第119話
こいつが一連の騒動の元凶だ。放っておけばまた何かを仕出かすことは想像に難くない。自ら手を汚さない狡猾で悪魔のような男。遠くから高笑いするピエロ。それが自分から目の前に現れ、こちらに勝負を仕掛けてきたのだから。
──倒して、全てに終止符を打つ時だ。諒花はそう自分に言い聞かせて己を奮い立たせた。
「フヒャハハハハハハハ!! いいだろう。お前たち二人でかかってくるがいい!」
レーツァンはこちらをそれぞれ紫色のつけ爪の人差し指で指差すと、余裕に手招きをする。その顔を凹ませてやる。
「アタシからいくぜっ!!」
その白い左手が下ろされた所を狙って諒花が突っ込んでいった。先手必勝と言わんばかりに右手を人狼の拳に変え、荒々しい鉄拳が奴の胸部に命中した。
「ぐおァッ!!! 効くなァ……!」
通常の敵ならば大きく吹っ飛ぶほどのパワーを誇る人狼の正拳突き。それを受けた彼は一瞬だけよろけるも、すぐに体勢を立て直してその太い左手を斜めに振り下ろしてくる。
「……おっと!」
人狼の拳ならばその手を受け止めることも出来る。だが相手は触れれば何をしてくるか分からない。
瞬時の判断でその下ろされた左手を避けた時──レーツァンの死角より、氷弾が炸裂する。
「グハァ……! 連携か……!」
間髪を入れることなく、一切隙を与えることなく、非情にも白と黒で覆われた仮面に命中した氷は奴を怯ませるには十分だった。彼はその膨れ上がった右目が特に痛いのか、両手で顔を覆って、
「い、いてえ、ちくしょう!!」
足をじたばたさせて滑稽にもがきだした。
「諒花!! 今が好機!!」
零の指示を聞くまでもなく、もがくレーツァンに向かって高く跳んでいた。
──頭をかち割る、夢を絶たれて独自に編み出した空手技をこの変態にお見舞いしてやる──
勢いづけ、高い所から狙いを付け、右手にチカラを集中させた。
「初月流・降下空手チョップ!!!」
頭をかち割った──そう確信した時──
「なっ……!」
首が白い何かによって鷲掴みにされた。それは奴の左手。
「離せっ!! くっ!!」
紫色のつけ爪がされたその力強い左手からの握力は肺からの呼吸を半分カットし、息苦しくなる。じたばた暴れてもびくともしない。
「フヒャハハハハハ! 残念だったな!」
さっきまでの致命的なダメージを負った滑稽な姿はどこにもない。この時気づいた。あれはこちらを油断させる大げさな演技だったことを。こちらが攻撃を仕掛けるのも全て読み通りだったのだ。
──くそっ、さっきの一発は結構効いてたと思ったのに。
振りほどこうと足をじたばたさせる。
「諒花を返せっ!!」
だが、まだ希望は残されている。零だ。二刀の剣を手にレーツァンに斬りかかろうとそう叫んで駆けて飛び出す零が見えた。その口からは、帝王であるコイツのことが零も嫌いなのだということが強く伝わってくる。普段、あまり感情を荒げないのに。
「邪魔すんな」
そのさりげない一言と同時に、レーツァンの周囲を囲う輪となって、緑色の炎が一斉に吹き出し、壁となって零の行く手を阻む。
覚えている。この技は前戦った時もトンズラ決めた時に使ってきた緑色に燃える炎の壁だ。明らかにただの火柱ではない得体の知れないこの炎を前には近づくこともままならない。
だが、どのような色であれ、近くで激しく当たりを燃やそうと暴れ、燃え広がるその炎は諒花にとって良いものではなかった。目を背けたくなる。あの悪夢に出てきた、両親が死んだ交通事故の光景が脳裏に蘇るからだ。
「ホント、近くで見ると、良い女になったなァ……諒花」
鷲掴みにしたこちらを嫌らしい目で、懐かしそうにニヤニヤと見つめるレーツァン。
「やめろ!!」
見つめる少女の着る黒シャツの裾を下からそっとめくる。その中にはツヤツヤで健康的にかつある程度鍛えられた筋肉がついた体が露になる。豊満な胸、黒い下着も相まって成熟に向かいつつある体に色気がないはずがなかった。
「やめ……ろよ!!!」
「ドハッ!!!」
体を見られ、じたばたと暴れ、ついに恥ずかしさ極限状態の諒花の右足が彼の腹に突き刺さると緑色の炎は一斉に沈下し、レーツァンは後ろに大きく吹っ飛ぶ。も、その衝撃を吸収して上手く着地し、完全に倒れることはなかった。
めくられたシャツを元通りにすると、目の前を見て鬼の形相となる。
「このクソ変態野郎!! なんてことするんだよ……エロオヤジ!!」
「フヒャハハハハハハハ!!! 良い顔だ、もっとおれを睨め!! アングリーな顔をおれに見せろ!!」
コイツはドMなのか変態なのか。どちらでもいい。悪びれる様子は微塵もなく、この状況をただジョークのように面白がって笑っている。実に不愉快だ。
「ゲームはまだまだこれからだぜ。悔しければ、上がってこい!!」
再び燃え上がる緑色の邪悪な炎。それに飲まれるように、彼の姿は消えた。彼の笑い声が高らかに響きながら。




