*雨を呼ぶ
「春隆さん」
戸口を抜けた時、背後で澄んだ声がする。
「・・・連れていったのか」
「いいえ。彼女が自分で選びました。わずかでも長居すると縁が強くなってしまうから」
秋は淡々と春隆に告げた。
「・・・でも、まだ足りないんです」
「何が?」
「きちんと別れをしなかったのかな。春があなたに、ここに憑いたままだ」
「・・・いけないのか」
「僕らには秩序があります。あの娘がいると、夏が来られない」
その言葉を聞いて、春隆は師の最期の言葉を思い出した。
『季節というのは必ず巡る。春が来れば夏が来るし、夏が来れば秋が来る。秋の後には冬が通って、冬を追って、また春が来るんだよ。どれかが止まってもいけないし、無くてもいけないんだ』
「ああ・・・・・・」
「夏が来ないと秋も来ない。つまり、来るはずのものが来なくなる。川の中に石を置いてせき止めるようなものです。流れを止めたり、変えたりしてはならない」
「そう、だな」
「僕らが勝手に縁切りすることは出来るのですが、それはつまり貴方から無理矢理記憶を奪うという事です。失敗して殺さないように・・・・・・となると、少々疲れる事ですし、できればそんな乱暴な真似はしたくない」
「どうしろと言うんだ?」
「・・・昨日見せていただいた、石がありますか」
秋が自分の手首をとんとんと叩いた。
「それが縁になっているみたいです。どうすれば良いかは、僕にもわからないのですが」
「それは無責任な・・・」
「すみません。でもきっと、貴方ならわかる気がして」
謝りながら、秋の微笑みは消えない。
「まだ居るのか、春は」
「居ます。今は、貴方に見えないだけ」
「・・・それ・・・ならば・・・」
春隆は昨日もいた、裏の野へ出た。そこで大きく息を吸い込む。
「・・・ーーッ天青っ!!!!」
大声に、空気が驚いたように震えた気がする。
「いないのか」
これは呟いた。もう大声である必要はないはずだ。
「はる、さん・・・?」
背後で小さく声がした。
「天青。君がここに残ったままだそうじゃないか」
「・・・それは」
振り向かずともわかる。この声は、うなだれている。春隆はゆっくりと振り向いた。
「忘れ物がある」
「忘れ物、ですか」
一歩ずつ近付いて行く。
春霞のようにぼんやりした天青の手をとって数珠をのせた。
「これは、君の」
「え?」
「君が持っていた方が良い。師範は、最期まで君の事を頼むと言っていた」
「春望様が?」
「そう。僕の役目はそれを君に伝える事、だったから、渡しておいた方が良いと思う」
薄蒼色をした石をそのまま天青の手首に嵌める。
「それから・・・」
「ハルさん・・・っ?」
その手を奥まで伸ばして背中から抱き寄せた。
「師範には時間が無かったが、僕は今のところまだ余裕がありそうだ」
「・・・」
「君が何処に行くかは知らない。またここに来る可能性が低い事もわかっている。だが・・・」
「ハルさん・・・?」
耳元の声は、かつてないほどに小さい。
「師範には会えずとも、君はまた此処に来た。だから、僕はずっとここにいる。また近くに来たならば」
「よ、寄ります、必ずっ」
焦ったような天青の声にくすりと笑った。喉元が熱いので、少し体を離す。白い耳が紅く染まっていた。
「うん。待ってる・・・から」
「はい・・・」
鼻先の距離に顔がある。春隆は少しだけ頭を下げた。
どれくらいそうしていただろうか。既に陽は高く昇っている。
「ハルさん」
天青が、するりと春隆の腕から抜けて出た。
「行かないと」
「そうだね。心残りは、もうない?」
「大丈夫、です」
目元を拭いながら、天青が笑った。
「ありがとう、ハルさん。今度こそ」
「ああ。達者で」
ゆっくりと野を駆けていく人影を目で追う。その姿が随分小さくなった頃、春隆は刀を静かに抜いて立った。
陽の匂いのする風と、少し冷たい風と、湿った風が混ざりあって流れている。
『氷蔵、季節によって風が変わるのが、わかる?』
晩年に師の言葉が聞こえた気がした。
『わかります』
『それがね、混ざる事があるんだよ。そんな時は流れる空気が淀むから、斬ってやるといい』
『斬る?空気を、ですか?』
『そうだよ』
『そんなこと・・・』
『できるかって?できるんだな、それが。私も昔やったんだ』
『師範が?』
『うん。会った春は、ちょっと鈍臭い人でね』
『どんくさい・・・』
『はは。悪口ではないよ、それも彼女のいいところ。ただ、そのせいで少し夏と混ざってしまったから、私が切り離してあげたんだ』
『見えたんですか』
『いいや?ただ、夏が来る時の特徴があるだろう』
『特徴?ええ、と・・・』
『わからないかな。いいよ、今はそれで。君はこれから何度も夏を経験するだろうから、その時にわかればいい。あれを嫌う人は多いけど、知ればまた趣があるというものだ』
深呼吸して空気を嗅ぐ。
「風か・・・。これ、かな」
その中でも一際惹かれる馴染んだ心地好い風を、なぞるようにに刀を置いた。
そうして天青の姿が見えなくなった時、春隆は山の方から徐々に雲が広がるのを見た。
ぽつりぽつりと雨が地面の色を変えてゆく。
「なかなか、どうして・・・・・・」
いつの間にか、春隆に並び、秋も立ち尽くして空を見上げていた。
「夏の前の長雨を、何といいましたっけね・・・」
誰に向けられた質問かもわからぬ呟きに、春隆は一応答を発した。
「・・・梅雨、のことか」
「ああ、それだ。春の涙とはこの事だった」
「涙?」
「はい」
「なるほど。これですか、師範・・・」
春隆は雨を受けながら天を仰いだ。
『彼女の涙と思えばこそ、愛おしさすら感じる』
そう言っていた、夏の前の特徴とは。
「僕もようやくわかりました、師範の言葉の意味が・・・たしかに、趣がある」
「春隆さん。僕らの中で春は、唯一人と親しくなりやすいという性質があります。故に、様々な出会いと別れを繰り返す。その別れを悲しんで、涙を流し、梅雨を呼んでから夏を迎える事を宿命付けられていたんです」
「それは・・・・・辛い宿命だな」
「ええ。僕も今、ようやく知りました。同じ四季と言っても、場を変えればまったく性質が違う。この国の四季は本当に美しい」
感動気味に話す秋を、春隆は無表情に眺めた。雨を受けて、衣が徐々に重たくなってゆく。
「・・・あなたは、この国の季節ではないのか」
「僕は、冬で溢れた地域の出身なんです。花はほとんど咲かないし、小鳥も囀らない。春や夏がほとんどいなくて」
「・・・それは、物寂しいな」
「はい。世界中を回って、いろんな仲間に会いましたが、この国の家族が1番美しいです。まったく、貴方が羨ましい」
「それは、どういう意味かな?」
「おや、失言でした」
秋が苦笑して春隆を見た。
「君たちは、普段何処に居るのだ」
「空、ですかね」
指差し見上げて秋が応える。
「それなら、師範は春に会えたかもしれないな・・・」
徐々に暗くなる雲の上を想った。
「さて」
秋がすっと歩いて春隆の前へ出た。
「僕もそろそろ行かないと。今居ると1番まずいのは僕ですから。では、また何処かで会いましょう。あれ、僕もやってもらえますか?」
青年が何かを振る仕種をする。
「・・・承知」
秋が一礼して歩いてゆく。その背中が丘をのぼりきったところで春隆は先程と同じように、静かに刀を空中に置いた。
ひと呼吸置いてから見上げると、彼の姿はもう見えず、青臭く湿った風だけが肌に感じられた。
日が暮れてから家に入り、春隆はその薄暗さに驚いた。仕方なく、庭から回っていく。
「ん?」
一角がやけに明るい。みると、白い花を沢山つけた木が目に飛び込んで来た。
「桜・・・・・・?」
下に立って、幹に触れてみる。微かに春の匂いがした。
「・・・贈り物、か」
眩しいほどの白に、春隆は花灯りという言葉を思い出した。
「群咲する桜の名称。・・・ほかにも何か、あったような・・・・・・」
雨を受けて振る花びらを浴びながら考える。
「・・・・・・ああ。夢見草、だ」
夢見。
あれはすべて夢だったのだろうか?
一瞬そんな思いが頭を掠めたが、直ぐに打ち消された。
時期外れの梅雨の桜、敷かれたままの布団。置かれたままの二つの湯呑みと、胡桃餅もある。
「夢ではない、か」
餅をひとつ頬張りながら、春隆は夜が更けるまで桜を眺めていたのだった。




