50 最終話
駆け込んだバックヤードでは、シズクちゃんがエプロンを折りたたんでいる所だった。
「ツバサ、おいで」
差し伸べられた手を取り、細い体を抱き締める。
ぎゅう、と抱き締めるほどに胸の奥が締め付けられた。
「ふふ、子どもみたい」
頭を撫でられ、手を引かれるまま椅子に腰掛けた。簡単な料理はカウンターで行うけど、本格的なものは裏の厨房が中心だ。そこから少し奥側へ行くと、僕たちの食卓がある。僕が座らされたのはそこだった。
両頬へ手を添えられ、普段とは逆に彼女を見上げる形になる。
シズクちゃんは、この十年でとても綺麗になった。
肉体の成長が停止していた問題も、ミュウが人間を理解するにつれて解決し、今では一緒の時間を過ごすようになった。少しだけウェーブ掛かった髪は、最近になって肩ほどで切ってしまった。長い髪も好きだったけど、ショートになって一段と大人っぽくなったように思う。
子どもが産まれてからは母親の顔もするようになって、僕としては未だにドキドキさせられている。
勝手口のガラス越しに、ハーブ園にふいた風を感じながら、僕たちはそっと口付けた。
お互いにそれ以上の言葉は重ねない。
このお店を出して三年、それ以前も含めて、僕がどれだけのことをやってきたかを彼女は知ってくれている。お父様と話して、月に一度は店で食べてもらうというのも、シズクちゃんが手を回してくれた。
だから、一緒に居るだけで想いが伝わる。
と、ここで入り口のベルが鳴った。
覗いてみると、お母様が外へ出て行く所だった。
その背中をじっと見つめていると、不意に手を引っ張られて、唇を奪われた。うん、まさに奪われたという表現が正しい。サッと店との間に垂れたのれんを引き、隠れた影で再び口づけ。
「あっ、あのシズクちゃんっ!? まだお父様たち帰ってないし、表にはんんっ」
「ふふっ」
大変だ。シズクちゃんのスイッチが入りかけてる。
お母様の一件でテンションが上り過ぎたせい!?
「そ、そういえばシズクちゃん、ハーブティー淹れるのも慣れてきたよね。料理だって半分は一人で作れるし、だから……その…………」
だから……その悪戯っぽい目で見られると弱いんだよぉ……。
「だーやってなんねえ! 話になんねえぜ!」
「それはこっちのセリフだ! もう少し人の言葉を聞いて欲しいもんだね!」
と、その時、表のテラスに居たコースケとアオイさんがやや乱暴に音を立てて入ってきた。思わず身体が硬直する。いや、固まる前に離れれば良かったんだ。
僕らが居るバックヤードと店内との間にはのれんが掛かっているだけで、そののれんも腰ほどの高さしかない。だから、店側から僕とシズクちゃんがくっついているのは丸見えで。
「……ありえねぇ、親友が今破局を迎えようとしてるってのに、自分たちは両親が近くに居る中おっぱじめようとしてるなんて……」
「ツバサくん、昔に比べて見境が無くなってきたよね」
僕のせいなの!?
「まあ誰かさんも? アレくらいの甲斐性があればと思わなくもないけど」
「お、おほん。お客様、追加の注文でしょうか」
とりあえずエプロンを着たままの僕が表に出て二人と顔を合わせる。なのにシズクちゃんは、素知らぬ顔でのれんの下から膝を抱いて僕らを覗きこんでいた。その上爆弾を投下。
「で、次の再婚はいつ?」
「次とかねえよ!」
「今度こそ愛想が尽きたね!」
怒り出す二人を見て僕は苦笑い。
僕の親友であるコースケとは今でも関係が続いてる。アオイさんも、コースケを経由してたまに会って話したりするし、二人にも僕たちの子どもがよく懐いてるんだよね。人見知りする子だから、やっぱり二人の人柄だと思うんだけど。
あぁ、コースケたちは既に三回結婚して二回離婚してる。二人共、当時の僕らから見て落ち着いていたというか、大人っぽい所があったけど、どうにもお互いに関しては我慢の効きが悪いらしい。まあ、何度喧嘩して離婚しようと、放っておくといつの間にか元通りになってたりするから、たまに食べに来るアズサさんと、今回はいつまで持つかなんていう話をよくやる。
喧嘩するほど仲がいい、とも言うしね。
まあ、僕とシズクちゃんは力関係がはっきりしてる分、喧嘩なんてほとんど起きないんだけど。仲が悪いわけじゃないよ? 夫婦仲はとってもとっても良好です。
話の内容から察するに、仕事が忙しくてデリケートな話題のアレやコレやがああなっているのが原因らしい。ウチのテラスでそんな話してたのか……。
「あ」
と、いきなり何かを思い出したらしいシズクちゃんが、カウンター上にある取っ手を棒を使って引っ張る。降りてきたフィルターに触れると画面が付いた。
テレビに映ったのは街の中心にあるツリーの姿だ。
五年くらい前から計画が本格化し、今も建造が進められている軌道エレベータ。旧時代の技術なら一世紀以上は掛かると言われたソレも、もう既に計画の半分を終えているらしい。実際に稼働を始めるにはまだまだ掛かるみたいだけど、僕らの子どもが大人になるくらいにはなんとかなりそうだ。
特区も幾らか周辺の市を取り込んで拡大したし、もうここは世界で最も栄えた街と言えるかもしれない。
そんな特別行政特区の区長が、今日も定例会見に出席していた。
「やっほう。今日、まだ笑ってない人居るかなー?」
アズサさんだ。
赤いスーツに身を包んで、多少化粧っ気のついた僕の親友が、テレビの中で得意げな笑みを浮かべていた。
「また軽い発言をして……人気取りだの流言回しだのとバッシングされるのが分からないのかな」
したり顔でアオイさんは言うけど、アズサさんの人気はやや変わった所がある。まあ、心配なんだろう。
お父様やミュウなんかの全面バックアップを受けたアズサさんは、選挙権を獲得すると同時に区長選へ立候補した。金に糸目を付けないイメージアップ戦略と一流の選挙アドバイザーたち、なによりミュウの情報収集とツリーを使って数々の演出を重ねたり、民主主義って凄いなぁって僕は思いました、まる。
結果は見ての通りだ。お金の力って凄い。
ただ、まあ当初は若かったのもあって、色々と迂闊な発言をしてバッシングを受けたりもした。マスコミもこちらで操作できる限界を越えて加熱した。なんたって軌道エレベータ計画を進める特区の区長だ。ちょっとしたミスが国際的に取り上げられて大問題かのように扱われる。
とまあ、そんなこんなでとてつもない逆境に立たされたアズサさんだったんだけど、彼女は持ち前のバイタリティで、なんと僕らの手助けもないまま支持率を回復させてしまった。
元々選挙っていうのは政治手腕以上にタレント性が求められるもので、魔法少女として既に十分な人気を獲得していたアズサさんは、特に若年層と高齢層の支持率が高い。
逆境をひっくり返すという、エンターテイメント性を持った政治家、というのがよく聞く彼女の評価だ。
最近のバッシングはほとんど、これをどうひっくり返してくれるのかという期待が裏側にあって、マスコミとしてもその方が盛り上がるからだろう、取っ掛かりがあればバッシング大会が一夜で反転したりする。
最近だと、軌道エレベータ稼働後における各国の使用権についてポロリと漏らした一言から大バッシング大会が始まり、翌日足を取られて転んだ時に下着が見えたとかどうとかで、落ちた支持率を回復するどころか九十パーセントに達する異常時となった。もうダメだこの国。
因みに繰り返しニュースでパンツ丸見え情報が報道され、世界に発信されてしまったアズサさんはウチの店で朝まで飲んでいった。うん、僕もその気持ちはわかるから朝まで付き合ったよ。
「あ、淡雪さん」
会見を映す映像の隅に、あの綺麗な白髪の女性が立っているのが見えた。
シズクちゃんと同じく成長するようにはなったんだけど、淡雪さんは見事に身長が止まっていた。百四十はあると思いたいけど。
会場の警備、なんだと思う。SPみたいな服装をしてるけど、流石に髪が目立つ。
「あぁ、ヘイムダルの」
店内の椅子に腰掛けてテレビを見ていたアオイさんが、また懐かしい名前を口にする。
「あの子って、防衛大に入るとか言ってたんじゃなかったっけ」
あーソレを言いますか。
まあ僕もアズサさんから聞いただけで、ずっと会ってないんだけど。
「ちゃんと防衛大には合格してますよ。それから士官候補生として入隊もして、けど辞めちゃったって」
「お役所仕事な訓練ばかりさせる上官に歯向かって飛ばされたんだと。しかも希望してた特区からも離れた僻地に。だから辞めて今は区長のSP。もうじき特区内で再編中のアレに組み込まれるって話だ」
と、曖昧だった僕の話に、軌道エレベータ内の警備を委託されている警備会社の社長であるコースケが付け加えた。仕事柄、どこかで会う機会があったのかもしれない。国際色豊かな企業を経営する彼の会社は、たまに顔を出すととても活気に満ちていて楽しそうだ。
学生時代にアズサさんと関係があったことで、委託選考に癒着があったなんて言われたりもしたけど、完全に実力だ。海外からも大手が名乗りを上げたりしていたけど、この街の特殊さは、やっぱりこの街に住む人間じゃないと理解できない。復興時から精力的に活動していたコースケに対する住人の評価は高い。
因みに、意外なことにアオイさんは主婦をしている。喧嘩したり離婚したりすると、今や金メダリストとなった弟の藤崎ケンくんと、意味はよく分からないけど二日目の女王と呼ばれているらしい灰原さんの所へ逃げ込んでいるんだそうだ。幼稚園の先生になったマコトちゃん情報からすると、最近になってケンくんと灰原さんがようやく進展しつつあるとか。今度お店に連れてきてくれるらしいから、今から楽しみにしてる。
「というかさぁ」
アオイさんが椅子の上で足を組んで発言する。その格好はいかにも仕事の出来るOLといった印象だけど、彼女は間違いなく主婦だ。今は昔ながらにパンツスタイルのボーイッシュなオシャレ服だけど、普段は長いスカートにエプロン付けて買い物に行ったりしてる。今は結い上げている髪も、そういう時は軽く結んで垂らしてあって、まさしく主婦、といった格好だ。たまにだけどスーパーで僕も会うから間違いない。
コースケのことを考えながら買い物をしてるんだろう彼女はとても幸せそうだった。いつもこっそり近くに居て気付いてもらえないかとかやってるんだけど、レジに並ぶまでは周囲が目に入ってないみたいで。
そんな、なんだかんだでアツアツなアオイさんが言う。
「宇宙人との邂逅? もう別にやっちゃっていいんじゃないの? 準備というか、心構えは出来てると思うんだけど。引っ張りすぎて間を外したりしてる?」
「今会うと、人類の進歩が止まるからって」
アオイさんの言に、帰化した宇宙人とも言えるシズクちゃんが応える。
「まあそうだな。あんなすげー連中が居たら、俺ら頑張らなくても良いんじゃねえかと思っちまう。その辺りを一番感じてるのはウチだからな」
魔法少女は、僕たちが引退した後も存在し続けている。
今のメンバーがどうなっているのかは知らないけど、何かの事件が起きる度に現れて解決してくれる。実際にその力を持っていて、今は失ったからこそ分かる。人間は非力で、魔法少女というのは本当にそこから逸脱した存在だったんだって。
表沙汰になるようなテロは今の所起きてないけど、コースケの様子からそれに近い事や未遂事件があったことも分かる。宇宙開発は昔から敵が多いし、軌道エレベータは標的としてこの上なく狙いやすい。後進国からすれば、先進国の無駄遣いの象徴、みたいな部分もあるし。今でもたまにバッシング番組が組まれて、崩壊時にどれほどの被害が出るか、なんてことを繰り返し放送されている。それは一部本当だし、絶対に守りきれるなんて言えない。魔法少女の力があってさえ、この街は一度壊滅状態に陥ったんだから。
科学も魔法も万能じゃない。
神の力を以ってしてさえ、人類を完璧に救済した話なんてない。
だから、今ここに居る僕たち人間が、考え続ける必要があるんだと思う。
鐘が鳴り、外の空気が頬を撫でた。
扉を開けて入ってきたのはお父様だ。
「妻は散歩してくると。だから今は父でいい」
名前で呼ぼうとした僕に、お父様がそう言ってくれる。
「はい、お父様」
「アオイ。お前もさっきは悪かったな。妻の手前、声を掛けることが出来なかった。電話も急ぎのものでな」
柔らかい表情で言うお父様に、足を組んでいたアオイさんが立ち上がって向かい合う。彼女の表情も穏やかなものだった。少しだけ照れがあるけど。
「いえ。いつもお世話になっています」
「畏まる必要はないと言ってるだろう。妻が君の里親であるなら、私の娘でもある」
「うんうん、アオイ姉さんは頑固だよねぇ」
「こういう時だけ姉呼びは止めて貰いたいな、ツバサくん」
軽口で笑い合う。
「シズクさん。今日も美味しいお茶とご飯をありがとう」
「い、いえ……」
普段から物怖じすることのないシズクちゃんも、僕の両親に対してはかなりの緊張ぶりだ。ここまで動揺する姿は今くらいしか見れないから、二人の会話を楽しく見学していたら睨まれた。ごめんなさい。
それからしばらく談笑した後、コースケとアオイさんは帰っていった。会社から呼び出しがあったらしい。アオイさんは残っていても良かったんだけど、見たいドラマが始まるからと戻っていった。うん、主婦だ。そして喧嘩は何処行った。
「店の調子はどうだ」
カウンターでココアを飲みながら、お父様が言う。
「中々に大変です。慣れてきて、ルーチン的に行動してるとコストが膨らんできちゃって、慌てて引き締めたり。お店だって三年もすれば汚れや疲労の溜まってくる所が出てきてます。この前は大型のオーブンが故障しちゃって、思わぬ出費に色々ピンチでした」
「個人経営とはいえ、これも一つの会社運営だ。さっきの彼も警備会社の社長だったな。最近になって若年層の起業家が増えている。喜ばしい話だが、思わぬ失敗で潰れ、その余波で老舗の企業まで巻き込まれたりという話もある。飲食店にとって衛生管理は生命線だ。入荷元のチェックは欠かさずやっておけ」
「はい。と言っても、殆どが街の中から入荷してますから、散歩がてらに挨拶なんかはよくやってます」
「怠りがちではあるが、そういう行動は非常に大切だ。工場なんかの末端がこちらに悪感情を持っていると、素人目には分からないレベルで品質が下がることもある。よい関係を築いていると、些細なことでも報告があり、誠意を見せて貰える」
こういう話を、僕とお父様はよくやるようになった。
相変わらず忙しいらしいけど、アズサさんが区長となって多少は仕事が減ったらしい。時間を掛けて育成してきた人材が中核へ食い込み始めたから、というのもあるみたいだけど。
「そういえば、沙月の娘にこの前会ったな」
「ミホさんに?」
「あぁ。あそこはまだ後継者争いが続いているみたいだが、ほぼ流れは確定している。余計な動きさえなければ彼女がいずれ当主になるだろう」
「そっか……」
淡雪さん以上に連絡が取れなかったのはミホさんだけど、宣言通りにバラバラだった家を纏め上げていたんだ。僕たちが魔法少女だった頃、家庭の事情で敵対することになった彼女の家は、相当に荒れた状態だったらしい。元々がミュウたちの技術を支えに富を築いていた面があって、表向きはイムアラムール側を支援しながら、実はラビアンローズとも結託していたということを後になって知った。
ミホさんも知らなかったことらしいけど、アオイさんとの一件以来、双方が地球から距離を取ってしまい、かなり厳しい状態だったという。
「沙月の家が落ち着くのなら、特区の問題はかなり解決しやすくなる。そういう意味では、彼女の動きは何よりも大きかった」
「うん……僕の大切な親友だもん」
「後は水樹の家か……」
「あ、はははは……」
途端に頭を抱えるお父様へ、僕は苦笑いを返すしかない。
特区の土地が食物を育てるのに良い環境であることは、結構前から知られていた。ラビアンローズの撤退からスズカさんの実家も色々と大変だったらしいけど、彼女たちはなんと特区内で大量の土地を買い上げ、一大農園を築いていたりする。
その名もラビアンローズ。意訳すると、バラ色の人生。
こっちの平均的な農園とは規模が違い、大陸的な手法で大量生産に漕ぎ着けている。普通なら品質の落ちる所を、スズカさんを筆頭にあそこの家は繊細な人が多い為か、とても良い仕事してくれて、今やラビアンローズ製の野菜や米は世界でもトップブランドの扱いだ。ウチの店も殆どスズカさんの所から買ってるから、その謳い文句が本当なのは分かる。内側に向けては安売りしてくれるしね。
が、しかしだ。
幾ら特区の規模が広がりつつあるとはいえ、土地は少ない。街には自然が多く、それを無闇に削ると住人からの反発も強くて、当初の計画よりも居住可能な人口がかなり絞られてしまっている。
そんな中、とんでもない規模で農場を経営するスズカさんの家は、正直お父様にとっては悩みの種なんだろう。別にやるなとは思ってないだろうけど、もう少し規模を縮小してくれた方が、居住区や商業区を確保できるだろうにという考えは拭えない。
あの辺り、公園なんかの整備があったり、野菜の収穫体験にはよく三人で出掛けるから、僕としてはそのままでもいいんだけど。まあお父様には言えないね。
ちょっとだけ愚痴っぽくなったお父様の話を僕らは聞いた。
昔じゃ、こんなことは考えられなかった。お父様は人に弱みを見せるタイプじゃなかったし、僕は畏れるばかりでちゃんと向き合ったりはしなかった。今なら、お父様が心底僕を愛してくれていることも、相当に不器用な人だってことも分かってる。
そういう部分は外から見てると分かりやすい。アオイさんもそうだけど、僕の弟、桜井マリナとの一件を思い出すと、今でも笑えてくるくらいだ。
実は未だに名前を教えてもらえてないんだけど、彼は毎月一度や二度は店に顔を出してくれる。十年も経って、相変わらず女の人にしか見えないのはどうなんだろう。シズクちゃんが何か言いたげに僕を見ていたけど、僕はもうおとうさんだよ? 男だよ? ねーねー?
シズクちゃんが僕の訴えを無視して、空になったコップを持ってバックヤードへ下がっていった。お父様、夫婦感のこういうのはどうすればいいんでしょう。妻が僕の気持ちを理解してくれません。なんでお父様、僕の顔見て咳払いを繰り返すんですか。
裏で洗い物が始まった水音がして、コンロの火が点いた。手際良くビン類が取り出され、準備されていく音を僕らは聞く。しばらくしてそれは収まり、新しいココアを淹れた、幾分緊張した様子のシズクちゃんがお父様の前にコップを置く。僕には水を。それからまた洗い物をしにバックヤードへ入っていった。
それと入れ替わるように店の扉が開く。
「なんじゃ、二人だけか」
お祖父様だ。
※ ※ ※
表にある札を回して『CLOSE』にする。
夜になったらまた始めるつもりだけど、今は三人で話していたかったから。こういうの、個人経営ならではだよね。常連さんの場合は察して表のテラスで時間を潰してくれてたりするし。
軽く挨拶だけして、シズクちゃんは外で遊んでる二人の様子を見に行った。
僕は夜用のお酒を出してきて、二人に振る舞う。
そして自分の分にも度数の低いものを選んで注ぐと、
「「「乾杯」」」
三つの杯が打ち鳴らされ、御門家の親子三代が、それぞれお酒に口を付ける。三人、肩を並べてカウンターへ座っていた。僕も今だけはエプロンを取っている。
「相変わらず甘いモンばっかり飲んどるんか。ほれツバサ、お前もこっちに付き合わんか」
「いいえ、僕はこの後もお店の仕事がありますから」
「同じく」
「カオル。お前はどうせ適当な指示出して自分は座っとるだけじゃ、飲め」
「父さんに付き合うと潰れるまで飲まされるからな。ツバサも付き合わなくていい」
「なんじゃなんじゃ、じじいの酌じゃ飲めんっつーことか。シズクさんを行かせたのは失敗だったなぁ」
空になったお祖父様のコップにお酒を注ぐ。日本酒の、かなりキツいモノだ。それを一息で飲み干すと、今度はお父様へ向けてコップを差し出す。
「なんでしょうか」
「孫と息子、二人から注がれた酒を味わいたいんじゃよ。そのくらいはいいだろうに」
はいはい、と言って僕から受け取ったお酒をお父様が注ぐ。面倒そうにしてるけど、ちょっとだけ嬉しそうな雰囲気がある。
「っんぁー! これまた格別な酒じゃ!」
なんだかんだ言いながら、お祖父様は美味しそうに酒を飲む。
僕らは交互にお酒を注いで、たまに自分の分が空になると、お祖父様から注いで貰った。そして、お父様にも。
「相手のコップへ酒を注ぐ。言ってしまえばそれだけの行為じゃが、これほど簡単に大人同士が繋がれることもない。渡し、受け取られ、渡され、受け取る。小賢しい言葉も特別な関係もいらん。男同士ならなにより、コレで相手が分かるもんじゃ」
「古来から杯を交わすことは、非常に強い繋がりを築く意味を持つという話は、おそらく世界中にあるな。どんな時代にも、いや、むしろ乱世と呼ばれるような時にこそ、最も重んじられていた」
「戦って、殺しあって、相手を否定する時代にこそ、強く誰かと繋がりたいって思えるんですね。ううん、命を奪い合うことさえ、強い繋がりとする人だって居る」
「まあ、巻き込まれて悲しむしかないような人はごまんとおるし、そこから殺意の応酬が始まったりもする。最近の戦争は特にそれが多い。なぜだか分かるか?」
「無駄な思考を切り捨てて、戦士を兵士とし、戦いの過程を営みではなくスケジュールとしたから。勿論、行為の意味は変わらない。人殺しである事実は」
「曖昧さこそが人間の心なら、それを捨てるほどに僕らは人間じゃなくなってくる」
「組織というものは賃金を対価に、個人にそれを要求するものだからな。人を歯車としなければ、無駄が多すぎてほとんどの場合において組織は運営できない」
「うん。けど同時に、組織が無いと人は生きていくのが難しい。組織も、効率化をしていかないと維持出来なくなってくるんですよね」
「効率化の果てに格差は増大し、その亀裂は重大な崩壊を招く。今特区で進められているものは、その上限を広げるものだ」
「軌道エレベータは確かに人類の可能性を広げるけど、根本的には延命措置の意味合いが強いですよね。出来たモノの中で、何かを感じて、変わって貰えないと」
「大きな枠を動かしていると忘れがちだが、結局どれだけ印象操作や情報統制を行おうと、常に人を思うままに操るのは難しい。区長の件は、それをよく分からせてもらった。彼女が今あそこに居るのは、間違いなく彼女が育んできた資質によるものだ。大々的なバックアップこそしたが、そもそもそうさせるだけの魅力を確かに感じていた」
「アズサさんは、それを一番分かってると思うんです。だからいつだって、火野アズサ個人であることを捨てず、個々として繋がろうとしてます。親会社と末端との繋がりと同じですよ。契約だけで操れると油断してたら、あっという間に質が落ちる。でも、個人としてお互いを気に入れるなら、より良い物が生まれる。効率良く組織を運営するなら、統治するのは企業でいい。けど、それだけじゃ弱い人が切り捨てられてしまうから、無駄のある国っていう枠組みが数千年も維持されてきたんだと思います」
「弱者を許容できない者ほど脆弱なことはない。無駄やロスはある程度計算に入れておくべきもので、そういう部分がいざという時に組織を支える力になる。切羽詰まった状況で、後ひと踏ん張りが足りずに落ちていく企業はごまんとあった」
「人助けをするには、まず自分が満たされていないといけない、って言われたりもしますけど、案外違ったりしますよね。勿論、その方がしっかりと助けられるのは分かりますけど」
「ほとんどの企業は多額の借金を抱え、資金繰りにこそ最も苦労する。赤字経営が続いていようと、しっかり手を取って踏ん張っている所は意外と長持ちするものだ。耐え切れず倒れる所も確かにあるが、その後で再起してくるのは、やはりそういう組織だ」
「しっかり人を見て、手を繋いでいたからこそ、お金も何も無くなった後に、決して無くならないものが支えてくれたんですね」
「儂らは人間じゃ。歯車なんかじゃない。世界の九割も禄に知覚出来ず、知覚した僅かな情報も誤解する。そういう生き物じゃ。それを、忘れてはいかん。そういう儂らを好きだと言ってくれたんじゃろ?」
「はいっ」
「……そうだったな」
と、ここで裏の勝手口の開く音がした。
覗いてみると、そこには表で遊んでいた筈の、僕とシズクちゃんの子どもが半泣き状態で立っていた。
「ソラ、どうしたの?」
「おか……おとうさん……っ」
なんで間違えかけたのかおとうさんじっくり聞きたいな。
僕は駆け寄ってくる小さな身体を受け止めて、サラサラな髪を梳くように撫でる。
ズレた眼鏡を整えてやり、背中をポンポンと叩きながら聞いてみる。
「どうしたの?」
ソラは鼻を啜って何かを言おうとした。けど、それより早く別の声が聞こえてきた。
『だから言ってるじゃないですか。魔法少女システムに適合出来た以上、アナタは――』
「だから!」
ぐずるソラの叫びと同じくして、表からシズクちゃんが入ってきた。心なしか顔を青くして、疲れた表情で頭に手をやっている。その脇を抜けて、もう一つの小さな身体が跳び込んできた。
「ソラっ。これで私とお揃いね! 一緒に世界の平和を守るのよ!」
僕の体ごと抱き締めるように、お父様たちの子、僕にとっても妹と言える子がソラに寄り添う。甘くとろけるような表情で頬擦りをし、唇で目に浮かんだ涙を拭い去った。
おー、親の目の前でなんとも熱い光景を。
いや、そうじゃない。
そうじゃないな。
「ミュウ……それってもしかして」
『おや、久しぶりですねツバサ、シズク。元気にしていましたか? 私は今、特区で極秘裏に設立されている魔法少女部隊を構成する人員を探していまして、いい人が居たら教えて下さいね? 安心して下さい。淡雪カナが隊長として監督し、一定の訓練は受けさせます。私たちは非政府組織として活動を続けていますが、やはり繋がりはあった方が良い面もありますからね』
と、ここで笑い声が上がった。
お父様とお祖父様だ。
「最近……一人歩きが増えたと思ったら、はは……そういう理由だったか」
「い、今から下着の用意をせんといかんな……ははは」
「なっ!?」
実は当時の僕の行動に気付いていたらしいお祖父様がとんでもないことを言い出す。それを知った時の恥ずかしさとか居た堪れなさを思い出して赤面してしまうけど、僕は抗議の意味も込めて強く言い返した。
「し、心配じゃないんですか? だって、結構危険があったり……」
「期待する気持ちの方が大きいかもしれんな。お前のことを思えば」
そんなことを言われるとちょっと照れます。
いやそうじゃなくて! お父様、最近僕を褒めれば簡単に話が纏まると思ってませんか!?
「あのですね、お父様、お祖父様、なによりミュウ」
『あーちょっと待って下さい…………おや、ソラはツバサとシズクの子どもでしたか。なるほどです。ということは』
お、分かってくれた!
流石は日々人間を理解してきたミュウだ! 今更になって『また』同じようなことをやらかすとは僕も思ってないよ!
『ツバサとシズクの間に生まれたのは、どうやら女の子だったみたいですね』
あー…………、となった僕とは対照的に、特にお父様は大笑いを始めた。
どうにも、十数年も前のことを思い出しているらしい。よっぽどおかしかったんですかね、当時の僕は。
その時、ソラが僕の手から離れ、お店の中央に踊り出た。
これで気の強い所のあるソラは、くりくりとした瞳で負けじと鋭く天井を見上げ、可愛らしく頬を膨らませ、背中ほどもある黒髪を振り乱し、遊んでる間に付けられたんだろうヘアゴムをむしり取って、どこからともなく聞こえてくる声の主へ声を張り上げる。
僕とシズクちゃんは、その宣言を苦笑いを浮かべながら聞いていた。
二人の間に、いつか聞いたような言葉が紡がれる。
「だから――僕は男なんですってば!!」
『だから僕は男なんですってば!!』 完結
あとがきに続きます。
告知もありますので、是非とも流し読みしてやってください。できればじっくり!




