第157話 人狼少女 前編
──あの変態ピエロはもういない。
正体を明かした後に挑戦状を叩きつけ、仕掛けてくるあれやこれやで幾度も惑わし、更には事故に見せかけて両親と恋人を手にかけていた、もはや一介の悪党を既に超えている因縁の男はもうどこにもいない。
死に際にあのピエロが遺していったモノは、まだ戦いは終わったわけではないことを告げるもの。
自分と同じようにこちらを狙っている、更なるもう一人の敵がいる。そしてその敵が送り込んだ手下が既に近くにいる。それもすぐ分かると。そこから見えてくるのが、両親と恋人をあのピエロが殺したことにはそのもう一人の敵も関係しているということ。
あのピエロとの戦いはいつの間にか敵討ちという方向に切り替わっていたが、因縁の相手を死闘の果てに倒したと思いきや、そのゴールは最後の置き土産で遠のいてしまったような気がした。
しかし、零が傍にいてくれる。それに裏社会の帝王と呼ばれるほどの男を倒したのだから、この先どんな敵が現れても、二人で戦えば何とかなるだろう。
近くにいるというその手下も零と力を合わせればきっと見つけられるし何とかなるだろう。そう思う人狼少女、初月諒花。
零の提案により、ひとまずはみんなのいる所に帰ることにした。戦いは終わったのだから。零に連れられ、屋敷の入口の方へと向かう。その時だった。
『諒花さん』
「その声は……」
静かな声が聞こえてきて、森の中で立ち止まった。それは翡翠の声。前を歩く零には聞こえないように、こちらの耳元にそっと直接語り掛けているようだった。
『レーツァンの撃破、本当にお疲れ様でした。あなたのお陰で、この家も、青山も救われました。誠にお礼申し上げます』
会話をしようと口を開くと「しっ」という声。人差し指を立てた翡翠の姿が浮かぶ。
『内密にお願いします。次の土曜日に屋敷でお会いしましょう……では』
声を出してはいけない事を感じ、そっと首を縦に振った。そうだ、今日は土曜日だった。思えば、長い長い一日だった。それがようやく終わった。
昨日、滝沢家が渋谷に攻めてきて、そこから今日になって女騎士の行方を追って三軒茶屋、次はこの青山へと場所を移した。
最初は滝沢家がこちらに女騎士の疑いの目を向けてきた所から始まった。それが今は逆に感謝される関係になっていると思うと不思議な感じがした。
全てはあのピエロ──レーツァンが計画していた。しかし、けしかけられた翡翠も彼の言う通りに動きながらも、独自の目的のために裏では策謀を巡らせていた。滝沢家も彼から解放された事になる。
「諒ちゃん、零さん!」
零に着いてきて屋敷の入口まで戻ってくると歩美がこちらの姿を見て駆け寄ってきた。女騎士として手駒にされていた歩美もすっかり元気な彼女へと戻っていた。
「歩美! 元に戻れたんだな!」
「うん、零さんが助けてくれた。本当にごめんね。でも諒ちゃんが元凶のレーツァンを倒してくれたんだよね!」
ひとまずあのピエロに死に際に言われたことは今は置いておこう。頬をかきながら、
「ああ、ちょっと色々あったけど、あの変態ピエロはブン殴ってやったからもういねえ。だから一安心だ」
歩美は零、そしてこちら側をそれぞれ見て、
「二人とも、本当にお疲れ様!」
「歩美も、ね」
付け加えた零の声がなんかいつもより弱く、かつ言葉数も少ない気がした。気のせいかもしれないが。決戦後なのだから無理もないが、気にかかった。
その三人の輪にそっと歩いてきたのは蔭山。
「三人とも大変だったな。無事で良かった」
「蔭山さん!!」
青山で車を降りて以来の再会だ。蔭山の顔を見ると、あの戦いから生きて帰って来れたことを実感する。
「さ、家で花予さんが待ってる。みんなで帰ろう」
「おおっと!! ちょっと待ったぁーーーー!!」
蔭山が三人にかけた優しい言葉に横槍を入れるように、外野から飛び込んできた大声。四人が一斉にその方向を見る。その声の主はシーザーだった。
「カニ野郎! いたのか」
「さっきからいたぞ! 初月諒花! それに黒條零! レーツァンを倒したからって図に乗るんじゃねえぞ!」
喧嘩腰のシーザーを前に、今まで大人しかった零が守るようにして前に出る。勿論、二刀の黒剣を手に。
「シーザー、戦いが終わって奇襲をかけるつもり? ならば、私一人で相手をする。諒花は下がってて」
あのピエロとの戦いでもうボロボロだ。いかに相手が相手でも、これ以上戦うことは厳しい。
「ハッ!! 早とちりしすぎじゃねえか? いかにも頭脳派なお前らしくねえ」
「なっ……!」
零は一瞬、目を丸くし、それを指摘したシーザーは笑う。
「オレはよ、万全な状態のお前らとやりてえんだよ! お前らを倒すのは、この大バサミのシーザー様だ! 他の奴にやられたら承知しねえからな! それだけだ、あばよ!!」
そう言い残して、シーザーは先に門を出て走り去って行った。
「またやる事になりそうだな」
「三回倒している相手だけど、油断はしないで、諒花」
「分かってるよ」
彼と遭遇した四回目は三軒茶屋だった。が、女騎士が現れてそれどころではなくなり、敵だったのに手を貸してくれた。それもあり、自己中かつ残虐な樫木麻彩とは違ってそこまで悪い奴ではないように見えた。
だがまた戦うのであれば話は別になる。その時は遠慮なく相手をするまでだ。
その後、蔭山の車に三人で乗り、滝沢邸を後にした。車に乗った瞬間、戦いの疲れがどっと肩からやってきて、瞼が静かに落ち、闇に満ちていく。
そして最後に目が覚めた時にはもう、車は渋谷にある家の前に着いていた。まるで車での移動が一瞬の出来事であった。
「起きたか? 着いたぞ」
蔭山の声で目が覚め、同じく眠っていた零、歩美も目を覚ましていた。
「そうか、アタシ寝ていたのか」
「無理もない。ゆっくり休め。花予さんには連絡してあるからな」
蔭山からも気にかけられ、眠気があるまま、車を降りて四人でマンションの九階にある家に戻った。
そこには今にも泣きそうな顔をした花予がいた。
「おかえり!! 帰って来たんだなぁ!」
感激した声で花予は帰ってきたこちらに駆け寄った。
「諒花、零ちゃん、歩美ちゃん! 無事で良かった! 変態ピエロに勝ったんだな……!」
花予にとっては可愛い三人の娘達。一人ずつその体を優しく抱きしめた。花予の暖かい温もりが伝わってくる。
「ちょっ、ハナ! ああ、勝ったよ……」
もしも負けていたら花予があのピエロに指名手配されて大変な事になっていた。想像もしたくない。
「さあ、みんな絶対に帰ってくると思って、鍋料理作って待ってたんだ。蔭山さんも、ほら!」
「お、そんじゃあ、久しぶりに俺も頂くか」
さあ、全て終わった後の宴を楽しもう────そう思ったが。
その後も眠くてたまらなかった。睡魔が重くのしかかる。鍋は自分の分は残してもらい、目覚めた朝に食べるとして、眠りにつくしかないぐらい、疲れがドッと体にのしかかってきたからだ。
今までチカラを制御していたあのチョーカーを外して、ほぼぶっつけ本番で戦った事も影響しているのかもしれない。
時計塔から落下し、あの変態ピエロごと青山の大地を貫いたのだから。その結果出来たあの青白く、天に昇る火柱がそのデカさを物語っている。
パジャマに着替え、部屋のベッドの布団の中に入った時、意識が薄れゆく中で長い長い戦いの終わりを実感した。




