命からがら助かったが気がついたら車の中 前編
それは初月諒花が滝沢邸に入って地下で滝沢紫水と戦い、その後遅れて駆けつけた黒條零が待ち受けていた滝沢翡翠と対峙しようとしていた──時のこと。
「はあっ……はあっ……」
息を切らしながら、とにかくひた走る。背後から追ってくる奴はいないのか、後ろを振り向きたくなる衝動に駆られても、それを押し殺して走り続ける。今分かることは自分が屋敷の中ではなく、外にいることだった。
「今はとにかく逃げねえと、くそっ……」
戦うことを放棄して逃げる。傷ついた体を無理矢理引きずるように。それしか生き延びる術はない。またいつ高速で、あのカマキリ野郎(マンティス勝)が飛行して追ってきてもおかしくはない。偶然顔を合わせたことでそいつと手を組んだメガネ野郎(樫木麻彩)も、能力で姿を消し、いつ先回りしてきても不思議ではない。
屋敷の塀の前で一度は死を覚悟した。あの二人が手を組んだ以上、勝てる見込みはない。逃げようとしたら行き止まりの塀にぶつかった。もう袋のネズミ状態。
だがその後、奇跡が起こった。二人の間のほんの一瞬の隙が出来た。向こうの視線がこっちから外れた隙に、塀をよじ登り、幸運にも生き延びたわけだ。こうなった以上、奴らの目が届かない所まで一旦避難するに限る。
高級住宅の並ぶ閑静な住宅街。道の真ん中でその男、大バサミのシーザーはとうとう焦燥の末に疲れ、走る気力を失くし、全身の力が抜けて、意識が闇へと落ちていく。
「ん……ん?」
静かなエンジン音と少しの揺れによって意識が引き戻され、目を開ける。外ではない。どこかの車の中だ。そっと上半身を起こす。外はとっくに陽が落ちて車内の天井のライトが点灯していた。
「お、目が覚めたか?」
前の座席で車を運転する渋い初老の男がこちらの様子を一瞥して声をかけてくる。
「お前は……」
茶色い帽子を被り、同じ色のコートを着たスーツ姿、縦長の顔に白髪まじりで太い眉毛に強い目つきと刑事のテンプレをこれでもかと詰め込んだその容姿は、ジジイと呼ぶにはいささかまだ早そうだ。
ちょうど車が信号で横断歩道の前に止まったタイミングで、
「俺は警視庁組織犯罪対策第一課第15対策係の蔭山だ」
そう言って出してきた警察手帳にはきっちりした表情で映った証明写真と警部という格好に合った階級、蔭山貴三郎というフルネームだった。
「刑事さんがこのオレに何の用だよ? オレは逮捕されたのか?」
「違う。安心してくれ。昼過ぎに青山でボロボロになって歩いていたあんたを諒花達が助けてるのを車から見ていた者だ。それであんたが住宅街のド真ん中で倒れてたから、こうして助けたわけだ」
信号が青になったのを確認すると蔭山は再びハンドルに向かった。
「そうか、恩に着る……」
あの人狼女の名前を出した事から関係があるらしい。因縁の初月諒花と黒條零。
そういえば、ここまでを思い返せば、先に紫水と青山に行き、その紫水が黒服の群れに連れ去られた後、あの二人がやってきて合流、そのまま滝沢の屋敷に行ったのだった。
「なあ、諒花たちとは友達か?」
「友達ィ!? 冗談も大概にしろよ」
断じて友達になった覚えはない。これだけは言える。今はそれどころではないからにすぎない。それ以前にあの二人に負けて屈辱を味わったのだから。全ては堂々と決着をつけるためだ。
「逆だ! オレはあの二人にやられて、リベンジに燃えている男よ」
「なるほど。諒花に喧嘩売ってやられたってわけだな? それで今は共通の敵が出てきたから、共闘しているんだろ?」
「なっ……! なんでそれを……!」
コイツはエスパーか。それとも予知能力を持った異人なのか? その脳裏を見透かされた言動に一瞬固まった。
諒花にやられたことをどうして読めるのか。そもそも共通の敵を認識している時点でこの刑事は今起こっていることを把握しているのかもしれない。
「諒花は手当たり次第に喧嘩吹っかける不良娘じゃねえからな。むしろかけられる側だ」
「あんた、あの人狼女とどういう関係だ?」
「ちょっと色々とあって昔から家族ぐるみの付き合いがあるといった所だな。俺も訳ありで女騎士の事件を追っている。ある程度は話が出来ると思うぞ」
興味はないが、あの人狼女の家庭も色々とあるようだ。すると蔭山は握っているハンドルを切りながら、
「ところで話を戻すが、なんで住宅街の真ん中で倒れていたんだ? 諒花たちはさっきこの青山へ送り届ける時、滝沢に会いにいくと言っていたんだがその家には一緒に行ったんだろう?」
「行ったけどよ、完全に向こうにハメられた」
「ハメられた?」
「ああ、屋敷の中はもう戦場だ。オレはそこから負けて逃げてきた。終始ツイてなかったが、最後だけはツイてたんだ──」
刑事とはいえ、深く話す義理はない。だが最後のツキがなければ今頃は八つ裂きにされて死んでいただろう。
屋敷に着く直前から敵の攻撃は始まっていたのだ。まず、一緒に歩いていたはずの人狼女が失踪した。
とりあえず残ったあの銀髪女──黒條零と屋敷へ向かうと、そこではこの地の支配者、翡翠の宣言のもと、滝沢組が荒い歓迎、交戦状態に。すると戦っていたら敵の豪快な策略で散り散りとなって、現れたのがあのカマキリ野郎、マンティス勝だ。
だが、アイツは前に戦った時よりも格段に強くなっていた。滝沢家という裏社会の一勢力の幹部にのし上がっていただけあり、より磨きをかけた素早さに大バサミで捉えきれず、劣勢に追い込まれていると、更なる追い打ちと言わんばかりにあのメガネ野郎、樫木麻彩まで現れ、すると二人、どういうわけかなんとこちらを倒す共通の目的で一時的に手を組みやがった。なすすべなく退却を余儀なくされた。
森の中をただ逃げていると、屋敷と森の敷地を囲う塀にブチあたった。まさしく絶対絶命のピンチ。完全に死を覚悟した。
だがこの時、まさかまさかの奇跡が起きたのだ。
それは追ってきたあのメガネ野郎の一言がきっかけだった。
『その首、僕がもらおう。あの小娘二人にやられた分をキミの首で取り返す、良い見せしめだ』
『おい、ちょっと待て』
その調子こいた言葉に待ったをかけたのは苛立ちを見せるマンティス。それはそうだ、因縁ある倒したい相手の首を他人に奪われる事は我慢ならないわけで。そしたら案の定。
『アイツの首は俺のもんだぞ、樫木麻彩!!』
『違うな、チャンピオンである僕のもんだ』
『はあ!? 唐突に協力を持ちかけて来たのは横取りが狙いだったんだな!!』
『フッ、短い付き合いだったが、どうやら掃除しないといけないようだ。チャンピオンである僕の邪魔をする奴は許さん!』
その両者とも曲げない口喧嘩をよそに、塀をよじ登って脱出する事が出来た。
その後、あの二人はどうなったか知らない。よじ登っている間、完全にこちらのことは眼中になく、二人はいつの間にか殺し合いを始めていた。
「なるほど。そこからどうにか逃げてきたわけだな」
「この車はこれからどこに向かうんだ?」
正直な話、腹が減っているのでどこかで飯でも食いたいと思った矢先。
「その滝沢の屋敷だ」
「お、おい!! 銃撃戦になっても知らねえぞ!」
「諒花達の動向が気になるからな。帰りを待ってる家族のために様子を見に行くんだ。なあに、見張りがいてもやり過ごすのは慣れてる」
「ホントかよー……」
面倒な奴に助けられたものだ。警察というのは異人の前には基本無力である。そういう事件はXIEDが一般人の見えない所で捜査して武力行使もして抑えているのが現実だ。
いくら警部とはいえ、警察官が単騎で突っ込むのは、刑事ドラマじゃあるまいし死にに行くようなもの。
が、陽はすっかり沈んでほぼ夜だ。もう滝沢との戦いは終わっているのかもしれない。女騎士とそれを操る黒幕に対する備えを進めている頃か。さっさと状況を確認して飯を食いに行こう。そう意気込んだが……




