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ビスの草の海編02

「これが"自由"ってやつかね」


 あざやかな青をぶちまけたような空を背景に、凪いだ風に流されて移動していくのは、綿菓子のようなふっくらとした白い雲。草原に仰向けにねっころがり、見るともなくただそんな穏やかな空を眺めながら、男はそうぽつりともらした。


 それは疲労も相まってか、やけに実感のこもった声音だった。自然と本音がこぼれたような。しかし柄でもない、とごまかすように、男は泥にまみれた無骨な手で無精髭の生えた顎をポリポリとかいた。


「しっかしガイのヤロゥ、ビスの森には初級魔物しか出ねぇし面白ぇもんも見れる――なんて笑ってたが、バリバリ中級のハイオークが出てきやがったじゃねーか。全く、相変わらずテキトーなこと言いやがって。あの破天荒男め」


 ぶつくさと文句をぼやきながらも、男は先ほどふり切った獰猛で恐ろしいハイオークの姿と、それに恐れをなして逃げ出した自分をにやけた面で指差して笑い転げるガイの様相を脳裏に思い浮かべてしまって苦い顔をした。おそらく、ガイと男がいうその人物があの場にいたらさぞ楽しげに男を小馬鹿にしていたに違いない。ガイという男はそういうけったいな人物なのである。


 ガイに虚仮にされるのは癪なのだが、情けないことに、ハイオークのあの隆々とした赤黒い強靭な筋肉を目にした途端、男は恐怖のあまり失禁してしまいそうになった。ハイオークといえば魔物の中でも中級と位置づけられ、その鋼のような分厚い皮膚は滅多な攻撃(恐ろしいことにそれにはあの"魔法"も含まれる)を通さないことで知られている。ギョロギョロと動く赤黒い瞳に、3メルトル近い上背も相まって、その個体だけで圧倒的な"凄み"を醸し出すモンスターだ。


 外見からすれば下級のオークを単に五倍に拡大しただけのように見えるのだが、だからといってなめてかかっては命取り。奴らはオークとは比べものにならず、異常なほど頑丈なのだ。流石その名に"ハイ"とつくだけのことはあるということか。


 とてもじゃないが、並みの人間が勝てる相手ではない。何しろよっぽどの破壊力を有した攻撃でなければ奴らには攻撃が通じないのだから、G〜Dランク辺りの冒険者程度ではまずもって倒しようがないのだ。


 前に少々述べた通り、男にはたいした攻撃はできない。自慢できるのは逃げ足だけ。つまり、本人はちょっとばかり情けないと自嘲しているが、今回男のとった"逃げの一択"は最善の行動だったと言えるだろう。


「あーやめやめ。命あっての物種だ。あんなおっさんのことなんぞどーでもいいし。それにおかげでこんな見事な場所にこれたしな。しっかし、ひっさしぶりに死ぬかと思ったわー。ほんとよく逃げ切れたよな、俺。ダルいけどやっぱ、脚力鍛えといて良かったぜ。あー声出したら喉乾いた、みず、水!」


 しかし男は立ち上がって放り投げた荷物を取りには行かなかった。軽口を叩いてはいるが、男はハイオークからの逃亡で精神力・体力ともに限界近くまで擦り切れており、いまだ立ち上がる気力がわかなったからだ。


 代わりにのっそりと起き上がった右手をズボンのポケットにつっこんだ。大きめに作られたそのポケットから取り出したのは、手のひらに収まるくらいの一冊のくたびれた本だった。表紙には"生活のためのポケット六魔法全書"と題字が刻んである。手慣れた動作でページをめくり、青魔法の項目で手をとめた男は、ページの一部――"冷や水を召還して飲む方法"の箇所――に左手をかざし、朗々と読み上げた。


「我等は汝らに命ずる。スルグンドの民、大いなるウマンタの神よ、聞き届け給え。我等の存ずるアムタの大地において、とく命ずる。――"冷水"」


 すると、なんと不思議なことだろう! 男の手にした本の前方が、にわかに光を放ったかと思うと、そこから飛沫をあげながらホースのように細い流水が流れ落ちた!


 男は眼前から素早く本をのけると、あんぐりと口を開けて落ちてくる流水を受け止めた。


 ちょっとばかし水の量が多かったので、男の頭から胸元までびっしょり濡れてしまったが、男は気にせず喉を鳴らして冷たくひえた水を飲み込んだ。満足そうに息を一つ吐くと、まだ手にしていた本をポケットにしまい込んだ。


「さて、水を飲んでひとごこちついたんだが、ここは一体どこだ?」


 そう言う男はしかし、相変わらず仰向けに草原にねそべったままでのんびりしており、その様相からは深刻さのかけらも見いだせなかった。この男、迷子の自覚が本当にあるのだろうか。


「ハイオークに追っかけられてた時は無我夢中で気づかなかったけど、そもそもここらの地図を見た時に、ビスの森の周辺にこーんな大草原なんてどこにもなかったはずだ。俺の記憶違いでなけりゃな」


 男はマントの内側の隠しポケットをごそごそ探って、くたびれたメモ帳を取り出し開く。何やらごちゃっとはしているが見ようによっては地図に見える落書きがそのページいっぱいに広がっていた。


「ほらな。やっぱりこんな大草原あるわけないぜ。つーかこんなに見事な草原があるならギルドのヤツから何らかの情報を教えてもらえるだろうし、地元でも観光名所扱いされてるはずだろ。つーことは、だ。ガイの野郎が言ってた面白いとこってのはこの大草原のことを指してる可能性が高いな。しっかし、ここをあいつが面白いって感じるか?……いや、ぜってー何かあんだろ!」


 男の顔には満面の笑みが浮かんでいた。これからの冒険を前にして、その二つの眼は透き通った宝石みたいにキラキラ輝いている。期待しているのだ。胸踊る光景が待っているのか、心臓から揺さぶる刺激的なスリルがあるのか――と。


「ま、もうしばらくここを堪能してからでも遅くないだろ。あー癒されるー」


 ……男は相変わらず呆れるくらいマイペースだった。




※メルトル…メートルとほぼ同じ。


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