47 魔法少女たち その五
ミュウの場合
ツリー大空洞より更に上層、頂上に最も近い樹の幹の中でヤドリギと接続し、その地下茎を通じて情報を集積していく。広げた両手を覆うようにヤドリギが渦巻いていて、私はされるに任せていました。
目に見える根っこの部分は既にこの街の七割に達しており、それ以下、ナノメートルクラスの小さな根はほぼこの島国を覆っています。その勢いは乗倍されているから、後十年もすれば地球上の全てを覆い尽くすでしょう。
地殻変動や火山などの問題が多いこの島国で維持出来ていることからも、今後も問題なく展開すると思われます。たまに工事なんかで途切れることはあっても、すぐに迂回して接続が再開される。
この動きは、こちらで操作したものとは違って、ヤドリギが自ら行っていること。
生憎と一個の意志を持つヤドリギを、いくら仲良くなれたからと言って好きにすることはありません。私たちはあくまで友人として力を貸してもらっているだけですので。
しかし、こうして世界中へ接続しようとしている動きを見ていると、神話に登場するある大樹が思い浮かぶ。
世界樹ユグドラシル。
様々な世界を支え、それぞれを繋ぐ機能を持っていたとされる世界樹ですが、先日聞かされた地球側の計画を思い、まさにそうなっていくのかもしれないと思わされた。
星の心が支える宇宙への梯子。中々にロマンチックですね。
それも、この危機を乗り切れればの話なんですが。
今、ヤドリギを通して診る世界では、数多くの異変が発生しています。
幸いながら地震なんかの天変地異は控え目で、しかし、明らかな異常がこの街を中心に広がっています。
目の見えない私では具体的な形状を伝えかねますが、それはおそらく、三次元的な空間の現象ではないもの。幸いにもこちらへ残っていたツバサとシズクへ連絡した所、二人はそれを孔と称しました。
そこから予測した現象に、改めて危機感が募りました。
これが起きる直前の出来事。
それは、藤崎アオイの弟……実際には血縁などのない、ツバサや桜井マリナと同質の存在であった藤崎ケンの内に眠っていた、ユーミルのドレスが起動してしまったことからも推測出来ました。
正直あれにはしてやられました。
こちらが問題視して解析していたダーインスレイヴは当然として、今まで倒してきた《影》にまで、ユーミルのドレスを完成させる為のウイルス的なものが含まれていたんですから。それも技術的な隠蔽ではなく、心理的な隠蔽ばかり。
肉体を得て一年、確かに人間的な感覚を身に付けつつあり、今ではツバサの性別に関しても把握していますが、それでも私には機械的な思考がよく馴染んでいます。人と機械、その思考の違いの隙間を狙った巧妙な手口には思わず唸りました。技術面や演算能力、出力面では間違いなくこちらに分があるのに、こんなアナクロな手口で突破されるなんて。
そして私が敵を分析し、そこから藤崎ケンを調べる度に蓄積されていった情報の欠片、セグメントがダーインスレイヴの情報を元に集合し構築されたんですよね。
私が言っちゃ駄目なんですけど、これはもう相手が見事としか言いようが無いです。これを仕掛けた人は私たちをよく分かっている。まるで何年も前からお互いに知り合っていたような熟知ぶりです。
混乱は世界中に広がっていました。
国内で入手できる限りの情報、極秘のものも含めると、少なくとも主要国家のほぼ全てに孔の存在が確認されています。それは時折鼓動するように大きくなって周囲を呑み込んでいくのだとか。
孔は大きさに関係なく、一定以上近づいたものを見境なく呑み込んでいるとのこと。
最も大きな問題となっているのは、太平洋上のハワイ諸島近海に出現したものでしょうか。このまま孔が巨大化していくなら、一日もすれば島は飲み込まれてしまいそうで、既に避難計画が進められています。
呑み込まれた先に何があるのか、それは、先に呑み込まれた魔法少女たち次第。
彼女たちがいかにあの空間を認識して構築するか。もし世界を悪し様に見ていれば、そこは人が住むのも困難な魔界となるでしょう。そんなことをツバサへ告げると、彼は笑いながら大丈夫だよと言いました。
なぜでしょう、呑み込まれたのは藤崎アオイも一緒です。もし彼女が誰よりも先に世界を構築し始めれば、一年前の再来です。生まれかけた世界が瞬く間に滅びの道を歩むでしょう。
そんなことを聞けば、ツバサはまた「ミュウはまだまだ人間への理解が足りないなぁ」なんて言うんです。ひどいと思いませんか? 今度ツリーで寝てるとき、こっそりキスしてやりましょう。それでシズクに怒られたらいいんです。いっぱいいっぱいするから、いっぱいいっぱい怒られて下さい。
ちょっと気になったので私の報告待ちな二人の音声を拾ってみる。
『……ぁ、わ…………その……』
『じっとする』
『でもこれじゃあ……』
『する』
『おしおき……の筈ですよね?』
『そう。足りない?』
『いや、その……恥ずかしくて……』
『ならもっとする』
『言わなきゃよかった!』
なにやってるんですかねぇ。
目が見えないっていうのは不便だとこんな時に思います。二人が物凄く接近しているのは分かるんですけど、具体的な部分は色んな情報を処理している傍らでは捉え切れないと言いますか。
『ミュウ、覗き見は駄目』
『えっ、ミュウ!? ~~~~っ!?』
えぇまあ、そもそもヤドリギは姉であるシズクが一番らしいので、あっさり見抜かれる訳ですけど。
「私だって混ぜてほしいです、疎外感です」
『終わったらね』
「いいんですかっ!」
『ミュウっ、止めといた方がいいよコレ物凄く恥ずかし――ぁっ、ひ……ぁ………』
「具体的に何をしてるか教えて貰えませんか」
『何って……ん、ぁ…………こんなの言えないよぉ……』
『大丈夫、性的なことはなにもしてない』
『さっき噛んできたのにっ!? んっ、変なとこ這わせないでよぉ』
『じっとする』
「なにしてるんですか本当に……」
後ろから羽交い締めにしての耳かき、だそうです。
耳かきでどうして噛んだり変な所に這わせたりするのか、これは私がまだ人の意識に馴染んでいないからなのか、それとも二人がおかしいのかは不明ですけど、とにかく性的なことはなにもしてないらしいので大丈夫そうです。
とにかく、このまま事態を解決出来なければ世界中に現れた孔へ何もかもが呑み込まれてしまいます。少し前からメインストリームとのリンクを通じて、外宇宙でも同様の現象が発生しているらしいことが報告されています。
これは流石に私たちの手にも余る問題ですね……。
後は、あちらへ送った魔法少女たちが原因を取り除けるか、それに掛かっていそうです。
と、ここで電話が。
あら珍しい。ちょっと前にこっそり会ってアドレス交換した人ですね。
「はいもしもし、どうかしましたか? ――プレジデント」
※ ※ ※
火野アズサの場合
世界を目覚めさせる雷鳴の衝撃に現れる影があった。
それは、空を分かつほどに巨大で、私は以前アオイと見に行ったスカイツリーを思い浮かべた。きっと、それよりもずっと大きい。
現れたのは巨人だ。
けど、下半身がなくて、その周辺には黒い靄が掛かっていて埋まっているのか削れているのかが分からない。
すぐに、これがユーミルなんだと思った。
まだ世界は完全に造られてはいないから残っているのか、それとも別なのか、理由ははっきりとしない。けど、巨人の目は虚ろなまま私たちを見下ろしていて――手を振り上げた。
「やばっ!?」
すぐにトールハンマーを元の大きさに戻して逃げようとする。
けど、その前に二人が飛び出した。
ミホとアオイだ。
「手首から先」
「指は任せる」
「二秒!」
二人の会話はそれだけだった。
飛び上がったアオイは炎剣を振り抜いて巨人の手を焼き切り、宙を舞ったそれの指をミホが打ち抜いていく。手首と指先、双方から燃やし尽くされ、巨人の手は灰と消えた。手を無くした腕は空を切って通り過ぎて行き、傷口は炎に燃やされて塞がっていた。
アオイが斬り付けてからまさに二秒後、今度は左腕を振り上げた巨人が咆哮をあげる。それだけで爆発が起きたみたいに私たちは身構え、吹き飛ばされそうになったカナぽんを掴む。
「すまん」
戦力外で居心地が悪そうなカナぽん。そんな顔しなくていいって。
叩き付けられた掌で、あんなにも綺麗だった草原が地面ごと一気に砕けた。
私たちはすぐ回避していたけど、この光景は結構悲しくなる。そんなことを考えていると、世界の景色が塗り潰された。
右は炎、左は氷。
両極端な地獄の再現みたい。それが巨人の背後に現れて、徐々に私たちの側へと侵攻してくる。見れば、空高く舞い上がった炎と吹雪が星空を埋め尽くそうとしていた。
「さ――っせるかぁぁああああ!」
左の手甲を伸ばし、地面を叩き付けていった巨人の左手を掴む。そのまま巻き戻す動きでこっちの身体を引かせて手に乗った。足元がふらつく、手を振られて弾き飛ばされるけど、ここまでくれば問題ない。私は更に手甲を伸ばして肩口を掴み、ターザンみたいに身を振って更に飛び上がる。巨人に振り上げられた分も含めて、もう私は皆が点に見えるような高さにまで達していた。
よしっ、この位置なら頭をぶっ叩ける!
あ、装填終わってなかった。
とにかく殴ろうそれでいっか。
そう思って巨大化させたトールハンマーを横から殴りつけるものがあった。
「ああっ!? そりゃ届くよね忘れてた!」
巨人の残った左手だ。巨大化させて構えた位置が偶然防ぐ角度になったらしく、私はそのまま吹き飛んでいく。あーこれはまずいかなぁ、なんて思っていたら、地上から伸びてきたリボンが私の身体をキャッチした。
「おはようございますッス!」
マコトちゃんだ。
浅葱色のドレスに身を包んだ犬耳尻尾の女の子が、笑顔で地上に降りた私を迎えてくれた。
「気合いを入れていただき、ありがとうございましたッス!」
「おはよ、マコトちゃん」
「はいッス、姉さん!」
ツバサはお姉様で私は姉さんか。いや正直自分の中で異論が無いことに異論があるような感じなんだけど。
「なんだかすごい光景ッスね」
「最終決戦っぽくっていいんじゃないかな」
「最後、ッスか。終わるんスかね」
「どーだろ。続けたい人は続ければいいと思うけど、私はちょっと別のこと始めようかなって思いだしてる」
そッスか、とマコトちゃんは答えて遠くを見た。
結構距離が離れちゃったな。巨人の足元(腹元? いや腰元か?)じゃあ、アオイやミホが戦ってる。
私はマコトちゃんと見て、巨人の方を見て、思いついたことを実行に映した。
「わっ、ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああああああ!?」
よし、思いっきり伸ばした手甲で邪魔になってたカナぽん確保ォ!
「大丈夫? カナぽん」
「目ぇ回してるッス」
「誤差みたいなものだね」
「生身であの速度はヤバイッス」
大丈夫、私よく分かってないけど、この世界は思い込んだら勝ちらしいから平気だ。
私は多分無事なカナぽんを預けて草原を走り出した。手甲で何か掴んで飛んでいければ早いんだろうけど、途中で振り回されたら今度こそペチャってなりそうだしなぁ。
走っていたら、巨人の目がこっちに向けられた。
ん? なんて思っていたら、開けた口の前に炎と吹雪が交じり合ったような渦が出来て、それがビームみたいに飛んでくる。うをっ、なんか物凄くラスボスっぽい!?
トールハンマーを巨大化させて盾にする。
すごい衝撃だった。鉄杭の先端を打ち込んでなかったら吹き飛ばされたかも。左右に割れて飛び散っていく炎と吹雪で草原がどんどん削られていく。
「っ、いい加減に!」
衝撃が緩まったのを境にトールハンマーを振り上げる。
すぐさま次が放たれたけど、私はとっくに高く飛び上がってて、そこへ向けてまた放とうとするの見て手甲を伸ばして地面に転がり出る。草原を疾駆する。
前を阻んだのは黒い靄から現れた《影》だ。
「おっそい!」
疾走る勢いのまま腕を薙ぎ払って叩きとばす。
昔ならいざしらず、もうカナぽんの特訓と沢山の実戦で慣れた! 広範囲を叩き潰せる私はごちゃごちゃとした小手先は気にしない。ただ立ち回りだけを意識して、巨大な攻撃を叩きつければそれでいい。可能であれば攻撃した後に反撃を受けないような立ち位置、無理であればコンパクトにして少しずつ数を減らす。
ただ、今回は急いでるんだ。と、その時最後の鉄杭が格納されて装填が終わった。
「っ――!」
迷ったのは一瞬だけ。
どの道辿りつけなかったら意味なんてないッ! だからここで――!
「道を拓くよ、アズサ」
「アオイ!?」
目の前の一角で炎が燃え上がり、紫陽花色のドレスを着たアオイが現れる。その格好は、私にとって見慣れた印象の、ボーイッシュなアオイらしい姿。ドレスなのにパンツスタイルってどうさ、なんて思うけど、私も私で防具あったりコートっぽかったりするのを思い出す。
「余計なこと考えてないか」
「なにもっ?」
「そう……か!」
応じたアオイが私の脇から接近していた《影》を斬る。浅かったけど傷口から炎が燃え上がって、あっという間に呑み込まれて霧散した。
そのままアオイは踊るみたいに優雅な足取りで《影》へ接近し、鋭く炎剣を振り上げる。背後から接近してきた《影》に対し、最初から見えていたみたいに身を屈めて剣を避けるよ、そのまま横薙ぎに斬り捨てる。屈んだ状態からの宙返り。途中で相手の肩口を斬って、着地と同時に心臓のある場所へ剣を突き入れた。
「いくぞ」
「あ、うん!」
いかん、ぼうっとしてた。
なんかデジャブ? みたいなのを感じてたのかもしんない。
私はアオイが片付けた《影》の隙間へ飛び込んで、敵の密集している場所へ向けて三倍化させたトールハンマーを叩きつける。数体が吹き飛んで霧散するけど、抜けた一体がこちらへ迫り、それは私の脇を抜けてきたアオイが斬って捨てる。
アオイの動きは凄かった。
次々と相手を正面から斬り捨てていって、ほとんど引くことをしない。強引にも見えるけど、振った剣が時々不自然な軌道を描いて相手の防御をすり抜ける。柄の長い剣だけど、それだけでここまで出来るのかと思わされた。
炎剣を振って前面の《影》を焼きつくす。
アオイはそれですぐさま前へ進もうとしたんだけど、
「下がって!」
巨大な《影》が現れた。
通常の《影》を一定量倒すと現れるらしいコイツは、そろそろ現れると思ってたんだよね!
私の声で後ろへ飛んだアオイと入れ替わって、私は炎の壁を抜けてきた巨大な《影》を殴打する。ツバサもこの大きいのには手を焼いてたしね。私は狙いやすくて楽だけど。
「ん」
「防がれたな」
盾だ。衝撃は相手を下がらせたけど、ダメージはほとんど入ってない。
「ならっ!」
手甲を伸ばした。
《影》にどれほどの頭があるのか知らないけど、これはほとんど見せてない。掴みとった巨大な《影》を私の手甲は持ち上げ、空高く投げ放った。トールは力持ちなんだから、このくらいは朝飯前だ。
落下してきた巨大な《影》へ向けてトールハンマーを振り上げ、打ち抜いた。黒の霧が散って消え失せる。
「派手だが隙だらけだ」
そんなことをやってる間にアオイは周囲の数体を霧散させていた。
「いいじゃん、気分良いよ、こういうの」
そんで、
「行け。後ろは私が守る」
「ありがとっアオイ!」
今度こそ私は、巨人の間近に到着した。
「それはこっちのセリフだ」
アオイの零した言葉に、自分は何かが出来たんだなって、そう思いながら。
※ ※ ※
淡雪カナの場合
ひどい目に合わされた。
頭を抑えながら立ち上がった私を犬耳女が見ていた。ええと、名前は確か壬生マコトといったか。
尻尾を振っている姿は女の子らしくて、私もこんな風なら良かったのか、なんて考えて止めにする。それにはもうケリをつけた筈だ。私にはもう夢もあれば自分だけで立ち上がれる力がある。そうと言えるだけの自身はつけてきたつもりだ。
まずは仕事だな。
復興の進むこの街では、市場なんかでは当たり前に子どもの手伝いがある。それに乗じてアルバイトをするのは難しくないだろう。それで生活費を得て、自分の家を借りよう。そこからだ。
遠く彼方を見やれば、アズサが巨大化させたトールハンマーを振りかぶっていた。
防ぐ手と攻撃する手の両方が、沙月ミホの光条に撃ち抜かれて溶けていき、周囲に溢れる《影》は炎に焼かれて霧散していた。
この《影》について、相変わらずよく分かっていなかったが、この空間に来てから少し理解できたような気がする。人間原理という、認識するまま別概念を解釈可能な、ツバサ風に言えばマジカル空間ならではなのかもしれないが。
私たちラビアンローズをはじめ、イムアラムールらも、かなり頻繁に繋がりの出来たあの世界と自分たちの世界を往復していた。正しくは位相が違うというだけで物理的な位置がズレていた訳じゃないんだが、まあそもそも位置という概念も無かった訳なんだが、ともかく相互の行き交いは常に狭間を経由して行われていた、筈だ。よく分からんが。
この世界と世界の間にある狭間は、本来通路にはならない。その為にあるものじゃない。そこを横断し続ければ、どうあったって癖がつく。草原も人が何年も行き交っていると地面が踏み固められ、道が出来るように。
それは今回のように次元の壁を割った強引なものじゃないけど、どうあったって傷が付く。
蓄積された傷から流れ落ちたのがあの《影》。そういうことなんだろうと思う。
切っ掛けを与えたのは、御影のダーインスレイヴを弄くり回した奴だろう。
星の心を元に、次元の傷から生じたものをエネルギーとして枠を整える。劣化コピーに思えたのも仕方ない。全く別の材料で魔法少女を再現した、まあ豆腐ハンバーグみたいなものだな、うん。御影の家で作ったあれはおいしかった。下拵えが重要なんだ。
これを行った者も相当な下拵えをした筈だ。
「ふむ、とすると」
この程度で終わりなのかと思う。
いいや、
アズサのトールハンマーが巨人を打ち抜く。
藤崎ケンの纏っていたドレスが砕かれ散っていった。
瞬間、世界そのものが激震した。
足元が揺れてバランスを崩す、なんてことはない。そもそも空間ごと揺れているんだ。私たちが受けたのは、外部からの衝撃だ。
天空の夜空を割って黒い風が降りてくる。
それは渦を巻き、地上に降り立った。
黒い《影》。
けど、感じる圧力は今までの比じゃなかった。
「あれって……もしかして……」
壬生マコトがぽつりと漏らす。
駄目だ。そう思ったけど遅かった。
《影》は手の内に槍を出現させ、投げ放った。
「……ぇ」
反応も、逃げろと声を掛けることも出来なかった。
黒い《影》の投げ放った必中の槍は壬生マコトを地面へ縫い付けるように貫くと、そのまま彼女の身を黒い霧で覆い尽くし、瞬く間にその手元へ戻っていった。
貫かれた彼女の姿はない。
代わりに、あの《影》の背後から巨大な狼の《影》が身を起こした。遅れて、見渡す限りどこまでも広がる巨大な蛇の《影》。まだまだ現れる。恐怖を覚えるのも忘れて見入っていた。
最初の《影》が再び槍を振り被る。
アレは、
「オーディン」
必中の槍、グングニールが投げ放たれた。
目の前の奴らは本物の神だ。星の心から抽出し、魔法少女という形で再現されたチャチな力とは次元が違う。この狭間の世界に生きる番人なのか、押し入ってきた私たちを排斥しようとしている。
どこかで、高らかに角笛が吹き鳴らされた。
一年前と同じ。いや、これこそ本物の――神々の黄昏、ラグナロクの到来だ。
槍が迫る。
避けようと思うが間に合わない。
終わりを告げる筈の私は呆然とそれを見上げ、ふっと笑う。
この身体じゃあ避けるのも間に合わないから、高速言語を用いて言ってやる。
「神風情が人間を舐めるな。アイツらはしぶといぞ」
目の前に迫る槍は――
「同感」
――契約によって弾き飛ばされた。
「っ、間に合ったぁぁ~……!」
横合いから抱き竦める黒のドレスに驚く。
「淡雪さんっ、大丈夫ですか!?」
「ツバ……いや、御影か……」
「防いだから平気」
「よかったぁぁ……」
「な、なんだいきなりっ、おわっ!? 抱きつくな押し倒してくるなっ、私は平気だから頬擦りなんてしてくるなうわぁぁああああ!?」
「実は私も来てます。という訳で混ぜて貰ってます」
ツバサとミュウに揉みくちゃにされ、ようやく立ち上がった私は熱くなった顔を仰ぎながらシズクを見る。ツバサ……御影の恋人であるそいつは涼しい顔をしてこちらを見ていて、少しだけむっとする。けど、それを見た彼女は私に近づいてきて、手を取って言った。
「ねえ、友達になりましょう?」
「なっ!?」
その時のコイツの笑顔をどう言えばいいのか。
胸の中で色んな感情が暴れていた。なのにぶつける気にはなれなくなって、しばらくして、疲れたようにため息をつく。
「お前なんか嫌いだ」
「そう」
そうだよ。
「なら私たち、友達ね」
「なんでそうなる!」
「私も貴女のことは嫌い」
なっ!?
「だから、友達ね」
い、意味が分からん!
抗議したかったが、コロコロと笑うシズクを見て更に疲れたため息が出る。なんか私はこの二人に振り回されてばっかりな気がする。
「仕方ありません。カナは私が貰ってあげます」
「いや、結構だ」
「ぶー!」
なぜ余計にしがみついてくる。しかも嬉しそうに。
「いいからお前らも戦え! ほら、世界が滅びるぞ。さっさと倒して来い」
「違うよ、これは戦いとは違う」
「どういう意味だ」
仕掛けてきたのは向こうだ。今更平和を訴えてどうにかなるもんか。
「ごめんなさいって伝えないと」
「戦わずに言えると思うか?」
「ううん。それは流石に難しいよね。だから押し倒して抱き締めて謝る。それで許してもらえないかな」
「これは、確実に味をしめましたね」
「おしおき」
なんかイムアラムールの二人が変なことを言ってるが、アズサや御影からして少々頭がおかしいからな。平常運転だろう。
私もグレたらいいんでしょうか、なんて言い始めるミュウをシズクが撫で回してキャッキャと騒ぎ出したり、こいつら事態を分かってるんだろうな。
「おいお前ら――」
「あ、接続完了しました。来ます」
何が、そう思った時には、世界はあっという間に上書きされていった。
まず、爆音が空を貫いて飛んでいった。振り向けば、背後にはいつの間にか広大な海があった。そこには数え切れない程の艦船が並び、砲塔を彼方の《影》へ向けていた。
こんな所で通じるのかは不明だが、ミュウがケータイを耳に当てながら言う。
「既にアオイたちは避難を終えています。皆さん、好きなだけどうぞ」
直後、《影》の現れた時の衝撃を上回るほどの衝撃が、ずっと離れた海洋から轟いてきた。遅れて飛び立つミサイル群と、空を貫いていく戦闘機の数々。その胴体に刻まれた旗は単一ではなかった。
星条旗、日章旗、五星紅旗、ユニオンジャック、連邦十字、トリコロール、血と金の旗、黒と赤と金の三色旗、聖アンドリュース旗――他にもまだまだ、自衛隊の詰め所に通っている内に覚えた世界各国の旗を掲げた現代の騎馬が空を駆けて行く。
それぞれの編隊と放火が瞬く間に世界へ満ちた。
「繋がってる」
ぽつりと、御影が漏らした。
少しだけ悲しそうで、嬉しそうな表情。
「これだけで世界が平和になる訳じゃない。けど、この経験は伝えられる。これから先、どんな対立が起きようと、僕たちはかつて一つに繋がれたんだ。偉い人や賢い人たちの思惑なんて関係ない。力を持った人たちがどれだけ枠を定めようとしたって、そこに満ちるのは当たり前の人生を歩んできた人なんだ。
これが、この日の出来事が価値あることなんだって、誰か一人でも感じてくれたのなら、その輝きを思い出してくれたら、どんな時にでも手を取り合えるようになる」
それは、世界から争いがなくならないことを認めた上で、その争いが絶対に止めることの出来るものだという考えで、
「僕たちはここに居る。今日ここに集った。また集うことが出来る」
「御影、お前……」
「ここに来る前、お母様に会ってきた。病院で療養していたのをお父様が見つけて」
「………………それは」
詳しくは聞いていない。だが、御影の母親は……。
彼は首を振った。
それだけだ。
「大丈夫。大丈夫だよ」
手を伸ばしかけた私と、少し離れた所でじっと動かなかったシズク。
「僕はお母様が大好きだ。お父様が大好きで、最近になって弟が出来たよ。けど、血の繋がりがあるから好きなんじゃない。そういう部分を言い訳にしてるけど、それは友達とか親友とかと同じだよね。想うことを許してくれるかもしれない、そういうもの」
「けど、お前は許してもらえなかったじゃないか……!」
言ってしまって後悔した。
そんなこと……私が言っていいようなことじゃない。今の言葉はコイツの覚悟に対する侮辱だ。
「夢があるんだ」
なのに御影はそんなことおくびにも出さず続けた。
「昔、お母様にご飯を食べてもらおうと思って、捨てられちゃったことがあるんだ。多分、今すぐやっても無理なんだろうし、一生掛かっても無理かもしれない。けど、食べて貰いたいな。前は物凄く下手くそだったけど、今は結構自信あるんだ。もっともっと腕を磨いて、食べてもらえたら、それだけで僕は満足だよ。
ねえ淡雪さん。思ったんだけどさ、善人でも悪人でも、聖人でも咎人でも、神様だって、おいしいものを食べたら幸せな気持ちになれるんじゃないかな? 皆が思わず笑顔になっちゃうくらいおいしいもの、作りたいな」
……全く、お前はいつもとんでもないことばかり考える。
私はお前ほど世界とやらに興味を持てそうにない。当たり前に目に入る者たちを守れればそれでいいんじゃないかと思う。
だからさ、やっぱりお前の隣には、同じくらいに世界が大好きなそいつが合ってるんだろうな。
「………………………………………………勝手にしろ」
それが、私なりの別れの言葉だった。
するとミュウが私の手をとって笑う。はいはい、と思いながら頭を撫でてやると、心底嬉しそうな顔をする。
全く。
「御影ツバサ」
「はいっ」
「飛んでいけ。お前にはもう、翼がある」
憧れずにはいられない。
好きとかどうとか、そんな話じゃない。ただ、自分もそうなれたらと、私にも思わせてくれたから。
「私はお前を好きになれたことを、誇りに思う」
ヘリの音に目を向けると、日章旗を描いたOH-1がこちらに降下してきていた。自衛隊制式採用のヘリで、ニンジャとの愛称もある偵察機だ。見れば見覚えのある顔が幾つかあった。特区に配属されていた連中だ。
《影》との戦闘ならともかく、オーディンもそうだが、おそらくフェンリルやヨルムンガンドだろう《影》なんかが出てきたとなると、正直現代兵器同士の戦闘とはまるで違ってくる。アドバイザーが必要なんだろう。
「僕も、淡雪さんのおかげで自分の殻から飛び出すことが出来ました。あなたと会えたこと、戦えたことは、僕にとって一生の誇りです」
「ばか、そういうことを言うな。また惚れるぞ?」
笑い合って私たちは別れた。
駆け抜けていく背中を見送って、ヘリに乗って海洋へ運ばれていく途中も、決してその目を離さなかった。
お別れだ、御影ツバサ。
私の、初恋の人。




