**桜と春一番
『天青』を拾った時に、春隆は彼女が師範の言う『春』ではないかと確信に近い思いを持った。
それを、今まで一度も口にしないできたのには、春隆だけが知る理由がある。
細かい事はわからないが、春隆は、彼女をどこかで気に入っていたのだ。師範を慕う気持ちとも、橘や半次郎一家、そして幼なじみの平助とも違う。何か・・・
もし、師範から聞いた話が本当ならば、すぐに彼女と離れなければならない時が来る。
そんな時が来ずに、近くに居られたら良いのに。
そう思うほど、気に入っていた。
だが・・・
今来ている客を思う。あれが家族で、在るべきところがあるというのなら、帰してやらねばなるまい。帰る家があるというのは良い。実父実母を知らぬ春隆だからこそ、強くそうも思った。それなら・・・
「はる・・・・・・」
それまで黙ったままだった春隆が、優しい声音で春を呼んだ。
「それが何かわからないなら、とりあえずはいい。ひとつ頼みを聞いてはくれないか」
「頼み・・・?」
春隆はそっと春の手をとって両手で包みこんだ。
「僕のために、花を呼んでくれた事があったね」
「・・・はい」
「また、頼める?」
庭いっぱいの花。なかなか起きない春隆が、疲れていると決め込んで、笑顔になってほしくて呼び寄せた。
あれは失敗したと思ったのに・・・。
「ここに、ですか?」
「いや。どうなるかはわからないが、頼みたい花があるんだ」
「何ですか?」
「春を代表する花だよ。・・・・・・さくら」
「桜を・・・?」
春隆が手を見つめたまま頷く。その口元は優しい形を保ったままだ。日々の失敗を減らし、呆れられる事も少なくなった最近は、よくこんな表情を見られるようになった気がする。この顔を見ていると、不思議と春も穏やかな気持ちになった。
迷惑ばかりかけて、きっと嫌われているに違いない。
そう思っていたのも初めのうちだけだ。町に行った夜に聞いた話を思い出す。何かを護るために使う力は、彼に教えてもらった。そうする事で喜ぶなら、いくらだって・・・・・・
「・・・・・・きゃっ」
心で強く桜を呼んだ瞬間、一際強い風が辺りを吹き抜けた。
「春!?」
近くで春隆の声がする。
「は、はるさん・・・」
「今の風は・・・」
『おーーいっ』
「!?」
突然、家の表で大きな声がした。
「行こう」
「はいっ」
急いで表へ戻る。そこには町で一度会った男が立っていた。
「清秋さん?」
「お、いたいた。・・・む?わざわざ家の裏で逢い引きか?」
「違う!・・・何の用だ」
「野暮用だから後で良い。それより、この桜は何だ・・・?」
春は清秋に言われて初めて辺りを見渡した。
「桜・・・」
「春、何かわからないか」
春隆の声にはっとする。その表情を見て彼は確信したように頷いた。
「春?」
「清秋・・・・・・いや、平助。彼女だったよ」
「ん?」
「師範の数珠の、あれは彼女だった」
「!!・・・やはり。ではさっきの風は、春一番というところか」
「まったく、季節はずれな」
二人の会話も耳に入らない。
春には、同じ風景にいながら、二人とは別の景色が見ていた。
『この桜は君達の象徴みたいな花なんだね。本当に美しい。季節外れにこんな素晴らしい花が見られるなんて、思いもしなかった』
いつも静かな彼が、少年のような表情で野を駆け回る。
『春、陽までが君みたいだ。優しくて暖かい。僕のために、こんな・・・』
『楠木様、そんなに走ったらお身体にさわります』
『構うものか。こんな素晴らしい景色を見て、黙って座っているなんて出来るわけがない。それに君と居られて夢みたいだ・・・』
「楠木、様」
ぽつりと春は呟いた。
「くすのき?」
「春望様とは、髪を後で結いておられましたか」
「そうだな。結いていた」
「背たけは、これくらい・・・顔立ちは・・・・・・っ」
今見えたままに身振りをつけて特徴を挙げていく。
「うん、それが春望師範だ。思い出した?」
総てに頷いて、春隆がほっとしたような、困ったような表情で春を覗いた。
「思い出しました、全部・・・・・・」
昔、ここで出会い、記憶を共にした青年を。そして、その時の温かな心も。今、その心の源になっている青年を見つめる。
「楠木様とお呼びしておりました。名前が違うなんて・・・・・・」
「あー、それな」
清秋ががしがしと頭を書いて言う。
「先生は、国を越えて北に行く時に名前を変えているから」
「よほど君に会いたかったんだろう。自分の病を治すという名目で、各地を旅をして回っていた。今思えば、名前からもそれが伺えるな」
二人の門下生は、揃って似たような苦笑いを浮かべた。
「春を望む、だ」
「あの色恋に関してはことにカタブツぶりを発揮していた師範が?」
「くっ・・・ふ、はははは・・・」
「あははは・・・」
そのまま大笑いし始める二人に、春は戸惑った。
「あ、あの」
「いや、すまん。あまりに可笑しくて」
「・・・はあ。僕もその名を貰えばよかったな」
「え?」
春隆の小さな呟きは、最後まで聞こえない。
「なんでもない。さ、中へ入ろうか。客人を待たせたままではいけない」
「俺も上がらせてもらうよ」
「春もはやくおいで」
「はい・・・」
上の空で返事をして、春は、今こそはっきりと懐かしさを感じる家を、二人が見えなくなってもしばらく眺め続けていたのだった。




