39
指先に痺れるような痛みがある。
あの時、シズクちゃんへ向けて伸ばした指先が受けた拒絶の痛み。分かってはいるのに、ひりつく感覚がやけに痛い。
左手で指先を包み、胸元へ寄せて目を閉じる。
「………………よし」
振り返ってツリー大空洞の中央へ向かう。
あれから全ての《影》を倒すのに随分と掛かった。僕が以前襲われた時よりも大型の《影》が成長していたのか、思った以上にこちらへ対抗してきたらしい。
僕は傷の治療を受けていてまるで参加出来なかったけど、戻ってきたアズサさんと水樹さんはへとへとになって別室で休んでる。僕の治療を終えたミュウもまた、どこかへ引きこもってしまっている。
中央のテーブルには、スーツ姿の父が居た。
「落ち着いたか」
「はい、お父様」
ごく自然に、父と呼んだ。
言ってからしまったと思うけど、父は特に反応も見せずこちらを見る。たった一年だけど、余程仕事が大変だったのか、やつれて見える。白髪が増えたのもあるかな……。
「……少し、身長が伸びたか」
「あ、はい。二センチだけ」
「そうか」
うまく言葉が出てこない。
こういう時、本当の親子ならどんな言葉を交わすんだろう。迂闊に手を伸ばせば弾かれてしまいそうで、ちょっとだけ臆病になっていた。
「桜井マリナと、名乗っているそうだな」
あの、ダーインスレイヴを持つ魔法少女の名に心が緊張を持つ。
「はい。そう聞いています」
「まず、あの子の正体から話そう。あの子は――」
その時、奥の通路から水樹さんが顔を出す。父の目は一度そちらへ向けられ、しかし腕を組んでこちらを見る水樹さんを見て、言葉を続けた。
「あの子は、完全に、ゼロから人造された人間。そこに理論上存在する筈の……星の心と言ったか。それを注入して造り上げられた」
あくまで、注入された筈。理論上は彼の肉体に納められたと言える、という話だろう。
この一年で漏れ聞いた限りだと、まだ僕らの技術では星の心を観測出来ていない。出来ていないのに、理論通りの行程を踏めば結果だけが生まれる。科学の常識に当てはまらない、透明な橋を渡るようなもの。
「なら……」
不安を胸に問い掛けた。
「あの子は、僕にとっての弟……?」
「基本的な部分はお前のデータを元にしているから、そうとも言える」
「そうなんだ……」
おにいちゃん、と呼ばれたことを思い出す。
彼はずっと知っていたんだろうか。初めて会った時、スポーツセンターで僕へ助けを求めた時、気力を失っていた僕を池に沈めて罵っていた時、ずっとどこかでそう呼ばれて居たのかな。
行動や言動がちぐはぐだ。
目的がさっぱり見えてこない。
本当に僕を兄と思ってくれるなら、そう名乗り出てくれれば、僕は……。
「ただ、様々な事情があってあの子は我々の手から離れてしまった。再会したのは、ラビアンローズ、だったか……君たちを襲撃する、一週間ほど前だ」
水樹さんの瞳が大きく開かれる。
浮かび上がる思考を僕は打ち消した。
嫌な想像だ。
でも父は何も言わず、こちらに思考の間を与えている。それが雄弁に事実を物語っていた。
「目的は……なんなんですか」
「不明だ。もしかすると……」
言い淀む父の姿は初めて見た気がする。思考の間じゃない。揺れる瞳は、迷いを持ったものだ。伝えるべきか迷っている……?
「…………ツカサ、私は一年ほど前に、妻とは離婚している」
思わぬ方向からの打撃に何も考えられなくなった。
「お前が家を出て行った後に、彼女の不義を知った。だから……いや、それだけじゃなく、いろんなものがある。彼女は非合法な組織と繋がりを持ち、薬物中毒に掛かっていて……」
「一年前、あの人は藤崎アオイさんと一緒に居た。彼女を引き取って家を与えていたって聞いてる。この話は伝えてあったと思うけど」
つい、言葉を遮って余計なことを言っていた。
でもいい。僕は……、
「あの人は今回の一件にも繋がってるんだ……。なんとなく分かる。桜井マリナの背後にはあの人が居る……」
一年ぶりに会った桜井マリナの口調から、なんとなくその気配を感じていた。僕が離れる前のあの人に似ていたから。
「お父様。あの人……お母様のことは今でも愛していますか?」
「あぁ……」
「良かった」
原因は予想がつく。犯罪にまで手を出しているような人を、御門の当主の妻にはしておけない。当のお母様があの状態では、いくらお父様でも守りきれない。いや、御門の家名を守るために親類や縁者たちがどんな手を使ってくるかわからないから、守るために離婚した。
「二人がまた手を取り合えるように、僕も頑張るよ」
立ち上がって、壁を殴るように叩いて通路を呼び出す。
止まることなく歩き続け、ツリーの外側へ到達した。
月を見た。
じっと。
それだけだ。
絶対にそれだけだった。
「ちょっと……寒いかな」
※ ※ ※
振り抜かれた剣をくぐり抜け、胸当てへ向けて柄尻を叩きつける。折れ曲がった身体の脇を踊るように抜けて背後からの一太刀。斬首の攻撃を受けて《影》は霧散した。
周囲から歓声が上がり、幾つものフラッシュが焚かれた。
あれから数日、僕らはひたすら守りに徹していた。
というより攻めに回れる余裕がない。
今まで散発的だった《影》の出現が計算されたものに変わり、こちらの休む間もなく現れ続けている。出現場所も街の端から端へ、人の多い場所や役所や駅なんかの重要施設を狙ったものになって、戦いはより困難なものとなった。
流石に、不満が出始めてる。
元々幾らかの批判はあったんだ。宇宙人の存在に懐疑的な意見もあったし、それを認めた上で僕らのマッチポンプだと言われることもあった。そういった意見を覆い隠すべく、イメージアップを測って世論を調整した部分もなくはない。
ただ、やっぱり《影》の出現にも慣れ始めていた時にこの変化で、実際に被害を受けた人も居る。矢面に立っているのは行政側の人で、元々アイドルじみた扱いを受けていた僕らが必死に戦っている姿はあちこちに晒されているから、むしろ反比例するように好意的な意見が増えた。
問題は未成年頼りになっている自衛隊や警察だ。
「ハァ……ハァ……ハァ……」
呼吸が荒い。
皆とは違って、治療後に休む時間を与えられた僕でさえ、もう眠る間もなく戦い続けで肉体より心が疲れきってる。正常じゃない心は身体を侵食してきて、細かい所でミスが出る。
でも、負傷する訳にはいかない。
先日、誰よりも先陣を切って戦っていた水樹さんが倒れた。
傷そのものは大したことがなかったけど、彼女の負傷が大々的に報道されてしまい、本来治安を維持するべき組織がまるで役に立っていないことを散々に叩かれた。こちらはすぐに水樹さんが復帰して無事を伝え、今まで以上に目立たせているけど、数々の批難は残った。
それはこの特別行政特区そのものの見直しにまで発展しかけていて、世界中に議論が広まっているらしい。
このままだと、僕たちに与えられている超法規的な立場が取り上げられ、戦いに参加することが出来なくなってしまう。
予想外の搦め手だった。
向こうは直接戦わずとも僕たちを戦力から除外出来る。勿論、いざとなれば無視して戦うつもりはあるけど、ギリギリの所で保たれている今が一番厄介だった。
仲良くしてきた自衛官さんや役所の方たちに迷惑は掛けたくない。まだ、取り返しがつくならそこへしがみつきたい。まだ、このくらいなら許容出来る。まだ……。
こんな遠回りな方法を考えるのは子どもじゃない。
ミホさんが向こうへ付かざるを得なかった家庭の事情も、そこに関連してるんだろう。
最後の一体へ向けて走る。
巨体の《影》が観客に向けて拳を振り上げていて、その背後からマコトちゃんの伸ばしたグレイプニールが全身を拘束してる。
腕を斬り落とした。
そのまま黄金の剣を胸へ突き刺し、霧散させる。
黒い霧の向こうからマコトちゃんが歩いてくる。笑いかけようとしてバランスを崩した。
「ん……お疲れ様ッス、お姉様」
「あり、がと……」
さり気なく支えてくれたおかげで倒れずに済んだ。周囲に気付かれた様子もない。
「え、今、犬耳っ子ちゃんお姉様って言った?」「やっぱり白ぱんちゃんってそっちの人なんだ……」「いや、でもそれだと三角関係じゃ」「どちらかと言えば白ぱんちゃんを頂点とするハーレム展開を俺は」「ちょっとまて、それじゃあ他の子も皆纏めてお姉様の……!」「白い人は前々からあやしいって言われてたし、十分にありうるぞ!」
ゴクリ……! と男たちが生唾を飲み込んだ。やめろ。
「キャー! オネエサマー! こっち向いてー!」「キャー」「キャー」
そしてなぜだか最近女性からオネエサマと呼ばれる事が増えた。僕は男です。
因みに街に対するバッシングと同じくらい、僕の下着について白がいいか黒がいいかという議論が巻き起こっているらしい。流石に真面目なワイドショーやニュースなんかじゃやらないけど、お笑い芸人さんが出るような番組だとよく話題に登るそうで、早く滅んだらいいんじゃないかな。
因みに今はもう白でも黒でもない。何色かは秘密だ。シズクちゃん、早く会いたいなぁ。
それからしばらく人に揉まれて、僕らはツリーへ戻った。
「ダーッ、疲れたッスー!」
「おかえり。麦茶冷やしといたよ」
お構いなしに床で転がるマコトちゃんに、灰原さんが呼び掛ける。それだけで勢い良く飛び上がったマコトちゃんがふわりとテーブルに着いてコップの麦茶を飲み干した。そこへまた新しいのが注がれる。
とそこで、新しく壁に穴が開いて、通路からコースケが顔を出した。
「おーおかえり。またやりあってたらしな、書き込みが増えてるぜ」
手にはレジ袋。おにぎりとお茶だ。かなり大量に買ってきてくれたらしい。それなら途中で呼び出されても齧りながら飛んでいける。時間が無い時には助かるや。
「あ、寺本くんも出入り出来るんだ」
「あれ、灰原さん久しぶり。つかそっちこそなんで」
二人に任せていると時間がかかりそうだったから、僕が双方の立場を説明した。コースケはアオイさんについては知っていたらしいけど、その仲間についてはまだ知らないかったし、灰原さんには彼に人手の足りない僕らを手伝ってもらっていることを告げた。今まで忙しかったから、中々顔を合わせられなかったんだ。
「なるほどねぇ……御影くんと寺本くん、前々からあやしいと思ってたけど……」
「ん、なんか理解おかしくね?」
「ううん、大丈夫。私、三次元でも理解ある人間だから」
なんの話だろう。コースケと顔を見合わせていると、どこからかノートを取り出した灰原さんが物凄い勢いでスケッチを始めた。ぶつぶつ言ってるから耳を寄せてみると、
「女装男子と粗暴な親友…………いけるわ、これはある意味最高のネタねっ。夏までもう時間がないけど、これならきっと覇権を狙える……! 見てなさい、最高の萌えを私が――」
内容はよく分からなかったけど、威圧感が凄まじくて距離を取った。助けを求めるようにマコトちゃんを見ると、
「ユーカ姉はホモ好きだからねぇ、気にしないでいいッスよ」
「ボーイズラブよっ! とりあえずケツ掘り合わせてる連中と一緒にしないでっ! 私が描いてるのはプラトニックな愛なのっ!」
「すごい世界もあるんですね」
僕らは灰原さんを放置して三人でご飯を食べた。おにぎりおいしい。麦茶冷たい。
そこにミュウを先頭にアズサさんと水樹さんが戻ってくる。
「わっ、なんですかコレ……神秘的なツリーの大空洞に溢れ出る腐のオーラ……」
「ちょっ何描いてんの!? うわ、うわぁ……!」「あ、あら、とても上手ね……こ、こんな風になってるんですの? あら、この二人誰かに似てるような」「あー……」こっち見ないで下さいアズサさん。「なるほどねぇ」だから止めて下さい。「……すごい世界もあるのね」「来るかい?」「い、いえ! 私はそういうのはちょっと……」「ふっ、最初は皆そう言うもんさ……でも一人になった時、手元にソレがあるとな……」水樹さん戻ってきて、全力で戻ってきて。そしてなんでそんなにオトコマエなんですか灰原さん。
「あ、おにぎり食べてるんですか、私にも下さい。ツナ残ってますかツナ? 昆布とおかかもお願いします」
「ほらスズカさん行くよ。私たちにはまだ早い」
「そうね……まずはお昼を食べてからよね……?」
三人も合流して、僕らは長閑な昼食を過ごした。
少ししたらまた《影》が出現して戦いに出たけど、落ち着いた昼下がりだった。そういうことにしておこう。
※ ※ ※
夕方になって藤崎くんと会った。
彼はほとんど一人で戦っていて、その凄まじい実力はミュウからの報告で聞いている。
彼はツリーの上層、街を見下ろす枝の上に居た。
「……なにも言うな」
男同士が会話するのに多くの言葉は不要だと、その背中が語っていた。
同い年とはとても思えない巨躯は、夕陽を背後にするととても小さく見える。
「頑張ろ」
たぶん彼こそ、この戦いで最も多くのモノを失った一人だ。
「……………………あぁ」
目元を拭ったのは、きっと夕陽が眩しかったからに違いない。
ロキの娘ヘルは、身体の半分が腐っていたという記述があります。
いや、だから……。




