お姫さま
興奮した千代に呼び付けられ、春隆は女湯の脱衣所まで来ていた。
「今日は誰もおらん!先生、はよう!」
「そうはいってもだな・・・」
渋る春隆の手をぐいぐい引っ張って千代は湯殿へ向かう。
「おい、千代・・・」
「ほら先生っ!」
「・・・・・・なんだ・・・?」
木製の椅子に手ぬぐいを何枚も敷いて、楽な浴衣姿で寝かされている一人の娘。顔は春隆の知っている人物に似ているが、一見誰かと疑った。呆然と見つめていると、隣で千代の声がする。
「天姉やん。先生呼んできたで」
「天、青・・・なのか」
相変わらず肌は白いが、薄く青を帯びたような銀白色の髪は何処にもない。彼女の髪は真っ黒に染まっていた。
「お湯に浸かってたら急に」
「そうか・・・」
春隆はそっと天青の側に寄った。恐る恐る手を伸ばし、流れる黒髪に触れてみる。そして、
「天青・・・」
背に手を回して抱きしめた。
「せ、先生」
千代の焦ったような声が聞こえた気がしたが、気にせず口元に顔を寄せると、ふっ、と髪がなびくのがわかった。呼吸している。
「生きては、いる」
「あ、ああ・・・そ、そう、なん?」
ふう、と長く息を吐いて、春隆は腕に力を込めた。立ち上がりながら、両腕で天青を抱き上げる。
「ふ、やはり軽いな。天青は」
状況に似合わず口元を緩めると、千代が近くに寄って流れ落ちた髪を整えにくる。
「先生は、前も天姉やんを運んだことがあるんさ?」
「当たり前だ」
「そ、そうなん」
千代は、何故そんな事を聞くというやや呆れ顔の春隆を見て驚いた。
「そうしてると、お姫さまみたいやな。綺麗な顔して、真っ黒な長い髪で」
「そうだな。さてと・・・・・・とりあえず、今日は帰って天青を寝かせるとしよう。千代、世話をかけたな」
「い、いえっ」
ピシッと背を伸ばす千代に春隆は笑いかけた。
「君に任せて正解だった」
「それはおおきに・・・」
「じゃあ、お休み」
「おやすみなさい」
くると背を向けて歩きだすと、湯屋から出たところで思い立ったように春隆は振り向いた。
「そうだ、千代」
「はい?」
「半次郎の猪鍋を食べ損ねたな」
「?さよかな」
「だから、近々行くとしよう」
「ほなら、父さんに伝えときますや」
「天青が目覚めたら」
「え?」
「また君に世話になっても?」
「!」
暗がりの中で完全には見えないが、声音は優しい。千代はゆっくりと頷いた。
「天姉やんがそうしたいなら」
「きっと、頼む事になるよ。天青も礼を言いたいだろう」
「・・・だといいな」
「有り難う。では、今度こそ」
「あ・・・」
確認されていた。このような事態になって千代が天青を拒絶しないか、確かめられたのだ。千代はさっと顔が熱くなるのを感じて手で押さえた。
「おやすみ」
「おやすみ、なさい」
見えないけれど、足音が遠くなってゆく。そうして春隆が暗がりに消えてから、千代もゆっくりと歩きだした。




