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春のうたかた  作者: 四季
36/39

***別れ

夜はほとんど眠らなかった。いつものように、布団を並べて、もう見慣れた天井を見つめる。


昔にも、見た。この部屋で・・・。その時も、大切な人と一緒に・・・・・・。



春隆が寝ていない事には気が付いていたが、何を言うのも違う気がして、春はただ静かに時が流れるのに任せた。


朝になったら・・・・・・。






夕方、春は帰り際の夏を捕まえに急いで外に出た。ただ名称として呼んでいた時と違い、まだそこにいると感じる事ができる。


『夏さん』

『なんだ?』


すぐに姿を現した夏が、目の前に立って春を見上げる。


『時間、早めても構いませんか』

『・・・良いのか?』

『はい。朝までに・・・』

『それなら、そうしよう。私が、朝だと思う最後の時間に使いを送ってやる。次の行き先までは、今回は我々が案内しよう』

『ありがとうございます』

『うむ。では、また明日』

『はいっ』


こんな、数時間前の約束が、随分遠く感じられる。そのまま何刻も過ぎた頃、春はそっと布団を抜け出した。













襖の閉まる音を聞きながら、春隆はうっすら明るくなりはじめた外を見た。まだ鶏も鳴かない時間だ。出ていくにはまだ早い。


何処に行ったのか・・・。


訝しく思っていると、遠くから耳慣れた包丁を使う音がする。


今日も、何時も通り朝餉を作る気だろうか。


春隆はふっと笑って布団を退けた。






「はる」

「あ、ハルさん」


声をかけると、襷掛けをした春が振り向いた。


「おはようございます」

「ん。おはよう」


何時も通りの笑顔に安堵する。この感覚は、春隆には初めてのものだ。


「朝から、どうしたんだ」

「あ・・・ええと、少し思い出して、お菓子を作ってみようかと思って」

「菓子?」

「はい。くす・・・春望様が、お好きだったんです。また作ってあげられたら良かったのですけど・・・。少し、材料があったから、ハルさんにも食べてほしくて」

「僕が師範の代わり・・・?最後に、か?」

「・・・・・・お茶、いれますね」


春隆の問いに困ったような顔をして、春は急須を準備し始めた。





縁側に並んで座る。空が、薄紫のような青のような色になってきていた。


「紫だちたる雲・・・清少納言か。天青の目の色は、これかもしれないなあ」

「え?」

「春によく見られる空なんだ、これは」


春隆は、山の稜線をなぞる雲を指差して答えた。


「・・・そうだ。ハルさん、これ、なんですけど」


暫く共に見つめていた春は、思い出したようにひとつ皿を差し出した。


「胡桃餅?」

「はい。そば粉で作ってあって・・・。それに、ちょっと桜が入ってます。仕上げに炙ってあって・・・」

「なるほど。戴こう」


ひとつに手を伸ばし、ゆっくりと頬張る。


「うん。・・・美味い」

「よかった」


春は、それは嬉しそうに笑った。その顔を見て春隆も表情を緩める。


「師範は本当に好きだったんだな。納得できる」

「ええ、それはもう、作る度にいくつもいくつも・・・」

「違う。君を、だよ」

「え?」

「気に入ってしまうのも無理はない」

「・・・・・・」

「何をさせても及ばないところは多々あるが、それでも一生懸命なところとか、よく笑うところだとか。春はとても魅力的だな」

「それは、季節の・・・」

「いいや?君の話」

「・・・ありがとうございます、ハルさん」

「それは僕の台詞だな」

「いいえ。ハルさんが拾ってくださって、素敵な名前もいただいて、あたたかい居場所をいただいて、・・・・・・ご迷惑ばかりかけてしまったけれど、・・・ハルさんに会えて、・・・側にいられて・・・わたし、とても幸せでした」

「春・・・・・・。迷惑だなんて、僕は一度も」


春隆の言葉を遮るように、春は首を振った。


「最後だけでも天青とお呼びください。私、この名前が好きだから・・・」

「天青」

「はい。ハルさん、私、春望様が大好きでした」

「・・・そうか」

「でも今は、同じくらいハルさんも大好きです」

「・・・天青・・・?」


伏せられた目が、心なしか光って見える。


「本当は、ここにずっといたい。ハルさんと、千代ちゃんたちと・・・此処でずっと暮らしたい。ここの生活は本当に楽しかったけれど・・・・・・」

「!それなら・・・」

「でも、もうお別れなんです」


何かを振り切るように頭を振る彼女に手を伸ばす。頬が少し濡れていた。


「ハルさん、あのお花!なんて言うんでしょうね」


突如、大声を上げて天青が立ち上がった。駆けていく庭の端に見える塀の向こう側で、小振りな黄色が花びらを広げている。春隆の手は、空に触れて止まった。


「・・・向日葵が、どうかしたのか」

「・・・時が来たみたいです。私はもう、行かないといけない・・・」

「もう時なのか・・・」

「全部話せなくてごめんなさい。私、はやく行かないと。ハルさん、どうか・・・・・・お元気で」

「天青?」


濡れた頬のまま、極上の笑顔をみせる彼女に春隆は慌てて駆け寄ろうとした。


「待ってくれ。まだ・・・だ、待て、行くな・・・・・・っ!!僕は、君に何も・・・・・・」


日の出と共に、強くなっていく陽の光に、彼女の姿が霞んでゆく。


「たくさんたくさん、ありがとうございます、ハルさん・・・・・・」




大好きです

さようなら




柔らかな陽の光の中で、風の囁きのような大きさで、優しい声が聞こえた気がした。


「天青?・・・・・・こっちの気も知らないで一方的にっ・・・・・・・・・」


今の今まで彼女が在ったところに、何もない。

どうしようもなくなって、春隆は裸足のまま表へと駆け出した。

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