【競演】 Snow White
今回第二回競演に参加させていただいた氷翠朔と言います。
今回のテーマは『雪』で、私なりの雪に対するイメージを織り交ぜて書いてみました。
少しでも読んで下さった方が楽しめれば無上の喜びであります。よろしければ、ご一読お願いいたします。
俺――咲春真は高校入学を一週間前に控えたある日に、母さんからいくつかのことを突然伝えられた。
この世界には妖――精霊や妖怪、神様を一括りにした呼び名だそうだ――が本当に存在していること。その妖と普通の人間との間に生まれた子供は半妖と呼ばれること。
そして、俺の幼なじみの一人、銀冬花がその半妖であることも教えられた。
けど正直、そこら辺はどうもでもよかった。ある『事実』を聞いてから、俺はそのことが胸に突き刺さっていたから。
『半妖は二十歳を迎えると、一人の例外もなく……死ぬ』
妖の力は普通の人間からすれば、猛毒と変わらない。今はまだ不完全だから、冬花は元気いっぱいに外を走り回れるけど……二十歳の誕生日を迎えれば、一分も経たずに完全となったその力に肉体を蝕まれ、確実にその命を落とす。
『ただし、助かる方法がないわけじゃない』
けど、不意にいつもの少年のような笑みを浮かべた母さんが教えてくれた『方法』は……なるほど、理に適っていて、反論の余地がなかった。
しかし、俺はうんと頷くことが出来なかった。いつもなら拳骨でその意気地なしの俺を叱ってくれる母さんは、助ける方法を教えられても頷かず、ただただ無言のまま拳を固く握り締めただけの俺を見ても怒らなかった。
その代わりとでもいうように、今までと何の関係もない問いかけを突然した。
『そういえば、《ホワイト・レター》はどうした?』
心当たりが一つしかなかった俺は、何故母さんがその存在を知っているのだろうかと思いながらも尋ねていた。
その手紙は卒園式の日に珍しく真剣な表情で冬花が渡してきた一通の手紙なのだが、思わず触れるのをためらいそうになるほどの純白のその便箋には……名前すら書かれていなかった。
『いつか、そのおてがみのへんじをきかせてね? やくそくだよ?』
そう言って彼女と指切りまでしたが、一字も書かれていない手紙に返事をすることなど出来るはずもなく、結局その手紙は勉強机の引き出しに入れて大切に保管したまま、何となく今までうやむやにしてきていたのだが……。
訝しげに尋ねる俺の顔を数秒間たっぷりと見つめた後、呆れたように肩を竦めて、
『それは春真自身が知るべきことだよ。というか、そもそもあんたに《しか》分からないだろうし』
……それから一年弱の月日が流れたが、その言葉の意味も、俺が冬花のために何をしてあげられるのかも、まったく分かっていなかった……。
――今は冬休み。
半分とはいえ、雪女の血が流れているだけのことはある冬花は大雪が降ろうが、外で遊びたがった。
以前の俺なら、天候によってはきちんと断っていただろう。
でも、彼女の曇りのない笑顔を見るたびにあの言葉が浮かび上がってしまう俺は内心の想いを彼女に悟られないように心がけつつ、冬休みに入ってから出来る限り彼女のどんなに些細な用事でも付き合った。
「スゥ……スゥ……」
俺は、俺の肩にもたれるようにして眠る少女を見ながら、苦い笑みを浮かべる。
現在俺と冬花は俺の部屋にいた。全力で雪遊びをした後、いつも通り俺と冬花は俺の家に戻り、代わりばんこに風呂に入って……で、風呂から上がったこいつもドっ、と眠気が襲ってきたらしく、こうして夢の世界に完全に入ってしまったというわけだ。
冬花の母親と俺の母さんは俺たちが生まれる前から互いの家を行き来するほど仲が良かったらしく、なおかつ今は冬休み中ということもあって彼女が鞄を持って俺の家に来れば、その日は俺の家に泊まることになるのはもはや決定事項になっていた。
……俺はそのパジャマ姿から逃れるように静かすぎる窓の外に意識を向ける。
遊んでいた時も降っていたが、今もその降る勢いはまったく衰えない。昼間だというのに、鉛色の空もちっとも変わらない。
「んんぅ……」
……悩ましげな寝息に、俺は今の状況を改めて整理して気を落ち着けることにした。
父さんは仕事、母さんは近所の人たちとの決め事とかでどちらも出かけていて、どちらも帰ってくるのは夕方か、それ以降になる。
そ、そういえば冬花と同じく、幼稚園の頃からの付き合いがある幼なじみがあと二人いるんだが、どちらも俺たちとは違い、高校に入ってから部活動に入ったためになかなか昔のように四人一緒に遊ぶ時間が取れなくなった。
今頃、夏音は部活動で汗を掻いていて、反対に秋斗は一人静かに部屋で読書してるんだろうな……静か……部屋……あ。
俺はせっかく意識をそらしていたのに、元の位置に戻ってきてしまったことに浅く奥歯を噛み合わせたが、そもそも俺の右半身に密着するように冬花が寄りかかっているのだ、土台いつまでも逃げていられるわけがなかった。
観念して真隣の少女を改めて見た瞬間、トクトクっ、と心臓が早鐘を打つように荒ぶり始めたのをはっきりと自覚した。
入浴でほんのりと桜色に染まった頬、しっとりと濡れた髪から漂う甘い薫り、艶やかで小ぶりな唇。
「ふにゅぅ……」
さらに必死に理性を奮い立たせる俺にトドメを刺すように、反射的にその寝息を静かに吐き出す唇を見てしまった俺は思い出していた……。
銀冬花を助ける唯一の方法。
それは――
『それは至極簡単なことでね、子供を産めばいいのさ』
人間と同じように優秀な子孫を残すために、半妖は全ての妖の力を子供に遺伝させるらしい。
すなわち、冬花が子供を産めば、その子供に妖の力がすべて移るので、彼女は死なずに済むというわけだが……命を賭けてもいい、俺は冬花のことが大切だとはっきり言える。天真爛漫で、自分の思うように振る舞う行動に苛立ちを覚えたことは確かに何度もある。
でも、こいつのそんなところが大好きでもあった。そんな彼女のおかげで、俺の日常は退屈で、冗長なものじゃなくなっていたのは紛れもない事実だったから。
……だけど、どうしても言えなかったんだ……『好き』っていう、たった二文字が。
実は俺は一度も、こいつから名前で呼ばれたことがない。他の人たちはみんな一人の例外なく下の名前で呼ばれているのに俺だけがずっと『お兄ちゃん』のままだった。
彼女から俺に対して好きと言ったことは何度もある。でも、性別問わずハグしたり、好きだと俺が知らないヤツにさえ言っているスキンシップ過剰の彼女の姿を何度も見ていれば、そんな事実は霞よりも儚く消え失せる。
俺は、あくまでも『家族』として見られているのであって、『異性』として見られてなどいない。
そんな認識の彼女に、俺から異性として好きだと、言えるわけがない……。
けど、そんな弱い俺の心はこんな時にあの台詞を脳裏に浮かび上がらせやがった。
『半妖は二十歳を迎えると、一人の例外もなく……死ぬ』
それは免罪符。今ここで、無防備に眠る彼女を襲っても、その理由を正当化する何よりの証拠。
積もり積もった想い、切迫した事情、そして傍らに眠る少女の寝顔。
……弱すぎる俺は、とうとう屈した。
眠るまで髪を撫でていた手を静かに冬花の頬に添えた。赤ん坊のように温かくて、滑らかな頬。
いつもは雪のように真っ白な肌が桜色に染まったそれはとても色っぽくて、見ているうちに躊躇は消え去っていた。
瞳を閉じ、ゆっくりと小さな唇に自分のそれを近づけて――
「お兄、ちゃん……?」
「!?」
慌てて目を開くと、目と鼻の先に驚いたようにかすかに目を見開き、俺の顔を見つめている冬花の顔があった。
「ご、ごめんっ」
何とかそう言って、俺は冬花から離れたが……もう、手遅れだ。咄嗟に背中を向けるようにして座り込んだから、その顔はもう見えないけど、絶対に軽蔑して――え……っ?
柔らかな吐息が俺の首筋を撫でて、それから華奢な両腕が俺の胸の前で組み合わされた。
そして。
「いいよ」
「い、いいって何が……?」
軽やかなその声は、いっそ慈悲深く聞こえるほどに優しかった。
「キスしてもいいよ」
「……ッ」
ビクンっ、と震える俺の体を改めてもう一度抱き締めて、
「お兄ちゃんにはいっぱいお世話になったから――今度は、わたしがお兄ちゃんのお願いを聞いてあげる番だよ、ね?」
一点の曇りがなく、迷いもない……痛々しく感じるほどの、信頼を内に秘めた声色。
その声が俺の全身に染み渡って広がり、それと同時に苛み、心を痛めつけて、深く、深く抉るように傷つけてゆく。
「……ううん。キスだけじゃなくて、お兄ちゃんのお願いは何でも聞いてあげる」
さっきの出来事をまるで再現するように、回り込むようにして顔を寄せた冬花は静かに瞼を下ろしてから、そっと唇を寄せて――
「だって、わたしはお兄ちゃんのことが大好きだから」
ドンッ! ……鈍い音が、室内にやけに大きく響いた。音源は冬花の胸の辺りから。
「……えっ」
彼女が尻餅をついた態勢なのは、俺が反射的に押してしまった、から。
「どうして……」
その瞳が潤む。胸が痛んだが――それ以上に俺は怒りに身も心も焼かれて、その迸る激情のままに気づけば彼女に向かって言葉を叩きつけていた。
「俺はお前の兄じゃない! それにっ、俺のこと男として見てないのに、そんな思わせぶりなことすんなよッッッ!!」
言い終えてから、しまった、と思った。今までずっと思っていたけど、怖くて言えなかった秘めた想いをとうとう言ってしまった。しかも、よりにもよって本人に対して。
はたして、俺が危惧していた通りのことが起こってしまった。
「……ごめんなさい」
彼女は自分の胸を小さな手で押さえながら、限りなく無音に近い雪が降る音にすら掻き消えそうなほどの小さな声でそう言って、とぼとぼとした足取りで部屋を出て行った。
……その日、俺は追いかけるどころか引き止めることも出来ず、彼女が自分の家に帰るのを玄関で無言のまま見送った。
――翌日の朝、昨日冬花と遊んだ公園で俺は大の字になって転がっていた。
顔は触らなくても分かるほどに腫れていた。何てことはない、その二つの原因はついさっきまで殴られまくったせいだ。
憂秋斗。
腰まで伸ばされたブラウンの髪、怜悧な眼差しに鮮やかなグリーンの眼鏡、そして寡黙が特徴的な女の子。字面では男に思えるが、彼女はれっきとした女の子。……で、冬花の大切な幼馴染みの一人だ。
冬花が話したとは思わないが、家が近所でしかも幼稚園からの付き合いでもある秋斗が昨日のことに気づかないわけがない。
……で、俺は早朝に送られてきたメールでここに呼び出されて、着いた早々に有無を言わさず殴られまくったという次第だ。
あいつは無言で殴りまくり、その間侮蔑の眼差しを一瞬も止めなかったけど……それでも俺は足りなすぎると思った。
『……ごめん。お前のことも、傷つけた……』
息を乱し、肩を激しく上下させた彼女の両拳に対してもそうだが、俺は知っている。こいつが俺と同じくらい弱いやつだってことを。
でも、そこで初めて彼女は表情を露わにした。心から痛みを覚えた表情を、見せた。
『どうして……ずっと泣いている彼女の痛みは察してあげられないのですか?』
彼女はそれだけを言って、立ち去った。……透明な雫を数滴、俺の頬に残して。
どういう意味なんだろうと、ぼんやりと思う。
秋斗の言い方だと、冬花はあんな痛ましい表情を昨日以外でもしていたようにも聞こえる。
けど、泣いている場面は何度も見たけど、あんな表情は俺が知る限り一度だけだったはず。昨日見せたのが、初めての……はず、なのに。
「分かんねぇよ……どいつもこいつも」
俺は何となく空を見上げた。そうして、久しぶりに感じる感覚に痛み以外の理由で盛大に顔をしかめた。
真上は鬱屈とした気分にさせる鉛色の空、視界の左右は銀一色に染め上げられた無味乾燥な光景、そして何より雪に何もかもを呑み込まれてしまったような、静寂の世界。
子供が夜を嫌うように、俺も冬が嫌いだった。否が応でも、独りであることを痛感させられたから。
……嫌い、『だった』。あいつに会うまでは。
「――おいおい、いつまで寝そべってるんだよ?」
俺は不意に頭上から降ってきたその声に思わず苦笑した。そういえば、こいつもいたな……。
「……朝練はどうしたよ? メンバーに選ばれたはずだろ?」
寝転がりながら視線をわずかに下げた先にいた主の名は祭夏音。
肩口で切り揃えた黒髪、アーモンド形の瞳の、ボーイッシュな魅力にあふれた彼女は性別問わずモテるやつで、冬花とは違う意味で社交的なやつなんだが……。
「大会とかに出るために部活をやってるわけじゃないし、それに――」
普段通りの砕けた口調で俺を見下ろしながら、
「冬花が泣いて、しかも秋斗の様子もおかしけりゃ、来ないわけにはいかないだろ?」
「お前も殴るか?」
「いや、遠慮してく」
そうあっさりと返す姿は実にリラックスしていて、異性とも同性ともつかない不可思議な安心感を覚える。何というか、こいつは本当に自分の思ったことしか言わないし、しようともしない。
だから……俺は無意識に聞いてしまっていた。
「俺は……どうすればいいと思う?」
「さあ? おれは春真じゃないから分からねえよ」
バッサリと切り捨てつつも、彼女は急に意外なことを話し始めた。
「そういや、おまえ女の子にかなりモテてるの知ってたか?」
「……初耳なんだが?」
「やっぱか~。おれは断ってるし、あの二人は……考えるまでもないな」
目線で促すと、気負いのない口調で、
「目つきは悪いし、不愛想の塊だけど、ルックスよし・勉強も運動もよし、おまけにさりげない気づかいを見せれば、モテないはずないだろ?」
「けど、告白を……」
途中で気づいた。
「何度も頼まれたよ。自分の代わりにらぶれたーを渡してほしいだの、橋渡しをしてほしいだのとかさ」
そこで珍しく茫漠とした色を瞳に浮かべて、
「おれは正直恋愛のこととかまったくと言っていいほど分からないし、理解する気もない。――けど」
ピっ、としなやかな指先を突きつけるように俺の顔に向けて、
「冬花のことなら、よおく分かってる。……数えるほどにはあいつ、おれや秋斗の前でボロボロと泣いてたんだぜ?」
「えっ!?」
思わず絶句する俺に、苦笑して。
「あいつも普通の女の子ってことさ。まして、好きな相手が鈍感とくれば誰だって泣きたくもなるさ……」
「けど! あいつの『好き』はあくまでも家族愛とか友愛とかのものだろ!?」
一瞬嬉しさが込み上げつつも、理性がそう叫んだ。すると、心底から呆れきったような目で俺を捉えて、
「おれもおまえも、秋斗もそうだけど――冬花も変わったんだよ。確かに、初めはおまえのことを兄だと思っていたんだろうけど……『ほわいと・れたー』、もらったんだろ?」
「!? な、何でお前まで知ってるんだよ!?」
「ずいぶん昔だけど冬花がたいそううれしげに、おまえに受け取ってもらえたって教えてくれたからな~。おれと秋斗、あとおまえの親と冬花のお袋も知ってると思うぞ」
いや、反射的に驚いてしまったが、そもそもあの手紙は白紙だ。知られたところで別に……と、思っていた俺は数分後、その『ホワイト・レター』の『意味』を告げられて赤面していた。
「もう分かっただろ?」
ニヤニヤといかにも子悪党が浮かべそうな笑みを見せつけてくる夏音にジト目を向けて、
「ああ、十分すぎるほどにな。……けど、意外だったよ。お前も秋斗も冬花が半妖だってこと知ってたなんてな」
「まあな。ずっと昔に本人からそういうことに関して一通り教えられた。で、その後、半泣きでそれでもお友達でいてくれますかって言われてたんだ」
あっさりと種明かしをしてみせた夏音に、俺は気持ちを固めるために最終確認をした。
「その……何で、冬花は俺にはそのことを打ち明けなかったんだ? あと、お兄ちゃんって言い続けたんだ?」
冬花が半妖だと知ったのは母さんから教えられたから。それから、俺が直接本人に聞いてみて、ようやく教えてもらえたという感じだったんだが……俺のことがそんなに信用できなかったんだろうか?
そんな俺の弱気を察したように、夏の陽光のようなカラっとした笑みを浮かべて。
「決まってるだろ? ――おまえのことが好きすぎたんだよ」
たとえ、万の一つの可能性でも嫌いと言われるのが怖いから。だから、言えなかったし、自分から今までの関係を壊すようなことも出来なかった。
……はぁ。
「ヒント与えすぎだろうが……!」
勢いよく立ち上がる俺の体に付いた雪を軽く払い落としながら、彼女は最後に彼女なりの応援をしてくれた。
「つうか、ほとんど答えだったな。――まっ、しんぷるいずべすとで行けばいいんじゃないか?」
相変わらずの調子だが、やけにそれが俺の心に届いた。
俺は小さく頷き、それから脇目も振らずに全力でいまだ降り止まぬ雪の中を走った……。
――冬花の家は母子家庭で、冬花のお母さんは仕事でいつも夜遅くに家に戻るそうだ。
つまり、今その家には俺たちしかいないことになる。
「え、えと……」
布団に包まるようにしてベッドに横になっていた冬花の私室に入ること自体は容易だった。彼女の家の合鍵を持っていたし、彼女は一度として俺が部屋に入るのを拒んだことがなかったから。
でも、ところどころ跳ねた髪や充血した瞳、皺が寄ったパジャマを見たら胸がキリキリと痛みを訴えてきた。
「その顔、どうしたの……?」
けど、自分のことよりも俺のことを心配してくれる言葉で覚悟が決まった。
とはいっても、出来ることは限られている。顔が腫れて上手くしゃべれないし、そもそも母親譲りの話下手な俺がちゃんと伝えられるとは到底思えない。
だから、ここはついさっき背を押してくれた二人の意見を参考にする。彼女が今まで望んでいたであろうことを、シンプルな方法で叶えてやろうと思う。
「……んんっ!?」
無造作に近寄り、唇を重ねてきた俺に体を跳ねさせたが、それからゆっくりと弛緩してゆき、そっと俺に唇を寄せてきた。
そうして、改めて感じるぬくもりが俺の冷えきった体を芯から温めた。改めて、こいつのことが本当に好きだったんだな、と思えた。……けど、『本番』はここからだ。
「お兄、ちゃん……?」
瞳を潤ませ、頬を上気させる冬花からいったん離れて、コートのポケットに折り曲がらないように入れてあった一通の手紙を眼前に示した。
目を丸くさせる彼女の前でゆっくりとそれを広げ、中身を取り出す。端が青く縁取られ、紙面が純白の輝きに満ちた、けれど何も書かれていない例の便箋が出てくる。
でも……今の俺にははっきりと『視えた』。
ホワイト・レター。
それは雪女が古くからプロポーズする時に、想い人に渡してきた手紙のことで、もし相手がその女性のことを想っているなら、紙面に施された妖の力が溶けて、その下に隠れていたメッセージを視ることが出来るというもの。
その手紙は本当に将来を共にする人にしか渡さない代物でもある。当たり前だ、それほど想う相手でなければその想いがこもったメッセージを相手は読めないのだから。
今までの俺ならきっと読めなかっただろう。でも! 今なら――
『ずっと、ずっと、春真といっしょにいたい』
白紙に浮かび上がる頼りない、雪よりも淡くて繊細な、けどこれ以上なく彼女の純粋な気持ちが表れた一文が視えてくる。ちゃんと春真のところが漢字で書いてあった。きっと、冬花のお母さんや俺の母さんでさえ知っていたのはその漢字を書くために手伝ったからだろうな。
拙くて、お世辞でも綺麗とは言いがたい俺の名前。でも……。
「お、お兄ちゃんっ!?」
濡れないように咄嗟に脇にその手紙を置いたが、とめどなく涙を流し続ける俺にあわあわとする冬花。悪いな、なんだかんだで俺もお前に迷惑をかけっぱなしだったな。
「俺は情けなくて、弱くて、たった一人の想いにすら応えるのに時間がかかっちまった男だけど……」
涙で視界が歪むが、構いやしない。
「結婚、してくれないか?」
「…………」
一瞬の沈黙、そして、小さくだが頷こうとして……。
「わ、わたしでいいのっ?」
今にも泣きそうなほど顔を歪めて、
「わたし空気読めないし、自分勝手に突っ走っちゃうし……それに、全然可愛くないし……」
クシャクシャっ、と髪を掻き回すのを見て少しだけ納得した。いつも、セットしていたんだな髪。そういう女の子らしいこと全然しないと思ってたのに……ったく。
「お前は俺のこと好きか?」
寸暇の余地なく、頷いた。
「じゃあ、俺はたぶんそれ以上にお前のことが好きなんだ。お前にずっと振り回されたいんだよ」
不器用すぎて、俺の想いの万分の一すら伝えられていない言葉だったがようやく彼女は笑顔を浮かべた。
「…………ありが、とう」
ありがとうって、ここははいとか好きとかを言う場面――
「わたしも『春真クン』のことが大好きだよっ」
「! とう……か」
俺は初めて名前で呼んでもらえたという感激に浸る間もなく……パタリ、と倒れた。
…………昨日から俺は半ば放心状態だった。
だから、秋斗に呼び出された時、俺は一応私服に着替えてこそいたが、コートを羽織っていなかった。
コートを羽織っていたのはいったん自宅に戻った以降のみ。すなわち、夏音が来るまでの時間、俺はずっとラフな格好でクソ寒い雪の上に寝転がっていたことになる……具合が悪くなるに決まってる。
「駄目だよ、寒い時はちゃんと防寒対策しないと」
入れ替わるように冬花のベッドに半強制的に寝かせられた俺に姉のような口調でそう言うが、たぶん連日お前と外で遊びまくった疲労も影響してるんだと思うし、というかお前にだけはその台詞を言われたくない。
「はい、あ~ん」
だが、反論はほどよく冷ましてくれたお粥で封じられてしまった。朝飯を食っていなかった俺はありがたくいただく。
「美味しい?」
けれど、俺はそっぽを向いて意思を伝えた。
「美味しいけど……自分で食べられるから」
高校二年にもなって、かいがいしくお世話されるのは……ちょっと、いや、普通に無理だ。
しかし、彼女はまったく害した様子もなく、どころかそんな俺の気持ちは全てお見通しのような笑みを浮かべて、
「うんうん、分かってるよ。恥ずかしいんだよね?」
「ち・が・う! 自分で食べた方が早いって話だよ!!」
図星だったが、俺は全力でそれを否定しながら顔を向けた。
「甘えてもいいんだよ。――だって、わたしは将来春真クンのお嫁さんになるんだから、ね?」
「うぐっ」
そ、そう言われると……何も言えねーだろが……くっそぉ。
結局、その幸せそうな笑顔に今まで通りに負けた俺は全部食べさせてもらった。それから、傍に空になった鍋を置いた冬花はぽつりと言った。
「……でも、まさか結婚してほしいって言われるとは思ってなかったなぁ」
「そ、それは!」
「それは?」
「……半妖は、二十歳になると死ぬ、から、だから、いや、お前がす、好きなのが一番の理由だけどっ」
慌てる俺にちょこんっ、と首を傾けて。
「え? 何のこと?」
彼女は知らないのだろうか? けど、いつまでも隠し通せるものではない。俺は母さんの説明をそっくりそのまま彼女に伝えた。……そして、大笑いされた。
「ぷっ、くく……死なない、よ。二十歳になると、妖の力が完全になるのは本当、だけど……っ」
笑いを必死に押さえながら言う冬花によると……死ぬ部分だけはまるっきりのガセらしい。
妖の力は猛毒だけど、二十年という長い月日でゆっくりと体に溶け馴染むので、二十歳になったからといって死ぬのは絶対あり得ないらしい。むしろ、自然治癒力とかが高まるらしいので、むしろ今まで以上に健康になるそうだ。
「――でも」
ようやく笑いが収まったらしい冬花が軽くウィンクして、
「わたしたちが将来結婚するのは、確かだよっ」
「…………」
ぷいっ、と顔を背けた俺はやっぱり素直じゃないと思ったけど、いいんだ。
「えへへ~」
風邪で顔が赤くなったんじゃないと、もう、今のこいつなら分かってくれるのだから……。
ここまで読んで下さった方、本当にありがとうございました。
普段は連ねるように言葉を書いているばかりで、削るということをほとんどしないために拙い作品になってしまいました。
次回お誘いいただけた時はもっと読まれることを意識した物語を書きたいと思います。
では、改めて拙作を読んでくださった皆様、誠にありがとうございました。