ラッパの少女
とあるイベントで練習用に書いた物です
どこからともなく嘲るような笑い声が聞こえる。
パラリと教科書の間から落ちてきたのはカッターの刃。
机や椅子にはゴミ箱の中身がぶちまけられ、ゴミクズ以外にも生ゴミや、ちょっとしたアルコールの臭いが少女の鼻につく。
少女が部活動の朝練を終わらせて、教室に行けば必ずこうなっている。
毎日していて飽きないのか、というのが率直な感想であろう。放課後ギリギリまで残り、机などが綺麗なのを確認し、朝一番学校に来ても同じ状態なのだ。
黙々と、ゴミだらけの机と椅子を掃除する。綺麗になった頃、タイミングを見計らったように担任教師が教室の中へと入って来る。いや、タイミングを見計らって入ってきているのだろう。この状況が何カ月も続いているのに、全く鉢合わせたことがないなど運が良すぎるだろう。
「起立」
委員長の号令と共にガタガタと皆が立ち上がる。少女の最低な一日がまた始まるのだ。
聞こえてくる笑い声は耳にまとわり続けるのだろう。
ホームルームが始まったにもかかわらず、どこかでまた、あの嘲るような笑い声が聞こえた。
■□■□
季節は冬、時刻は夕方。床はひんやり冷たいだろう。やっていられるか、と言わんばかりに少女は屋上の床に仰向けに寝そべる。はしたない、といわれるかもしれないが今の屋上には少女一人である。咎める者は誰もいない。
寝そべっている少女の呼吸と連動して、白い煙が幽かに出る。どれだけ遅くなっても家に帰らなくてもいい、帰る必要のない少女は下校時刻ギリギリまで学校にいた。
さすがに寒くなったのか、ぶるりと体を震わせて起き上がる。日はほぼ沈んでおり、きれいな茜色が徐々に濁った藍色へと移り変わっている。フェンスの方に行けば、グラウンドを清掃する野球部員。ボールを片付けるテニス部員やサッカー部員、様々の運動部の生徒がチラホラいる。少女は本日の部活動を自主的に休んでいた。簡単に言えばさぼりだ。
少女は小さい頃にトランペットをしていた。そして吹奏楽部に入り、当然のことながらトランペットを吹き始めた。
この時、少女の平凡な学校生活は、歯車を少しだけ狂わせたのだろう。
もう一人、少女と同学年にトランペットを担当している子がいる。その子―――仮にA子としよう。A子はA子のクラスの中心的人物であり、他クラスの子からも慕われている。明るく、社交的でとても愛嬌のある子だ。ただ、A子は自分よりトランペットを上手に吹ける少女を疎ましく思っていた。どれだけ先輩や同級生、後輩と仲良くしても、トランペットの一番いいところは少女が奪ってしまう。A子が少女を仲間外れにするのは、時間の問題であった。
そして今につながる。少女はクラスの人から遠巻きに見られながら無視され、朝一回だけではあるが誰かが机を汚し、廊下などでは足をひっかけられる。少女は学校が嫌になっていた。しかし、それと同時にトランペットを続けたい気持ちもある。家では近所迷惑で思いっきり吹くこともできない。まして楽器など値段が張りすぎて、おいそれと手を出すこともできない。それなら、とあまり人がないところで遅くまで吹くのが少女は好きだった。
「死にたい、な……」
フェンスを握りしめ、寒空を眺めていた少女の、心の底から漏れ出た言葉であった。今まで一度も弱音を吐いたことのない少女であったが、限界であったのだろう。フェンスはひどく握りしめられていた。
「あら、今日はラッパを弾かないの?」
鈴のような声が少女の背後から聞こえた。屋上には誰もいない、そして鍵は少女が内側からかけたはずである。つまりここには誰もいないはずである。しかし少女の背後からはしっかりと声が聞こえてきた。少女は恐る恐る声の聞こえるほうを向いた。
そこには一人の女の子がいた。腰まである真黒い髪の毛、真黒いセーラー服を着た真っ白い肌の痩せた女の子だ。ただ、少女の学校の制服はセーラー服ではなく、チェック柄を基調としたブレザーである。
少女はとある噂を思い出した。何十年も前、少女の通う学校の制服は、ちょうど目の前にいる女の子のような制服だったそうだ。そして当時の学校には、病弱のとても綺麗な黒髪の女の子がいたらしい。しかし、授業中に持病が急変。そのまま死んでしまったそうだ。そしてその女の子は、幽霊となり校舎内をさまよい続けている。というバカげた噂だった。学校で死んだことと、校舎内でさまよう事に何も脈絡性がない。少女はその噂を聞いた時、気にすらしていなかった。しかし、目の前にいる女の子は噂の幽霊とそっくりではないか。たしかその幽霊の名前は―――
「あ、私の名前は夕子。よろしく、ね?」
そう、夕子という名前だった。
「残念だわ、今日はラッパを持っていないから弾かないのね。私、あなたのラッパの音が好きなの」
ふふふ、と夕子は笑うが少女の目線は夕子の足元へと注がれていた。そう、彼女の足が透けているのだ。
「そうだ! あなた今から時間はあるかしら? 今日は…いえ、今日も宴会があるのよ! 行きましょう!」
戸惑っている少女の手を、夕子は強引に取ると、有無も言わせず引っ張っていく。なぜ夕子が少女の手に触れたのかはなぞであった。
日没はとっくにすぎ去っており、校舎に人はいなくなっていた。
■□■□
連れてこられたのは見おぼえのある教室であった。そう、四階にある少女のクラス教室である。その教室だけ電気がついていて、何やら騒がしい。
「しょあああああ! 今度ばかりは勝たせてもらうぞ、ばぁさん!」
「おやおや、私に勝つなどあと一万年以上早いということを教えてあげましょうか、じぃさんや」
扉をあけると教室の真ん中でお爺さんとお婆さんが大きな円の中で相撲をしていた。机は端へとどけられ、机の上や床にたくさんの人がおり、やれ、爺さん頑張れや、ばぁさん負けるんじゃない、などヤジを飛ばしている。教室中のそこかしこに食べ物やお酒の瓶が転がっており、誰もが自由にくつろいでいることが分かる。
「はいはい、お爺さんとお婆さん。相撲はあとにしてくれるかしら、今日はお客様がいるの」
夕子が二人に声をかけると、ヤジは一気にやみお爺さんとお婆さんも、夕子が言うなら、と相撲をすぐにやめた。その様子をみて満足したのか、夕子は連れてきた少女を教室にいた人達―――いや、明らかに人ならざるモノ達に紹介を始めた。
「ヨウコソ! ワタシタチノホームへ!」
轆轤首や口裂け女、顔面犬などの都市伝説の定番から始まり、落ち武者、お坊さん、妖怪の類や河童までもが、その教室ではしゃいでいた。中には現代に近い風貌の人や、自称天才作家でペンネームはハンスと名乗る変人もいる。各々、好きなお酒やおつまみを持ってきているようで、教室はアルコール臭い。窓は開けていないようだ。
少女は最初、人ならざる者たちや幽霊に怖がり緊張していたが、夕子のような者もいて話していくうちに次第に打ち解けていく。誰かが少女の飲み物に、間違えてお酒を入れてしまったのも原因だろう。自己紹介後、数時間しかたっていないにも関わらず、少女と教室中のモノ達はまるで親しい友人か、家族の如く語り合っていた。
一緒に笑い、騒ぎ立てる。お爺さんとお婆さんの相撲も再開され、一緒になってヤジを飛ばした。おつまみの袋が開かないから、と誰かがカッターを取りだしたが、うまく開けず、刃がどんどん折れていくだけだったりもした。その光景をみて皆で笑う。
「楽しいか?」
そう少女に話しかけてきたのは自称天才作家のハンスであった。黒ぶちの眼鏡が特徴の、逆にいえばそれ以外に特にそれといった特徴もない少年だ。彼は片手にペンと原稿用紙を持っていた。
少女は首を縦に振る。
「それならよかった。なんならここにずっといればいい」
その言葉に少女はハッとする。そう言えば、今は何時だろうか、帰らなくてはっと思うが同時に、帰らなくてもいいことに少女は気が付く。
「帰らなくても、いいんだろ? ここは楽しい。考えないで馬鹿でいられる。まぁ、俺は天才作家だから、もちろん馬鹿になるわけないが」
そういうハンスの目線は次第に少女から夕子へと移る。
「夕子も昔、お前のようにいじめられていたんだ。この学校の噂じゃ、持病が悪化して死んだ、なんてなってるが実際は持病の薬を隠されてたんだよ。だから悪化して、死んだ。お前もいじめられてる口だろ? 夕子は優しいからな、そういう子達をよく気にしてる」
「ちょっとハンス! その子に余計なこと言ってないでしょうね! 私の株を下げるようなこと言っていたらただじゃおかないわよー」
ハンスが少女に話しかけていたのに気が付いた夕子がこちらへ来る。長い付き合いなのか、彼女のハンスへの話し方は他のモノ達と違い、砕けたものとなっている。少女は思い出す。そういえば、比較的少女と仲のいい友達がいた。もっとも、少女への無視が始まってから徐々に話さなくなってしまったが。
「そう言えばあなた、ラッパを吹いてくれないかしら。私、最初にも言ったけれどあなたのラッパの音色が好きなの」
周りのモノ達は少女がトランペットを吹けることを知ると、どこからともなく、部室にあるはずの少女のトランペットを持ってきた。少女は、なぜここにトランペットがあるのかも全く疑問に持たず、手に取り吹き始めた。吹いた曲は明るくて誰もが一度は聴いたことがあるような行進曲。音が外れてしまっていたり、曲のスピードがまばらだったりするのはいたしかたないだろう。
少女が吹き終わると教室内は拍手と歓声でいっぱいとなった。少女の顔もやりきった顔であり、ここ最近一番の笑顔である。
「やはり素晴らしいラッパの音色ね」
そう言ったのは夕子だった。褒められたことに、少女も嬉しそうにお礼を言う。
「私、生前は身体が弱かったの。だから、あなたみたいにラッパが吹けるのがうらやましいわ。それに―――」
夕子は教室内をぐるりと見渡し、笑顔で少女に話しかける。
「これだけの友達に囲まれてお話できるのも嬉しいし楽しいのよ! 家族はあまり私にあってくれなかったから! 他の子達も私とあまり話してくれなかったの! 生前は友達100人作ることが夢だったのよ私! もっと頑張らないといけないわね!」
楽しそうに、自身の夢について話す夕子に、少女は、夕子ならきっとできるよ、と声をかける。実際、少女は夕子なら実現できるように何故だか感じていた。
「じゃあ、そ、そのね。あ、アナタも私の友達になってくれる?」
まじまじと少女を見つめてくる夕子に対し、少女は笑顔でうなずく。むしろ少女はすでに夕子のことを友達だと認識していたようだ。
「また友達が増えて嬉しいわ! えっと、じゃあ私からお願いがあるのだけれどいいかしら?」
夕子は機嫌よく、無邪気に外側の窓のそばへと駆け寄る。少女もそれにつられて夕子のそばに行く。夕子は窓を開けた。すでに日はどっぷりと沈んでおり、車通りもほとんどないため静かである。
「ほらここ、四階でしょ? ―――だから、ここから飛び降りてくれないかしら?」
夕子は最後まで笑顔だった。