25
薄暗い街中を駆け抜ける。
変身した状態なら、音もなく屋根の上を跳んでいける。特にこの辺りは古い土地で、昔ながらな家が数多い。
大通りや人通りのある所は避けながら、闇に溶ける黒のドレスを纏って、僕は駆ける。
手には黒剣。
夕方時、ある人に言われたことを思い出す。
コレは一体なんなのか。
アズサさんのパイルバンカーはトールハンマーを象徴し、スズカさんのドリルはグングニールを象徴している。ならコレは?
分からない。ミュウでも分析不能だと言われた。
魔法少女がそれぞれに使う力には、解釈によって拡張するもの以前に、当人の性質がある程度反映されるという。アズサさんのアレはわかりやすい。一発ド派手に、面倒なことは差し置いてぶち抜いてみよう、なんて言葉が聞こえそうだ。
なら僕はどうだ。
隠し事ばかりだから黒剣の正体も分からないのか。
武器として扱えても、本領を発揮できていない可能性がある。
今から行うのは正真正銘の決闘だ。
少なくとも僕にとって、油断の出来ない相手。
お遊びの勝負で幾ら勝っていたとしても、魔法少女としての僕は一度彼女に負けている。変身し、身体能力を向上させた彼女は強い。元々の運動神経が良くないからか、それを自覚するからこそ安易な手を打ってこない。
適度に攻めをチラつかせながら相手の守りの綻びを射抜くようにして攻撃してくる。
ふと、道路を飛び越えた所で足を止めた。
ガードレールのない小さな道路。街中ではありふれた場所で、僕も当たり前のように通ってきた場所だ。
叩かれた頬に手をやる。
頬よりも彼女に手を上げた右手が震えた。
女子制服を着た淡雪さんは、正直に言って可愛かった。
普段の硬い口調はそのままだったけど、見慣れた男子制服からスカート姿への変化は新鮮だったし、不思議とあの時の彼女はどこか柔らかく感じた。
そこで気付いた。
何故、彼女は負けたフリをしたんだろう?
真っ先に思いつくのは僕の不意を打つ為だ。
けどそれならあんな場面で明かす必要なんてなかった。それにそうと見せかけるだけなら、見せるだけ見せて離れてしまえば良かったんだ。
あの時は、今までで一番、淡雪さんと楽しく話せたと思う。
楽し、かった。
うん。
彼女との勝負も、僕はどこか楽しんでいた。
勿論負けられない危機感はあったし、ズルをして勝ち続けてる負い目も少しはあった。その上で、真っ直ぐにぶつかって来る彼女を見ているのは心地良かったんだ。
なんであんなにも真っ直ぐだったのか。なんで僕のズルを糾弾してこないのか。ミュウの協力は別として、彼女が知り得ない助っ人の選出にも文句を言われたことはない。僕の小賢しさごと踏み潰してやる、そんな気概を感じさせる振る舞いだった。
彼女は、淡雪カナは、僕にとって尊敬できる人だ。
慈悲のつもりでチェス勝負を仕掛けたなんておこがましかった。間違っているのは僕で、彼女は正しい。だから僕が負けたのは必然だったんだな。
そんな彼女が、不意に暴力を振るった。
正しい彼女がなぜ。
理由もなにも聞けなかった。
告白を受けて、それを彼女も知っていた通り断った。
わからない。
彼女の行動が分からない。
「これ……」
排水口の手前、車道と歩道とを分ける段差のブロック上に、小さくて丸いものが置かれていた。乳白色で二つの小さな穴が空いたソレは、Yシャツに使われるようなボタンだ。
つまみ上げて灯りに翳す。落下した時か、それとも別の時か、少し欠けている。
不自然に置かれたボタン。
あの時、彼女が危険を冒して握りとったのは。
「ここに、来たんだ」
彼女もここで立ち止まった。
一番らしく、あるいはらしからず話せた最後の場所で、彼女はここにボタンを置いた。
何を考えていたんだろう。
どういう気持だったんだろう。
決闘を控えた今、ここにボタンを置いた意味は……。
「敵……だから」
矛盾する。それならボタンを拾う意味が最初からない。
昼休み以前、何かを握り締めてやってくる淡雪さんを見て、引き千切ったことを謝ろうとしているんだと僕は思っていた。だから待って、話し出しやすいようにしたつもりだったけど、結局彼女は勝負の話もせずに走り去っていった。
なら別の理由があるんだ。
僕は無意識にボタンを握り締めていた。少し悩んで、左の袖口に滑りこませる。欠けた部分が肌を突いて、ちょっと違和感があるけど、なんとなくお守りになるような気がした。
最後にシズクちゃんが現れた場所を振り返って、そこに誰も居ないことを確認してから、僕は一直線に学校へ向かった。
もう立ち止まることはなかった。
※ ※ ※
正門を飛び越えてタイルが敷き詰められた通路に足を付ける。
校舎はどこを見ても真っ暗で、用務員さんが居るだろう部屋にも灯りがなかった。
暗闇に僕のドレスはよく溶け込む。
けど、それで有利になるとは言えそうになかった。
今日は満月だ。
街中から飛び込んだせいでまだ目が慣れてないけど、じきに灯りのない状況でもはっきりと見えるようになる。
淡雪さんは学校に来いとしか言わなかった。
校舎の中か、運動場か、それとも体育館か。戦えそうな場所は幾つかある。
僕はまず、暗闇に目が慣れるまでここで待機することにした。
キッチリ十分。
目を強く閉じ、周囲の音を警戒しながら過ごした僕は目を開けた。
記憶にあるよりずっとよく暗闇が見通せる。黒剣を握り直し、第一歩を踏み出した瞬間――
「っ――!」
飛来した鉄球を黒剣の腹で受ける。
でも正面から受け止めることはしない。すぐさま身体を滑らせ、流すように力を掛け、くぐり抜ける。鉄球は地面に衝突し、タイルの破片を撒き散らしながら表面を削り、止まった。
そこで立ち止まりはしない。鉄球は持ち手側からの噴射で進む。なら、動きの止まった今、全力で噴射されると、
強烈な爆発音が耳を霞めた。
一息で二十メートルを駆ける力が無ければ、今頃吹き飛ばされた破片に身体を貫かれていただろう。僕は、正門脇にある三年駐輪場の、雨除けの上に身を躍らせた。
「鉄球の戻った方向から位置は分かりますっ、姿を見せて下さい!」
「それなりに勉強してきたようだな」
態々目が慣れるまでの時間をくれたくせに、
「兎狩りは趣味じゃない。望むのは戦闘、覚悟ある者同士が集う裁定の場だ」
月明かりの中に、彼女は身を晒した。
純白のドレス。布地は少なく、かといってマコトちゃんのように水着じみてはいない。デザインそのものに華やかさはないけど、彼女の真っ白な髪も、その奥でうっすらと光を帯びているようにもみえる真紅の瞳も、ドレスが添え物に思えるほど鮮烈で美しい。
そんな彼女が頭三つは入りそうな鉄球のついたモーニングスターを手にしているのは、アンバランスと言う他ない。
「名を聞こう」
「御影ツバサ」
彼女は笑った。
最初は喉の奥で、次第に表へ、弾けるように。
「ハハハハハハ……! 御影ツバサ、か。そうか、それが貴様の名か! あぁ……これはいい。悪くないさ!」
手の中でモーニングスターを回し、鉄球部分を足元に沈ませる。
「私の名前は淡雪カナだ。そうだな……折角だ。戦う前に一つ聞いておこう」
空々しいほど以前の通り、
淡雪さんは僕に向けて手を差し伸べた。
いや、どこか震えるように、悲しそうに問い掛けた。
「こちらに付かないか?」
※ ※ ※
差し伸べられた手を、僕は見つめている。
小さな女の子の手。お昼に僕の頬を叩いた手。そして、朝に僕のボタンを大切そうに握り締めていた手。
以前のように即答は出来なかった。
でも、それはイムアラムールを裏切る可能性があるからじゃない。淡雪さんを拒絶するのに、言葉を詰めるほどの動揺があったからだ。
彼女は動かない。
暗闇に映える真紅の瞳を揺らして、僕をじっと見つめている。
もし今、その手を取ったなら、彼女は絶対に僕を受け入れてくれるという確信があった。
今までのなにもかもをひっくるめて、彼女なら……。
黒剣を握る手が震えていた。
こうなるまで、向かい合えば素直に戦えると本気で思ってた。
なのに……あんな目であんな言葉を掛けられて、どうしてこんなにも心が揺れる。
淡雪さんは何も言わない。
本当は言葉を重ねたい筈だ。
ラビアンローズの置かれた現状は苦しい。
魔法少女の一人はこちらに確保され、影響範囲も奪われた。第三勢力との戦いも無傷では終らなかった。そうなんだろう?
でも僕が寝返れば状況は変わるかもしれない。
桜井マリナを連れ出し、敵に回れば数の優劣もひっくり返る。
そんな事を言いたい筈だ。
なのになんで言わない!
言って欲しい。ズルい言葉を重ねて僕を惑わそうとしてくれ。君がそんな人だったら、僕は最初からこんなに苦しくなったりなんてしなかったのに!
「僕は…………」
答えるべきは最初から決まってる。
初めて会った時のやり取りを再現した淡雪さんも、断わられることを望んでいる。だから言った。
彼女が望む戦闘を穢さない為に。
張り裂けそうな痛みを抱えて僕は言った。
「お断りします……!」
「ならばもう言葉は不要。構えろ、御影ツバサ!」
「淡雪さん……」
「来ないならこちらから行くぞ!」
足元に沈ませた鉄球を、タイルごと弾くようにして振り上げる。
飛んでくる破片に噴射時のような威力はない。けど、こちらを崩すには足る威力だ。
黒剣を振るう。
自分へと飛来する破片を薄闇の中で識別し、剣の間合いに入ったものから逸らしていく。ステップを踏んで後ろへ下がりながらであれば、十分に余裕があった。
礫の壁を抜けた向こう、突撃してくる白の魔法少女が居る。
僕へ前へ出る構えを取り、応じた淡雪さんが腰を沈ませる。
だが、動かない。
いつでも前へと出れる姿勢のまま、じっと彼女を観察した。
「っはは、意趣返しとはな! だが――」
腰を落とし、こちらへ駆け寄る姿勢のまま彼女は、
「手持ちの武器が違うぞ!」
巨大な鉄球を振り回し、その勢いで強引に姿勢を整える。更に正面へ持ってきた鉄球は僕らの間に壁を作り、彼女からすればいつでも攻撃可能で、僕からは攻めづらい状態になった。逸らして抜けたところで近すぎる。鉄球は受け流せても鉄鎖とあの長い柄、手足を用いて潰される。
「分かってます!」
そんなことはこの数日で何度も考えた。
二人がこの学校にやってきてから、僕は寝不足をいいことに夜毎二人への、特に直接戦った経験のある淡雪さんとの戦いを想像した。そして放課後はミホさんとアズサさん、二人に付き合ってもらって特訓を重ねていたんだ。
ラビアンローズの二人が転校してきたことで、戦いがあるのは目に見えていたんだから。
彼女が扱うモーニングスターの特性は把握している。
噴射による攻撃も、伸びた鉄鎖での攻撃も、鉄球の軌道も、なにもかも。
こちらに先端を向けようとするのを黙って見ていたりはしない。
大きく回りこみ、狙いを定めさせない。渦を描くように広がっていった。
距離が開けばそれだけ見切るのが容易くなる。噴射で軌道は変えられても、ある程度の威力を維持しようとすれば限界というものが出てくる。長い距離を伸ばせば伸ばすほど、戻りの隙を狙いやすい。
相手の間合いであることと、不利な状況であることはイコールじゃない。
僕は校舎の壁面を昇り、三階部分のコンクリートを強く蹴った。宙返りをしながら向かうのは野球部のネットを支える柱だ。当然、着地位置は予測しやすい。
だけど、
「流石……!」
攻撃してこない。
直前でその手前に木があることに気付いたみたいだ。攻撃してくれば、枝を掴んで位置をずらし、ネットに絡んだ鉄球を越えて肉薄出来たのに。
柱から滑り降りる時も、常にそこを蹴れるような姿勢を取って彼女を見据える。
攻撃は来ないと思っていた。けど、甘かった。
鉄球が飛来する。
内心で驚きながらも僕は柱を蹴り、鉄球を避ける。
目が向かうのは淡雪さんの居た場所で、
「しまっ」
「これも言っておいた筈だ」
鉄球の噴射で柄ごと飛んできた淡雪さんが、柱に足をつけながらモーニングスターを振りかぶる。未だ地面に足を付けない僕に回避する手はなかった。
「格が違うとなァッ!」
直撃する。
ガラスを突き破り、叩きこまれた下足ホールで僕はなんとか身を起こした。
周囲には破片が散乱してる。ドレスに傷はないけど、むき出しの頬に一筋傷が入っていた。あの状態で傷一つなら安い。
「っか……あ、っは!」
問題なのは内傷か。
直撃したとき、妙に鮮明な音が聞こえた。骨のズレる音だ。興奮状態にあるおかげで痛みこそ感じないけど、受けた脇腹に違和感がある。
回復の時間が必要だ。
僕は身を隠すように下足箱の間を抜け、ふと、ある場所に視線が止まった。
「なんで……本当に……」
今見るような所じゃない。
けど、淡雪さんの靴箱に、紙が挟まっているのが見えた。
きっとまた中傷が書かれてる。僕はそれを引き抜き、握り締めながら校舎内へ潜り込んでいった。
一階の通路を抜け、職員室前への階段で後ろを振り返った。
淡雪さんの姿は見えない。
ドレスの機能はほとんど回復に費やしている。
今襲われたらアウトだ。
「ここも、まあ思い出の場所なのかな……」
感傷的になっていると気付きながら、やっぱりどこか浸っていたくて、僕は廊下をぼんやりとみつめた。
この学校では、ここで初めて彼女と会ったんだ。
普通の男子生徒と、普通の転校してきた女子生徒として。会話ややっていたことは普通じゃなかったと思うけど、あの時はなんだかんだで微笑ましく笑っていられた。
鉄球を引き摺るような音が聞こえて、僕は音を殺して階段を上がっていく。
途中、下の廊下で音が止まったおかげで、十分に逃げられた。
身に危険が迫ると人間はよく知る場所に行きたがるらしい。
本当は関連のある場所は危険だと分かっているのに、どうにも近付くと安堵出来る。
見つかるまでの時間、僕は握ったままだった紙を広げた。興味があったというよりも、無意識の行動で。
「……これ」
手紙の内容を読んだ僕は、拳を壁にぶつけ、苛立ちと悔しさに歯噛みした。
「なんだよ……!」
中傷文なんかじゃなかった。
これは、謝罪文だ。
以前僕が見た時のアレは確かにそうだったんだろう。
けどこの紙に書かれているのは、切実に自分の罪を認め、謝る内容のものだった。名前が書いてある。これは、今日僕に告白してきた女の子の名前だ。
どういう経緯があったのかは分からない。
今あそこに入れられていたということは、放課後、淡雪さんも一度帰った後に入れたんだ。僕に告白を断られ、傷付いていた人が。
あの時淡雪さんが言った言葉と、友達らしい人が居た場所に彼女が居たことで、僕は少なからず告白そのものを疑った。でもありえなかった。そんなことをする理由なんて一つもない。
思い返してみれば、あの子の言っていた言葉はどれも切実だった。
心の底からの想いを、ありったけの言葉で伝えてくれていた。
僕はどうした。
聞いていた。
でもそれだけだ。
最初から断るって決めつけて、どんな言葉にも無関心を貫いた。
壁に想いを伝えさせていたようなものだ。
必死に言葉を重ねていた彼女を無視していた。
聞いているフリだけして。
何一つ、彼女の言葉が意味するものを考えなかった。
そりゃあ頬の一つの叩かれる。
告白した人も大泣きする。
およそ思いつく中でも最低の行為だ。
「……ホントに」
壁に頭をつけ、そのままズルズルと崩れるようにして寝転がった。
幼い頃見た母の行為で、僕はそういうのに強い忌避感がある。
でもそれは僕だけの事情だ。相手の言葉を無視する理由にはならない。必死に訴えかけた言葉を無視される苦しみは分かっていた癖に、本当に……そんな簡単な話になんで気付かなかったんだろう。
手紙を掲げる。
ここに書かれている言葉は、あの時僕が聞いた言葉と同じだ。
真摯で、必死な思いの丈が綴られてる。
もし、こうなるのが一日遅ければ。
そうだ。僕が真摯に話を聞いていれば、こんなことにならなかったんじゃないか。
この手紙を読んだ淡雪さんはどうしただろう。出した主はきっと、声を掛けた筈だ。同じ言葉を重ね、それでもし、淡雪さんが許したのなら、最後には言えたんじゃないか。
友達になろう、と。
この先僕らはどうなるんだろう。
僕の正体を知れば、もう学校へ来る意味はない。
淡雪さんも、水樹さんも、去ってしまうかもしれない。ここまでズレた関係を元通りにするのは難しい。例え、ここでなにもかもが終わりじゃなかったとしても。
教室の扉が鉄球で粉砕され、教卓を巻き込んでベランダの窓を割った。
「はは……これじゃあパニック映画だ」
ベランダで寝転がっていた僕は無傷のまま、自嘲するように言った。
後で直るからと言っても、慣れた場所を壊すには抵抗があった。精々教室前のベランダで休むのが僕の精一杯だ。
淡雪さんは教室を見回して、僕の姿が確認できないと分かるや、踵を返した。
ノックする。
音に気付き、足が止まる。
僕はベランダから顔を出した。
割れた窓から声を放る。
「屋上へ行きませんか?」




