9.メイドと魔女の月追犬狩り
クラリッサに頼まれたのは、第三区の外れにたむろする魔物の掃討だった。
「定期的に掃除しないとすぐ沸いてくるの。それで、人が住んでるとこにまでくる」
メリーアンを導きつつ、クラリッサは語った。
そこは魔女達からは『ストームサイト』と呼ばれているらしい。
眼前に広がるのはクライネバルトで見たものと同じ――あるいはさらにひどい破壊の跡だった。建物はほとんどが瓦礫の山と化し、かろうじて形が残っているものは例外なく毒々しい落書きで彩られている。
倒れた街路樹はカラフルな蛍光色のキノコに覆われ、闇をぼうっと照らしている。
「ストームサイトはちょっと広いからね。二人で手分けしてやろう。そっちの方が道が単純だから、メリーアンはそっちをお願いね」
「わかったわ。あらかた片付けたら合流する感じでいいのかしら?」
「うん。あたしも早めに終わったらそっちに行くよ。――それじゃ、後で」
そうして、二人はがらんとした広場で一旦別れた。
クラリッサを見送った直後、薄闇に犬に似た声が繰り返し響き渡る。
「……試すのにちょうどいいわ」
メリーアンは呟き、ディートリヒに贈られたオールワーカーを抜き払う。
その切っ先に紫の鬼火が灯り、たちまち大鋏全体を包み込んだ。
しばらくしてメリーアンは鬼火を消し、いったん幽体化した。するとオールワーカーもメリーアンと同じようにうっすらと透き通り、幽体状態になる。
これによってオールワーカーはメリーアンに【含まれた】。
「これでよしっ!」
メリーアンは満足して、再び実体化した。
通常、幽霊が衣服や所持品を持ち歩く時は、こうして一旦それを鬼火で燃やす。そして、その物質が持つ霊素を自分の構成霊素の内に組み込む。
メリーアンは完全に自分の得物と化したオールワーカーをくるりと回し、歩き出した。
潰れた質屋の角を曲がった時、目当てのものを見つけた。
「月追犬四頭……うわっ、お食事中だわ」
魔女街ではよく見かける魔物だ。
日の入りと同時に、月を追うようにして現われるためこの名で呼ばれる。
分厚い灰色の毛皮をした、子牛ほどの大きさの魔物だ。その顔面は大部分が口に占められており、放射状に裂けた口には喉までびっしりと牙に生えている。
そんな魔物達が四頭群れ集い、人間らしきもの死体をがつがつと貪っていた。不運な獲物は強靱な顎によって骨まで噛み砕かれ、またたくまに肉塊と化していく。
「食欲旺盛ね」
メリーアンの溜息に、月追犬の耳がぴくりと震えた。
四頭の首が同時にぐりんと動き、メリーアンの姿を捉える。まるで蕾が開くように血まみれた口ががばりと開き、やかましい声で吠え出した。
月追犬を初めとした魔物の捕食対象には、生物だけでなく幽霊も含まれる。
咆哮とともに月追犬が跳ぶ。
グロテスクな花にも似たその顎をかわし、メリーアンは軽やかな足取りで距離をとる。
白いエプロンが闇に翻るたび、がちがちと音を立てて月追犬の牙が空を噛む。
月追犬の猛攻を踊るようにかいくぐり、メリーアンは冷静に四頭の動きを確認した。
「……あれがリーダーね」
一頭だけ、やや離れたところからさかんに鳴き声を上げている個体がいる。
メリーアンはオールワーカーを握りしめ、幽体化した。
幽霊の跳躍に音は無い。
重力を完全に無視した動きでメリーアンは跳び、月追犬の首領の前に降り立った。
そして悲鳴をあげる首領の大顎に容赦なく大鋏を叩き込む。
それは熟した果実を裂くように容易だった。銀色に輝く刃はなんの抵抗もなく魔物の骨肉に潜り込み、その上顎をあっさりと切り飛ばした。
絶命した月追犬の胴体が地面に倒れ込む。
途端、他の三頭は一気に混乱状態に陥った。一頭は怒りに牙を剥き、もう一頭は興奮した様子で吠え立て、そして残りの一頭は一目散に逃げだした。
メリーアンは逃げ出した月追犬の背中に向かって人差し指を向ける。
鬼火が一つ飛び、振り返った月追犬の顔面に命中した。
「残り二頭ね」
燃え上がる魔物の悲鳴を聞きながら、メリーアンは残りの月追犬に向き直る。
二頭とも放射状の口を限界まで広げ、喉奥まで生えた牙をてらてらと光らせていた。
メイドキャップの位置を直し、メリーアンはオールワーカーを構え直す。
それを合図にしたように二頭の月追犬が吠え、突進してきた。
襲い来る魔物達に対し、メリーアンはくるりと背中を向ける。
そのまま駆け出すメリーアンの耳に甲高い笑い声のような咆哮が聞こえた。月追犬の歓喜の声だ。逃げ出す獲物に興奮したのか。
メリーアンは滑るように廃墟の街を駆ける。
細い路地の先は行き止まり。三方を、錆びた配管が這い回る壁面が囲んでいる。
メリーアンは速度を落さないまま正面の壁に向かって飛び込んだ。冷たい煉瓦壁に半ば透き通った少女の肢体が音も無く吸い込まれる。
直後、月追犬がその壁面に激突した。
甲高い悲鳴とほぼ同時に銀の閃光が闇を貫く。壁をすり抜けて出現した二つの切っ先。それは鈍い音を立てて、それぞれの月追犬の胴を貫通した。
二頭の月追犬は声も出せずに絶命する。
切っ先が壁の向こうにするすると引っ込むと、魔物の死体は地面へと落ちた。
「すごいわ……!」
感嘆のため息とともに、メリーアンは壁をすり抜けて現れた。
どんな道具でも、最初のうちは壁抜けの時などは違和感を感じる。だが、このオールワーカーははじめからメリーアンの一部だったかのように手に馴染んだ。
「さすがミスリルね……! これなら、さらに旦那様のお役に――!」
頭上からゲラゲラと笑うような鳴き声が響く。
はっと顔を上げたメリーアンの目に、毒々しい色のコウモリに似た魔物が映った。
魔物の爪がメリーアンの顔に迫り――爆音とともに燃え上がった。
「わ、わわっ……!」
目の前で炸裂した爆炎にメリーアンは思わず首をすくめる。
その耳に、護符の擦れ合う音が聞こえた。
「――大丈夫? メリーアン」
振り返れば、いつの間にかクラリッサが背後に立っていた。
いくつもの指輪や腕輪が煌めくその手には、赤い炎がちろちろと燃えている。