7月15日(その2)
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移動住居の外
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移動住居の外でビーチ用具を洗いながら、気が付いたら、あの「岬の上の銀色に輝くドーム状建築物」のことを考えている自分がいた。
一応、グラボーに聞いてみる。
「グラボー、あの岬のドームに関するデータは無いか?」
「ありません」
グラボー(とリンクしている移動住居の中枢コンピューター)のデータベースには、かつて僕らが生きていた時代の地球に関するデータと、現在僕らが住んでいるこの惑星のデータが記録されている。
その総合計は、例えばバイト数に換算すれば膨大な数値になるはずだ。
しかし、それでも記録対象である地球および、この惑星に関する全ての事柄が記録されているかといえば、さすがに、そこまでではない。
記録されていないデータ、つまり移動住居の中枢コンピューターが答えられない事柄――僕らは、それを「欠損データ」と呼んでいる――も少なくない。
「仕方が無い……海の家で聞いてくるか……」
広大な砂浜にポツンと一軒だけ見えた「海の家」らしき木造の小さな建物。
今朝、僕が海で泳ぎたいと言った時、「えー? 急に?」とかぶつぶつ言いながらも、テータは、おにぎりやら、ちょっとした弁当のおかずやら、冷やしたお茶の入った水筒やらを準備してくれた。
だから今日一日、海の家に行く必要は無かった。
あの海の家に行けば、何か手がかりがつかめるかも知れない。
誰が働いているのか、いや、そもそも営業しているのかも分からなかったが、とにかく行ってみようと心に決める。
「グラボー」
僕は、空中に浮遊して反重力機能で器用に道具類を水洗いしている白い球体に呼びかけた。
「グラボー2を起動してくれ」
「わかりました」
「起動したグラボー2とデータ・リンケージ確立。
テータがシャワールームから出たときにメッセージを伝えるように」
「グラボー2機動。データ・リンケージ確立。メッセージ待機」
グラボーが復唱する。
「メッセージの内容をどうぞ」
「テータへ。岬の建物がどうしても気になる。海の家に行けば、何か分かるかもしれないから歩いて行ってくる。紅茶を入れる約束だったけど……ごめん。
僕が帰ってくるまで待っていてくれたら、必ず暖かい紅茶を入れるよ……でも、本当のこと言うと、僕が入れるよりテータが入れるほうが旨いと思う。以上」
自分で言っていて、これでまた、テータの機嫌が悪くなるなぁ、などと思う。
じゃあ、テータがシャワーから上がるまで待てばいいだろう、という話なのだが、思い立ったら直に実行したい性分だから仕方が無い。
ちょうどその時、グラボーが水洗いを終えた。
全てのビーチ用具をチェックして塩気や砂が流されているのを確認したあと、ラゲッジにしまおうか迷ったが、結局、このまま夕日に晒して少しでも表面を乾燥させることにした。
この惑星に、他人のものを盗むような輩が居るとも思えない。
外に置いたままでも大丈夫だろう。
「グラボー、海の家への予測ルートを出せるか」
「予測ルート作成。徒歩による到着の可能性、80パーセント」
「よし。行こう。
案内してくれ」
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海の家
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移動住居を定位させた平地から海の家までは、十分ほどだった。
砂の上に何本も丸太を立てて、地上一メートルほどの所にデッキというかテラス状に板を張ってある。
木製のテラスの上に、パラソル・テーブルが十脚ほど。
テラスの北に小屋。おそらく調理場か何かだろう。
小屋のテラス側はカウンターになっていて、そこに女が一人立っていた。
ショートカットの黒髪。
切れ長の目。
やや面長の顔。
こんがりと綺麗に日焼けしている……いや、ひょっとしたら元々肌の色が濃いのかもしれない。
黄色のタンクトップ。
デニムのホットパンツを穿いている事が、カウンターに近づいてみて分かった。
歳は20代後半に見える。
いかにも「あねご肌」と言った人物だった。
「あら。いらっしゃい」
「こんにちは」
「この辺じゃ、見ない顔ね。旅の人?」
「はい……」
この惑星に住むほとんどの人間が移動住居で旅をしているのに、わざわざ「旅の人か」と聞いてくると言うことは、彼女自身はこの近辺に住む「定住者」ということか。
まあ、定住者だからこそ、この海の家で働いているのだろうが……短期アルバイトでもない限りは。
「ああ……なるほど……
ひょっとして、さっきまで海で泳いでいたカップルさん?」
「は……はい。そうです」
「いい砂浜でしょう? ここ。
海の水は綺麗だし」
「そうですね」
「何にする?」
そう聞かれて、あわてて彼女の後ろの壁を見る。
壁に下げられた黒板に色々書いてある。
(なんだ、紅茶もあるのか……冷たいヤツと、暖かいヤツ、両方……)
「そ……それじゃあ、アイスティーを」
「はいよ」
その時、うしろで男の声がした。
「ただいま」
「あら、チャーリー。お帰りなさい」
振り返ると、背の高い、かなりマッチョな男が立っていた。
百九十センチはあるだろうか。
潮焼けして茶色くなった長髪をポニーテールに縛っている。
無精ひげ。
案外、顔立ちは優男風だ。
オリーブ・ドラブ……アーミー・グリーンのタンクトップに膝丈のデニムの短パンを穿いている。
遊び人と肉体労働者を足して二で割ったような、いかにもビーチで働いていそうな男だった。
両手に金属製の買い物カゴを下げている。
「ひょっとして、さっきまで泳いでいたカップルさん?」
その男……チャーリーが店の女と同じ事を聞いてくる。
「そうです」
「いっしょに居た彼女、けっこう可愛い娘だね」
「はあ……」
「俺、けっこう目は良いんだよ。
遠くからでも、彼女が美人だって分かったよ。
せっかく、この広い砂浜に二人っきりだったんだから、もっと大胆にやればよかったのに。
誰も見ていないんだからさ。
こう……砂浜に押し倒して……」
「……」
お前が見てただろうが……と、チャーリーとかいう男に……言うのは止めておいた。
「チャーリー! いい加減にしなさいよ!
ごめんなさいね。下品で。
あらためて紹介するわ。
こっちのスケベ男が……」
そう言って、あねご肌の女性バーテンダーが男を見る。
「CB750F-F」
……ああ、なるほど……こっちが……サポートロイドか。
「私の名はフジサワ・リイカ」
「僕は、ガハラ・リュージって言います」
「よろしく」
そう言って、僕にアイスティーのグラスを差し出した。
ストローをくわえて一口飲んだあと、本題を切り出す。
「あの……ちょっと教えて欲しいんですが」
「何かしら?」
「あの岬の上に見える銀色のドーム……あれ、何ですか?」
「ああ……あれねぇ……」
顔を上げて岬を見つめながら、あねご肌の女……フジサワ・リイカが言った。
「私ら地元民……つまり、この辺に住む定住者たちは『ユウレイ・ホテル』って呼んでるわ」
「ユウレイ・ホテル……ですか」
「あれ……『活動遺跡』……よ」
かつて、この惑星を支配し、二千五百年前に滅亡した知的生命体。
かれらが残した数々の遺跡の中で、今でも自動プログラムによって主無きまま活動を続けているものを、僕ら、後からこの惑星にやってきた地球人の生き残りは『活動遺跡』と呼んでいる。
「ホテル……って言いましたよね? さっき」
「そう。
外見は、あの通りだけどね。一歩、建物の中に入ると、私たち地球人が知っている、地球のホテルそのまんまなのよ。
調度品を始めとして、何から何まで。
不思議な事に……ね」
「地球のホテルにそっくり?」
「そうよ。
もっとも、中で働いている従業員は、全員『ハード・ロイド』だけれど」
ハード・ロイドとは、この惑星の先住民が残した、地球人に良く似た骨格構造を持つロボットの事だ。
ただし、テータやチャーリーのような不定形生物ベースの肉体ではなく、全身金属製の、いわゆる「機械仕掛け」だ。
「い……今でも、機能しているんですか? つまり……その」
「泊まれるか、って事?
泊まれるわよ。
食事も出来る。
まあ、私ら地元民は滅多に使わないけど……
旅のお客さんも……そうね、三ヶ月に一組、来れば良いほうじゃない?」
「はあ……あのデカそうな建物に、お客さんは三ヶ月に一組ですか……」
「それでもハードロイドがやる仕事だからね。二千五百年間ほとんど訪れるものが居なくても、つねに最高のコンディションに保たれているわ。
館内にはチリひとつ落ちていないし、ベッドメイキングも抜かり無し。
料理も最高よ」
「そ……そうか……泊まれるし、食事も出来るのか……」
「おいおい、リイカ……
せっかくの旅のお客さんに、わざわざホテルのレストランを勧めるような事するなよ。
『今晩のお食事は、この海の家でいかが?』って言わなきゃ。この店の女主人としては、さ」
「あ、いけね」
「え? この海の家、夜も営業するんですか?」
「っていうか、どっちかっていうと夜のほうがメインなのよ。地元民相手のね。
まあ『海の家』もやっている『居酒屋』っていうのが本当のところ」
「はあ……」
「ここには、しばらく居るの?」
「いや、決めていませんが……」
「しばらく滞在するなら、一度はこの『海の家』にも来てよ。
夜の『居酒屋』タイムにさ」
「はあ……」
結局、海の家の女主人フジサワ・リイカの売り込みには「はい」とも「いいえ」とも言わず、うやむやのまま、店を後にした。
店を出るとき、親切にもチャーリーはワイヤレス通信で『ユウレイ・ホテル』までの道順データをグラボーに送ってくれた。
「ホテルかぁ……
泊まってみようって言ったら、テータ何ていうかなぁ」
そんな事を考えながら移動住居までの帰り道を歩いた。