4.親友、あるいはサトリか何か
「ふむふむ、皐月ちゃんはイケメンさんと同居生活を送ることになった、と」
「うん。お兄ちゃんの知り合いでね、しばらくうちで面倒見ることになったの」
昼休み。朝の遅刻未遂はともかく、いつも通りの平穏無事な学校生活を過ごしていたあたしは、人気の少ない非常階段で香菜と共にお昼ご飯を食べていた。
結局、朝送ったメールは昼まで返ってこなかったので、あたしは当たり障りない部分だけをまとめて香奈に聞かせることに決めた。
アヴェルさんの言っていた通りならあいつは今異世界にいることになる。
異世界じゃ、携帯はろくに役に立たないだろうし、返事を待つだけ無駄だろうから。
――――兄の知り合いが夜に転がり込んで来て、どういう事情で来たのか話を聞いていたら日付が変わっていて急いで寝たけど寝坊した。
以上、あたしの簡潔にして明瞭な事情説明である。
うん、嘘は言っていない。完璧な隠蔽ね!
隣で納得したかのように何度か頷いている香菜が、「一先ずそこまでで勘弁してあげよう」と呟いているのは聞こえなかったフリをする。
いたって普通に説明できていたと思うのだけど、香菜は何かを察しているらしい。好奇心の塊みたいなきらきらした目が向けられている。若干気まずい。
あたしとしては香菜に隠し事なんてしたくないんだけど、今回はちょっと事情が事情だ。
兄が異世界転移して、冒険者をやっていた頃の知り合いが魔法?で風呂場に現れたの!なんて言ったら、幾ら香菜でも引くかもしれないし、何よりあたし自身がそんな錯乱したみたいなこと言いたくない。
きらきら光線を出してくる香菜の瞳から顔ごと視線を逸らして逃げていると、冷汗をかくあたしが可哀そうになったのか、香菜はさらりと話題の焦点を当たり障りない部分にずらした。
「イケメンさんとの同居生活かぁ~、なんかドラマみたいでドキドキしちゃうね」
「そ、そう! そうなの、冷静になったら眩いばかりのイケメンで! そんな人がうちのボロアパートにいるわけじゃない!? なんかもー、そぐわなさがすごいの!」
出された助け舟に迷わず乗る。こうなったらノリと勢いでごまかすしかない。香菜の興味を、『あたしが寝不足になるまで気を取られた原因』から『アヴェルさんのイケメン具合』に逸らすしかなかった。
アヴェルさんという存在が我が家にいることがいかに『掃き溜めに鶴』状態かを語っていると、うんうんと熱心に相槌を打ってくれていた香菜がふとした様子で呟いた。
「ほほー、男子に興味なさげな皐月ちゃんがそこまで力説するほど格好いいんだねえ~。あ、そーだ。ねえねえ、そのイケメンさんって西園寺さんが侍らしてる人達とどっちが格好良い?」
「は、侍らすって……香菜、あんたもっと言い方ってもんがあるでしょ……」
あたしより頭ひとつ分小さくて見た目も声もほわほわした雰囲気の香菜は、その雰囲気に似合わずたびたび言葉に棘が出る。付き合いは長いあたしは慣れているけど、それでも不意打ちされるとギャップに戸惑うことも多い。
脱力気味に返した私に、香菜は誤魔化すように笑ったものの発言を訂正することはなく「だって本当のことだしねえ?」と続けた。
香菜が言った『西園寺さん』というのは、同じ一年生の『西園寺くるみ』のことだ。
彼女は、この学校ではかなり有名なアイドル的存在である。
腰まで伸びた艶やかな栗色の髪の毛に、目鼻立ちがはっきりした愛くるしい顔立ち。天真爛漫な彼女の周りには、常に人が集まっている。
人気者――であることは確かなのだが、香菜の若干棘のある物言いからお察しの通り、彼女は女子からの評判があまりよろしくない。
理由はふたつある。
彼女がその美貌故に、校内でも人気の男子を『侍らせている』こと。
もうひとつは、被害妄想が激しいこと。
同学年の女子の半分は彼女に『嫉妬に狂った女認定』されているし、男子の半数は彼女の信奉者だ。
西園寺さんが侍らせている男子五人組、通称TOP5などと呼ばれている男どもに近づいた女子は「くるみの王子様に近づかないで!」などと凄まれ、泣く泣く遠巻きに見つめるように……なんてこともあるらしい。
まるで漫画の中の世界みたいだ。元より接点が無いので、それもフィクション感を増してる理由かも?
そういう女の子たちは中学時代からTOP5に思いを寄せていたりもする訳なんだけど、どうも、離れてみたら、自分の中で憧れとか理想化してただけかも……と身近な男子に目を向けて幸せになった、みたいな女の子も多いとか。
あたしは噂には疎いもんだから良くわからないけど、まあ、ようするに『西園寺さん』はちょっと面倒くさい女の子なのである。
「うーん、いや、そうだな、アヴェルさんの方が恰好良い……と思う」
そんな面倒くさい系女子、西園寺さんの周りに侍っている中でもTOP5として知られているイケメン連中の顔を思い浮かべ、アヴェルさんと比べてみる。
五人揃うと男性アイドルグループみたいな輝きを放つTOP5だが、多分、横に並べたらアヴェルさんは一人で五人分の輝きをまかなえる気がする。
そう、昨日は色々あって気にも留めなかったけど、あの人、血塗れの凄い形相でも美丈夫だと分かる顔立ちなのだ。あれは女の人が放っておかないだろうな~、きっと祖国に残してきた恋人もいるに違いない。
それこそ西園寺さんのように二、三人から言い寄られていてもおかしくない! 女慣れしている人に違いない! だから、別に、あたしの裸くらいどうってこない! あたしもどうってことないと思ったって良いはず!
記憶を辿る内に昨晩の事故を思い出し、なんとかそれを振り払おうと雑な理屈を組み立て始めたあたしの顔を、にんまり顔の香菜が覗き込んだ。
「へーえ、イケメンさんはアヴェルさんってお名前なんだねえ、何人なのかなあ?」
「えっ、あ、アメリカ人?」
「ほんとに?」
「ふ、フランス人」
「うん?」
「イギリス人?」
「うんうん?」
「がっ、外国人! 外国人なのは確か! あたしもよく知らない!」
思考の海に半分ほど沈み込んで意識のガードが緩んでいたあたしは、香菜からの問いに分かりやすく狼狽する羽目になった。
明らかに怪しまれると思っていたから名前を出さずに話していたのに、ついやってしまった。
あたしが隙を見せた途端、ぐいぐい切り込んでくるあたり、香菜は分かっていて遊んでいるのだろう。
うう、勘弁してほしい。ちゃんと話してもよくなったら話すから。覚悟も決まっていない内にあんなことを話させないで欲しい。
涙目で訴えるように見つめていると、好奇心と探求心に目を輝かせていた香菜は、心得たとばかりにいつも通りのふわふわした笑みを浮かべた。
「創兄は外国の人ともお知り合いなんだねえ」
「まあ、あいつはあっちこっちふらふらしてるからね」
異世界とか、異世界とか、異世界とかね。
乾いた笑みが浮かびかけたあたしは、お弁当の残りと共にそれを飲み込んだ。