*記憶:最期の刻
稽古の合間に、春望は生徒を集めて諸国の様々な話をしてくれた。もちろん学問として与えられた知識がほとんどだが、彼の旅日記に出てくる西の大港に、南の社、北の山に東の山船の話は聞いていてとても面白い。
なかでも季節の話は氷蔵の気を引いた。1番想像を掛け離れていながら1番、現実味があったからだ。
裏付けは、師範が持っていた石と、彼の微弱ながら不思議な力だった。
「いいかい、季節というのは必ず巡る。春が来れば夏が来るし、夏が来れば秋が来る。秋の後には冬が通って、冬を追って、また春が来るんだよ。どれかが止まってもいけないし、無くてもいけないんだ」
「なしてですか?」
「物事は循環している。身近なものだと、血もそうだよ。部屋の中を抜ける風も、季節も、長いものなら命でも」
「命?」
「生死は循環だよ、それを知っていれば、無駄に永の命を得ようとしたり、命を奪ったりはできないはずなんだけどね。自然流を身につけるなら知っておかないと」
「・・・師範。僕はまだ自然流っていうものが理解できせんです・・・」
「ちゃんと使えてるけどね・・・。難しいとは思うよ。私がこれを理解できたのはそう、春に会ったからだった」
氷蔵は、稀に見ない師範の表情に目を丸くした。
「春に?季節の?」
「そうだよ。とても美しい人でね・・・・・・。この石は、彼女に貰ったんだ」
「へぇ・・・」
「これと同じ、美しい目をした女性だったよ」
「あおい目・・・」
「うん。病がわかって落ち込んでいた私の為に、庭いっぱいに花を咲かせてみせたり。彼女が知ってる世界を沢山教えてくれたんだ。私が今こうしていられるのは、彼女のおかげかもしれないね」
「そうなんですか?」
「そうだよ。ただ、彼女はずっと私とあそこにいるわけにはいかなかったから・・・・・・」
遠くを懐かしむ目になって、師範はすっと小刀を抜いた。
「私は、斬らなくてはならなかった」
「・・・その人を?」
「いや。でもそうとも言えるかもしれない」
「え・・・・・・」
「あやかしや霊は憑くものらしいよ。知ってる?」
「・・・楠木公が幽霊になってまで敵うちに現れる話は聞きました」
「そう、そう。生前の記憶かなあ、・・・僕も、死んだら君の元に現れるだろうか」
「なっ・・・」
ぎょっとする氷蔵の肩をたたいて、春望は楽しそうに笑った。
「冗談だよ。僕には心残りはないから、多分大丈夫だ。あるとすれば・・・」
そう言って石を撫でる。
「彼女に、また会いたいという事くらいかな」
「はあ・・・・・・」
「しかし私は縁を切ってしまったから、もう会えないのかもしれない」
「え?」
「妖怪や霊と同じで、彼女達季節も縁が憑くものらしい。しかしそれを作ると、正しく次の場所へ行かれない。だから、邪魔にならないように斬ったんだ」
「刀で?」
「自然流で、かな」
「・・・」
「この流派を最初に作った人もまた、季節に会った事があったらしい。いや、会ったからできた流派と言う可きか。私が剣だからそう教えているけど、実際には自然流は必ずしも剣術であるわけじゃないんだよ。故郷には弓の使い手もいてね」
「弓の自然流・・・」
「それがまた凄いんだ。どんなに遠くても必ず的に当てられる。いつか、会えたら見せてもらうと良い」
「はいっ」
春望はにっこり笑うと、小刀をしまい込んだ。
「この国の人間は季節の移り変わりを深く愛していた。今でこそ各節句しか残っていないけど、菓子にもよく現れているだろう?」
「菓子ですか?」
「春は、桜。柏の葉を使ったものもあるし、秋は紅葉を彩ったり夏も菊を象ったり、様々な菓子がある」
「はい」
「それらはすべて、季節を象徴する花や植物を使ったものなんだよ。そういえば、彼女はそんな菓子をよく好んで食べていたな。・・・春も、花を操っていた。庭に花を呼んだとは何度か話したろう。
それに、、実は私にも少し、同じ事ができると気が付いたのだよ」
「先生に?」
「うん。この石をね・・・」
そう言って、春望は数珠を掌に載せて、氷蔵の前に掲げた。
「・・・ほら」
「さくら・・・?」
「数枚の花びらだけね。彼女が去り際に咲かせたからかな、僕も時々こうやって・・・・・・・・・ごほっごほっ・・ごほっっ・・・っ! ごほっ!」
「せ、師範っ!?」
突然咳込み崩れた春望を、氷蔵は慌てて支えた。口元を押さえた手ぬぐいが、少しずつ染まってゆく。最近は喀血して伏せる事も多くなっていた。それにしても今回は異常だ。氷蔵は急いで彼を床に入れた。
失血し過ぎて意識を失っていた師範が目を覚ましたのは、夜も更けてからだった。
「氷、蔵・・・」
「師範!大丈夫ですか」
「・・・いや。私は、もう・・・永くないな」
「そな事言われんと・・・」
「私だって一端の薬師だ。それくらい・・・けほっ、・・・・・・わかる、さ」
「師範・・・」
「氷蔵、これを」
「え?」
春望は少しだけ手を伸ばして、氷蔵の手に数珠を乗せた。
「師範、これは」
「君が持っていて。それでもし、あの人に会えたら私の事を伝えてほしい」
「・・・いやです」
氷蔵は固く口を結んで首を振った。
「はは。珍しいな・・・反抗された事はなかったのに」
「師範が自分で探してください、僕は」
「無理だよ。医者に良くて一年と言われたのに、私は随分永く生きたものだ。お前が技を継いでくれて、これほどうれしかった事はない。一度だけだが大切と思える人にも出会えた」
「師範、あんまり話したら、また咳が」
「いいから。私はとても幸せな人生だったよ。お前が感情に疎くて、笑ったり泣いたりをしないのが心配だが・・・。化けたりは、しないように気をつけるから」
「師範っ!!冗談なんか」
「冗談ではない。良いか、君はこれから一人で暮らさなきゃならないんだからね。薬の作り方も教えた。剣もある。暮らしには困らないだろう。・・・君には総てを教えた。だから、きっと、氷蔵も、幸せ、に・・・・・・げほっ、ごほごほっ・・・はっ・・・」
「師範!?」
激しく咳込み、春望は息も絶え絶えに最期の言葉を口にした。
「い・・・ま、ま、で、あり、がと・・・・・・・・・」
「師範・・・・・・僕、こそ・・・」
腕の中で、徐々に力が抜けていく身体を抱きしめながら、氷蔵は、記憶にある内では初めて涙を流したのだった。




