ちよ先生
「半次郎、いるか!」
一度帰宅し、朝餉を終えた二人は先の男性の家に向かった。
「はいよ。・・・来たね、先生」
「ああ。ちょっと頼みたくてな」
「用件てのはそちらさんだろう?」
出てきた半次郎はちらりと天青を一瞥するとニヤリと笑った。
「可愛い娘さんだな。先生のイ・・・」
「半次郎。千代はいるか」
春隆が遮って尋ねると、半次郎はつまらなそうに表情を落ち着かせて裏を指した。
「あいつなら裏だ。今包丁を磨ぎに・・・おーい、千代!」
扉を全開にして半次郎が叫ぶと、齢12程の小柄な娘が何処からともなく現れた。
「父ちゃん、なに」
「先生がご用だ」
「あ、先生。おはようございます」
ペコリとお辞儀する少女に礼を返す。
「おはよう千代。君に少し頼みたいことがあるんだが」
「はい」
「彼女を・・・天青というんだが、日中預かって貰えないだろうか」
春隆が用を告げると、千代はじっと天青を見上げて言った。
「なんであたしが?それに預かるって」
「いや、その。なんだ。いろいろ教えてやって欲しい・・・事情があって、着物もまともに着れないし、恐ろしくて炊事場にも入れられない。とりあえず最低限知らないと困る事だけでも教えてやってくれないかな。夕刻までだ・・・千代先生?」
そこまで言い切ると、春隆は少し頭を下げて返事を待った。
「先生、頭は下げんとうてください・・・。先生だなんて。わかりました、あたし預かりましょう。てんしょうさん・・・って言うたっけ?」
「はいぃっ」
ようやく会話に入った天青は、思わず裏返った声で返事した。
「あたしは吹山千代です。ウチは万事屋のような仕事もやってる風呂屋だ。忙しいから覚悟してや。今日はよろしく」
「よ、よろしくお願いしますっ!」
慌てて深く頭を下げる天青を、手を引いて連れてゆく千代が見えなくなるのを確認してから春隆は思い出したように口を開いた。
「半次郎。世話になる礼だ、これを」
「!臭い消しの葉だな。ありがてぇ。朝の猪に使わせて貰おう」
乾いた野草の束を預かると、半次郎は嬉しそうに笑った。
「娘さーの事は千歳にも言っておく。なに、先生の客なら誰だろうが歓迎するさ。夕餉はあの子と食っておくんなせぇ。風呂も入っていったらいい。ウチの温泉はいい薬湯ぞ」
「そうだな、たまには風呂も世話になろうか。今日は稽古の日だから、さぞかし効くだろう。それじゃ、頼むよ」
「先生も頑張ってなぁ」
背にかかる声に振り向かずに手を振ると、春隆は早足で家へ戻った。