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春のうたかた  作者: 四季
17/39

*記憶:参

山は霞がかっていて、頂上が見えていない。しかしそこを通らなくても国の境を渡ってさえしまえば、とりあえずは逃げ切れる。ふらつく足を引きずり、岩だらけの山道を歩いていく。道がようやく下り坂になってきたところで、氷蔵はふと霧とは違う湿気を感じて足を止めた。何やら、水音がする。


『こちらにも川があるのだな・・・』


そのまま誘われるように歩き始める。浅くない傷は熱を持ち、触れた額も、いつもより熱い。触れた手が冷たいせいではないはずだ。

暫く歩き、氷蔵は着いた澤に手を入れて驚いた。


『ぬくい・・・。湯が出るところが近くにあるのだろうか・・・』


風呂ほど暖かくはないが、傷付き冷えた身体に心地好い温度に、次第に氷蔵の意識は途絶えていった。




“こんなところでお休みになっていては危険です”




そんな声が聞こえた気がする。ふわりと温かな何かに抱えられたような心地がし、次に気が付いたら着物のまま半身は湯に浸かって、肩の傷は雑にだが手当てされていた。


『ここ、は・・・』

『!起きしょうか』

『あなた、は・・・うっ』

『動いたらいかん。酷い傷じゃあ。ここじゃろくな手当はできんか、血は止まっとる。大人しゅうしとせな』


なかなか焦点の合わない目で声のする方を見ると、優しげな顔をした男性が座っていた。


『川辺に流れ着いとったんよ。あんまり冷たいからどざえもんかと思うたが、肩の傷に触れたら呻いたから、ウチの薬湯に浸けてみたんだ。効くだろう?・・・俺は半次郎と言う。あんたは?』

『僕、は・・・』


どうやら命の恩人らしいが、名前を告げて居場所が広まっては、万が一国を越えて追われた時に迷惑がかかる。氷蔵は困って俯いた。


『まぁ良いさ。肩の傷といい、訳ありそうだしなぁ』

『すまない・・・』

『なんも。湯に浸けただけんよ。生きてて良かったな』

『有り難う・・・』

『どうだ、動けそうか?』

『もう少し、血の気が戻れば・・・』

『まあまあ、言いなさんな。お侍さーよう。血の気は食って戻すもんしょう。鍋、食ってけ食ってけ』

『しかし・・・』

『血が抜けすぎだけ力がいらんだろうが、傷はそうひどくない。ウチの鍋を食えばたちまち治る!』


半次郎は豪快に宣言して立ち上がった。


『手ぬぐいと着物はそこだ。とりあえずは貸すから、隣へ来な』


そう言うと、彼はそのまま氷蔵の返事も聞かずに湯殿から出ていった。









『来たか!』


氷蔵が着替えて隣の部屋を訪れると(戸が1つしかなく通るしか無かったのだが)、半次郎は嬉しそうに笑って、囲炉裏の側へ招いた。


『茸の鍋があるんだ。ほら、食いな』


ずいずいと腕を押し付けられ、氷蔵は思わず椀を受けとった。恐る恐る口をつけ、その美味さに目を見張る。その様子を見ていた半次郎は嬉しそうに笑って、思い出したように奥に声をかけた。


『お千代』

『何、父さん』


すぐに現れた娘は、氷蔵を見て不思議そうに顔を傾げた。


『お客さー?来てたの?』

『ああ、客だ!で、千代。千歳の様子はどうだ?』

『よくない。全然熱がひかなんしょう』

『鍋は食えるかや』

『どうかな。呼ばれてみよか』


そういって千代がテキパキと椀に汁を盛る。その間に半次郎は氷蔵を振り返って言った。


『千歳つうのは妻の名でな、流行り病で今は伏せってるんだ』

『流行り病、ですか』

『なんでも三日三晩熱がひかないで、死ぬやつもいるらしい』

『父さん』

『すまんすまん、千歳は大丈夫だな』


咎めるような千代の声に、半次郎は苦笑いして謝った。


『よかったら、診せていただけませんか』

『お侍さー、医者もできるのか?』

『そうではないのですが、少し薬草に詳しいもので。・・・これの礼に』


氷蔵が軽く椀を持ち上げると、暫く訝しげに見ていた半次郎は納得したように頷いた。






『千歳、入るぞ』


半次郎が声をかけるが反応は無い。氷蔵は彼の後に続いて、床に寄った。


『わかるか?』


半次郎の声には答えず、そっと千歳の手をとって診る。それから顔を見て、最近の様子を千代に尋ねた。


『こういう、葉を見たことがありませんか』


氷蔵が小声で形状を言うと、直ぐさま千代が声をあげた。


『そなら、そこの川にいくらでも生えしょるよ』

『それが効くかも知れません』

『ならとってくる!!』

『ほんとに効くのうか、それが。ここらじゃ誰も見向きせんただの草やしょう』

『僕の判断が合っていれば。大丈夫、栄養価の高い草です。違っても毒にはなりません』

『・・・千代。行ってくれるか』

『うん』


父の許可が出て、ようやく千代は走り出た。半刻もすると彼女は小さな籠いっぱいに葉を集め、帰ってきた。


『半次郎さん、お湯をお願いします』

『わかった』


その間に氷蔵は葉を小さくちぎった。千代に巾着を借りて袋状にし、その中にちぎった葉を詰め込んでゆく。時々肩の痛みに顔をしかめる氷蔵を見て、千代も横から手を出した。


『兄さー、どんくらいの湯だね』

『それで充分です。後は椀を二つ程借りられますか』

『千代』

『はい』


弐刻もすると、茶碗1杯の淡い緑をした液体が出来上がった。


『こ、これか?』


一見茶の色をした不思議な香りのする液体を見て、半次郎は怖じけづいたように氷蔵を見た。


『飲ませてあげてください。悪い味はしませんから』


証明するように残りの方を少し飲んでみせる。その椀を奪うように半次郎も薬を舐めると、納得したように妻の手をとってゆっくり抱き起こした。そうして恐る恐る薬を含ませているのを確認し、氷蔵はそっと囲炉裏の側へ戻って火にあたって待つことにした。

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