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メイド・オブ・シャドウ  作者: 伏見 七尾
Ⅳ.ロード・オブ・シャドウ
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1.暴き立てる蛮神の御手

 蛮神――それは、異界に住まう強力な存在だ。

 魔物などとはケタが違う。蛮神はどれも指先一つで天候を動かし、ため息一つで一つの大陸を滅ぼす力を持っていると伝承には語られる。

 そんな恐ろしい存在が今、メリーアンの目の前にいた。

 アロブ=マブがげたげたと笑う。

 笑う蛮神の手の一つが伸び、アロイスの死体を軽々とすくい取った。

 そのまま裂け目の向こうへと運ばれた死体がどうなったかは見えなかった。しかし肉と骨を押し潰す音と、何かを咀嚼するような嫌な音が聞こえた。

【ほしいほしいほしい! あいんのこらがほしいよおおおおお!】

 赤ん坊の声が束になったような声で喚いて、アロブ=マブが体をゆすった。

【あいんのこあいんのこ! あああああいんのこおおお! よこせよおおおお!】

 二本の腕を振り回し、アロブ=マブが叫んだ。

 まるで駄々っ子がむずがるような激しい動き。しかしどれだけ喚いていても、その人形の顔は一切表情が動いていないのが不気味だった。

「あいんのこ、って……」

「祖神アイン。金環教に名前を抹消されてしまった神。この世界を作ったといわれる神だよ。――だから蛮神は、私達のことを【アインの子ら】と呼ぶの」

 クラリッサの言葉に、メリーアンはぎゅっと肩を抱く。

「……つまり欲しいのは、私達ってことね」

 その不吉な言葉に従うように、アロブ=マブの手の一つがゆらりと動いた。

 それはルシアンへと伸びる。

「ええい、気安く触るなッ!」

 青く輝く掌を裂け目に向けたまま、ルシアンがアロブ=マブの手を蹴る。

 手を弾かれた途端、アロブ=マブは一際大きな声で笑った。蛮神が身をよじり笑うたび、肌に埋もれた子供らが泣き叫び、もはや得られぬ救いを求めて蠢いた。

「『吊し人の鎖』!」

 ヨハネスの左掌に小型の魔法陣が閃いた。そこから先端に楔の突いた鎖が裂け目に向かって何本も伸び、裂け目の周辺の空間に打ち込まれる。

 ヨハネスの魔法によって、異界との境界の裂開は一瞬止まったように見えた。

 しかし、アロブ=マブが二本の手を押し広げる。するとピンと張った鎖がぎしぎしと軋み、再び裂け目がびじわじわと開き始めた。

「ヨハン、そのまま抑えていろ! そのうちに我輩がこいつを――!」

「やめろ! 蛮神に手を出すな!」

 左右の手で同時に別の術を展開しつつ、ヨハネスはルシアンの声を遮った。

「境界というのは閉ざす方が難しいんだ。しかもあの馬鹿神が押しているせいで、境界が裂けていく速度の方が速い! 今お前が手を離すと――!」

「破綻する前に蛮神を殺す! 我輩なら殺せるぞ!」

「だからやめろって!」

 叫ぶルシアンに、ヨハネスがさらに大きな声で怒鳴り返した。

「知っているだろ、蛮神を殺せば莫大なマナが炸裂する! それで境界は完全に破綻するぞ! 壊れ掛かった堰の上で爆弾に火を付けるようなものだ……!」

「ちいっ、厄日にも程があるぞ……よりによって蛮神に気づかれるとは」

 苛立ちを露にルシアンが首を振った時、アロブ=マブの声が響いた。

【おまえ やくさいのかんしゅ しっているぞ おまえはほんとにひどいやつ】

「……ッ」

 ヨハネスの表情が引きつった。

 メリーアンの隣でクラリッサが目を見開き、兄とアロブ=マブとを見る。

「な、何なの。何を言う気……?」

【おまえのかあさん おまえのせいで しんじゃった ほんとは たいこうに もんくをいったの おまえだった なのにかあさん おまえをかばった】

「……うるさい」

 ヨハネスの消え入るような声。

 しかしアロブ=マブは無機質な人形の顔を揺らし、げらげらと笑った。

【おまえだよ ぜんぶおまえのせい おまえのせいで みな しんだ】

「黙れッ、黙れよッ……!」

 ヨハネスが悲鳴に近い声で叫び、左手を叩き付けるように振るった。

 その皮膚をびっしりと覆うように、掌から手首にまで無数の魔法陣が開く。そこから数十本の鎖が伸び、ぱっくりと開いた裂け目の周辺に次々に突き刺さった。

 裂け目の開く速度がわずかに落ちた。

 しかしこれにより多大なマナを消費してしまったのか、ヨハネスの体がふらついた。

「うっ……!」

「あんちゃん、挑発に乗っちゃ駄目! 消耗させようとしてるの!」

 なんとか踏み止まる兄の背中に、クラリッサが叫ぶ。

 ヨハネスの妨害を物ともせず、アロブ=マブは笑い続けていた。二本の手で裂け目を開きつつ、さらにもう二本の手を現界に向かって伸ばしてきた。

「……どいつもこいつも。蛮神は悪趣味だな」

 ルシアンが地面に踵を強く打ち付けた。

 無詠唱で魔法が発動し、黒い影の棘が彼の周囲に立ち上がった。アロブ=マブの手はそれに触れる寸前で、弾かれたように引っ込んだ。

【このかげ そうか おまえ めいおうか】

 アロブ=マブがぐるりと首を回す。

 重瞳の眼と水色の眼が、どこか愉快そうにルシアンを見下ろした。

【かわいそうになあ かわいそうになあ おまえはあわれなやつだなあ】

「……ほう?」

 ルシアンがぴくりと眉を動かした。

 アロブ=マブはグッグッと邪悪な笑いを漏らしつつ、嘲るように囁いた。

【きいたぞ きいた めいおうははいたいし おまえはかわいそうなはいたいし】

 ルシアンは何も言わなかった。

 硝子玉のように無機質な瞳で、彼はただじっとアロブ=マブを見上げた。

 そのまなざしに怯えたのか、アロブ=マブが小さく息を飲んだ。ルシアンに向かって伸ばしかけていた手を一瞬引っ込め、代わりにヨハネスへと伸ばす。

 それを蹴り飛ばし、ヨハネスが呻く。

「……アルカが……アルカが、気付けば……!」

 アルカが気づいたら――しかし、あのバーテンダーに一体何ができるというのか。

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