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メイド・オブ・シャドウ  作者: 伏見 七尾
Ⅱ.さまよう牙に告ぐ
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17.嗤うジャンキー

 看板のないその地下酒場は『キングダム』と呼ばれているらしい。

 店内は天井も看板も、目に痛いほどカラフルなライトによって照らされている。

 割れた音色のジュークボックスが軽い音楽を流し、ビロードの垂れ幕が掛かった小さな舞台ではダンサーが体をくねらせながら踊る。

 男達はダンサーに野卑な声を浴びせたり、酒をひたすら煽ったりしていた。

 そんなキングダムの喧噪は、扉が蹴り開けられた事で終わりを告げた。

 逃げ出すダンサーの甲高い悲鳴が安っぽい音楽を掻き消す。

「邪魔するぜ」

 一気に騒然とするキングダムに、靴音も荒々しくディートリヒが立ち入った。

「なんだてめぇ!」

「ここがどこだかわかってんのか、ああ?」

 いきり立ったギャング達が手に手に銃やナイフを取り、ディートリヒに銃口を向けた。

 ディートリヒは彼らの顔を見るなり、鋭い牙を剥きだして笑った。

「……よう、知った顔が多いな。俺達の街でちょこまかしてた奴ばっかりだ」

「知り合いが多いのは良いことだ。――ご機嫌よう、諸君」

 さらにディートリヒの背後からルシアンが現れ、芝居がかった仕草で挨拶する。

 涼しげなその顔を見た瞬間、ギャング達がさらに殺気だった。

「人でなしのルシアン=マレオパール……!」

「つくづくこの界隈の人間は礼儀がなってないな。挨拶されたら返すものだぞ? 挨拶は長生きに繋がる。特にこの魔女街では。なぁ、メリーアン?」

「相手がバケモノとかよくありますからね」

 主人の後ろに続いてメリーアンもキングダムへと入った。

 途端、視線が一気に自分に集中するのをメリーアンは感じた。今にも襲いかかってきそうだったギャング達が表情を変え、嫌な熱を孕んだ眼でメリーアンを見る。

「――騒々しいな。何の騒ぎだ」

 興奮した囁きが交わされる中、うろんな目をした一人の男が現れた。

 三十代半ばほど。両耳に大量のピアスを付けている。鮮やかな緑のジャケットを着て、その上から金褐色の毛皮のマントを羽織っていた。

「ジャード……!」

 ディートリヒが鼻に皺を寄せ、唸るようにその名を呼ぶ。

 耳につけたピアスを弄っていたジャードはディートリヒを見た。そして、全て合点がいったと言わんばかりににやりと笑う。

「なんだ、客人かよ。歓迎するぜ、よく生きてここまで来たな」

「メイドだけ歓迎するぜ!」

「こっち来いよ! たっぷり可愛がってやるからさぁ!」

 ジャードの言葉に続いて野次が飛び、野卑な笑い声が弾けた。

 男達はにやにやと笑いながら、メリーアンを物色している。これ見よがしに卑猥なジェスチャーをしてみせる者もいた。

 嫌らしい眼で見てくるのは不快だったが、メリーアンはいつもどおり平静を装った。

「うぐっ」

 むしろ何故かルシアンが頭を掴んできた事の方が重大だった。

 ジャードは悲しげな表情を作り、わざとらしい所作で目頭を押さえて見せた。

「ただ残念だが男二人はすぐにお別れしなけりゃならねぇ――悲しいが」

 ジャードは眼を拭いながらナイフを抜き、テーブルに突き立てた。

 その柄頭に彫刻された髑髏の頭を指先で撫でつつ、彼は黄ばんだ歯を剥き出して笑った。

「――とりあえずこれだけ吐け、誰にここの場所聞いた?」

「クライネバルトに潜り込んでいた貴様の友達」

 ルシアンは答え、近場にあったテーブルに腰掛ける。

 途端、その周囲全員が一斉に彼に銃口を向けた。しかし当のルシアンはさして気にする様子もなく、涼しい顔で煙草に火を付ける。

「占いをしたら快く教えてくれたぞ。なにもかも全て」

「占い……?」

 この場にはあまりにも不似合いな奇妙な言葉にジャードは眉をひそめる。

「しかし彼はもう二度とピアノを引けない手になってしまった。まったく残念だ。彼がピアノを弾くかどうかは知らんし興味もないが」

「……十本全部使う必要があったのですか? 最初の三本でもう根を上げていたのに」

 メリーアンは呆れ、額に手を当てる。

 するとルシアンは不機嫌そうに、「あれはあいつが悪い」と紫煙とともに吐き出した。

「いきなり我輩に散弾を撃ち込もうとしたんだぞ? 仕方がない。――それに駄犬に任せなかっただけマシだと思え。危うく相手を死なせるところだった」

「うるせぇな……あいつの首が細っこいのがいけねぇんだ」

 ディートリヒは舌打ちし、片手の関節をばきばきと鳴らす。

 酒場はいつの間にかしんと静まりかえっていた。

 下品なジョークで盛り上がっていたはずのギャング達は今や青ざめた顔で機関銃やナイフをきつく握りしめ、その先をメリーアン達に向けている。

「は、は……いきなり拷問たぁ良い趣味じゃねぇか。さすがは人でなしってか」

 ジャードが血の気の引いた顔を歪める。

 吐き捨てるように放たれた言葉にルシアンは口元を隠し、喉を鳴らして笑った。

「――しかし単純な話だ、クライネバルトが更地になれば得をするのは貴様だからな。ゲファンゲネによってクライネバルトは大惨事、対して貴様の縄張りは無傷。遊びに来た客は当然安全な側に流れ、金を落すだろう」

 ルシアンは流れるような口調で語る。

 それにつれてジャードの唇に薄ら笑いが戻ってきた。だがそのまなざしは冷やかで、ルシアンの一挙一足を見逃さないようにしているようだった。

 対してディートリヒの怒りが再び蘇りつつあるのを、隣に立つメリーアンは感じていた。

 低い唸り声が響く中、ルシアンは赤い瞳をすっと細めた。

「しかし、ここでどうしてもわからない事がある。それは――」

「――仲間達を返せ!」

 怒声とともにディートリヒがジャードに掴み掛かった。

 周囲のギャングが彼を止めようと動く。

 しかし引き金やナイフに手を掛けた男達を、何故かジャード自身がゆるりと制した。

「まぁまぁ、みんな落ち着けよ。とりあえず話を――っとと」

「クライネバルトの三十人をどうした! ゲファンゲネの騒動に紛れててめぇらが攫ったんだろ! 早く奴らを解放しろ! タダじゃおかねぇぞ!」

 獣の如く牙を剥き、ディートリヒは腕一本でジャードの襟首を掴み上げた。

 緊張が極限まで高まる。ギャング達は威嚇するように銃や棍棒を揺らすが、ジャードの制止のせいで動けずにいた。

「……この人達の商売に、クライネバルトが邪魔だというのはわかります」

 緊迫した状況の中、メリーアンは声を潜めてルシアンにたずねた。

「でも、どうして住民を? 街が潰れれば、人は勝手に逃げてしまうのに」

「さぁ……我輩が占った奴は下っ端で、攫われた連中がどうなったかまでは知らなかった」

 肩をすくめ、ルシアンは煙草に口をつけた。

 メリーアンははらはらしながらディートリヒとジャードの方を見る。

 薬に浮かされているのだろうか。ディートリヒに吠え立てられ、サーベルを首筋ギリギリまで近づけられてなおも、ジャードはにやにやと笑い続けていた。

「元締めのあの人なら、きっと知っていますよね」

「ああ――しかし恐らくは……」

「旦那様?」

「――俺はてめぇに聞いてんだぞ、ジャード!」

 妙に歯切れの悪いルシアンに首をかしげた時、ディートリヒの怒号が一際大きく響いた。

 ディートリヒはサーベルをさらにぐいと押しつける。

 冷え冷えと輝く刃がジャードの喉に軽く食い込み、つっと血が流れ出す。

「ラリッてんじゃねぇぞ! 答えろ、奴らに何をした! どこにいるんだよ! とっとと答えねぇとてめぇの喉笛を――!」

「いってぇなぁ……だから落ち着けって。――それよりさ、良いのか?」

「……あ?」

 ジャードは手を伸ばすと、自分が羽織っている金褐色の毛皮のコートを示した。

 その拍子に、喉元から零れた血が金褐色の毛並みに滴った。

「汚れっちまうぞ、お仲間が」

「なにを言っ――いや……おい……まさか――そんなッ、てめぇ――!」

 銀の瞳が極限まで見開かれた。ディートリヒの顔から急速に血の気が引いていく。

 ジャードは笑い、ディートリヒに向かって手を振りかぶった。

 その時、メリーアンは目を見開く。

「え、マナ……?」

 一瞬、ジャードに強いマナを感じた――ような気がした。

 しかしそれを確認する間もなく、堅い果実が砕けるような音が響いた。

 ディートリヒは背中から地面に倒れ込む。その顔面は左半分がほとんど吹き飛ばされ、血に赤く染まっていた。

「ディートリヒ様!」

「チッ……ケダモノのせいで手が汚れっちまった」

 吐き捨てるように言って、ジャードは手近にあったジンの瓶を取った。

 メリーアンは呆然と、ジンで血を洗い流すジャードとディートリヒの死体とを見る。

「ど、どうして、こんな……!」

 ジャードがディートリヒの顔に触れたのは間違いない。

 しかしたったそれだけでディートリヒの頭蓋は砕かれ、彼は絶命してしまった。

 一体、彼は何をしたのか。そして、その力で一体どんな邪悪な――。

「ふん……なるほど。その力でここまでの縄張りを築き上げたわけだ」

 主人の声に、混乱していたメリーアンは我に返る。

 ルシアンはテーブルから立ち上がると、ぐるりとキングダムを見回した。

「そしてクライネバルトの住民の末路は――」

 煙を吐き、ルシアンは最後にジャードを見た。

 その赤い瞳が、いつになく冷たく光っているようにメリーアンには感じられた。

「……知っているぞ、金環教の連中が昔よくやっていたやり口だな。教会の騎士は獣人を殺すと、その毛皮を売って資金の足しにしていた」

「で、では、いなくなった三十人は……!」

「恐らく全員、剥がれたんだろう。急に羽振りが良くなったのはそういう事だな。――駄犬も可哀想に。まさかここまでやられているとは思わなかったろう」

 煙草をふかしながら、ルシアンはディートリヒの死体をちらりと見た。

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