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男と女と恋愛

 がつっ、と鈍い音がした。

 私が顔を近づけてきた海斗君に思いっきり頭突きしたからだ。

 海斗君は私の両手から手を離し、自分の額を押さえながら、体を離した。

 私はその隙に海斗君から離れて、屋上の端のフェンスにしゃがみ込んだ。

 本当は屋上から逃げ出したかったけど、足も腰もあまり動かなかったので、なんとかそこまでしか行けなかったのだ。

 いつもは部活などでうるさかった運動場には、今日に限って人の姿はない。

 叫んでも、誰にも聞こえない。

 とにかく、未だ頭を抱えている海斗君から逃げ出すべきだ。

 自分も少し痛む頭を無視して、動かない足と腰を叱りつけて、立ち上がろうとした時だった。

 バァンッ、と屋上の扉が壊れるんじゃないかという勢いで誰かが飛び込んできた。

 助かったというより、また誰か来たという恐怖の方が強くて、声が出なかった。

 屋上にやって来たのは、真城遼一だった。

 いつも整えてある髪はバサバサで、顔も体も汗だく、息も荒く、急いで来たのが分かったが、何をそんなに急いでいたのかは分からなかった。

 扉の音に反応した海斗君が、片手で額を押さえながら、真城遼一を見た。

 そして、眉間にシワが寄った海斗君は、怖い顔で私にまた近づこうと歩み寄ってきた。

「えっ、ちょっ」

 私はようやく声が出たが、体が動かなかった。

 真城遼一はそれを見て、彼も眉間にシワを寄せ、怖い顔になった。

 そして、海斗君に駆け寄って思いっきり彼の頬を殴り付けた。

「えっ!ちょっ!」

 もう何が何だか分からず、同じ言葉しか発することしかできない私と違って、真城遼一は海斗君を怒鳴りつけた。

「馬鹿か! お前は! こんなことしてどうするんだよ!? 何してんだ! ここまで馬鹿とは思わなかった!」

 しかし、海斗君も負けてはいなかった。

「うるさい! お前に何が分かる! 女好きで女なら誰でもいいお前に俺の気持ちが分かってたまるか!」

「女好きじゃねえ!女なら誰でもいいわけないだろ! っつーか、お前こそ俺の気持ちが分かってたまるか! めんどくせえのを散々我慢してきた気持ちが! のんびりただ見てるしかなかったお前に分かるわけないだろ!」

「はあ!? 何言ってんだよ!?」

 頭に血が上ったらしく顔を真っ赤にした海斗君が真城遼一に殴りかかろうとした時、階段を駆け上がってくる足音が聞こえたかと思うと、誰かが後ろから海斗君を羽交い締めにした。

「あー、あー、落ち着け。稲垣。とにかく落ち着け」

 関先生だった。

 いつにもまして、真剣な表情で海斗君を取り押さえていた。

「うるさい! 元はと言えば、お前のせいだろ!」

「悪かったよ。稲垣。お前がここまで思い詰めるとは思わなかった。俺が悪かった。だから、とにかく稲垣は落ち着け。な?」

 暴れる海斗君をなだめるように、必死に彼の体を押さえながら、関先生は穏やかに話しかけた。

「話をしよう。とにかく、俺が悪かった。だから、俺の話を聞ける程度には落ち着いてくれ」

 ようやく落ち着いた海斗君から、ゆっくりと手を離した関先生は、真城遼一に向き直った。

「真城。水原は保健室に連れていってやれ。こういう場合は男より女の先生の方がいいだろ。笹原先生なら優しく慰めてくれるだろうからな。頼んだぞ」

「分かりました」

 走ってきたからか、怒りと興奮からか、顔を赤くしながらも真城遼一はしっかりと答えた。

「行くぞ、稲垣」

 海斗君の背中を押しながら、関先生は歩き出した。

 海斗君は私をチラッと見たが、私は体を震わせただけで何も言えなかった。

 関先生に促されるように屋上を去っていく海斗君を呆然と見つめながら、私は完全に座り込んでしまった。


 とにかく助かったと、私が深いため息をついていると、真城遼一が近づいてきた。

「な、何?」

 私は先程のことを思い出して、体を固くした。

「そんなに警戒しなくても、何もしないよ。ほら、保健室行こう?」

 近づいてきたが、私には触れずに、真城遼一は手を差し出してきた。

 いつもの人をからかう表情でもなく、人懐っこい笑顔でもなく、優しい表情をしていた。

 なんかムカつく。

「いいから、ほっといて。また一人で行くから」

「今すぐの方がいいと思うけど」

「ほっといてよ。落ち着いたら、一人で保健室行くから」

「関先生に頼まれたし、ほっとくわけにはいかないよ」

「別に、関先生に言わないから、ほっといて」

 私がようやく落ち着いて話せるようになったというのに、真城遼一は私の話を聞いてくれない。

「じゃあ、俺が気になるから、ほっとかない。ほら、保健室行こう?」

 再度手を差し出してきた真城遼一の手を叩いた。

「だから、ほっといてよ。大体、あんたが訳分かんないことするから、こんなことになったんだからね。もう、面倒くさい。だから、嫌だったんだから」

 顔を見られたくなくて、三角座りした膝の上に顔を埋めて隠した。

 なんか、泣きたくなってきた。

 恋愛は横で見てる分には、青春してるね、とニヤニヤできるけど、実際、その当事者になると大変だ。

 何故か当事者になってしまった私は、もう面倒くさい。

 厄介事に巻き込まれてしまったし。

 ああ、面倒くさい、面倒くさい。


 ……怖い。

 海斗君が私の両手を掴んだ時、なんとか逃げられると思っていた。

 誰かが助けてくれると楽観視していた。

 海斗君が男で、私が女で。

 男である海斗君に、女である私が力で勝てる訳はないと分かっていたはずなのに、実感するまで甘く見ていた。

 何だかんだとこの世界がゲームの世界だから、と油断していたのかもしれない。

 たとえ、ゲームの世界だろうと、私はこの世界に転生してきた。

 この世界は、私の現実。

 だから、都合よく、私を助けてくれる相手もいないし、私が簡単に逃げ出せるほど甘くもない。

 大学生だった私は、好きだった人もいたし、気になる人だっていた。

 ただし、誰かと付き合うことはなかった。

 面倒くさいと思っていたけど、心の底では怖かったのかもしれない。

 臆病だったのを、面倒くさいという言葉で隠して、自分をごまかしていたのかもしれない。

 第二の人生で新しい人を見つけて、人生謳歌しようなんて、甘かった。

 もう、恥ずかしい。

 なんか、もう、誰にも会いたくない。


「……ふは。可愛い」

「は?」

 もういなくなったと思っていた真城遼一が吹き出す音と、信じられない言葉が聞こえて、私は思わず顔を上げた。

「ああ。ごめんごめん。笑ったのは葵ちゃんが可愛く思えて、つい」

「はああ?」

 何言ってるの? こいつ。

「私のどこが可愛いって?」

「今現在のその様子」

 顔をしかめた私の質問に、ニコニコと真城遼一は答えた。

「今まで、変わってるなあと思っていたけど。可愛い子だっただな。もう、今までの行動も可愛く思える」

「何? とうとう頭がおかしくなったの?」

 私はなんだか先程の気分が吹っ飛んで、ニコニコとしている真城遼一をただ見つめた。

「ひどいな。葵ちゃんが可愛いって褒めてるのに」

「いきなりすぎて、怪しいだけだから」

「まあ、さっき気づいたから」

「あ、そ。とにかく口説き終わったら、帰って。私は一人で保健室に行くから」

 私は真城遼一の相手をするのをあきらめて、そう言った。

 まあ、相変わらず足も腰も動かないけど、しばらくしたら、動くはずだ。

「口説いているんじゃなくて、今のは感想かな。葵ちゃんの様子を見て、気づいたというか、思ったというか。うん、やっぱり感想」

 また笑ったかと思ったら、真城遼一はまた手を差し出してきた。

「ほら、大丈夫。俺は何もしないから。一緒に保健室行こう? そこにいつまでもうずくまってたら、葵ちゃんが保健室に着く頃には学校の門を閉められちゃうよ?」

「そんなことないわよ」

「いや、でも、足動かないんだろ?」

「う……」

 言葉に詰まった私を見た真城遼一はここぞとばかりに畳み掛けてきた。

「今、一人になりたくないだろ? また誰がやって来るかビクビクしながら、保健室行きたい? 俺が一緒に行けば何かあってもなんとかするぞ?」

「本当に、何にもしないわね?」

 私が真剣に問いかけると、真城遼一は真剣にうなずいてくれた。

「本当に、何にもしない。約束する。俺が何かしそうになったら、叫んでもいいよ。噛みついたり、頭突きしたり、暴れても構わない」

「そこまで言うなら、信じてあげるわ。約束よ。私に何にもしないこと。いいわね?」

 私の再度の問いかけにも真城遼一がうなずいたのを見て、私は真城遼一の手を握った。

 私の手を握った真城遼一は、優しく手を引いてくれたが、私は立てなかった。

 足も腰も動かなかったのだ。

「あれ? まだ警戒してる? 本当に何もしないぞ?」

「分かってるわよ!」

 不思議そうな真城遼一に、私は叫び返した。

 そんなこと言われても、動かないものは動かないのだ。

 しばらく、不思議そうに私を眺めていた真城遼一は、何かに思い至ったかのように笑った。

「ああ。もしかして、腰が抜けちゃって、動けないの?」

「もう、だから、ほっといてって言ったでしょ!」

 私は恥ずかしくなって、更に大声で叫び返した。

「いやいや。ごめん。気づかなかったよ。怖かったね。もう大丈夫。俺は何もしないから。抱き上げていい? 保健室に連れていってあげる」

 私の顔を覗き込みながら、真城遼一は優しく問いかけてきた。

「いや、でも、私は重いわよ」

 肯定も否定もできなかった代わりに、そう言った。

「大丈夫だよ。葵ちゃん、太ってないし。小柄だし」

「女に太ってるって言葉は禁句よ」

「だから、葵ちゃんは太ってないよって言ったの」

 笑いながら真城遼一は私の手を離した。

「行くよ?」

「……どうぞ」

 返事を聞いた真城遼一は、私を抱き上げた。

 俗に言う、お姫さま抱っこというやつだ。

「やっぱり恥ずかしい。下ろして」

「ダメ。このまま保健室行くよ」

 この格好を思い返して恥ずかしくなった私の訴えはすかさず却下された。

 頭をぐっと抱き寄せられ、真城遼一の肩に顔を押し付ける形になった。

「こうすれば、誰も葵ちゃんの顔は見れない。俺も見えない。だから、安心しなよ」

 真城遼一の肩は少し汗が染みていて、ちょっと汗臭かった。

 文句を言おうかと思ったが、思ったより顔を押し付けられていて、声が出ない。

 いつもは人の声がもう少しするのに、今日は静かだった。

「誰も見てない。俺も見えない。だから、泣いても大丈夫。泣きなよ」

 誰が泣くか。

 そう言いたかったのに、真城遼一が頭を優しくぽんぽんと叩くから、なんだか涙が出てきた。

 海斗君が怖かったこととか、誰も助けてくれないと思っていたこととか、恋愛が怖いと気づいたこととか。

 色々、考えたことや感じたことが涙になって出ていく気がした。

 汗臭かった真城遼一の肩も気にならなくなった頃には、私は泣き疲れて、うとうとしてしまっていた。

「葵ちゃん。泣いて、泣いて、泣き疲れて起きた時には、少しスッキリして、怖かったことも過去にできるよ。おやすみ」

 薄れていく意識の中で、そんな真城遼一の声を聞いた気がした。


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