烙印を押され、レーツァンからも見放された。
初月諒花と黒條零。あの二人に落とし前をつけるため、ネットで事前に拠点として渋谷区内のホテルを探した大バサミのシーザー。出された紙に本名の浅倉均治とサインしてチェックイン。
普段はこの名前を隠してシーザーと名乗っている。シザーを伸ばしてシーザー。裏社会で数多の強敵をこのハサミで仕留めているうち、ついた異名は大バサミ。現代の切り裂きジャックとも呼ばれた。
本名で名乗っていた時期も少しばかりあったが、もしものための保身のため、表と裏を使い分けようと今はこのようにしている。
リベンジ一回目は後ろから謎の女騎士に刺されて失敗。二回目はホテルに荷物を全部置いて手ぶらで挑んだのが馬鹿だった。機敏な動きが出来るようにいつも通り荷物を軽くしたが、それが仇となった。
あのコンビに立ちふさがった直後、捉えきれないほどの高速の剛拳が飛んできて、目の前が一瞬真っ暗になった。目を開けて気がついたらサボテンのトゲのようにビルが真下に無数にそびえ立ち、翼もないのに茜色の空の中を飛んでいた。
空からの重力に押され、急降下していることに気づくと、どうすることも出来ない中、超急加速で頭から突っ込み、緑のふかふかの木の上に叩きつけられた。ブロッコリーのようだ。
異人だからなのか、それともラッキーだったのか。幸い、命は取り留めた。都会ど真ん中の公園に植えられた大木がクッションになって。致命傷を免れたが全身が枝に引っかかり、降りようにも降りられない。
枝が絡まった足を適当に動かしていると、枝が絡まり、シャツに刺さったりしてまるで知恵の輪と化していた体がズルリと宙に滑り落ちた。公園に広がる砂利の上に全身を叩きつけられた。
公園を出るとここがどこかすぐ分かった。ここは渋谷から遥か南、目黒の街。財布も無い、スマホも無い、ICカードも無い。電車もタクシーも使えない。ヒッチハイクなんかこの都心でやっても応じてくれる奴なんか一人もいないだろう。
公園で丈夫な一本の木の棒が落ちていたので、立って歩くのもしんどい体を支えながら徒歩で渋谷を目指すことにした──
その途中で幸運にも道端に落ちていた百円玉を拾って、自販機で小さいボトルに入ったミネラルウォーターを買って口の中を潤す。こうなるくらいならば一万円札を一枚だけポケットに入れておくべきだったと後悔する。
「うわー、おじいちゃんだー」
「ウルセエ!! オレはまだ24だよ!! ぶっ殺すぞテメー!!」
すれ違った小学生のガキンチョに怒鳴ると、そいつは泣き叫びながら逃げて行った。いい気味だ。
あの初月諒花や黒條零以上にムカついた。あの二人にはもう一度リベンジすればいい。正々堂々この手でブチのめし、力の差は思い知らせてやればいい。笑ってやればいい。だが、あの一介のガキンチョには受けた屈辱を怒鳴ることでしか返すことが出来ない。
不愉快だ。この手で殺しても受けた屈辱は晴れない。戦いで受けた屈辱は戦いに勝って返さなければ──
道路に立つ青い標識が渋谷を指す方向をひたすら歩くも、入りくねった道を通っているうちに全く正反対の方向に出てしまって引き返したりで結局、茜色の空に覆われた目黒から渋谷まで歩くのに暗くなるまで相当時間がかかってしまった。
さて、泊まっていたホテルに帰ることにする。渋谷の代表的なスポットである駅前のスクランブル交差点を離れて、そこから少し歩いた所の路地裏にひっそりとあるラブホ。
そこにあと少しだという所で人混みの中に見覚えのある人影が歩いてきた。黒い幽霊を模したフードを被り、眼鏡をかけ、ニヤニヤと不敵な笑みをしているあの──
「お前……マヤじゃないか!」
「マヤじゃない、麻彩!! いい加減、僕の名前を覚えろ」
コイツの名前の漢字を初めて見た時、何となくそう読むと思っていた。ぶっちゃけ最初は女かと思った。
だが、コイツに会う度にわざと誤読して怒らせるのがいつの間にか習慣となっていた。そのツッコミ反応が見ていて飽きないのだ。
「木の棒突っついてここまで歩いてくるとは、三か月前に僕と決勝を争った大バサミのシーザーも堕ちたもんだな」
ニヤニヤと軽蔑の目でこちらを見て、首を横に振るマヤ──もとい樫木麻彩。
「んだとゴルァ!? お前だってあの二人に負けたクセに偉そうなこと言ってんじゃねえぞ!! 元チャンピオン!!」
「聞き捨てならないな。あのレーツァンの大会で優勝出来たのは僕の誇りなんだけどなー。今はあの人狼の小娘とお付の銀髪の女にメチャクチャにされて復讐したい気満々なんだけど……!」
その内に抱える怒りが今にも溢れ出そうなほどに樫木は顔を歪めた。
「ここで立ち話もなんだ。キミも同じ相手に負けたわけだし、ともに傷を舐め合うってことでちょっと僕に付き合わないか?」
「腹も減ってきたろ? ご飯、奢るよ?」
輝く幻想のエフェクトに満ちたお札を三枚見せ付けられる。コイツと飯を食うのは嫌だ。ホテルに帰れば財布があるのでとりに行けば一人で食べに行ける。しかし……
グゥーーーー……
目黒からここまで歩いてきて疲労困憊、空腹の悲鳴をあげている。食費も浮く。それらがこの誘惑に対する抵抗を緩めていく。
「………………じ、じゃあ──」
夜九時のファミレスは人の会話がうるさく行き交うものだったが、好きな席に座ることが出来る程度には空いていた。常に人混みの凄い駅前のスクランブル交差点から歩いて五分ほどした所にあるファミレスは二階建ての建物で階段を上がって入店する。
中から漂う食欲をそそる匂い。目黒からここまで歩いている途中は実感していなかった分の空腹が一気にやってくる。石潰されそうなほどに。注文したジューシーなサーロインステーキとほかほかなライス大盛りに目を輝かせ、ドリンクバーから持ってきた白く溶けて冷たい炭酸乳酸菌ドリンクと合わせてガツガツと口の中に運んでいく。
テーブルを挟み、そんな食欲旺盛っぷりを、コーヒーを飲んで、スマホをいじりながら樫木は眺めていた。
「う、美味え!! 肉美味えよ!!」
「まるで少年漫画の主人公みたいな食いっぷりだな、キミは」
その豪快な食べっぷりに樫木は苦笑した。
「いいだろ、美味いんだからよ! それにカネもスマホもねえ状態で目黒からここまで歩くハメになったんだ。今は思い切り食わせろ!」
「はいはい」
ステーキとライスを完食すると、今度はデザートのバニラアイスを続けてオーダー、上に乗っていた、苦手なサクランボをどかして食べ始めた所で樫木の口が開いた。
「胃が満たされた所で、そろそろ本題に入っていいか?」
「あぁ、いいぜ」
「どうだ? 僕と手を組まないか?」
思わず、スプーンで口に運ぼうとした白いアイスの手が一旦止まった。
「手を組む……?」
「あぁ、ともに同じ相手に負けた者同士、二人で協力して初月諒花と黒條零に挑めば、余裕で勝てるぞ。たとえあの初月のチカラが僕らより強かろうが、連携したコンビネーションで戦力差を埋めることが出来るだろう」
何となくそんな予感がした。そのためにわざわざこうして現れたのだろう。樫木と手を組めば、あの二人と二対二で互角に戦える。透明化能力を持つコイツをどっちかにぶつければ、もう片方とサシで殴り合える──が。
「──断る!」
そう言い切るとはカップの上に乗ったアイスの塊を口の中に放り込んで一気に完食。すると。
「お前と手を組めば、そりゃ勝てるかもしれねえ。でもなあ、それは却下だ!!」
テーブルに拳を思い切り叩きつける。
「これは仕事じゃねえ。オレのプライドがかかっているんだ! 初月諒花と黒條零をこの手でブチのめす! オレがアイツらに負けた後、どれだけ栄光からの地獄味わったか知ってんのかテメエは!!」
負けた直後、レーツァンの計らいで裏社会の者も面倒見てくれる病院に搬送された。が、退院後に浴びせられたのは退院祝いでもなくオワコンという失望の念を込めた言葉と嘲笑の嵐。
栄光からの転落。積み上げたものが一気に崩れ落ちた。負けた相手が誰だからというよりも期待を裏切られた言葉の方がずっと重かった。
「じゃあ、尚更僕と今すぐ手を組もう。復讐のための共闘戦線だ。キミのために言ってるんだぞ? そんなに憎悪募らせてるなら、僕と組んで今すぐ晴らしに行こう」
「はぁぁ!? オレはな、負けで味わった屈辱はこの手で晴らさないと気がすまねえんだよ! お前と手を組んだら、どっちかをお前が殺るだろ? オレはあの二人にこの手でリベンジしてえんだ! 邪魔すんじゃねえ!」
ただ殺して晴らすリベンジはリベンジじゃない。真のリベンジは実際に堂々と戦って叩き潰して晴らすもの。どれだけ屈辱を受けようが戦って晴らさなければ、そこにあるのはただの空しさだけだ。
それは初月諒花の相方、零にも同じ事が言える。あの二人は揃ってコンビ。零を狙えば諒花が飛んでくる、反対に諒花を狙えば零が来る。ならば二人まとめてリベンジするしか道はない。
それだけじゃない。樫木との共闘を消極的にさせる要素はもう一つあった。コイツはどんな奴が相手でも殺すことに一切躊躇いがないのだ。
それを裏付ける証拠がある。過去にもその透明能力を活かして殺しを請け負う暗殺稼業をして飯を食っていたことだ。この裏社会とは関係ない一般人でも依頼を受ければカネのために殺す。
死神という異名は、その能力で透明になって敵に気づかれぬままにその命を狩りとっていくことに由来する。それで代価を受け取って生きてきたコイツにはピッタリすぎる異名だ。
仕事にするならば、飯の種になる標的を私情で選べない。そんな仕事をして生きてきたコイツには、このこだわりは分からないだろう。
「めんどくさいなキミは。邪魔な奴は削除する。それでおしまいだろうが」
樫木はテーブルに頬杖をついて、呆れた視線でシーザーを睨みつける。
「バーッハハハハ! やっぱお前には分からないか。だったら分からなくていい。オレはオレのやり方で戦うまでだ!」
「自分の立場も自覚してないで、よくそんなことが言えるな。キミは」
「立場ァ!? オレは泥臭くてもこのやり方はやめねえぞ! というわけでこの話はここまでだ」
「違う。僕に飯を奢ってもらったのに、そんなこと言っていいのかなあ?」
「──へぇっ!?」
しまった、完全に忘れていた。シーザーは開いた口が塞がらなくなった。
「僕に飯を奢ってもらったからには、お返しが必要だよな? だ・か・ら・さ」
「──答えは一つしかないんだよ。僕と手を組め」
「ああ、カネは返すからって反論は聞かないよ?」
「グ、グッ……! クソォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ!!!」
もうこの誘いに乗った時点で答えは決まっていた──顔を歪ませ、侮蔑の断末魔が辺りの雑音を貫いて響き渡り、周りの客の視線も集まる。そんな彼を見た、樫木のしてやったりという表情がこの敗北感を助長させた。




