2.お兄ちゃんは冒険者だったようです
「……どういうことか説明してもらえる?」
お兄ちゃんが寝床として使っているソファには現在、意識を失ったままの男の人――アヴェルさん?が横たえられている。
どこもかしこも血塗れだったアヴェルさんは、お兄ちゃんの手によって治療され、綺麗な洋服を着て眠っていた。
傷やらなんやらは、お兄ちゃんの使った『治癒魔法』とかいうやつで治っているけれど、体力だけは魔法ではどうにもならないのでしばらく目を覚まさないそうだ。
……うん、あたし何言ってんだろう。魔法って。お兄ちゃんふざけてんの?って言えないのは、実際にあたしがお兄ちゃんが魔法を使うところを見てしまったからだ。
あと3年で魔法使いだぜ!なんて言ってたけどお兄ちゃん、とっくに魔法使いだったんだね。
いや、厳密には冒険者らしいんだけど、これもまた何言ってんだ、って話じゃない?
きっちりパジャマを着込み、幾分落ち着いた気持ちで、気まずそうに正座するお兄ちゃんを見下ろす。仁王立ちするあたしに、お兄ちゃんはいつも通りのへらりとした笑みを浮かべた。
「い、いやー、話すと長くなるんだけど……」
「うん。話して」
「朝までかかっちゃう、かもなー?」
「話して」
「……はい」
有無を言わさず問い詰めると、観念したのかお兄ちゃんは渋々と言った様子で語り始めた。
今から三年前――二十四歳の時、お兄ちゃんは異世界に転移してしまったそうだ。
もはやここから突っ込みたくてしかたなかったのだけれど、とりあえず飲み込んで続きを聞く。
ファブルヘイムという名の異世界に転移してしまったお兄ちゃんは、全く訳も分からないままその世界に放り出され、言葉こそ通じるものの帰る方法も分からないから、とファブルヘイムで身分がなくても働ける冒険者、というものになった。
色々な人に聞き込みをし、そういう事情なら王都に向かうのがいい、と王都を目指して旅を続けたそうだ。
その旅路であったのがアヴェルさん。王都の騎士様だったのだけど、遠征先で瀕死の重傷を負って仲間に捨て置かれてしまったらしく、道端で死にかけていたらしい。
お兄ちゃんはアヴェルさんに王都への道案内を頼みつつ、彼と共に旅を続け、いつしか戦友になった。
んで、王都に無事辿り着いたはいいものの、王族の不祥事やらなんやらで紛争?が起こる一歩手前まで行っていて帰るどころじゃなくなった。
アヴェルさんは忠誠を誓った主の安否が気になる、とかで城に入り込みたくて、お兄ちゃんはとりあえず国とかは置いといて何としても帰りたいから、そこでアヴェルさんとは別れて別行動になったそうだ。
そこからは二人ともそれぞれすっごく苦労して目的を成し得たらしいんだけど、帰る方法どころか異世界を行き来する方法を見つけたお兄ちゃんが、アヴェルさんに腐敗した国を捨ててこっちに来ないかって話を持ち掛けた。
でも結局アヴェルさんは国に残ることを決めて、お兄ちゃんはこっちに帰ってきて、ちょくちょく様子を見たり向こうでお金になるものを取って持ってきたり、とかいう生活をしていた、のだそうだ。
「…………わ、訳がわからない」
「うん、俺も今説明して訳わかんねえなーって思った」
フリーターだと思っていたお兄ちゃんは冒険者だった。いや、もう一回言っても訳が分からないわ。
「アヴェルにはどうにもならなかったらこっちに来い、って魔術符を渡してたんだけど……まさか風呂場に出てくるとは思わなかったなー」
「もう! あたし、ほんとに、びっくりしたんだからね!? お兄ちゃんってばそういうところほんとテキトーで、やんなっちゃうなあ!」
風呂場、という言葉に先ほどの醜態と衝撃を思い出して顔が熱くなる。
気まずくなって怒鳴り散らしたあたしに、お兄ちゃんはまたごめんごめん、と誠意があるのかないのか分からない顔で謝った。
「……なあ、皐月」
「…………何?」
こんな時でも、お兄ちゃんの顔には笑みが浮かんでいる。いっつもそうだ、滅多なことじゃお兄ちゃんの笑みは崩れない。
お兄ちゃんがいつでもちゃらんぽらんにへらへら出来るのは、強い人だからだ。強いってのは、冒険者とか、そういう意味じゃなくて、いろんな意味で。
そんな鉄壁の笑みを少しだけ、ほんの少しだけ強張らせて、お兄ちゃんは私に頭を下げた。
「皐月には突然のことで迷惑だと思うんだ、でもさ、こいつ、滅多に人のこと頼ったり……しないんだよ。俺は一緒に旅してたから知ってるんだ」
「……うん」
「こいつが俺を頼ってこっちまで来たってことは、もう、多分、こいつの国は無いんだと思う。だから、その……」
「…………」
「……その……」
お兄ちゃんは俯いたまま黙り込んでしまった。あたしはそっと溜息を吐く。お兄ちゃんの肩が小さく跳ねた。
もう、なんか話を聞いてる限りすっごい強い冒険者らしいのに、妹のご機嫌伺いくらいでビビんないでよね。
「いーよ、その代わり狭くても文句言わないでね!」
あたしの言葉に、お兄ちゃんは顔を上げる。
まさか了承すると思っていなかったのか驚愕に染まっていたその顔は、あっという間にまじりっけなしの満面の笑みに変わった。
「ありがとう皐月ーっ!! あいしてる!!」
「あーはいはい鬱陶しい! 明日も早いんだから寝かせてよ!」
抱き着いてくる兄をあしらいつつ、自室に逃げ込む。
どんなことになるかなんてさっぱり分からなかったけれど、それでも、ずっとあたしの面倒を見てくれてきたお兄ちゃんがあんな顔で頼むのだ、断れるはずがなかった。
そういう訳で、あたしと兄と、騎士様の三人暮らしが始まったのである。