6.人ならざるものを愛する
「そりゃ気の毒に。俺はディートリヒ・アイゼンベルクだ。教会の金ぴかクズどもに国を焼かれたんでこのクソッタレな場所に来た」
「……ルシアン=マレオパール」
ディートリヒとルシアンもそれぞれ名乗る。
一方のメリーアンは扉が開いた時点でディートリヒの後方に下がっていた。本来このような場所でメイドが姿を見せることはあまり好ましくない。
「それで、だ。あのバーテンダーから冥王を名乗る男がここに来ると聞いたのだが……どっちだ? どっちなんだ?」
アッシャータは目を爛々と輝かせ、二人を交互に見た。
ディートリヒとメリーアンの視線が一気にルシアンへと集中した。ルシアンはそんな二人をちらっと見ると、思い切り目を逸らした。
アッシャータが口元を覆い、ルシアンの姿をまじまじと見つめた。
「き、君が……? 君が、かつてロピア大陸を急速に侵攻し、七年間でアニムス=グロリアを滅亡に追いやったという――!?」
「……まぁ、そんな寄り合いを仕切っていた事はあるな」
ルシアンが微妙な表情でうなずく。
アッシャータはなおもルシアンの姿を凝視していたが、やがて首をひねった。
「……とても信じられない」
「信じずとも結構だ。頼んでもいない」
「いや、待て、待て……この魔女街でならありうるのかもしれない――ぐっ、だが信じられん! こんな優男があの恐怖と絶望の冥王……ッ! そもそもあのウロボロス包囲で聖騎士に背後から討たれたという冥王が生きている事自体が――!」
「……討たれた?」
聞き捨てならない言葉にメリーアンは思わずルシアンを見る。
「だから別に信じずとも良いと言うに。わからん男だな」
しかし当のルシアンはさして気にする風もなく、呆れたように唇の端を下げる。
混乱のあまり銀髪を掻き毟っていたアッシャータは深くため息を吐き、顔を上げた。
その深緑の瞳にメリーアンが映り、大きく見開かれた。
「う、美しい……」
「はい?」
メリーアンは一瞬混乱する。
その一瞬のうちに、アッシャータはメリーアンの眼前に移動していた。
「なんと可憐な……お嬢さん、名前は?」
「え、あ……? メ、メリーアンと申します……」
「メリーアン! 貴女はまるでこの暗黒の街に咲く一輪の白百合のようだ! 私はお嬢さんに出会えた事を幸福に思う! どうだろう、この後お茶でも――」
「おい、人のメイドを口説くな。それにメリーアンは幽霊だぞ」
苛立ったようにルシアンが口を挟む。
するとその言葉にアッシャータは大きく目を見開き、口を覆った。
「幽霊! 道理で! 素晴らしい!」
「は?」
「私は昔から叫女や半蛇姫など人型の化物の女性にばかり心を惹かれていてね! どうにも人間にはピンと来ない! これは最高と言うほかないぞ!」
「これは業が深い……」
「厄介な性癖を抱え込んでやがる……」
「というか私って人型の化物にカウントされちゃうんですか……」
ルシアンとディートリヒが絶句する中、メリーアンは一人地味に傷ついていた。
気を取り直そうとルシアンが咳払いする。
「――それで子爵。虎の事を聞きたいのだが」
「もはや私はその称号に値しない。気楽にアッシャータと呼びたまえ」
アッシャータはゆっくりと首を振り、深くため息を吐いた。
「……ファングについて、私に答えられる事はほとんどない。ファングは本当に、何故あんな事になってしまったのか……残念でならないよ」
「ファングってのが虎の名前か。そんで? どんな風に飼ってたんだよ?」
ディートリヒがたずねるとアッシャータは広間の奥――赤いビロードのカーテンで覆われた壁へと向かった。
「庭に放し飼いにしていた。こんな感じで――」
言いながらアッシャータは金色の紐に手をかけ、それを引いた。すると滑らかにカーテンが開き、その向こう側が露わになる。
奥の壁は、全面硝子張りになっていた。
その向こう側には小さな庭が広がり、そこには様々な獣達の姿があった。虎、ライオン、ピューマ……大型の肉食動物達が数頭、悠々と寝そべっている。
「こりゃすげぇ。まるで動物園だな」
ディートリヒがひゅうっと口笛を吹いた。
ルシアンが硝子壁の側に立つ。すると何か不穏な気配を感じたのか、それまでくつろいでいた獣達は急に立ち上がり、逃げるようにして硝子壁の前から離れた。
「……この獣達、ずっと放し飼いなのか?」
木陰に身を縮める獣達の姿を見つつ、ルシアンがアッシャータにたずねた。
「雨の日は屋内の檻に引き入れる。それ以外の時はずっとこうだ」
「ふぅん。この屋敷に使用人は?」
「ジャクリーン――さっきのメイド以外にはいない。あれもつい二月前に雇ったばかりだ」
「ふむ。あのメイドのフルネームは?」
「ジャクリーン・レイス。どうにも愛想がないのが困りものだ。しかも家事もひどい。まともにパンも焼けない」
「何、出来の悪い子ほど可愛いものだ。それより彼女の詳細なプロフィールをだな――」
「旦 那 様 ?」
ピシッとメリーアンが言い放つと、ルシアンは小さく舌打ちした。
何が『出来の悪い子ほど可愛い』ですか。
声に出さずメリーアンは呟き、唇を引き結ぶ。彼に仕え始めてからのこの半年間、メリーアンは一度だってそんな事を言われた覚えはない。
「……あー、他に使用人を雇ったことはないのか? 見たところこの屋敷もそこそこ大きい、あの女性一人の手には余るのでは?」
「ああ、雇っていたよ。他にもう何人か雇っていたんだが、全員解雇した」
「そういや、アドラー旧子爵はころころ使用人変えてるって噂を聞いたな。人が全然居着かねぇって聞いたが、本当だったのか」
「ああ、残念ながらその通りだ」
首をひねるディートリヒに、アッシャータは悲しげな表情でうなずいた。
「全員素行に問題があったことが後から判明してね……薬物中毒だったり、狂人だったり」
「この街でまともな人間を探すのは金鉱を探す事より難しい」
ルシアンは前髪をいじりつつ、退屈そうな顔で肩をすくめた。
「それで? 檻の鍵はいくつある?」
「スペアを含めると二つ。一つは私が持っている」
「もう一つは?」
「わからん。ここに来た時にはもうなかった。どうやら魔女街に移る際のごたごたで、どこかに紛れてしまったようだ。――しかし、なんだか尋問を受けている気分だな」
アッシャータがわざとらしくネクタイを緩めるような仕草を見せる。
ルシアンは小さく鼻で笑い、彼に背を向けた。
「教会の審問はこんなものではないぞ。――では、我々はこれで失礼する」
「うむ。――む、むおっ、もうお終いなのか?」
「え、あ、お、お帰りになるのですか?」
てっきりさらに質問を叩き込む物かと思っていた。
あっさりと会話を切り上げたルシアンに、アッシャータとメリーアンは驚愕する。
ルシアンはさして表情も変えずにうなずいた。
「ああ、聞きたい事は大体聞けた。次は駄犬の雑用をさっさと済まさねばならん。――おい起きろディートリヒ。立ったまま寝るな」
「うっ、う……ね、寝てねぇぞ!」
うとうとしていたディートリヒがはっと姿勢を正した。
その後もアッシャータから茶会の誘いなどもあったが、ルシアンは全てあっさり断った。
困惑の色を隠さないアッシャータに見送られ、一行は邸宅を後にする。