7月8日
何も起きない日常を淡々と描く、いわゆる「日常もの」です。
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朝食
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朝。
荒野に雨が降っている。
豪雨だ。
大きな雨粒が耐蝕合金製の壁を打つ音が、室内に響く。
二階建て浮遊移動式ルート探索住居。
その窓ガラスの表面を、雨水が滝のように流れ落ちる。
「それにしても、昨日の夜から良く振るわね」
移動式ルート探索住居の小さな居間で、窓際の椅子に座って土砂降りの荒野をボーッと眺めていた僕は、後ろから声を掛けられて振り返った。
テータが居間と続きになっている台所から、お盆を持ってこちらに来る所だった。
二階建てロンドンバスを思い切りゴツくして、車輪の代わりに地上一メートルを浮遊移動するホバリング機構を付けた……大雑把言えば移動式ルート探索住居とは、そういう代物だ。
居間にしろ、キッチンにしろ、それほど広くはない。
お盆の上には二人分の朝食。
テータの作る料理は、ものすごく、旨い。
サポート・ロイドは精神系と肉体系、二つのエネルギー系がある。
口から摂取した食物は胃に相当する「有機物電力転換炉」で電力に変換され、テータの精神を司るクリスタル・コンピューターを駆動する。
肉体を動かすのは、また別のエネルギー源だ。
テータ・79575-33331/BLUE-ガハラ。
地球が消滅する直前、僕を……僕を含めた、ごく少数の人類を……この惑星に移住させて命を救ってくれた〈超知的宇宙生命体〉……通称「神さま」……が、僕とペアリングさせてくれた「サポート・ロイド」だ。
見た目は、僕と同年代……二十歳くらいの女性……に見える。
僕が彼女の額にチュッてするのにちょうど良い身長。
華奢で細身の体形。
すらりと伸びた腕と脚。
胸とお尻は、あまり大きくない。大きくはないけど、それはそれで全体としてのバランスは良い感じだ。
ストレート・ロングの髪の毛は鮮やかな青色をしていて、そこだけが地球人とは違う。
青い瞳。
ピンク色のぷるるんっ、とした唇。
料理の乗ったお盆を僕の前のテーブルに置いて、テータはその向かい側に座る。
「ささ、召し上がれ」
テータが僕に微笑みながら言う。
「今日は、淡水アジの開きに、卵焼き、きゅうりの浅漬け、味噌汁は……ジャガイモと淡水ワカメか。
では、さっそく……
いただきま~す」
相変わらず、何を食べても、旨い。
とくに卵焼き。
いわゆる絶品ものだ。
きゅうりの浅漬けも漬かり具合がちょうど良い。
味噌汁のダシもよく利いている。
「お? ご飯の炊き方、変えた?
いつもより若干、甘みが増してるよ」
「分かった?
今使っているお米、成分分析にかけたら、デンプン質の組成が前のとは違ってたんだな。
それで、炊飯器のパラメーター、ちょっと弄ってみたんだけど……」
「うん、バッチリ。
硬すぎず、柔らかすぎず、ふっくらとして、お米の一粒一粒が立っていて、すごく良い感じだよ」
やっぱり日本人……今は、この名もなき異星で暮らす元日本人としては、おいしい白米を出してくれると、それだけで、もう感激してしまう。
おもわず、朝っぱらからガツガツ食ってしまった。
「おかわり!」
「はいはい」
テータが立ち上がって、僕のゴハン茶碗を受取り、台所へ歩いて行った。
「よく噛まなきゃ、だめよ」
茶碗に山盛りのご飯を持ってきて、僕に渡しながら、テータが言う。
「分かってるって……んっがっんっん!」
喉を詰まらせ、サザエさんのエンド・クレジットみたいな声を出して、僕は慌てて味噌汁を飲んだ。
「言ってるそばから……」
テータが、あきれた目で僕を見つめている。
いつもの事だが、僕は、テータの作った最高の朝食をあっという間に平らげた。
「ごちそうさまでした」
「おそまつさまでした」
テータが食器を台所まで持って行って自動洗浄機にセットし、コーヒーメーカーを起動してカップにコーヒーを注いで持ってきてくれた。
「ふう」
コーヒーを飲みながら、僕は思わず溜め息を吐いた。
「それにしても、良く降るなぁ……」
僕は、窓の外を見ながら言った。
「ほんとに。
さっき、グラ・ボーに聞いてみたんだけど、今の方位と移動速度だと、明日の朝には雨雲を抜けるそうよ」
「逆に言うと、あしたの朝までは続くのか」
半重力浮遊式ボール型自律端末。
僕らは、その浮遊する球体に「グラ・ボー」と名付けた。
グラ・ボーは、僕らの住む浮遊移動式ルート探索住居の中枢知性部の入出力端末だ。
僕は、この住居の中枢知性体とグラ・ボーを通じて、主に音声でやり取りをしている。
「まあ、雨は嫌いじゃないけどね。
本当のこと言うと」
「ねぇ、リュージ……」
テータが僕の名前を呼んだ。
「なに?」
「今夜あたり、どうかな?」
「え、ええ? どうしたの? サイクル的に、ちょっと早すぎるんじゃない?」
「だめ?」
「いや、僕は、もちろん良いんだけど……
エネルギーの消費速度が速すぎないかと思ってさ。
テータの体が心配っていうか……」
「昨日の昼間、肉食バッファローの群れに囲まれたでしょ?」
「ああ……あれは、ちょっとヤバかったなぁ。
テータがいっしょで良かったよ。
でなかったら、絶対死んでたわ」
「あの時、生体パルス・レーザー・キャノン使いすぎて……」
「ああ、連射しまくってたなぁ……そういえば……」
「それでゲネムスの備蓄エネルギー使い切っちゃったみたいなんだ……」
「……そうか……
いや、ちゃんとした理由があれば、良いんだよ。
体調不良とかじゃなくてさ。
よし、わかった! それじゃ今夜は、俺の生体キャノンが火を噴く番だなっ!」
「そのギャグは……ちょっと……ゴメン。
受け付けないわ」
「……」
人工生命体テータの肉体の九十パーセント以上は、ゲネムスという名の、この銀河のどこかにある惑星で進化した不定形生物で構成されていた。
人間で言えば脳に相当する部分には、神さまが造った「海綿状クリスタル・コンピューター」が収まっていて、それがテータの全身を構成するゲネムス細胞に指令を送っている。
つまりテータを始め、サポート・ロイドという存在は、クリスタル・コンピュータの脳とゲネムスという生物由来の肉体を持つ、機械・生物複合体ということになる。
ゲネムスは、他の生物……たとえば地球人である僕……の「精神エネルギー」を吸収して活動する。
だから僕は、テータの体に定期的に「精神エネルギー」を供給しなくてはいけない。
問題は、ゲネムスが吸収するのが「性的興奮が最高潮に達したときの精神エネルギー」であるという点だ。
つまり、僕がテータにエネルギーを供給するという意味は……まあ、そういう事だ。
ゲネムスは、相手から最も効率よく精神エネルギーを吸収するために、本能的に相手が一番性的興奮を覚える外見になる。
テータが細身の体型なのも、あまり胸やお尻が大きくないのも、髪が青いロング・ストレートなのも、つまりは、僕の好みの外見がそうだから……という訳だ。
ゲネムスのこの習性は、われわれ生き延びた小数の地球人にとって、ありがたい反面、この惑星で初対面の地球人どうしが会う時など、妙に気まずい空気が流れたりする。
なにしろ、カップリングしているサポート・ロイドを見れば、その人の性的趣味がバレバレなのだから。
いかにも上品そうな中年紳士のサポート・ロイドが、どうみても小学生の美少年だったりすると……何というか……
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朝食後
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雨は納まる気配を見せず、むしろ益々勢いづいて行くように思われた。
「やれやれ、これ、明日には止むんだろうなあ? ほんとに」
相変わらず窓ガラスの表面を流れ続けている雨水を見て、僕が呟く。
「まあ、水核融合焼玉エンジンに燃料水を補給する手間は省けるけどな」
僕は朝食のあと、大型ブラスター・ハンドガンの手入れをすることにした。
テータの生体パルス・レーザー・キャノンもそうだけど、僕も昨日この大型拳銃を打ちまくったから、どこかに余計な負荷が掛かっていないか心配だった。
と言っても、地球人の僕にブラスター・ガンなどという代物をどうこう出来るはずもなく、実際に手入れをするのは、グラ・ボーだ。
直径四十センチメートルの、空中をふわふわ浮遊移動する白い金属球。グラ・ボー。
グラ・ボー自身だけでなく、ある程度までの質量の物体なら、半重力を作用させて空中に持ち上げることが出来る。
僕は、窓際のテーブルの上に自分のハンドガンを置いてグラ・ボーに言った。
「これ、完全分解してみて、直した方が良いパーツがあったら、直してくれないか」
「分かりました」
グラ・ボーが……正確には、グラ・ボーを操っている、この移動住居の中枢知性体が答える。
グラ・ボーがゆらゆらとやってきて、テーブルの上一メートルの所に定位した。
半重力の作用によって、ハンドガンが浮き上がる。
テーブルの天板から五十センチ浮き上がったところで、みるみる細かいパーツに分解されていった。
精密な機械が目の前で分解されて空中を漂っているさまは、近代美術のオブジェのようで、見ていると何だか気持ちが良い。
ブラスター・ガンは、すぐに空中で再度組立てられて、テーブルの上に、ゆっくりと着地した。
「問題ありません」
グラ・ボーが言う。
僕は、テーブルの上の大型拳銃を持って、部屋の隅の戸棚まで行き、そこにしまった。
「ほかの移動式ルート探索住居でも探してみるか……
グラ・ボー、電波の届く範囲にルーターがあるか、探してみてくれ」
「わかりました」
グラ・ホーによって空中に半透明の画面が投影される。
「やっぱ、こんな分厚い雨雲の下に訪問可能点なんて……あ」
画面に見たことのあるIDが表示された。
「こりゃ……おーい、テータァァァ」
二階を掃除していたテータに呼びかける。
「テータァァァ! 早く、こっち来てみろよ! これ、これ」
「そんな大声出さなくても聞こえてるって。
なになに、どうしたのよ……あ」
テータも画面を見て驚く。
画面には「リンボウ亭」の文字。
「リ、リンボウ亭って、あの、リンボウ亭でしょうね……」
「そうに決まってるって。
どうする? 昼飯に行ってみるか?
グラ・ボー、今から転進してリンボウ亭に向かった場合の邂逅時間は?」
「14・48、です」
「あちゃあ……昼飯時間には間に合わないなぁ……
ホバー・バイク飛ばして行くって言っても、この雨じゃあ、なぁ」
「とりあえず、晩御飯でも良いじゃない。
行きましょうよ。リンボウ亭。
グラ・ボー、転進して。
目標、リンボウ亭」
「わかりました」
「ああ、昼飯もリンボウ亭で食いたいなぁ……
夜は夜で旨いけど、あそこのランチも特別なんだよなぁ」
「無理、言わないって」
「ホバー・カーとかって用意できないかなぁ……屋根つきのやつ」
僕はテータをチラリと見て言った。
「無理です」
テータ、キッパリ。
「駄目?」
「駄目!」
「た、例えば、一人乗りの小型のヤツでも良いんだけど」
「無理!
っていうか、何、その自己中。
なんか私には、自分一人が良ければ、って聞こえるんだけど」
「ええ? そんなつもりじゃ……」
「自分は、一人乗りのホバー・カーに乗って……
私は雨に濡れても良いって訳……?」
「や、やっぱ、サポート・ロイドでも雨に濡れるの嫌なんだ?」
「き、決まってるでしょ!
そもそも、雨に濡れる濡れない以前に、その自己中心的な考えが、嫌っ!」
テータさん、本気おこ。
やばい。
ここで、僕は作戦を変更することにした。
「そ、そうだな……リンボウ亭には晩飯に行くことにしよう。
昼飯は、この移動住居で食べることにしよう。
テ、テータの昼飯だって最高だもんな」
「あの……何で、今日のお昼は私が作るって、決めちゃってるわけ?」
「え?」
「今日のお昼はリュージが作って。
自己中発言の罰として」
「そ、そんなぁ……
僕が壊滅的に料理が下手だって、テータも知ってるだろ!
ヨーチョーブで『クッキング・ウィズ・キャット』見まくってたような気もするけど、そういう記憶、全部、地球に置いてきちゃったんだよ!」
「努力しなさい。
努力している、その姿勢を、私に見せなさい。
そしたら、許してあげる」
「とほほ……」
結局、昼飯は、テータが朝、炊いてくれた最高に旨い白飯の残りと、同じく朝の残りの味噌汁と、出来合いの納豆と目玉焼きというメニューになった。
「すいません。
これが精一杯です……」
「ま、まあ良いわ。
何か、納得できないけど……せっかく晩ご飯をリンボウ亭で食べるのに、この気分を引きずったままなのも、嫌だし。
とりあえず、許す」
「あ、ありがとうございます」
「その代わり、今夜は私に全力でつくすこと! いいわね?」
「は、はい!」