第121話
私は今のこの地位を得るまでに、あの男がチカラを行使する姿を何度か見たことがあります──
と、前置きを置いた翡翠はこちらの覚悟を否定することなく、話を続ける。
「レーツァンの操る混沌のチカラは非常に強力です。あの得体の知れないエネルギーに触れたものを体の内側から狂わせ、ただの鉄の塊は指先程度の小さなエネルギーを浴びただけで形状が歪み、錆び付いたボロボロのゴミ同然となります」
そのエネルギーとは奴の手から放たれた緑と黒の色をしたアレだ。無論、零の行く手を阻んだあの緑色の炎も。
「アレをマトモに食らったらどうなるんだ?」
もしかしたら体も溶かされるのか? と頭を過る。
「体内に入った混沌が健康な体を侵食し、初期症状として頭がクラクラして目眩に襲われます。立っていられないほどの体調不良を引き起こす場合もあります。浴び続ければ、命にも関わります」
「……ヤバイ代物だな。風邪みたいなもんか」
「風邪よりもタチが悪いかもしれません。そもそもウィルスではありませんし」
ただ、と翡翠は続ける。
「私達異人は並みの人間以上に強い異源素を宿しています。それが免疫の役割を果たし、入ってきた混沌と戦うので、並みの人間よりは抵抗力はあるでしょうね」
死なないという保証は出来ませんが、と最後に付け加えた翡翠。
あのピエロにとって、自分の出す混沌エネルギーに抵抗力のない敵には、ただそれを浴びせるだけで勝ててしまうのだろう。混沌を操る能力。それは今まで戦った敵とは明らかに異質だ。
体に宿る異源素が防護的な役割をするのは零から聞いたことがあった。異人はそれがあるから身体能力も高く、大きなダメージを受けても立っていられる。奴の操る混沌に対する抵抗力もそれだ。
同時に昔、零から聞いたことある話で思い出した。異人ではない普通の人間も異能にならないほど微小な異源素を持っている話を。自身が強力なチカラの持ち主ゆえ、気にすることもなく、いつの間にか忘れていた。
異能武器を装備した歩美のような普通の人間がなぜ、装備しただけで異人と同等のチカラを得ているのか。鎧が歩美の心からくる精神エネルギー、つまり微小な異源素と反応し繋がっているからだ。
コンセントにコードがささって電球から明かりが灯るように、チカラが宿る異能武器と装備者の心にある微小な異源素が繋がり合って、あの驚異的なパワーが生まれる。歩美の心からの強い意志によって、微少でも異源素が発せられれば、それが鎧に宿るチカラと共鳴するのだ。
あの変態ピエロと初めて戦った時、そのエネルギーを浴びることはなかったが、殆ど素手で戦っていた。明らかに本気を出していないあの姿勢も、こちらに対して得体の知れない不気味なエネルギーを使うまでもないと鼻で笑っていたためだろう。
「先程、緑色の炎で壁を展開していましたが、あれも混沌を炎のように燃やす形状で見せているだけで、浴びればたちまち体を炎のように覆い尽くしますよ」
「炎のように?」
「チカラを使う時、イメージするのです。あなたが人狼の拳から衝撃波を放つ時も拳にチカラを込めることを無意識でもするでしょう? それの応用です。あの炎は彼の思い描く、彼らしい残虐な地獄の炎を変幻自在に動くエネルギーで具現化しているのです」
「イメージか……零から教えてもらったことがあるな」
そう言って、零の方を見ると頷く。
「イメージは大事だけど、大きいイメージを形にするには、チカラを操るための力量がないと作り出すことは出来ない」
異人のチカラの源たる異源素は強い感情に呼応する性質がある。そのチカラのコントロールにも、呼応する異源素を操れる力量が必要だ。あの混沌で表現された、全てをひたすら焼きつくしそうな、邪悪な炎には一体どれほどの感情とそれに呼応するチカラがこもっているのか。
レーツァンのあの炎は一瞬、その場を火事にしてしまうぐらいの規模だった。腕を人狼化させ、近接戦闘中心で戦う諒花にはあまり縁のない話だ。
奴は自在に混沌を出現させ操ることが出来る能力。対するこちらは人狼の能力。タイプが全く異なる。彼はむしろ零に近いかもしれない。零は手元に二刀の剣を出現させ、その刃には氷を操るチカラが宿っているのだから。
「力量っていうと翡翠姉はここの森全体をコントロール出来るぐらい高いし、あたしも翡翠姉直伝で水のチカラの応用を身につけたから重要なステータスだよね」
紫水が間に入ってきた。その通りだ。紫水も拳から水弾を放ったり、水をまとった拳だけでなく、水の壁を展開したりしていた。ただ水を出すだけに留まらない応用力に秀でていた。
水を操れる、森や植物を操れる、混沌を操れる。どれもただそれらのハンドルを握るだけに留まらない、力量による能力の応用があった。
翡翠はごほん、とした後、
「話を戻しますわ。レーツァンはあなた方二人だけで敵う相手ではありません。私も手を貸しますから、このゲーム必ず勝ちますわよ」
「協力して大丈夫なのか?」
「あの方の目当ては諒花さんですから、反則なんか知りません」
ここまで、妹とこちらのために敵を演り続けてきた翡翠としては黙って見ていられないのは明確だった。
「それにここは私の屋敷ですから、好き勝手されては困ります。紫水ちゃんを一階の部屋で休ませて、私のチカラを使えば──」
「いや、翡翠姉」
休ませるつもりだったのだろう妹が着ている上着に襟を正し、ピシッとした姿で立っていた。
「紫水、大丈夫なのか?」
「うん、あたしも手を貸すよ。それにこの事件の元凶を前に諒花達に任せて、のんびりと寝てなんかいられないよ!」
紫水にとってはレーツァンは捜していた先輩の仇でもある。それに先程まで拳をぶつけ合った相手だ、やりあっているのに自分だけのんびりしているのが気に食わないのは明らかだ。戦って拳を交えたからこそ、分かるその強さ。
「ありがてえ、宜しく頼んだ!」
「相手が帝王だろうと関係ないよ、こんな事をした元凶なんだからさ、絶対勝とう!」
昇降機はひたすら上がり続けていく。四人でレーツァンを倒す。それを決意して。
だが、この時はまだ、諒花も彼の恐ろしさを知らなかった──。




