第24話
──ダメだ、歩美がやられる……!
一足遅かった。撃っても間に合わない。歩美の背後から容赦なく振り下ろされる大バサミ。それが完全に下ろされる瞬間、親友が斬られる姿は見たくないと思わず目を強く閉じた……
その一振りとともに時が止まったかのような静寂が辺りを包む。やがて何も音がしない事が気がかりになり、そっと目を開けた。横を見ると諒花も同じようにさっきまで目を閉じていたようだ。
「お、おい、零! あれ!」
「え……!」
諒花にも言われるままに目の前にあったのは無残に斬られた変わり果てた姿の歩美ではなかった。拘束していた縄は途中で切断され、歩美の足元に輪を作って落ちていた。
口のガムテープも乱暴だが剥がされる。それを見て、ホッと息をつくと先ほどから向けていた剣先を下ろした。
「わたし……生きてる?」
瞬きを二回する歩美も自分の両手や辺りを見て何かあったのか状況が飲み込めていないようだった。二人さえも予想外な出来事に立ち尽くしている。誰かが乱入して正義のヒーローよろしく颯爽と現れて、縄を切って助けてくれたのではない。
さらったシーザー自ら、縄を切り、歩美の口のガムテープを剥がしたのだ。
「どうして? わたし斬られるかと」
「と、とにかく理由は分からないけど、歩美、早くこっちに!」
「う、うん!」
とりあえず気を取り直し、零が疑問を抱く歩美にシーザーから離れるように促すと、歩美は二人の後ろへと下がった。
「どういうつもり?」
訝しげにシーザーの方を見た。その姿、異名からはとても想像出来る行動とは思えない。
人質の活用法はいくらでもある。自らが危なくなった時の盾にする、敵の動きを止めて戦況を有利に運ぶ手段として使ったり。にも関わらず、彼は戦況を有利にする手札を自ら捨てたのだ。人質をあっさり解放すること自体おかしい。
大バサミのシーザー、別名、現代の切り裂きジャック。それが奴の異名だ。多くの獲物をそのハサミで血祭りにあげてこの名を頂戴したであろうその男は、これから正々堂々と決闘に臨む高揚とした笑みを浮かべていた。
「バーッハハハハハハ!! オレがその女を本気で殺すとでも思っていたのか?」
三人は万場一致で首を縦に振った。
「するわけねえだろ! その女の命には興味もねえ。そもそもここで殺すメリットがどこにあるんだ?」
確かに言われてみればそうだ。ここで歩美を殺せば、取り返しのつかない敵を作ってしまう。余裕のない悪党がする事だ。今の彼の言動にはどこか余裕が感じられる。
「オレはよ、お前らと戦えればそれでいいんだよ! オレの顔に泥を塗った奴を正面からブチのめすために!」
シーザーは右手をハサミに変化させるとその先端で諒花を指した。
「人狼女!! オレはお前にやられてから散々だった……周りから負け犬を見る視線を向けられ、オワコンとか一発屋とか馬鹿にされる毎日!! よく飲みに行く酒場では笑い者扱いだ!!」
栄光からの転落。樫木麻彩に次ぐ実力者として騒がれていた所に裏社会の帝王から舞い込んできた話。自信たっぷりにそれを受けたのが全ての始まりであった。
「なに言ってんだよ、そっちから勝手にふっかけてきたんだろ! それにお前は零を傷つけた。逆恨みも大概にしろ!」
「負けた復讐というわけね。しかも零さんにも手を出してるなんて許せない! 往生際が悪いよね!」
会話から状況を読み取った歩美も彼の言い分に反論した。まさしく正論だった。自分を拉致した挙げ句に痛めつけ、見事に諒花に成敗された。反論の資格もない自業自得だというのに。
「あーっ、うるせえうるせえ!」
「お前がうっせえよ!!」
黙らせようとした彼の言葉に諒花が啖呵を切った。
「知るか! このままじゃ気がすまねえんだよ! だからここでもう一回やるんだよ! 二人まとめてかかってきやがれ!」
「……シーザー」
「あァ? なんだ?」
鋭い目でギロリと零のいる方向を見た。
「あなたは大切な友達に手を出された人の気持ち、分かる?」
零のその声音は内側に強い怒りを秘めていた。だが、肝心のこの男は、
「ハッ、分かるよそんなの。だから殺してねえじゃねえか。こうでもしねえとお前らはオレの相手なんか──」
「そういうことを言ってるんじゃない! 歩美は私の大切な友達。あなたの自分勝手な都合で無関係な歩美を巻き込まないで!」
「なっ……!」
その真意まで読み取れず、意表を突かれた顔をするシーザー。そう言われるとは微塵も思っていなかったのは零から見ても明らかで、言葉も出ない戸惑いを隠せない様子だ。
まさか以前、簡単に倒せたクソザコと思っていた相手にそんな言葉をかけられるとは。己がモラルの欠けた奴だと露呈する言葉を。その現実がとても信じられない様子だ。
戦う前から両刀銀髪女は楽勝だと高をくくっていた。剣なんかいくらでもへし折れると。が、その余裕はこの一瞬でバラバラに崩壊した。目が見開き、空いた口が塞がらない。目の横から一滴の汗が流れ落ちる。
反論の言葉を探しても見つからない。大の大人が中学生から受けたキツイ言葉はその羞恥心を加速させる。ただの批判や罵声なんか言わせとけばいい。だが、その鋭い眼差しで放たれた言葉、同じく拉致られたからこそ出たのだろうそれは、彼の心に大きく突き刺さって固まっている。
「諒花、やろう。こいつをこのままにしておくわけにはいかない」
隣にいる諒花を見て、二刀の黒剣で構えて臨戦態勢に入った。以前は諒花が勝つよりも先にこちらは単独で奇襲をかけられて完敗している。そしていつの間にか二人でセット扱いで復讐対象になっている事も奴の自分勝手な都合だ。倒して黙らさなければならない。
「あぁ、アタシたちの歩美に手を出したこと、このカニ野郎に思い知らせてやろうぜ!」
諒花は腕を鳴らすとファイティングポーズで構えた。
「諒ちゃん、零さん……頑張って!」
戦えない歩美はこちらを見て目を輝かせている。
「……クッソォー!! 戦う前からオレの出鼻を口で挫きやがって!! お前ら切り刻んでやる!! 前のようにはいかねえぞ!!」
シーザーも両手を自慢のハサミに変え、両方の先端部分を突き出して構えた。