32
ゾンビパニック!
完全な停電と大樹から近いこと、砲撃で受けた傷跡などもあってほとんど無人と化した街中にはゾンビ映画さながらの死者達が溢れかえっていた。
「いーやー!」
揃いも揃って、う~、だの、あ~、だのと呻きながらゆっくりゆっくり歩み寄ってくるゾンビの怖ろしさに、僕はもう涙目で逃げまわっていた。
「だ、大丈夫よツバサさんっ。私が守――きゃああああ!」
なんか途中で合流したミホさんも一緒になって遁走してる。
なまじ狙撃向きな性能のせいで、こんな夜中でもはっきりくっきり見えてしまうミホさんは、僕以上に怖がっていた。
前に戦った時は集中してたし、それ以上の気持ちがあったから良かったけど、こうして落ち着いて向き合うにはグロ過ぎた。
だってお肉が爛れてたり、お腹の穴から腸的な何かが垂れてたり、口から謎の液体がこぽこぽ溢れてるなんて怖すぎる! なんで髪の毛半分ないの! あ、この人は元から無かったっぽい。
「わぁぁぁあああ!」
「きゃあああああ!」
悲鳴をあげつつ、目の前の通路から湧き出てきたゾンビを一掃するミホさん。
破片一つ残さないほどの徹底ぶりは凄かった。容赦というか余裕がない!
「ミホさん楽勝とか言ってませんでしたっけ!?」
「駄目よ、あんなの怖すぎて戦えないわ!」
二階の窓硝子を割って現れたソンビ一匹を家ごと蒸発させながら言われると親友の僕でも反応に困る。
「ようやく魔法使う魔法少女かと思ったらなんで死霊術なの! せめてもっとデフォルメしてよ! 生ごみの日間違えて一週間放置した時みたいな臭いがするんだけどー!」
実際この場に居るとかなりキツい。
「ミホさんこの場は任せます! 僕は行く所があるんで!」
「止めて一人にしないでずっと心細かったんだから!」
「いっそ距離を取ってから一掃しちゃえばいいんです! どうせこの辺誰もいないから丸ごと焼きましょう!」
パニックのあまりとんでもないことまで口走る僕だけど、数十数百と溢れかえるゾンビに囲まれた人間の精神は自己愛に満ち溢れる。愛って素敵!
ダメだ、走り続けてもう脚が辛い。
ドレスを着ていればなんてことのなかった時間なのに、生身の運動不足が如実に出た。ミホさんは僕に合わせてゆっくり滑走してるけど、ここまで速度が落ちるとむしろ大変そうだった。
「……僕はもう駄目です」
「何を言って。私はツバサさんを見捨てたりなんてしません!」
「でも、もう走れないんです」
「アレに囲まれてもいいんですか」
僕らは揃って後ろを見た。
あ~。う~。あ~。
「ごめんなさい置いてかないで助けてくださいっ」
滅茶苦茶怖かった。
恥も外聞も投げ捨てて僕はミホさんへ縋り付く。
あんなのに囲まれて死にたくない。男としての沽券なんて今や紙くず同然だった。
涙ながらに縋り付く僕へ何かを感じたのか、ミホさんが一度考える素振りを見せた。
「えっと……一つだけいい?」
「ぐず……なんですか」
鼻を啜って言うと、真剣な表情が正面にあった。
「私、頑張るわ。ツバサさんのお姉様だもん」
「その設定生きてたんですか……」
トールハンマー奪還の遠征中にちょっとだけやったお遊びだと思ってたけど、ミホさんは至って真剣だった。
「頑張るけど、もうちょっとだけ勇気が欲しいの。だから……」
もじもじしてる間にも周囲のゾンビが光に貫かれて蒸発していく。
そんな焦げ臭さと生臭さの満ちた空間で、ミホさんが言う。
「……っ、おねだり! して欲しいな、なんて」
――――。
「違うの! 私、そんな趣味じゃないのよっ? でも年下の女の子から一度頼られてみたくてっ! 本当にやましい気持ちはないの!」
――。
……うん。
よし、少し落ち着いた。
というか半年早いだけでミホさん同年代だから。落ち着いて。ステイステイ。
「確かにツバサさんは可愛いと思うの。髪は綺麗で一度じっくり触ってみたいなって思ったりもしたし、お風呂で洗いっこしながら肌に触れてみたいな、とかも思ったし、一度くらいは一緒のベッドで寝て一晩中抱いていたいな、なんて思ったりもしたけど、やましい気持ちじゃないの!」
チェンジです。
ミホさんそれアウト三つです。
「だから、ツバサさんに可愛くおねだりされたら、私頑張れると思うの!」
って余計な事考えてる間にハードルが上がった……。
無理です、ゲームセットです。
「ほら、早くしないとゾンビが来ますよ」
「きゃぁぁぁあああ!」
いつの間にか迎撃を止めていたせいで至近にグロい顔があった。
ああああああ突き飛ばした左手が!
左手がなんかぐちゅって感触!
ゾンビ! 腐食! スライム的な! 指! ぐちゃあ!
「お願いしますミホお姉様助けてください!」
やっぱり僕の男らしさはペラペラだった。
また今の感触を味わうくらいなら捨ててしまえそんなもの!
ミホさんは幾分ほっこりした笑顔で僕を見て、
「もっと可愛くお願いします」
とってもとっても笑顔だった。
あの、これでも僕、昨日から男子制服姿なんですけど、ミホさんの中ではどうなってるんですか。いっそバレてしまった方が楽になれるんじゃなかろうか。
というかもっと可愛くってどうやればいいの……。
可愛く。可愛く……。
わかんない。男らしく生きてきた僕にはわからないよ!
「ひ、ヒントをお願いします……」
すると目の前に猫耳ヘアバンドが現れた。
………………え? これをどうしろと?
「語尾ににゃんを付けるといいですよ?」
いいですよ? じゃなくて!
ミホさんそろそろ場外ホームランなんですが、親友的に一度彼女を落ち着かせた方がいいんじゃないかな。
「どこからそんなものを……」
「さっき逃げ込んだ家にありました」
「なんで持ってきたんですか……」
「後でツバサさんに付けてみたくて」
余裕あるよねミホさん!
「早く会いたいなって思ってたら会えました」
にっこり笑顔なミホさん。今だけは背後に淀んだものが見えた。
目の前で住居不法侵入と窃盗の自白を聞いたわけだけど、もうじき父によって僕たちの行動が非公式ながら認可される。つまりこの猫耳ヘアバンドは非合法でありながら国が認めた裏合法である。突き詰めれば僕らの行動全てが黙認されるということで、これらの行為には国なんていうものがバックにつく。つまり国家規模で猫耳ヘアバンドを推奨している訳で、更に言ってしまうと国が僕に猫耳ヘアバンドを付けろと要求してるんだ。変態だなこの国。
因みにこの思考に現実逃避以上の意味はない。
「はぁぁっ、とっても素敵っ」
そうこうしてる間に猫耳ヘアバンドが僕の頭に!?
今男の格好をしている事にほっとすればいいのか、それとも落ち込めばいいのか。どの道もう引き返せない所まで着てる気がする。
「それじゃあ…………一回だけですよ」
覚悟を決める。
これはきっと戦いだ。
やらなければソンビに囓られて死ぬ。
そういう種類の戦いだ。
頭の中に猫をイメージしろ。
あのふわふわでもふもふで愛らしい生き物のように自分もなるんだ。そう、例えば招き猫。あんな手つきはどうだろうか。
物凄く恥ずかしくてきっと顔が真っ赤になってる。さっきから耳が凄く熱い。
それでも僕はなんとか軽く握った手で招き猫のポーズをし、
「ミホお姉様……た、助けて欲しい、にゃん……」
「もう一度よ。頑張って!」
なんで僕は今励まされたんだ。
「ミホお姉様、助けてほしいにゃんっ」
直後、ミホさんはなにかに頭を打ち抜かれたような勢いで仰け反った。
たっぷり十秒も自分の中で味わって、こっちに戻ってくる。
僕は真っ赤になって硬直していた。
ミホさんの呼吸が荒い。胸を抑えて苦しそうだ。戻ってきたと思ったけど戻ってきてなかった。僕の親友はきっとどこか遠い所へ行ってしまったんだ。
「大丈夫、お姉様が助けてあげるわ!」
たすけておまわりさん。
※ ※ ※
気がつけば僕は公園に辿り着いていた。
ここまで来ると大樹の先を見上げるのも難しい。
途中の記憶がどこか曖昧だ。
人間、耐え難い経験をすると記憶を塞ぐことがあるというから、きっとゾンビパニックのせいだろうきっとそうだそうあれ。
僕は頭についていた猫耳ヘアバンドを全力で放り投げて証拠隠滅を図った。
猫耳ヘアバンドに罪はないけど僕の心が平穏を取り戻すには必要な犠牲だったんだ。
小さな水音を立てて池に沈む。
すると、池の中から犬耳少女が飛び出してきた。
ん?
「オーッホッホッホ! 池の水はおいしかったかしら!? いつまでも似たような手が通じると思ったら大間違いよ!」
水樹さんだ。
池を挟んだ反対側にそれとわかる人影があった。
夜中でも派手だなぁ。
そして池から飛び出してきた犬耳少女、壬生マコトちゃんは目を拭いながら僕の隣に立った。目を開けた時、彼女は僕の姿に驚いて尻尾をピンと立てた。怯えるように耳の向きが僕の周囲を行ったり来たり。
そうだ。
マコトちゃんと最後に会ったのは、ダーインスレイヴを抜いていた時で、僕は彼女の背を……。
お互いがお互いを探るように。
まず警戒を解いたのはマコトちゃんだった。
臭いで何かが分かるのか、しきりに鼻をひくつかせながら歩み寄ってくる。尻尾が左右にゆっくりと揺れていた。
そうして、僕へ触れられるだけの距離へ近づいた所で、やっと安堵の笑みを見せた。
「戻ってるッス」
「……うん。マコトちゃん……ごめん、ね」
「何言ってるッスか。戦ってるなら傷くらい受けるッスよ。そうじゃないッス」
不用意、と言っていいほど無防備に、
「戻ってて良かったッス」
マコトちゃんは僕の肩口へ顔を埋めた。
背中の傷はここからだと分からない。呪いの魔剣がつけた傷だと考えれば、そう簡単に癒せるものじゃないのかもしれない。
「いいッスよ」
先回りして言われると、やっぱりほっとする。
ズルいのは分かってるんだけど。
「戦ってばっかは嫌ッス。どうしようもない時は戦うッスけど、そうでないならお姉様がしたみたいに、ボクは」
犬耳がピクリと揺れる。
「お姉様?」
「ぐっ!」
いけない。
今その単語を言われると僕の中に封印された何かが蘇る……!
「大丈夫ッスか?」
「う、うん。人が脛に傷を負わず生きていくのは難しいっていいますからね」
知らないけど。
「まあよくわかんないッスけど」
少しだけ距離を取ったマコトちゃんが楽しそうに言う。
「そこに居ると巻き込んじゃいますから、離れてた方がいいッスよ」
「マコトちゃん」
離れていこうとする背中を僕は呼び止めた。
「聞いてみたかったんですけど」
「なんスか?」
揺れる尻尾が止まる。
池の向こうで水樹さんが暇を持て余していた。
ドリルを池に突っ込んでかき回すのは危ないと思います。
敵対している相手のそんな様子に、マコトちゃんも気が抜けたのか耳がへたる。
「マコトちゃんは、なんでこうして戦ってるんですか?」
いつか聞いてみたいと言っていた事を尋ねてみた。
彼女なら答えてくれる、そう感じていたから。
「う~ん……なんとも言い難いッスけど」
言葉を探して、
「ボクら皆、同じ施設の出身なんスよ。で、同じく里親に貰われて行って……まあ、上手くいかず放り出されたり逃げ出したり、とか。仕方ないッスよ。結局は親子じゃないッスから、一度切れたらそこでおしまいッス。世間体とか契約みたいなので繋がれたって、こっちも向こうも辛いだけッスからね」
内容は、コースケから聞いた話で予測出来るものだった。
でも語るマコトちゃんの声はとても平坦で、それが少し痛かった。
両親を亡くし、施設で暮らした後、ようやく得られた家族との間に生まれた溝。きっと考えられる以上に苦しいものだろう。
それでも書面上の関係はそのままで、嘘を重ねながら彼女たちはそこに居た。
マコトちゃんも、灰原さんも、藤崎くんも。アオイさんも。
どっちが、なんて考えは失礼だろうから、僕も考えない。
それはきっと種類が違う。
「それで、世の中をぶち壊したくなったの」
「あはは、やっぱり分かっちゃうッスか」
彼女たちの行動は破滅的だ。
戦いを隠さず、被害も度外視した行動は、どう考えても飼い主の手を離れてる。元は政府から裏で認可された組織だったんだろうけど、こんな行く先の見えない混乱は望まない。混乱し続けることが目的だとしても、動きに厚みがないのは僕らが一日の猶予を得たことからも推測出来た。
「別にボクはどっちでもいいッスけどね」
「そうなの?」
「ボクらは皆、家を出た後、アオイ姉の所に集まったんス。施設でもリーダーみたいなものだったし、アオイ姉の場合は家丸ごと与えられてたッスからね。皆して住み着いたッス。ボク的にはそれで十分。けど」
自嘲が漏れた。
「やっぱ、浸ってたんスよね。不幸な自分、かわいそう、みたいに。そんで、ボクらを受け入れてくれたアオイ姉の苦しみに気付けなかったッス」
話はそれで終わりだったのか、軽やかにマコトちゃんは距離を取った。
「さ、お涙頂戴はここまでッスよ。ボクらとお姉様は敵同士ッス」
ピシリ――と水樹さんを指さして構えを取る。
ここからでもドリルの唸りが聞こえてきた。
月明かりを映し出す池の表面が波打っている。
二人が再びの激突を始める前に、僕は言っておいた。
「敵同士でも、理解って出来るものらしいですよ」
笑って言うと、マコトちゃんは一度呆気にとられ、やがてはにかんで声を漏らした。
「だと嬉しいッス」
二人の戦いを背中に感じながら、僕は大樹の根本へ走っていった。
ここにはシズクちゃんが居る。
会って行きたくはあったけど、そこでまた気持ちが折れてしまうといけないから、僕は真っ直ぐ公園を突っ切った。
池の中で戦っているんだろう、吹き飛ばされた水が勢い良く飛んでくる。
鯉とか亀とか、中に住んでる皆はいい迷惑だろうな、なんて考えていた。
ポトリ――
ソレは僕の目の前に落ちてきた。
弧を描く曲線に、三角の突起物を二つ並べたアクセサリー。
猫耳ヘアバンドが落ちてきた。




