第22話
あれから一週間が過ぎた。レーツァンに利用され、この渋谷の街で度々蛮行を働いていたあの集団──<部流是礼厨>もすっかり姿を消した。
上官曰く、樫木の大虐殺からも運良く免れていたごく少数の残党がいたが、それも警察に逮捕されたという。<部流是礼厨>が所有していた異能武器は路地裏に転がっていたものも含め、警察からの届出により全てこちら側の捜査員が押収した。
現在、樫木とも戦った、奴らのアジトだったあのボロビルも黄色い境界線が敷かれ、立ち入り禁止となっている。
──レーツァンに近づく手掛かりはあのビルにあるかもしれない。しかし、今はあちらに任せるしかない。何かあれば、上官が教えてくれるから。
昼休みの誰もいない屋上で、髪が秋風によって揺れる。スマホに目を通すと諒花は一階の玄関にいるようだ。さしずめ、シャドーボクシングかストレッチで一人、体を動かしているといったところか。
監視対象である諒花の居場所はスマホのアプリによって一目瞭然である。地図に点が示されればそこに彼女はいる。無論、これは彼女には明かしてはならない。
これは上官が予め仕組んだもの。彼女の内にある強力な異源素反応を察知して地図に表示してくれる仕組みだという。
だが、ここで一つ気になることがあった。強力な異源素に反応するのならば、そのシステムを応用して他の異人やレーツァンの居場所も把握出来るのではないか。
そうすれば敵の接近を事前に察知して迅速な防衛に役立てられるだろう。にも関わらずこのアプリは一貫して監視対象だけを指し示す。
以前、上官に訊いてみたことがあるが、関係のないことだとして却下され、正しい回答は得られなかった。
指示に逆らえば、自分の望みも叶わないと脅しともとれた言葉を前にやむを得ず引き下がるしか出来なかった。
──だが、とても引っかかる。
「零さん」
「うわっ、歩美」
後ろから声をかけてきた歩美に思わず驚いた。
「零さん、最近何だか元気がないよね」
元気がないわけではない。と言えば嘘になる。
「うん、何だか落ち着かない。一週間前、色んなことがあったから……」
緊張状態だ。あのレーツァンが大人しいのも逆に不気味に感じるほどに。帝王と呼ばれるあの男が、あそこまで言った彼女をこのまま放置するとは思えない。画面の向こうで笑っていたピエロは必ず何か仕掛けてくるだろう。
もしかすれば、これも作戦なのかもしれない。あえて間を置いて、機が熟したら攻める作戦。そんな予感が拍車をかけて気が抜けない。
「わたしはクラス委員長の仕事で諒ちゃんや零さんにはついて行けなかったけど、諒ちゃんが狙われてるってなるとやっぱり油断出来ないよね」
クラス委員長として学校の生徒会の仕事にも関わっている歩美。彼女は普通の人間なので諒花が落ちたメディカルチェックも問題なくクリアし、剣道部で竹刀を振っている。もうこの時点であのチェックで落ちる人間が一目瞭然だ。
最も、夏休みが終わってからクラス委員長の仕事がキツイのか、幽霊部員と一部で囁かれているようだが。
「歩美は危険だから来なくても大丈夫だよ。むしろそうしてくれてた方が私は嬉しい」
「そ、そうだね。二人の足手まといになっちゃ迷惑だよね。あはは」
零の優しい声音に歩美は苦笑した。
「ねえ、零さん。一つ訊きたいんだけどいい?」
「なに?」
強い風が吹き、肩に少しかかる程度の髪がゆらりと波を描いた。
「もしさ──わたしに何かあっても、その時は零さんや諒ちゃんがきっと助けてくれる?」
そんな歩美を前に目が大きく見開く。こちらを真っ直ぐに見つめる今にも消えてしまうんじゃないかとも思える寂しそうな目、風で揺らぐ柔らかい髪、後ろの背に隠す両手。沸き立ち始める危機感。
「歩美、急にどうしたの? 何だか──」
いなくなってしまうような気がして。それを言いかける前に屋上のドアが豪快に開かれた。
「ちょっとあゆみん!! 会議の資料に抜けがあったから来て!!」
「あ、はーい!! ごめんねー零さん!!」
流れを断ち切るように突如現れたのは、生徒会でよく見かける顔の一人。名前はクラスが違うので分からない、短い髪に銀の眼鏡をしていて、印象に残っている女子。その声に呼ばれて歩美はその場をそそくさと立ち去った。
どこか先ほどの言葉が引っかかる。諒花を監視することが最大の目的だ。しかし、歩美の身に何かあった時は同じくらいただ事ではない。
今から三年前。監視活動を始めて二年目に突入し、小学五年生になった時の春。歩美は京都から東京に転校してきた。いや、戻ってきたのが正しいか。
歩美の実家である笹城家は日本各地に家電量販店のチェーン店を営んでおり、そのため親の仕事の都合で歩美は二年間東京を離れていた。
今年で五年目の半ばになる監視活動。任務についた初年度は監視対象以外の余計な人付き合いを避けるようにしていた。任務に支障が出る可能性があり、色々とめんどくさいからだ。
だが、諒花の幼馴染みであり、戻ってきた歩美は違った。こんな自分にも何度も何度も、みんなで遊びに行こうよとか、手を握って元気一杯なアプローチをかけてきたのだ。
最初は任務を優先して適当な口実を作って拒否した。ところが、何度も誘われているうちにどこか心を動かされ、彼女の誘いに乗ることが多くなっていったのだ。
とはいえ、任務を放棄しているのではない。その場には大抵、監視対象である彼女もいる。上官への報告も監視目的と伝えれば容易だった。
本心としては任務が最優先。だが歩美、そして諒花と時間を共有している間はとても心地の良い一時であった。自分が監視役としてこの場にいることを忘れてしまうくらいに。
監視対象の家に初めてお邪魔したのも歩美がきっかけだった。そこにいた花予はよそ者の自分にも優しくしてくれた。食事を一緒にしたり、ゲームをしたり。これまでにない暖かすぎる体験。
六年生の時にみんなで自分の誕生日パーティをしようと提案したのも歩美だった。誰からも祝われたことのない誕生日。六月九日。
誕生日も物心ついた時に知ったもので実際本当のものなのか分からない。
それなのに──その事実を周囲が知らないゆえだろうが──それでも、こんな自分のことを周りは心から祝福してくれた。
生まれてきてくれてありがとうと。それは奇妙だと思ったがとても嬉しいもので、これまでにない幸せが込み上げてきた。
表向きは親戚から仕送りで一人暮らししているという事になっている。が、実際は親戚などいない。上官がいるだけ。周りには嘘をつき続けている。嘘で塗り固められた歪な存在。
でも自分は生きている。監視活動だけではなく、人として立ち振る舞うことが出来る。周りは一人の友人として見てくれる。
歩美がくれた数々の思い出は今も大きい。訓練や任務、戦いだけで生きていた自分にとてつもない安らぎをくれたのだ。
いつか偽るのをやめた時、この幸せも終わりを迎えるのかもしれない。だが、そういう事はあまり考えたくなかった。
昼休み終了のチャイムが鳴り響いた。慌てて、教室に戻るとそこにはちゃんと歩美がいた。
「歩美!! さっきの話ってどういうこと?」
「別に、なんでもないよ。それより零さん。授業始まるよ。放課後は何もないから今日は諒ちゃんも一緒に帰ろうね」
その微笑みから出る優しい言葉と太陽のような表情に救われたような気がした。いなくなってしまうと思ったのは考えすぎだったのかもしれない──とこの時は思った。