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その二

 第二回の決闘の告知をするため、ふたたび演説台が用意された。

 スナイジーは仲間に引きずられ、どこかへ運ばれた。自分の力で動けなくなっていたのだ。ちゃんと生きている。わたしがとどめを刺す前に、賢明にも降参を宣言したのだ。

 演説台の前に、わたしとドロッパーが並ぶ。ふたりの巨体にはさまれてエレステンが立っている。

「おい、貴様」ドロッパーは、エレステンを見下ろし、地響きのような声を発した。「恥ずかしくねぇのか? こんな卑怯者を傭いやがって」

「卑怯者とは、聞き捨てならぬ!」

 わたしは怒鳴った。だがこの相手、その程度のことではビクともしない。

 盗賊の首領は不敵に笑った。

「なぁ、エレス。てめぇの用意できる剣士は、この腰抜けだけなんだろ。つまり、一度でもおれの手勢が勝てば、てめぇはもう決闘を続けられねぇ。次だぜ、エレス。次で終わる。約束してやるよ」

 エレステンは凍ったように前を向いていた。

 鯨のようなモドックがやってきて、侍童に尻をおされて演説台にあがった。

「ええ、静かに。よろしいか?」聖職者はいった。「われわれは、最初の決闘を原告エレステン・ガイングの勝利と認める。第二回の決闘は明日の同じ時間、同じ場所で執り行う。原告、被告、代人をもちいる場合は今のうち申告すること」

 エレステンが手をあげる。「引き続きヒューム・レイザー殿を」

「よろしい。被告側は?」

「うちは、新たにラウム・アラヴィスを代人とする」

「わたくしです、司祭さま」

 冬の空気に、若々しい声が凛と響き渡った。

 演壇に向かって颯爽と歩いてくるのは、どう見ても二十歳前の少年である。

 妙な気配を感じて、わたしは後ろを振り返った。人々がついた熱い息が、固まりになってわたしに襲いかかってきたように感じた。

 びっしりと並んだ群集の目は、そろいもそろって、青年の清冽な笑顔と、溌溂たる肢体によせられている。なるほど、ラウム・アラヴィスなる者、ちょっとした美男子だ。

「わたくしがエルモンド市、アラヴィス家の嫡男ラウムです。旅の途中ですが、ドロッパー氏から事情をうかがい、助力を請われてまかり出ました」

 と、さわやかな口ぶり。

「決闘ですぞ」モドック師は、涼風のごとき闖入者(ちんにゅうしゃ)の出現にとまどっているようだ。「わかっておいでか?」

「もちろんです、司祭さま」

「騎士どののようにお見受けするが……本当に他人の代人に立つので?」

「真実のためであれば」

 若者は白い歯を見せ、かすかにわたしを見た。憎いやつだ。

「お見事。今どきめずらしく立派な騎士精神の持ち主であられる。貴殿を被告側の代人として認めよう」

 エルモンド市を領有するアラヴィス家といったら、これはもう名家だ。わたしはお坊っちゃまに世間の厳しさを叩きこむ栄誉を授けられたらしい。

 司祭が解散を宣言し、わたしはラウム・アラヴィスに近づいた。

「アラヴィス家の一族の方とお手あわせできるとは、わたしも幸運な男だ」

「あなたとなら、よい勝負ができるものと期待してます」と、青年は無難なことをいう。

「どうか、おてやわらかにお願いしますぞ」わたしはニンマリと笑った。

 そんなわたしの影を照らして消すほどの笑顔を、ラウムは見せた。「いえ、加減はいたしません。騎士の振る舞いとしてふさわしくありませんから」

 生意気なやつだ。世間知らずの小僧だ。このままいかせてやってもよい。しかしわたしは満面の笑みで若者を追いかけた。

「いや、さすが。感服のいたりですわい……せっかくこうしてお近づきになれたのです。アラヴィスくん、どうです? 酒でも一杯。ね? ぜひ、いきましょう」と、手揉みせんばかりに誘う。

 せき払いの声がした。

 近くにドロッパーがいる。

「先生」盗賊の分際で、かばうように騎士の肩に手をまわす。「汚い手を使うやつとはあまりお話にならんほうがいい。いきましょう」

「もうしわけない、レイザー殿。酒は戒律の禁ずるところです。わたくしはたしなみません」

「騎士の鏡ですな」ドロッパーを無視して、わたしは話しかけ続けた。

「騎士道こそ、わたしの命です」

 ドロッパーとともに立ち去る青年を、わたしは腕組みしながら見送った。

 後ろからエレステンがくる。

「どんな様子です?」

「なに、相手ではない。未熟な若造だ」それが正直な感想だった。

「しかし、ドロッパーはずいぶん自信がありそうでしたよ」

「ふむ、たしかにな」

 釈然としないのは事実だ。ひょっとしたら、とんでもない使い手かもしれない。最初の決闘は運がよかった。奇策をもちいて勝つには勝てた。しかし、運が続くとは限らぬ。ひょっとしたら、潮時なのか?

 エレステンには悪いが、他の決闘代理人を捜してもらう、という線を考えてもらうのもいいのではなかろうか。もっとも、こんな面倒な決闘を引き受けたがる者はいまいな、などと考えながら農夫を見下ろした。

 エレステンは泣きそうな顔をしている。

「勝てますかね?」

「勝てるか? 馬鹿なことを聞くものではない!」わたしの胸にわきあがる疑念を打ち消した。「おそらくあの若者、腕には相当の自信があるのだろう。思い上がっておるようだ。ここはひとつ、厳しくしつけてやらねばなるまい。エレス、剣というのはな、力ではない。長年の経験によって積み上げられた技巧だ」

 わたしはエレステンの背中を叩いた。

「なに、心配するでない! あのような子供、一撃で小便を漏らすわい!」


「昨日いったことを撤回せにゃならん!」わたしは荒い息を呑みながら、エレステンに弁解した。「剣は経験ではない! 若さだ!」

「きます! ヒュームさん!」

 なかば倒れそうになりながら、わたしはエレステン・ガイングのそばを離れた。

 ラウム・アラヴィスが剣を振りあげ、走ってくる。

 ……その日。

 わたしとエレステンが出向いた時、広場は観衆で埋まっていた。

 演説台にはモドックがいる。「遅刻だぞ」と、司祭はいった。

 演壇の前にはドロッパーとラウム。

「さてと、はじめますかな?」わたしは余裕しゃくしゃくで笑っていた。

 剣の長さが、規定の六指尺(約一二〇センチ)以内かどうかを調べる採寸が終わり、わたしとラウムは、人がきがつくる決闘の場へと足を踏み入れた。

 ラウムは、剣を正眼に構え、精神を集中している。

 わたしは首をまわして、コリをほぐしているところだった。

「はじめ!」モドック師の声が飛んだ。

 矢の弾かれたように、ラウムが向かってくる。若さあふれる突撃だ。実に好感がもてる。まっすぐな剣を、わたしは平然と受け流した。闘牛士にでもなったようだ。

 だが次だった。

 わたしの視界からラウム・アラヴィスが消えた。

 煙のように消え失せたのではない、ラウムは体を一回転させ、わたしの背後にいた。

 とっさに剣でふせぐ、一瞬でも迷えばわたしの額はまっぷたつだ。

 ラウムはひるまない、二度三度と続けざまに重い攻撃をくわえてくる、火花の散る打ちこみだ。わたしは後ずさった。敵は踏みこんでくる。

「休憩!」とわたしは叫んだ。

 ラウムがけげんそうな表情を浮かべた。

 そのすきを逃さず、わたしは観衆に混じっているエレステンのところへ駆けよったのだ。そして先ほどのセリフ。「剣は経験ではない! 若さだ!」

「きます! ヒュームさん!」

 なんの、これしきで負けるわけにいかぬ。

 とはいえ、わたしはラウムから逃げ回っていた。

 考えるのだ、と自分にいい聞かせながら。

「待て、ヒューム・レイザー!」

 イラ立つ若者の声が青空に響く。

 わたしは急停止し、振り向きざまに剣をなぎ払った。ラウムは軽々と刃でうけ、手首を返しただけでわたしの切っ先を下にむける。

「強い!」わたしは思わずいった。

「なんの、まだまだ」

 小僧のくせに、鋼鉄のかたまりを棒切れのように扱う。上から下から真横から。とんでもない方向から銀色が閃いてくる。わたしはそれを受けるので精一杯だ。剣戟の快音が止んだとき、重い刃がくいこむだろう。

 かれは騎士なのだ。

 わたしは考えた。他でもない、騎士なのだ。正規の剣術を授けられた。われわれのような剣士が、喰うために徒労を費やしている時、かれは剣を握っていた。ありとあらゆる攻撃を、すでに練習しきっている人間なのだ。

 わたしは大いに後悔した。

 おびえきっていた。

 そのせいで、ラウムがきゅうに肘を引いたとき、すぐには気づかなかった。

 雪に反射する朝日を浴びて、わたしは覚悟を決めた。

 と、そのとき、エレステンの間のびした顔が目に飛びこんできたのだ。

 それがきっかけだった。わたしは一瞬にして悟った。わずかでも正義を疑った自分が恥ずかしかった。

 勝たねばならぬ。

 途中で投げ出してどうする。わたしは法廷弁護剣士ではないか。というか、ここであきらめたら、わたしが死ぬのだ。

 ラウムの切っ先を、わたしは必死でよけた。

 わたしが、身をかわすと思ってなかったのだろう。

 ラウムは空を突いた姿勢を崩さず、わたしを見た。

「お見事!」高潔な男はいった。

「なんの。これからだわい」

 正義を取り戻したわたしだが、息は荒い。

 このままやって、勝てるわけでもない。

 考えるのだ、わたしは自分をせきたてた。考えろ。やつの弱点。ラウムは騎士だ。騎士道に殉ずる気迫を持っている。騎士道とはなんだ。考えろ。

 かけ声とともに、ラウムが打ってくる。危なかった。考えろ、次はよけられぬかもしれぬ。騎士道、弱者への憐れみ、主君への忠誠、神への従順、女性への精神愛。精神愛? わたしはピンときた。ラウムが自分でいうほど、騎士道の戒律を固持しているのなら、かれは純潔を守っているはずだ。

 わたしははじめて攻撃に出た。つばぜりあいの末、かれの耳もとまで顔を近づける。

「ラウム殿、童貞であろう?」

 ラウム・アラヴィスがさっと後ろに下がった。

 わたしはつつくように剣をくり出す。小気味いい音を響かせ、ラウムはそれを弾きかえす。連続して突きを与えながら、わたしはいった。

「ぜひ、うかがいたい。なぜ盗賊に加勢するか?」

「この神明裁判は、盗賊行為に関してではない」ラウムが身をひるがえす。

 わたしの剣が地面に触れた。

「殺人に関してだ!」と、吠えながら逆襲してくる。わたしはかろうじて防御した。

 見物人たちの、息を飲む男を聞いたように思った。

 わたしたちは剣を交差させたまま、硬直した。ラウムはわたしをねじ伏せるような力で押してくる。

「それにしても、なぜ?」わたしは話しかけるのをやめなかった。

「ドロッパー氏に殺人の罪はない!」

「なぜそう思う?」

「ヴィジークはエナ・ドロッパーと汚らわしい関係にあった!」

「汚らわしい? 女を知らぬあなたに何がわかる?」

 岩のようだったラウムから、ふっと力が抜けた。

 わたしは彼を押し返した。ふたりの間に距離が生まれる。

 若者の表情に怒りが燃え盛っていた。剣の柄を握り直している。

 議論を吹っかけたのは逆効果だったかもしれぬ。迷いを呼ぶつもりが、間違えてかれの決意をかたくなにしたか。いずれにせよ、物凄い一撃がきそうだ。

 わたしは必死だった。ラウムの呼吸を読み、かれが踏みこむ寸前に剣を鞘におさめた。

 そのまま後ろにむかって疾走し、目に入った若い村娘の腕をとる。乱暴にならないように加減して引っ張ると、娘はよろけて決闘の場所へ出てきた。

「見ろ、これが女だ!」

 わたしは娘の胴衣に手をかけると、ボタンを飛ばして服を引きちぎった。朝日を照り返すまっしろな肌があらわになった。精美をつくした、見事な乳房がまろびでていた。

 断っておくが、わたしは痴漢ではない。だが時に、真実はこの胴衣のような平凡にくるまれて見えなくなることがある。騎士道のごとき常識に囚われた若者に、わたしはそのことをわかって欲しかったのだ。

「ほれほれ。どうだ。これが女だぞ」

 わたしを襲った一撃はラウムの剣ではなく、乳をむき出しにされた娘の平手だった。娘はわたしの腕から逃れ、胸を覆って人ごみにもぐった。

「きさま!」

 思ったとおり、わたしの乱行は弱者をいたわるラウムの騎士道精神に訴えたようだ。これで怒らなかったら騎士とはいえぬ。

 くる。剣を構えたまま突っこんでくる。今のかれは激情の固まりにすぎない。感情の乱れは、すべてをご破算にする。先ほどまでの華麗さが嘘のような、不器用な姿勢で突撃してくる。

 わたしは剣を抜いた。真下から振り上げると、切りかかってきたラウムの手から剣が弾き飛ばされた。騎士の剣は回転しながら天を舞い、すこし離れた地面に刺さった。

 少年は勢いを殺しきれず、地面に転倒し、仰向けになった。

 わたしは大股でラウムに近づき、首に刃をあてた。

「殺せ」ラウムはいった。「降参はせん。殺せ」

「命を粗末にしてはいかん」

「よいのだ。殺せ」

 殺せ殺せの一点張りだ。頑固である。

 わたしは身をかがめてラウムに耳打ちした。「わがままいうな。立て。血を流してまで証明しなくちゃならん正義など、実はないのだぞ」

 わたしにつられてか、ラウムもなぜか小声だ。「こんな情けない負け方は初めて経験する。このまま立ち上がったのでは、わたしの格好がつかぬ」

「馬鹿か。とっとと立って、負けを認め、さっきの娘を納屋にでも誘え、見ろ」

 わたしは目の動きで、さきほどの娘のほうを差した。髪の長い美人である。両腕を胸に組んで、心配そうにラウムを見つめている。

 ラウムはすっと立ち上がった。

「まったく油断したものです、ヒューム・レイザー。今回は負けました、しかし、この次はこうはいきませんよ」

 と、白い歯をくっきり輝かせ、一面を明るくするような笑顔を浮かべた。

「なにをいう、二度と会うものか」

 わたしが手を差しだすと、ラウムはそれを握り返してきた。

「よろしい、勝負あった」演説台のモドックの宣告が響き渡る。

 と……。

「待ちやがれ!」と司祭の邪魔をするだみ声。ドロッパーだ。

「モドック、これでいいのか? あいつのやり口はなんだ? あれが正々堂々とした勝負だってぇのか!」

「勘違いもはなはだしい!」わたしはすかさず割って入る。「正義とは、真実とはなにか。それは命をかけて守らねばならぬもの。諸君、お集りの諸君。諸君のなかに正義の基準を正確に申し述べることのできる者が何人あろう。そう、正義の基準ははかなく、うつろいやすい」

「なにをいって……」

 ドロッパーの声を打ち消す大声を、わたしは張り上げた。

「だからこそ、正義がはかないからこそ、どんな方法を用いてでも、それこそ命がけで、どのような奇行さえもいとわず、それは証明されなくてはならぬ! 正義は何においても優先されるのだ、違うか!」

「決闘のやり直しを求める」

 ドロッパーはすでに、わたしのほうを見ていない。演説台の前に立ち、モドックに迫っている。わたしもすぐに、そのかたわらに駆けつけた。

「決着はついたのだ」わたしは強調した。

「こいつは、あの娘に不埒なことをしでかしたぞ」

「モドック師、神のお決めになったことだぞ」

 この一言が効いた。

 わたしとドロッパーを見比べていたモドックだが、何度かのせき払いのすえ、

「第二回の決闘は、エレステン・ガイングの勝利とする」といってのけた。

 群集がざわめく。一部はこの結果に興奮しているようであり、他の者は不安を感じているらしい。長年に渡ってあたり一帯を恐怖で支配したドロッパー一家が、押されているのだ。動揺はしかたあるまい。

 ドロッパーは顔をさすって、モドックを見上げた。

「後悔するぜ、司祭さんよ」

「覚悟するのだな、ゼフ」モドックは声をひそめた。「今回ばかりはどうにもならんようだ。おまえは、ヘマをやらかした」

 ドロッパーから表情が消えた。ぶあつい眉毛に隠れた瞳が、やけに落ち着いている。

「モドック、次の代人はまだ決まってねぇ。三日の猶予をくれ」

 ドロッパーの申し出が受け入れられ、つぎの決闘は三日後ということで決まった。


 わたしは、気を引き締めるならこの三日間だろうと予測していた。

 盗賊連中が暗躍するのは間違いない。エレステンに訴えの取り下げを迫り、脅しをかけるくらいなら吉である。下手をしたら、エレステンやわたしの命を狙ってくる。そして後者の手段を取る確率の方が高いのだ。

 もっとも、わたしがいれば大丈夫。

 ここからが剣士の、本当の腕の見せ所というわけだ。

 わたしはこんな考えだったから、まさか自分の予測を越えたできごとが起きようなどとは思いもしなかった。髭をひねりひねり情勢をうかがう内に、たちまち三日がすぎようとしていた。はて、敵を買いかぶりすぎたか、と拍子抜けしたその日の夜。

 わたしはエレステンとシーマ・ガイングを相手に、昔語りをしていた。

 静かなる夕べを破る最初の徴候は、乱暴なノックの音だった。

「ヒューム殿! いらっしゃるか?」

 わたしは立ち上がり、ドアを開けた。剣を帯びたラウム・アラヴィスである。

「おお、これはこれは……」と出迎えるが、あとの言葉が続かない。 

「あきれた人ですね! なにをのんびりしてらっしゃる!」青年は出会い頭に怒鳴り散らした。「盗賊がきます! 急いで! 村びとを避難させねば!」

「盗賊がくる?」

「そうです。早く! 大挙して、押し寄せてくるんです。戦のように!」

「エレス!」わたしが叫ぶと、エレステンは心得たもので、剣をもってきた。

 剣をひったくりながら「城へ!」といい残し、わたしは表に飛び出した。


 ヘルカイ村の丘の上だ。領主、ベクター・サイラス伯爵の居城がそびえている。

 わたしとラウムは肩をならべて、城に乗りこんだ。

 城代、というのは城の管理をまかされている役職だが、その城代が、伯爵の寝室に押し入ろうとするわたしに、しがみついた。

「ええい、放せ! 緊急を要するのだ!」

 わたしがわめいたとき、寝室の扉が開いた。領主は、毛糸の帽子をかぶり、毛皮の襟がついたマントを羽織っていた。寒いのが苦手と見える。

「なにごとか!」と怒鳴り、わたしとラウム・アラヴィスに目をむけた。「誰だ!」

「エルモンド市のラウム・アラヴィス。サイラス伯爵閣下ですね、はじめてお目にかかります」

 青年の優雅な一礼に、サイラスは混乱したようだ。

「おお、これは……」などとまごまごしている。

「伯爵殿!」わたしは責めるようにいった。「ガイングとドロッパーの裁判のことは当然、知っておりましょうな!」

「知っていないでもない、お前は誰だ?」

「ヒューム・レイザーと申す。しかし、ここではなんですな」

 われわれは、領主の執務室に移動した。

「アラヴィス殿、語られよ」わたしはせかした。

 決闘に敗れたラウムだが、裁判の結果だけは見届けるつもりで、ドロッパーの元にとどまっていた。ドロッパーは次の代人を見つけるつもりなど、最初からなかったとラウムはいう。

「かれらのたくらみを見抜いたのはついさっきです。ドロッパーは追いつめられています。裁判に負けて、殺人が認定されれば死罪になりますからね」

「それは仕方あるまい」伯爵がいった。「余の判断ではない。宮廷司祭が決めたことだ。文句ならそっちへいってもらおう」

「いいえ。ドロッパーは大群を引き連れて、この村にきますよ。エレステン・ガイングと、レイザー殿、あなたの身柄を要求するでしょう」

「この村にくる? ドロッパーたちが?」サイラスが眉をひそめた。「なぜ?」

「さっきも申しましたとおり、裁判を無効にするためです」

 エレステンにせよ、わたしにせよ、ドロッパーの手に落ちれば命はあるまい。

 訴人がいなくなれば、裁判もなくなる。それが狙いだとしても、ドロッパー、思いきった手段に出るものだ。

 盗賊襲来の知らせは、すぐさま城じゅうに行き渡った。

 村にある鐘という鐘が、緊急事態を告げるため、けたたましく打ち鳴らされた。


 ヘルカイ村はからっぽになった。村びとは城のなかに凝集された。

 頑強な城壁の内側に、避難した人々の波がうちよせていた。

 天守から城の中郭を見下ろすと、所々にたかれた篝火(かがりび)が、ひしめきあう無数の頭を照らしている。かれらの不安げなざわめきが、建物の底のほうによどんでいた。

 城門は堅く閉ざされている。

 城のそと。

 無人の村に跳梁するのは、馬を乗り回す盗賊たちだ。

 蛮声がここまで届く。家々の家財道具を好き勝手に引っぱり出しているのであろう。略奪者の数は多い。ラウムのいうとおり大群だ。夜の地表を、タイマツの明かりが活発に乱れ動いている。

 伯爵とラウムに並び、わたしは城の天守でその様子を見守っていた。そこへ、数少ない城の守備兵が血相を変えて飛びこんできた。

「もうしあげます」息を荒くして男はいった。「ドロッパーの使いが、先ほど城門付近にあらわれました。エレステン・ガイング、およびヒューム・レイザーの引き渡しを求めています。拒否すれば、村に火を放つと」

「聞いたか! どうしてくれる!」サイラスがわめいた。

「柔弱な!」わたしも負けずにがなり立てる。「閣下、面倒です。門を開けて迎え撃ちましょうぞ」

「そんな兵力、あるわけなかろう。それがないから、盗賊風情を野放しにせざるを得んかったのだ!」

「そもそも、それが間違いの元ですな」

「そんなことどうでもいい! とっととやつらの所へいってしまえ!」

「お言葉を返すようだが、あのような無法の徒のいいなりになることは、わたしの信念に反する」

 とはいえ、今やわたしの正義が危ういのは、疑いようのない事実だ。時おり、家畜の断末魔が村から聞こえる。興奮の度を増した無頼の輩、次はなにをしでかすかわからぬ。

「さぁ、どうします? レイザー殿」

 ラウムには、わたしの焦燥がお見通しらしい。興味津々という顔でそんなことを聞く。

「うむ、エレステンが心配だ。様子を見てくる」

 わたしはとりあえず、燭台を手に天守を降りた。


 エレステンは危ないところだった。

 城の前庭、門に近い場所だ。怒り狂う村びとたちに囲まれ、逃げ場を失っている。

 エレステンが私刑の憂き目にあわなかったのは、女房のシーマの意外ながんばりにあるらしかった。

「見ろ! メチャクチャじゃねぇか! ドロッパーを訴えたりするからこうなんだ! やつらに手を出すから、こうなっちまったんだ!」

 誰かがわめけば、それに負けない金切り声でシーマが応ずる。

「息子が殺されたんだよ! ゴミみたいに道に捨てられたんだ! いいかい、ヴィジークじゃなく、あんたらの息子だったかもしれないんだよ!」

「てめぇのセガレがドロッパーの娘に手ぇ出しゃあるからだ!」

「馬鹿いうな! そんなことで人が死んでたまるか! 次はお前の娘が手ゴメにされるよ、その次はお前の、お前たちの。誰かがやんなきゃいけなかったんだ。いつまでも連中のいいなりじゃないって、わからせてやんなきゃいけないんだ。わたしらがそれをやった」

「あああ、くそ! やつら、みんな燃やすつもりだぞ」

「家がなんだい! お屋敷でもあるまいに、子供の命とどっちが大切か考えな!」

 わたしは人がきをかきわけ、夫婦に近づいた。

 シーマ・ガイングはわたしを見て飛びついてくる。内心怖かったのか、わたしの左肩に額をつけて泣き出した。あいている右肩に、わたしはエレステンを抱きよせ、仁王立ちして村びとをにらみつけた。

「愚かないい争いをやめるのだ。シーマのいう通りではないか」

 だが、村びとたちは納得しかねている様子だ。自分たちの生活が灰に帰する寸前である、気が気ではないのだろう。

「安心するがいい」わたしは見栄を切った。「この始末、わたしが必ずつけて見せよう!」

 だが、雲集する群盗を相手に、わたし一人で、なにができるというのか。城は堅固だが、戦える人数が少なすぎる。村に火を放った盗賊たちは、次に門を破ろうとするだろう。自分たちを相手に裁判など起こせばどうなるか、かれらは見せつけずにはおれまい。わたしとエレステンの命を奪い、恐怖の支配を確かなものとするのだ。

 とにかくわたしは、エレステンとシーマを、城塞内の教会へ連れてゆき、モドック師に任せた。憤激する村びとたちのなかには、置いておけない。

 中郭の入り口まで戻ってきたとき、わたしの袖を引く者があった。

 振り向くと、少女である。剥いたばかりの梨の果肉を思わせる白い肌、夜空を固めたような黒い瞳、官能的な唇は赤く笑っているではないか。

「ヒューム・レイザー様ですね?」美貌の乙女がいった。「わたし、ドロッパーの居所を知っています。ヒューム様、村を救ってください」


 蝋燭の揺れる城主の部屋に、五人がいた。

 サイラス伯爵、ラウム・アラヴィス、城代、そしてわたしと、美貌の乙女。会話をしているのは、おもにわたしと乙女だ。

「ドロッパーは、東の丘にいます」少女はいう。

「確かかね?」

「間違いありません。この眼で見たんです」

 娘によると、ドロッパーは用心して村にはきていないのだという。

「よし、今こそ正義の鉄槌を下してくれる。伯爵殿、馬を貸していただきたい」わたしはいった。

 サイラスは口のなかでブツクサいいながらも、城代の名前を呼んだ。

 鞍をつけた葦毛あしげが、北の小門の前に引かれる。城の裏口である。

 わたしは、まず自分が騎乗してから、続いて少女を引っぱりあげた。

「お気をつけて」ラウムがいった。

「逃げるなよ!」サイラスが顔をしかめる。

「ここからなら、東の丘に近いです」少女はわたしの胴に腕をまわした。「ゆきましょう。門を開けてください!」

 わたしは馬の腹を軽く蹴り、雪原へ飛びこんでいった。


 東の丘、といわれても、この辺の地理にうといわたしには少しもわからぬ。

 雪をかき散らし、乙女の指示する方向へ馬首を向けるうち、ヘルカイ村を見下ろす小高い丘が見えてきた。なるほど、丘の頂きに松明らしきものがチラついている。

 わたしの馬はその光を目指し、力強く丘を駆け上がった。

 次第に近づいてゆく。ドロッパー、どうやら独りらしい。向こうもこちらに気づいたか、しかし正体をはかりかねているようだ。

 あの巨体がはっきりしてきた。

 ひづめの轟きに負けぬ声で、わたしは叫んだ。「ドロッパー!」

 すると、むこうはさすがに盗賊を束ねる魁偉、一目で何ごとか悟ったと見える。

 速度をあげて近づくわたしに立ちふさがり、長い長い剣の白刃をゆっくり見せていく。その顔に浮かぶのは、しめたといわんばかりの笑いだ。標的がむこうから、馬に乗って馳せ参じたとでも思ったか。

 烈風が吹きすさび、地吹雪が視界をさえぎる。

 馬の足を緩めず、わたしも剣を抜いた。

 呼吸を止める。顔だ、ドロッパーの異相、風で乱れる髪、らんらんと光る双眸。ヒヅメが雪を蹴り、近づく、ドロッパーに近づく、やつはよけない、剣を水平にかまえた、あっぱれこの男、やる気だ!

 わたしはあぶみに踏んばり、手綱を手放して剣を握った。見つめあうわたしとドロッパーは、決着のつくまでは切っても切れない糸で結ばれた。

 と、ドロッパーの視線がそれた。わたしの背後に目を奪われている。

「お父さん!」

 凛然たる声が闇に閃光を放ったとき、わたしの剣は盗賊の首をえぐりとっていた。

 馬はすぐには止まらず、方向を変えて勢いを殺した。

 少女が転がり落ちるように下馬し、仰臥した盗賊の巨体に走りよっていく。わたしは彼女のもとへ向かった。

 なんとも気分が悪い。

 ドロッパーの首は、完全に切断されていた。黒い血が胴体から広がり、湯気をたてながら雪と溶けあっていく。その手はもう、剣を握っていなかった。

 黒髪の乙女は、遺体のそばに立ちつくし、しばらく身動きしなかった。

 ドロッパーのなま首が、胴体の近くに転がっている。目を見開き、歯をくいしばったその表情が、生前の驚きを今に残していた。

 少女——エナ・ドロッパーは身をかがめ、父親の髪の毛を無造作につかんだ。

 なま首をかかげて彼女がこういうのを、わたしは確かに聞いた。

「ヴィジーク、仇はとったよ」

 その光景をどうして忘れることができよう。したたるような彼女の髪はしっとりと頬にはりつき、憂いの涙をにじませる瞳は、ドロッパーの形相と対峙して身じろぎもしていなかった。

「なんという娘だ!」気がつくと、わたしは叫んでいた。「貴様、わたしを道具にして自分の復讐を果たしたであろう!」

 エナはだまっている。青ずんだ首をふくよかな胸にあてて、立っている。

「なんとかいえ! わたしにはわかる。あの目を見ればわかる。ドロッパーは、死ぬ寸前までお前に裏切られたことが信じられなかったのだ。だからわたしに敗れた。実の父親を殺して、なにもいうことはないか!」

「これがわたしの正義です」彼女はいった。「敵を酒でつぶしたり、闘いの最中に異常な行動に出たり、姑息な手段を使ってでも勝つ。あなたから学んだやり方だわ。最後に立っている者が正義でしょう?」

「ちがう!」

「いいえ。あなたが否定しても、世の中はそうなってます。こうでもしなくては、わたしは父から自由になれなかったでしょう。こうでもしなくては、わたしは永遠に恋することもできなかったでしょう」

 十五歳とは思えぬ凄絶な眼が、わたしをほとんど金縛りにした。


 わたしたちは再び馬を駆り、ヘルカイ村にとって返した。

 エナは父親の首を抱えている。わたしは、一言も発しなかった。

 村につき、盗賊たちの騒乱を近くに眺める位置にきても、黙っていた。

「レイザー様はここに隠れていてください。馬はわたしに。みんなを森に帰します」

 わたしは馬を降りた。

 エナ・ドロッパーは華麗な手綱さばきで駆け出し、首を高くかかげた。

「父は死にました! 父は死にました!」

 狂騒の男たちが静かになり、動揺が広がった。

 凍りついた静寂の村に、少女だけがなま首を振り回している。

「帰るのよ。父は死にました、さぁ、ぼやぼやしないで!」

 一騎去り、二騎去り、物いわなくなった盗賊たちの寂しげな退却がはじまった。

「森へ! 森へ!」

 エナはてきぱき誘導している。

 すべて、彼女のいうとおりになろうとしていた。

 夜は終わろうとしている。

 しかし、わたしが目を疑ったのは次だった。

 突如、城の門が開いたのだ。サイラス伯爵の居城は丘の上にある。開いた門から村びとたちがあふれ出て、滝のようになって丘を駆け降りていく。ひとりひとり、棒切れや農具や石を手にしている。暴徒だ。怒れる津波だ。

 群集は鬱憤をはらすように大声をあげながら、戦いの意志を阻喪した盗賊たちを追撃する。刃向かってくる盗賊はいない。迫力に圧倒されたのだろう。逃げるばかりだ。

 農夫たちは、さも自分たちが、実力で賊を駆逐したかのような勝鬨(かちどき)をあげた。半分逃げ腰になっている盗賊たちを脅しただけである。弱り目になった連中を追い回しただけである。それなのに、そのことに大きな意味があるかのような笑い声をあげていた。

 わたしは、驚き、あきれながらも、かれらに同調の微笑みを禁じ得なかった。

 エナ・ドロッパーのいう通りだ。非力でも、戦うべきときがある。立ち向かうのだ。正義であらんとするとき、行動以外のどんな方法がある? 彼女はやったし、かれらもやった。わたしもだ。正義なんぞといばっていても、われわれはみな、卑怯でくだらない。それがなんだ。こうして最後に立っている。だとしたら、われわれこそが正義なのだ。


 日射しが村の惨状をあきらかにした。

 しかし昨晩の興奮が途切れてないのか、村びとたちにさほど落胆の様子はない。

 わたしはエレステンのすすめに従い、かれの家に二日ほどのんびりした。

 エレステンの裁判は、被告の死で終わったのだ。どういう結末であれ、ガイング夫妻はその復讐を果たしたのである。

 ラウム・アラヴィスはわたしより早く、村をあとにした。

「お手並み、あざやかでした」

 別れの挨拶にきたラウムはいった。

「うむ。しかし、あなたの通告がなければ、村は大変なことになっていたであろう」

「わたしは、自分の正義に従ったまでです。騎士ですから」

 なんとも頼もしい若者である。

「あなたとは、また会えましょう、レイザー殿!」

 最後にそういい残し、若き騎士は遊歴の旅にもどっていったのだった。

 わたしもぼさっとしていられない。剣士は用済みになったときこそ、軽快でなくてはならない。戦いのない場所にいつまでもとどまっているのは見苦しいものだ。

「ヒュームさん、なんとお礼もうしあげていいものか……」

 エレステンの間のびした農夫顔を見ていると、胸に迫るものがある。

 わたしは、農夫から二十ギランほど受け取った。それくらいが、妥当に思われたのだ。

 わたしとエレステン、そしてシーマの間には、この事件を通じて何物にもかえ難い友情が芽生えていた。農夫との別れのつらさに驚いたのは、他でもないわたし自身であった。

 こうしてわたしは出立した。

 故郷の街に帰る街道で、わたしは盗賊たちのことを考えていた。

 頭領をうしなった彼らは、これからどうするのであろう。

 エナ・ドロッパーのことが思い出される。ひょっとして、彼女が父の跡を継ぐかもしれない。あの才知、あの度胸。あり得ない話ではない。

 丘の上でドロッパーの首をかかげ持った彼女を思い出すと、身震いしてしまう。そしてつくづく思うのだ。

 愛は恐ろしい。それは狂気の一形式にすぎない、と。


おわり

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