33
上空から聞こえてきた飛行機のジェット音に顔を上げる。
最初はどこに居るのか分からなかった。けど、反対側から何かが飛んできたと思った瞬間、夜空に炎が吹き上がった。炎は黒煙を吐き出しながら、僕が通ってきた無人の住宅街へと墜落していく。
意味が分からなかった。
目の前で起きたことの理由は予想出来る。僕や父が襲撃されたのと同じようなものだろう。街の制空権を取ろうとしたどこかの勢力が戦闘機を飛ばし、それに敵対するまた別の勢力がミサイルか何かで撃ち落とした。
それは分かる。
けど、あまりにも現実感が無かった。
人の密集する場所から離れたここからでも、激しいどよめきを感じられた。
スポーツのスタジアムなんかで大歓声が上がれば、数キロ離れた家の窓を揺らす。それに似たものを僕は感じていた。それほどのどよめき。
皆同じだ。目の前で起きたことが理解できず混乱してる。
この状態は危険だった。
「急がないと……」
ここまで激しい動きが出ているのは、あの艦が手の届く場所にあるからだ。
冗談みたいな技術力の結晶を手にしようと、死に物狂いで戦いが繰り広げられてる。
大樹の根本へ辿り着いた。
ここからどうやってあの艦へ乗り込むか、本当の所は考えていなかった。けど、どうにかなるような気もしていた。
だって、少し前から薄っすらと声が聞こえていたんだ。
「来たよ」
僕が告げると、周囲が光に包まれた。
遅れてそれが遥か上空の艦から放たれていることに気付く。
浮遊感は無かった。
目の前の光景が一瞬で切り替わったように思えた。
そして、
「お待ちしていました。ようこそ、ツバサ」
「ミュウ!」
大して日も経っていないのに、声が妙に懐かしかった。
いつもの頭の中に響いてくるものとは違う、空気越しに伝わってくるミュウの声。
暗がりは瞬時に照らされた。
まるでSF映画に出てくる宇宙船さながら、メタリックな壁面の各所には役割不明の線や、効率の悪そうな、デザイン性が追求された細長い照明が無意味に並んでいる。その照明のせいか、全体的に青白い空間はどことなく気分が沈む。
ちょうど学校の教室くらいの大きさで、教卓のある位置に、小さな女の子が居ることに気付いた。若草色のドレスを着たその女の子が口を開く。
「いかがでしょうか。夜なべして内部構造を造り変えました。実際にこのような配色では、ヒーリング効果も薄く、高い緊張状態が続く宇宙空間では、人の精神に悪影響が出る可能性があると指摘されています。ですがまあ、折角ですので古き良き宇宙船を再現してみました」
相変わらずな口調に苦笑いする。
見た目ではシズクちゃんや淡雪さんよりまた一回りは小さい。
姉妹だからか、シズクちゃんに似ていたけど、いつも通りの調子で語るミュウの表情は、見た年齢相応に豊かなものだった。ただ、ずっと目を閉じていたのが気になったけど。
「コレは、ミュウと呼ばれていた個体のメインストリームから派生したサブに肉体を与え、汚染される以前にパージしていたモノです。なにぶん急造でしたし、そもそも人間が持つ光学観測手段を私は持ちあわせていませんでした。ですのでお気になさらず。別の手段で周囲を知覚していますので、行動に支障ありません。見ていて下さ、あ」
言って歩み寄ろうとした身体が崩れそうになる。
すぐさま駆け寄って支えると、拗ねた表情でそっぽを向く。
「とても扱いにくいです。人間不便です。私のせいじゃないです」
「そうだね」
思わず頭を撫でると、拗ねた顔がすぐさまはにかんたものに変わる。
「心地良いです。人間素敵です。もっと撫でて下さい」
「よしよしよしよしよし」
マコトちゃんじゃないけど、撫でるほどに機嫌を良くしていくミュウの尻尾がぶんぶん振られているのを感じた。駄目だ。小動物的な意味で可愛い。甘やかしたくなる。
「それでは行きましょう。手を繋いで歩くといいですよ」
この言葉を無垢な笑顔で言われて断れる人間が居るだろうか。
「うん。いこっか」
「はい」
楽しい。
なんだか妹が出来たみたいで嬉しかった。
僕とミュウは手を繋いで部屋から出ると、彼女の指示に従って古き良き宇宙船の通路を進んでいった。けど、青白い空間は途中で途切れ、ちょっとした高級ホテルのような通路に切り替わる。作ってる途中で飽きたらしい。
「来て頂けて安心しました」
また何度か転びそうになりながら進むミュウが、思いついたように話し始めた。
「こちらの不手際で大変なことになってますよね」
外の出来事を、ミュウは把握しているようだった。
「先だって我々がラビアンローズからの降伏を受け入れたことで、関連する者達は地球上から撤退しました。現在、地球上で私たちの技術を持つのは、この艦のみです」
「そっか……だからあんなにも必死になって」
「私のミスです。集団化した人間の性質を読み違えていました。いえ、そもそも人の性質を形作る要素である、国や土地というものを軽視し過ぎていたように思います。ある意味で、一つの予測はあたっていたのかもしれませんが」
ミュウはいつも以上に饒舌だった。
一つの結論へ向けて流れていくような語りは、次第に勢いを増していく。
「今現在、私の存在は人間たちの築き上げてきた枠組みやルールを脅かすものでしかありません。今更ではありますが、魔法少女なんてシステムを作り上げ、独自のルールで干渉していった方法は間違いだったんでしょう。私もシズクも、人の持つルールを正しく理解していませんでした。
現在でも出来ていないと思います。
個を重んじながら、集団へ属していなければ存続出来ず、それ故に個を喪失していく。人の根源を矛盾と定義しなければ理解不能で、矛盾するからこそ定義不能なのです。
こうして肉体を手に入れてみて、ようやく分かった感じがします。感じがする、これが重要なんですね、やっぱり。
よくもまあこんなにも曖昧な認識で、自己と他を差分し、個々を見極めているものだと関心します。いえ、もしかするとそれが出来ているものだと、全ての人類が勘違いしている可能性もあります。私とアナタたちが共有するに至った場所は、双方共に本来の座標からズレているのかもしれませんね」
「話を戻しましょう」
「今現在、私は汚染されたメインストリームから切り離されていることで、私が認識する正しい知覚を維持しています。ツバサ、アナタがここへ来た理由は、私のメインストリームを藤崎アオイから奪還する為でしょう?
なら協力します。私を藤崎アオイと接触させて下さい。そこからメインストリームへアクセスして、私の持つ固有情報で上書きを行います。今の私には正しく、あるいは間違って個を認識出来ますから、彼女の嘘をそれとなく見抜けます。そこまでいけば、こちらから逆に彼女が保有する星の心を開放することも可能でしょう。本来、個人が保有するには過ぎたものを、私たちのような存在のサポート無しで保持し続けるなんて不可能なんです。
いいですか、ツバサ。戦いを勝ち抜いていく為、魔法少女の能力は解釈によって幅が広がります。ですが、魔法少女の力は心を根源としている。過ぎた解釈は心を捻じ曲げるに等しく、本来持っていた性質が破壊される危険があります。十分に見極めた上で行っていたシズクは別として、イムアラムールの魔法少女に解釈による能力拡大をさせていなかったのはその為です。あぁ、勘違いしているかもしれませんが、アズサのアレは解釈ではなく成長です。
ええと、そうそう、レーギャルンの箱を封印する九つの鍵について、もう手は打ってありますね? 仮に私が接触出来ずとも、九つ目を使わせれば力だけは戻ります。ただ言っておきますと、レーヴァテインを持ったアオイは強いです。気を付けて下さい。
後はなんでしょうか。そうですね、あのデカブツについて。
アレは現在、大樹を経由してこちらのエネルギーを吸収しているようです。小賢しいことをしますね。泥棒と言うんですよ、これは。メインストリームを取り戻したら、逆にこちらから制御を乗っ取ってやりたいくらいです。無理そうですけどね。昨日から吸い続けていますから、もうじき完了するでしょう。
対策ですか? さっぱりです。神話にもアレが敗北した記述はありません。エネルギーを吸収する過程でこちらの情報が吸い出されているらしく、内部もバージョンアップしていますから、更に強くなってますね。よくもまああんな冗談みたいな性能のロボットを作りましたね。
あぁ、艦砲は昨日の内に全部凍結して使えなくしていますから、私の援護は期待しないでください。だってそうしないとずっと撃ち続ける所だったんです。仕方ないじゃないですか。これでも必死だったんですから」
辿り着いた扉の前で、ミュウは僕の手を離してこちらを向いた。
思った通り、少し寂しそう。
話したいことはまだ一杯あった。
こんな実務的なものだけじゃない。身体を手に入れたんだから、一緒にどこかへ遊びに行こうとか、そんな話がしたかった。
でも、もう時間がない。
僕たちを取り巻く状況がそれを許さなかった。
「それでは、良い終末を」
照明が落ちる。
暗闇へ溶けこむようにミュウは消えていった。
※ ※ ※
重苦しい鉄扉を越えて、僕は長い階段を登っていった。
まるでRPGのラスボスへ通じる道のように、長い長い階段だった。コースケの家で見た時は演出のように思ってたけど、これはきっとラスボスの策略に違いない。半分もいかない内にバテた。疲れる。
せめてエスカレーターを、と思っていたら、どこかから見ているらしいミュウが察してくれたのか、階段が動き始めた。
ようやく登り詰めた先に、意味が分からないほど大きな扉があった。
扉の向こうから感じる闘争の気配。
きっと、彼女が戦っているんだ。
意を決し、僕は扉の前に立った。
左右に開いたその向こう、目の前で二つの影が衝突し、片方が吹き飛ばされた。白の魔法少女が無残な姿で転がっていく。
壁にぶつかり、だらりと崩れ落ちた。
呆気にとられた。
彼女のそんな姿を、僕は想像もしていなかったことに気付く。
白のドレスに身を包んだ魔法少女、淡雪さんが、僕の姿を認めて苦笑いした。
「はは……遅かったじゃないか……」
苦しそうな吐息を漏らし、それでも強がって笑みを淡雪さんに、掛ける言葉が見付からなかった。
ガコン――という音に目を向けると、球体状の光を背にしたアオイさんが、右手に装着したトールハンマーを霧散させていた。
僕が斬り落とした筈の腕は、どんな手段を用いたのか再生していた。もしかすると、ミュウが自分のサブストリームへ肉体を与えたように、ここでならそういうことが出来るのかもしれない。
そうして次に現れたのはギャラルホルンの角笛。
「すまんな……少し手こずっている。だが安心しろ、すぐに取り返してやる」
低い音色と共に炎が吹き出した。
淡雪さんはもう動いている。ふらついたのは一歩目だけだ。鉄球の噴射で自らも高速で移動し、炎を回避する。
だがアオイさんは更に早かった。
手にしていた角笛を霧散させ、床を蹴る。
四つの馬蹄の音を僕は聞いた。スレイプニールの力だ。八本足を持つと言われるオーディンの馬の能力は、一蹴りで四度足場を蹴る。
再び出現したトールハンマー。未だ装填は終わっていないけど、巨大な質量を持つそれは、鈍器として使うだけで十分に人を叩き潰すだけの威力を持つ。
対する淡雪さんも迎撃の構えを取っていた。
どれだけ強く足場を蹴ろうと、空気を蹴って動きを変えるなんてことは出来ない。ましてや狙いが分かっているなら、その軌道は読み易い筈だった。
鉄球が放たれる。
受ければ一撃で意識を刈り取る攻撃は完全にアオイさんを捉え、
黒い羽が宙を舞う。
黒翼を羽ばたかせたアオイさんは容易く淡雪さんの懐へ飛び込み、トールハンマーで殴打した。咄嗟に柄で防いだものの、打撃の勢いを受けて床を転がっていく。立ち上がろうとした膝が崩れ、小さな身体が床に倒れた。
「アオイさん!」
尚も近づき、トドメを刺そうとする相手へ僕は叫んだ。
振り向いた顔に息を呑む。
「あぁ………………翼の……そう、ツカサくん、だったね」
能面じみた表情で僕を見るアオイさんには、かつての彼女らしさが欠片も見えなかった。
独特の雰囲気はあっても、男ぶった振る舞いの影から見える女らしさとか、無遠慮にも聞こえる口調とは正反対に周囲を気遣っている所とか、僕やコースケやアズサさんを弄って遊んでいる時の楽しそうな笑顔とか、そういうものをアオイさんは持っていた。
「急いでるんだ。邪魔しないで貰えるか」
「何をしてるんですか」
話す言葉とは逆に、僕が問いかけるとアオイさんは構えを解いた。
ほっとする反面、恐ろしくもあった。正しく状況を認識していないなら、いつどんな切っ掛けで暴走するか分からないからだ。
解釈は己の心を捻じ曲げる。そうミュウは言った。
ロキは様々な神や生き物に姿を変えた伝説を持つ。トールハンマー、鷹の羽衣、スレイプニール、ギャラルホルンの角笛。自分に向けられたものさえ解釈で使用可能なら、たしかにそのどれもが無関係とは言い切れない。ロキが齎したものであったり、実際に使ったことのあるものもある。
けれど、こんなにも多彩な力を次々使うなんて、明らかに解釈の枠組みを超えた部分に手を出している。
膨れ上がった力を制御できていないのかもしれない。
「…………何を……何を、している……?」
記憶が曖昧になっているのか、辛そうに頭を抑える。
「ミュウの制御を奪って……そう、皆には迎撃に出てもらった…………それで……あぁ」
不意に彼女は納得した。
能面が外れ、今度は笑顔の仮面を被る。
「待っていたんだ。ツカサくん、君が来るのを。そうだよ、最初から君だけが目的だった。君を彼女に――私に会わせる為の」
背筋が凍るほどの悪寒が走った。
思わず一歩引いた僕を見て、アオイさんは不快そうに眉を寄せた。そうして未だに倒れている淡雪さんを見て、空中に何かの文字を描いた。
炎が淡雪さんを包み込む。
「安心していい。火を意味するカノのルーン文字を刻んだだけだ。周囲が燃えているだけで、彼女は無事だよ。そして、この意味は分かるな?」
言葉が出なかった。
近づいて来るアオイさんに対し、逃げることも出来ない僕は、やがて正面に立った彼女をじっと見返すだけだった。
「いい子だ、ツカサ」
笑顔の仮面が剥がれ落ち、その奥から憎悪の宿った目が染み出してきた。
「でもさぁ」
まるであの母のような口調で、
「化け物はどこまで行っても化け物なんだよ」
もしかするとそれは、人を惑わすロキの力だったのかもしれない。
でも僕は、彼女の声に重なって、いつか言われた母の声を聞いている。
「いつまで人間の皮を被っているつもりなの? アンタは御門ツカサなんかじゃない。その腹の内を食い尽くして寄生した化け物だ。産まれからして醜いアンタが、人間様の心を、希望を語るんじゃない。どこまで行ってもアンタは私の――彼女の――私の子を殺して産まれた化け物なんだよッ」
身体の震えが頂点に達した。
呼吸すらまともに出来ず、崩れ落ちた姿を彼女は一層汚らわしいもののように見る。父から自分の子どもではないと言われたあの時の感覚が蘇った。
心の奥底から溢れ出そうとする焼けるような痛みに打ち震えた。
「あの人は化け物を飼い慣らしたいだけさ。アンタへの愛情なんてこれっぽっちも持ち合わせちゃいない。何度も言っただろう。諦めろって。アンタはただ、あの人の道具として使われていればいい。人間みたいなものを求めるなんて見苦しいって言ってるだろ。人のふりをして涙なんか流すな。知ってるよ? アンタが時々、物凄い形相で私や他の人を見ていることを。それが本質さ。人が憎くて仕方ない。その腹に収まってることさえ不本意なんだろう? 次は誰を喰う? 私? それとも化け物を助けようなんて勘違いしていたあの男? それとも!」
「ァ――ア、アアアアアアアッ!」
誰とも知れない叫び声が、自分の口から発せられていた。
目の前の光景が歪む。
陽炎の奥から血の滴る剣が一振り零れ落ちた。
既に鞘から抜き放たれていた魔剣から、蛇のように血が這い寄ってくる。襲い来る毒牙を避ける方法はなかった。そもそもこれは、自分の心。逃げる手段はない。
汚濁に呑み込まれていく視界の内、薄い笑みを浮かべる自分の口元を見た。
狂ったような笑い声が聞こえた。
「そうだ! 君なら知っている! 君だけは知っている……! 世界はこんなにも醜い! 世界はこんなにも不信に満ちている! 誰一人、自分の親さえ信じられない! あるのは駆け引き、騙し合い、卑怯な裏切りばかりだ!
私たちを化け物と読んだ彼らを打ちのめして何が悪い!? 化け物を超える醜悪さを持つお前たちはなんだ! 今日は何人の同族を殺した!? 明日は何人の同族を殺す!? いつまで経っても同じことの繰り返し……! 愚かとは言わないさ。学ばないなんてことはない。だから人は殺し合い、騙し合う。恐ろしいまでの聡明さで、望みを叶えていく為に」
血まみれの黒剣を手にゆらりと立ち上がる。
この剣を手にしていると、人の持つ淀みや昏さがよく分かった。どこを突けば最も揺り動かせるのか、どうすれば狂気に走らせることが出来るのか。
戦争は大きな切っ掛けとなる。
「人はとうの昔から狂ってる。狂った結果に産まれたのが心で、狂気を隠す仮面が理性だ!」
そうだろう。
狂った結果が戦争なんじゃない。
日常が理性によって成り立っているのなら、戦争は狂気によって成り立っていく。理性という仮面を被りながら、その実狂い続けているんだ。そして戦争という状況は、仮面を外していい理由が山ほどある。
少なくとも、人間同士で許し合う理由が。
やらなければやられる。
大切な人を守るため。
より少ない犠牲で。
新しい世界へ導く為に。
なんて見苦しい。
なんて醜悪。
そのどれ一つとして、人殺しを肯定出来るものじゃないことに気付きもしない。
命を刈り取る殺しは究極のエゴだ。正当化しようという考えそのものがおかしい。
「お前の母親は醜悪な本性を隠していた! 人の善性なんて在りもしないものを、ずっと大切にしているフリをし続けていたんだ!
人は幼児の間、心が存在しない。正常なんだ。それを人は、この世と反する美しいことばかりを教え、成長と共に狂わせる。狂った者は正常な者の存在に耐えられない。だから壊す。だから穢す。
だけど私たちは最初からそんなものを教えられなかった。だから私たちに心なんて無い。
見せていたのは全部作り物だ。何もかも人を模倣して造り上げた。そうしないと生きていけなかった。人は強い。恐ろしいほどに。そして人は異なる生き物が自分の領域を犯すことを絶対に認めない。
どうして……私は望んで産まれてきた訳じゃない。望んで化け物になったんじゃない。なのにどうして突き付ける……! どうして一緒に狂わせてくれないッ!」
「そうだね」
僕の漏らした言葉にアオイさんは安堵したようだった。
「あぁ、そうさ」
昏い淀みの向こう側にもう一人の自分が居た。
激しい揺れが艦を襲った。
メタリックな壁面に映像が浮かび上がる。
数えきれない程のミサイルがここを狙って飛んでいた。もうデタラメだ。半分近くが狙いを外れて街へ撃ち込まれていく。繁華街、住宅街、学校も吹き飛ばされた。シズクちゃんの樹さえ、撒き散らされた炎に燃えていく。大切な人を傷付けられて、大切な街を壊されて、憎しみが膨れ上がっていく。
やがて、大樹の根本に座していた巨人が動き出す。
世界に終末を齎したソレは輝く剣を振り上げて、命が下るのをじっと待つ。
「……だからもういいだろう。人は必要ない。せめて一緒に滅びよう」
アオイさんがダーインスレイヴへ触れる。
血まみれの剣で自分も貫かれるのが望みであるかのように、微かな笑みを浮かべて。
そして僕は、
「違うよ」
暗闇の奥から、
「この世界は、本当は綺麗なもので満ちている」
光を見た。
「皆、ずっと昔にそれを見てるんだ。なのに色んな経験するほどに見方を忘れてしまう」
淀みを振り払う。
「母の声を聞いて、一つ思い出したことがある。僕は母に愛されていた。辛い記憶の中に埋もれてしまっていたけど、僕の正体を知らない間の嘘でしかなかったけど、向けられた愛情の美しさを覚えてる」
救いを受けようとしていたアオイさんの表情に憎悪が浮かぶ。
裏切りを目にしたような、ざらついた感情だ。
「都合の良い事を言うな。親から望まれず生まれてくる子どもだって居る」
「なら僕が祝福する。他の誰一人望まなかったとしても、僕は生まれ出る命の全てを肯定するし、心から歓迎する」
「狂気に溺れた者もかっ、理性と共に狂った悪魔のような人間も居るぞ!」
「なら僕は泣こう。そうなっていくしかなかったその人の人生を思って涙する」
「哀れみなんて向けられて喜ぶもんか!」
「だって、悲しいよ」
「っ!?」
狼狽えて後ろへ下がるアオイさんへ、今度は僕は踏み込んでいく。
「辛い思いを一杯した筈だ。だれにも聞かせられなかった叫びがある筈だ。他人からするとどうでもよさそうな、なんでもない事が切っ掛けだったのかもしれない。自分を愛するあまり他人を感じられなくなった人も居るかもしれない。損得勘定しか見えなくなって、綺麗なものを否定しないと息苦しくてたまらない人も居るかもしれない。
それは、悲しいことなんだって僕は涙して伝えるよ」
「そんなのは子どもの戯言じゃないか……!」
「そうだよ」
「だって僕たちはまだ子どもだもん。馬鹿げたことも言う、理屈が通らないなんて当たり前だよ。でも、見えてる筈なんだ。大人になってしまった人たちよりずっと、僕たちは澄んだ世界が見えてる。だから伝えるんだ。こんなにも世界は綺麗なもので満ちているって。無邪気に全てを肯定する。それでも認めてくれない大人に対して駄々を捏ねるのは、子どもの特権だよね」
小さな軋みを立てて黒剣にひびが走った。
「一つの可能性を提示するよ。こういう意見や行動を、人は何て言う?」
「綺麗事だ……」
「そうだよ。綺麗なんだ、これは。どんな極悪人でも、皮肉屋でも、その美しさを否定出来ない。なら、どれほど絶望していようと見える筈なんだ。あらゆる人間が認める美しさ。決して朽ちず、錆びつかない……人の心が持つ黄金だ」
とある二人の英雄を、この世の終わりまで争わせている呪いの魔剣が、硝子のように半ばから砕け散った。
呆然とその光景を見つめていたアオイさんの背後に、小さな影が立つ。
「取りました!」
「っ――!?」
手を取ったミュウに、アオイさんが何かをしようとした。
一瞬で制御は奪えない。制御を巡って、今も二人の間で激しい攻防があったのかもしれない。でも数秒、アオイさんは時間を得た。それだけで十分にミュウを排除出来る筈だった。
けど、その頭上に影が落ちた。
「一対三など趣味じゃないがな」
ぼろぼろになって、それでもこの局面に立ち上がった淡雪さんがヘイムダルの剣を振り上げている。ドレスのそこかしこが燃えていた。強引にルーンの檻を飛び出したからだ。
けれど彼女の表情は今まで見たどんなものよりも生き生きと燃え上がっていて、
「封じてみろ。さもなければ死ぬぞッ!」
「っ――《ロック》だ!」
叩きつけたモーニングスターが掻き消える。
バランスを崩した淡雪さんが床を転がっていった。だが、すぐに身を起こして笑った。
「っはは! やってやったぞ御影ッ!」
レーギャルンの箱が開く。
九つの錠は意味を消失し、強引な解釈によって付与されていた力が掻き消えた。
『上書き完了しました。これよりサポートに復帰します』
サブが役目を終えたからか、ミュウの身体が力無く崩れ落ちる。僕はそれをそっと支えた。
『回収した星の心を、登録された人物へ再付与していきます。
トールハンマーをトール、火野アズサへ。
ルーン文字・スレイプニールをオーディン、水樹スズカへ。
ギャラルホルンの角笛・ヘイムダルの剣をヘイムダル、淡雪カナへ。
鷹の羽衣・ブリーシンガルの首飾りをフレイヤ、御影ツバサへ。
残る二つはこちらでは回収できず――以上です』
一歩、二歩、とアオイさんが離れていく。
まるで崖から飛び降りる自殺志願者のように、不確かな足取りで僕らから距離を取る。昏く淀んだ目が壁面の映像へ向けられる。
輝く剣を振り上げていたスルトが、その手に何も握っていない。
「あの剣は――いや、まだコレがある」
炎の剣レーヴァテイン。
一説には世界を滅ぼしたスルトが使っていたとされる魔剣をアオイさんが掲げた。
「止まるな、スルト。世界が創造されるよりずっと昔からお前は見ていた。争いに明け暮れ、それを省みることもなく輝かしいものと語った神々を、それを信仰する愚かな人間たちを。
終らせる為にお前は来た。下らない戦いの終焉に世界を焼き尽くせ……」
手から消失した炎の剣を呆然と見つめ、アオイさんは笑った。
力無い笑みから言葉が漏れる。
「駄々を捏ねるか……なら、これも同じだ。薄汚れた世界に対して癇癪を起こした私の八つ当たりだ……」
「アオイさん、言ってましたよね。こうなる前、子どもの時間を終わらせよう、って」
「……それがどうした」
「大人ぶった時間はもう終わりです。ここから先は子どもの時間です」
その時アオイさんの浮かべた表情をどう表現すればいいのか、僕には分からなかった。
けど、きっとそんな彼女に声を掛けるべきは僕じゃない。
今は、一つの戦いへ。
「ミュウ、僕たちを地上へ!」
『送ります!』
いつかのように、僕は漆黒のドレスを纏って地上に降り立った。
対するは炎の巨人スルト。
手には折れた魔剣が一振り。
『これが、イムアラムールの魔法少女として行う、最後の戦いになります』
「ミュウ……やっぱり」
『元々考えていたことです』
言葉にはしなかったけれど、これも一つの友情なのかもしれない。
ならせめて、友の望む形で。
折れた剣を握り、翼を広げた。
大空へ羽ばたこう。
『ツバサ』
「はいっ」
『どうか、未来を』
「勝ち取ります――!」
フレイヤの黄金好きは北欧神話でも随一だったりします。
内容がアレなのでここには書きませんが、それに関連するブリーシンガルの首飾りは一度ロキに奪われた事があり、取り戻してくれたのがヘイムダルだったりしますね。




