ひろいモノ:壱
時代小説風。(?)
時節は初春、まだ息の白い早朝。男はいつものように山を歩いて季節の恵を探していた。
「今年は急にあったかくなったり、冷たくなったりを繰り返すから、あんまりいいモノが採れないあ」
旧暦なら冬、しかし節句によれば春になるこの時期の獲物はもっぱら、薬草に山菜。もう少しすれば、筍もわんさか手に入る。採りたての筍を剥いて、そのままかじるもよし、焼くもよし。
焼くなら葉に包んで味噌を乗せるか、塩をふるだけでも珍味だ。
この味は、目を皿のようにして探した小さな頭を傷つけないように掘り出す苦労を知った者しかわかるまい。
さて、春隆は早朝から歩き通していたが、背中にしょった竹籠は、半分も埋まっていなかった。
「仕方ないな。無いものは無い!今日は帰るか」
よいしょと籠を背負い直し、朝もやの中を足元に注意しながら下って行く。
町と山の分かれ道に差し掛かったとき、春隆はそれが桜の下に在るのを見つけた。
「なんだ、この桜はせっかちだな。梅も完全に散ってないのに花がついている。・・・ん?」
枯れた高草の間に何やら布きれが見えた。
(誰かの家の手ぬぐいでも飛ばされたか。今度町に行くから、その時にでも持ち主を探してやろう)
籠を置いて、どれ、と近付くと、
「・・・なんだ」
風で折れてしまいそうなほど華奢な身体に、雪のように白い肌。不思議な色合いをした長い髪は、絹織のようにたおやかで、同じ色をした目は、何かを探しているようでしかし、何も映してはいない。
・・・布はただの布ではなく、持ち主を守る衣であった。
可哀相に。魂抜き《みたまぬき》に遭ったのか。
この山に不用意に迷い込んだ人間は、心を失った虚な人形のようになって帰ってくる事がある。
狩りに入る春隆だって、麓の方をさ迷うだけで、ある高さ以上に足を踏み入れてはいない。
というのも、『万年霧の霞山』という異名を持つこの山には、その名の通り、常に霧が立ち込めていて、一寸先も見えなくなってしまうからだ。
(しっかし、どうしたもんかなあ)
魂抜きに会った人間を町に下ろすのは忌み嫌われている。それがたとえ家族であろうと“山にお帰しする”という名目で、そのまま捨てられるのが常だ。
(・・・この時期の朝晩はまだかなり冷える。見れば女は着物一枚で羽織りすら着ていない。このまま放置すれば、朝には冷たくなっているに違いないが、・・・ここは毎日狩りに行く時に通る道だ・・・・・・。そのうち鳥が食みに来るだろう。その横を通るのは、やはり忍びない)
春隆は刀に手をかけながら桜の麓に近付いた。話には聞いていても、魂抜きにあった者に会った事はない。虚な人形とは聞いていても、襲われない確証はないのだ。
(大人しくしてておくれよ・・・)
高草をかき分けて、女に近付いた。遠目に見ても小さいと思ったが、改めて見ると更に小柄な気がする。娘かとも思ったが、顔立ちが否定する。
(・・・女、だなぁ。幼さも見られるけど)
春隆は意を決して声をあげた。
「・・・・・・そこの、」
「・・・・・・」
しかし、やはり反応はない。魂抜きの被害者は言葉も無くすのだったか?どうしたものかなぁ、と頭を掻いていると、ふと女が目線を上げる。そして、一瞬ふわりと笑って見せた。
「・・・!」
何を見るでもなく薄く開かれていた目が、光をさして春隆をじっと視ている。
(人間、心なくして笑わないだろ。こいつ、魂抜きじゃないかもしれないな)
春隆は恐る恐る近付いて、女の身体をゆすった。
「おい、大丈夫か」
触れた肩は冷えきっていて、少し震えているようにも見える。当たり前だ、こんな薄着で朝方から座り込んでいたら、どうやったって体温は着実に奪われていく。
「・・・・・・なんでこんなところに居る?」
女は考えるようなそぶりを見せたかと思ったが、すぐに目をつむってしまった。
「・・・っ、おい」
もう揺すっても何の反応もない。
「まずいな・・・」
このまま眠らせたら本当に死んでしまう。春隆は一度立ち上がって女を見下ろした。幸いか、女は小柄だ。家までおぶってゆく事くらい、わけはないだろう。伊達に毎日山歩きで鍛えていない。
「すまない、ちょっと、弄るよ」
小声で断って、着物の裾を膝までたくしあげる。見えた細い足を抱え、ゆっくり体重を背中に移した。道に置いてきた籠を腹にする。
(あ・・・・ここ、春の匂いがするなあ・・・)
ふと感じた香りに、状況を忘れて口元が緩んだ。
『草木の芽生える時の匂い』こう言っても、解る人はほとんどいなくなってしまった。それだけでない。共存していたはずのモノを忘れて、人益しか考えてない輩が多すぎる。
(僕が物好きなだけかな)
ふっと苦笑いして春隆は女を背負い直し、振動を与えてしまわないように家路を急いだ。