第103話
「あ、待てよ!」
翡翠が乗っている昇降機は早々に地上へと上がっていった。
滝沢翡翠。彼女の言っていることは決してウソではない。現に紫水という家族がいる。当てて見せたこちらの情報にも間違いはない。
この屋敷に入るまでと、その後の彼女の印象にとてつもないギャップを改めて実感した。ここに来るまでの翡翠は青山の裏社会を支配する女王。戦闘は部下任せ、自分はその異名に相応しく奥で高みの見物をして優雅に紅茶を啜って威圧感を放っているようなイメージだった。現に最初その存在を知った時、妹も姉に対して不本意な戦いに異議を唱えることも出来ずにいたのも相まって。
我を押し通し、怒らせると怖い支配者。それがさっき会うまでの、それまで顔も見たこともなかったゆえ、勝手に諒花の頭の中でぼんやりと出来上がっていた彼女の人物像だった。
が、そんな印象は霧となってどこかへ消えた。
こういうギャップが生じたのも、この戦いの本当の意味を隠した上で攻撃を仕掛けてきた、彼女の手のひらの上で踊らされていたからに他ならないだろう。
常に微笑みを絶やさない、平然と余裕さを持ち、マイペースで動じることもない彼女は実は裏で相当な策謀を巡らせていることがよく分かった。
そもそも、こちらは歩美に対抗するため、まずは滝沢家の誤解を解くためにこの青山を訪れた。だが翡翠にとってはこちらが誤解していると思わせたのは想定通りだった。
向こうからすれば屋敷を攻撃した女騎士を捜索する一方、注目していたこちら側がわざわざノコノコと出向いてきたことはむしろ好都合だったのかもしれない。
全ては妹のために。味方も敵も、全てを欺くべく、彼女はこちらが女騎士である可能性が高いと思い込んだ悪役の女を大袈裟に演じ続けてきたのだから。
昇降機は上がっていった。引き返すことは出来ない。それを見越してか、レバーを動かしても上からの反応は一切ない。身を翻した先には先へ進めと言わんばかりにただ一つの茶色い扉がある。その前まで行き、取っ手を引っ張る。
扉を開いた先のそこは、さっきまでの洋風な屋敷の雰囲気とは全く違う空間が広がっていた。入って正面には走り高飛びに使う横棒と飛んだ全身を受け止めるクッション、壁際には軽い筋トレ用の鉄アレイに、ジムでよく見かける巨大バーベル、思わず走りたくなるランニングマシーン、渾身のパンチにも耐えうる赤いサンドバッグ、そしてこの空間の大半を占めるのが奥の中央に置かれた巨大なリングだ。
それはよく大晦日のテレビで見かける、熱い格闘家達がリングの上で拳を交える戦いの場そのものだった。
「待っていたよ、諒花!」
凛とした声とともに華麗に宙で身を回転させながらリングの中央に降り立ったのは、姉と対照的な涼しい水色の玉の髪飾りをしている、件の妹だった。相変わらず元気な眼差しでこちらを見る。
「紫水……アネキから話は聞いたぜ。この戦いの本当の意味ってやつを」
「あたしもさ、青山に着いたらここに連れてこられて、翡翠姉が全部教えてくれたよ。渋谷でキミと戦うように翡翠姉が言ったのも、全部キミを女騎士かどうか試させるためだったんだって」
「そうだよな」
翡翠によって、全て説明されているようだ。先ほど受けた説明とそのままそっくり重なる。




