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春のうたかた  作者: 四季
20/39

**記憶:陸

城のいたるところに薬を作りをする音が響いている。肩の傷のせいか、すこし熱っぽくなってきた氷蔵を、橘は半次郎と共に、天守閣に案内していた。彼の頭首としての才覚は、後から後から思い知らされた。初めに分けた班の数すら考えられたもので、特に二つの伝令班の存在に氷蔵は舌を巻いた。どちらの班も薬作りには参加させず、よく覚えさせた上で各医学所、国内の小さな集落にまでその方法を伝えさせた。一方、草を取りに行った班も班で、夜中までふれを出して回り、更には城の道場を解放して無償で薬を与えたのである。


『流石は、橘様ですなあ』


熱が下がった、治っただのという吉報が多数届くようになった頃、城下を見て満足そうに半次郎が呟いた。


『何を言うか半次郎。そなたも奔走していたではないか。得意の弓で川に縄を張った時は驚いたぞ』

『なあに、山民の知恵でさあ。真の功労者は誰かお忘れですかな』

『・・・いや。忘れるわけがない』


サッと体の向きを変え、橘は部屋の隅で壁にもたれている氷蔵に向かい直った。


『助けていただいたのに、私はまだ貴方の名も知らぬ・・・・・・なんと礼をして良いか』

『・・・何故、名も聞かぬまま、僕の薬を信じようと思ったのですか。それに、初対面で、自然流とおっしゃった。しかし貴方はその動きを体得していない。春望師範の名から推測したにしても、確信には至らないでしょう。・・・何か、繋がりがおありですか』


氷蔵はうすぼんやりしたまま身体を起こし、疑問に思っていた事を端から並べ立てた。それもそうかと合点したように橘は姿勢を正す。


『まずは、春望の事を話しましょう。貴方は父と言っていたな。あれに妻があったのか?』

『いえ。私は拾われた子です故、師範に奥方は・・・』

『だろうな。あれは不治の病に侵されていた』

『労咳です。私が齢十二の頃に港の 氷蔵こおりぐらの前で拾われ、学と剣を教わりました。故に僕にとっては父も同然』

『なるほど。それで、自然流を身につけたのだな。たいした剣才だ。私も昔、春望と同じ師から剣を学んだが、遂に身につける事は出来なかったのだよ』

『・・・それで』

『いかにも。私は少々耳が悪くてね。生活はできるが、自然流を使いこなせるだけの五感を持っていなかったのだ。とは言え、幼い頃に毎日のように振った刀だ。多少の動きは覚えているし、型を見れば自然と判りもする』

『橘様は流派こそ違えど、春望公と張り合えるお方やしょう、問題ない問題ない』


にしし、と笑って半次郎が口を挟んだ。


『春望公は橘様の弟君なんだ』

『しかし母が違うので、正式な橘の名は継がなかった。幼少期より身体も弱かったために母方の武内の名を継いで、山奥で暮らしていた。その時に知り合ったのが半次郎で、よほど馬が合ったらしくてな。城に上がる度に連れてきては、二人して父上の頭を悩ませていた。そして叱られるのは私ばかりだ』


橘は難しい顔をしながらも口元を緩ませた。まんざらでもなかったのであろう。氷蔵は当時を思い、愉快になって笑った。


『時に、貴方の名は何と申される』


随分と遠回りをして、ようやく橘は核心をついた。


『橘様は・・・北の うじは、ご存知ですか』

『良い噂は聞かぬ。・・・肩の傷は氏の刺客か』

『はいともいいえとも答えかねます』

『聞こう。話してみなさい』


半次郎が天守の襖を総て閉め、橘は油に火を付けた。

氷蔵はできるだけ手短に、数日前の出来事を話しはじめたのだった。


『・・・なるほど。しかし、春望は名付けの才がないな』

『出会った場所から氷蔵とはねえ。・・・はは、橘様、貴方もいい勝負でしょうが』

『煩い。・・・そうだな。追われている身ならば名は変名であった方が良い。氷蔵とは少々幼名であるし、どうだ。新しい名を名乗っては』


橘の提案に半次郎も頷く。


『せっかく親に貰った名だ。捨てる必要はなかしょう。この国用の名という事でひとつ。橘様が与えては』

『貴方はそれで良いのか』


気遣うような橘の目線に、春隆はゆっくりと深く頷いた。


『姓はあるのかね』

『・・・いいえ』

『よし。ならば、・・・芸の世には良くある事。芸術の様な自然流の氷蔵よ、そなたは師の名を持つがよい。・・・武内春隆、ではどうだ?』

『た・・・け・・・・うち、はる、たか』

『いい名じゃなあ』

『読み書きはできるか』

『・・・はい』


橘は紙と筆を持ち、達者な筆使いで『春隆』と書きあげた。


『字にはそれぞれ意味がある。春は師から、隆は盛の字とほぼ同義。力強いという意もある』

『はい』

『様々な苦難を乗り越え、この国にやってきた貴方に授けよう。受けとってくれるか』


覗き込む瞳は穏やかで暖かい。氷蔵改め、春隆は深く頭を下げた。


『武内春隆、有り難く頂戴いたします』

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