兵器を作る少年
試験管の中で生まれた彼は、『人を殺すために生まれた天才』でした。
彼はごく一部の人しか知らない地下の研究所で生まれ、そこで育ちました。
外に出たことは一度もありません。
その研究所は、『社会では認められていない研究』をするための研究所でした。
彼の仕事は、「人類を滅亡させるくらい強力な兵器を作ること」です。
遺伝子操作をされていた彼は、その研究所の誰よりも天才でした。
自分が作った兵器を、研究所の人間がどこかの国に売り飛ばして、お金儲けをする気だということを彼は知っていました。
だけど彼にとっては、金儲けも人類の未来も興味のない話でした。
彼が興味を持てるのは、兵器の作り方。それだけでした。
人工的な光しかない地下の研究所で、彼は兵器について学びました。
それは、彼が7歳の頃でした。彼はいつものように、いろんな化学式を紙に書き殴って、どのような兵器を作ろうかと考えていました。
夜、と呼ばれる時間帯になると、研究員はみんな外に出て行きました。
「家に帰る」と皆口をそろえて言っていました。
彼にとっての家は、研究所でした。だから、外に出ることはありません。
「熱心だね」
そう彼に話しかけてきたのは、一人の若い女性研究員でした。彼は化学式を書き殴るのをやめて、彼女の方に目を向けました。ひらひらした金色の髪の毛が、印象的でした。
「…あなたは家に帰らないんですか」
彼が尋ねると、彼女は困った風に笑いました。
「一人暮らしだしね。それに私が帰ったら、あなたが一人ぼっちになっちゃうし」
「別に問題ありません」
「寂しくない?」
「寂しい?」
彼は、寂しいという感情を知りませんでした。寂しいという感情だけではなくて、嬉しいとか楽しいとか悲しいとか、そういう感情は遺伝子操作により一切排除されていました。
それは、この女性研究員も知っているはずでした。
「…ちょっと貸して」
彼女はそっと手を伸ばして、彼が中性子爆弾について書いていた紙を一枚拾い上げました。それから自分の胸ポケットからサインペンを取り出すと、何やら書きはじめました。
「じゃじゃーん!!」
あっという間に書きあげたものを、彼女は笑いながら見せてきました。
それは、口から火を吹いている怪獣の絵でした。それもかなり、下手くそでした。
「…なんですか、これ」
「知らない!?有名なのに!!」
彼女はその怪獣のテーマソングを彼に歌って聞かせました。しかし、彼はそんな曲を聞いたこともありません。彼は素直に、知りませんと答えました。
彼女の琥珀色の瞳が、少しだけ揺れました。彼女は自分の描いた絵を見ながら、
「こんなものなんだよ」
「…?」
「君と同い年くらいの子供たちが知ってる、『地球をぶっ壊すもの』なんて、こんなものなの」
そう言うと彼女は紙から目をあげて、彼の方を向きました。
「だから君も、こんな難しい式なんて、知らなくていい」
彼女は静かに、けれどはっきりと、そう言いました。
彼女はそれから毎晩、彼の隣に来ていろんな話をしました。
外の話をたくさん、聞かせてくれました。
空が青いこと。夏は暑くて冬は寒いこと。植物のこと。動物のこと。それは、彼がデータでしか知らない話ばかりでした。彼はいろんな化学式を書きながら、彼女の話を聞いていました。
彼のそっけない食事を見て、彼女がお菓子を持ってきたこともありました。
魚の形をしたそのお菓子は、本物の鯛でもないのに「鯛焼き」という名前でした。
「おいしい?」
「…あったかいです」
味についてもよく分からない彼は、鯛焼きが温かいということだけしか分かりませんでした。
それでも彼女は、満足そうでした。
「あなたは、外の世界が好きなんですか?」
ある日、彼女が楽しそうに遊園地の話をしているときに、彼は尋ねました。彼女からは今までいろんな話を聞きましたが、外の話をするときはとても嬉しそうだったからです。
「そうだね、好きだよ」
彼女は笑いながら答えました。
「だったらなんでこの研究所にいるんですか」
彼が訊くと、彼女は黙りこみました。しばらくしてから、小さな声で呟きました。
「死んだ子供をね、よみがえらせようとしたの」
そう言うとまた、黙り込んでしまいました。
ある日を境に、彼女は研究所から姿を消しました。
「処分された」という噂を彼が耳にしたのは、それから随分後のことでした。
「君を研究所から逃がそうとしたことが問題となり、口封じのために彼女は殺されたんだよ」と他の研究員から聞かされました。
彼女はクローン人間の研究をするつもりでこの研究所に来ていたのだということを、彼はその時はじめて聞かされました。
「なんであの人は、僕のことを逃がそうとしたんでしょうか」
彼は、研究員の一人に尋ねました。
「…さあ?もしかしたら君の事を、自分の子供のように思ってたのかな?」
彼にとって彼女は、研究員の一人でした。それ以上でも以下でもありませんでした。
なのになぜか、彼女のことが忘れられませんでした。
それから数年後、彼はついに一つの兵器を…その化学式を、完成させました。
このデータを研究員に渡すとどうなってしまうのか。彼はよく理解していました。
外の世界がすべて、消えてなくなるかもしれないということを。
彼は、彼女のことを思い出していました。
空の広さを話した彼女を。海の冷たさを話した彼女を。
楽しそうに話す、彼女の笑顔を。
彼女のくれた鯛焼きの温かさを。
彼女の、温かさを。
彼女が好きだった世界を守る方法を、彼は知っていました。
夜中。彼は一人になると、まずは研究所のコンピューターを操作して、すべてのデータを完全に消去しました。
それから、研究所の至る所に爆弾を仕掛けました。地下だけが爆発して、外には影響の出ない爆弾の作り方を、彼は知っていました。
最後に、爆弾のタイマーを翌日の11時に設定しました。この時刻には研究員が全員ここにいることを、もちろん彼は知っていました。
翌日、朝から研究員は慌てふためいていました。研究データがすべて消えていたからです。彼はそれを横目に見ながら、自分の隣にある爆弾を確認しました。
爆発まで残り、3分を切っていました。
彼は、一枚の紙を握りしめました。そこには、彼女が書いた下手くそな怪獣の絵が描かれています。彼にとって、それは宝物になっていました。
爆発まで残り、10秒。
彼は、ゆっくりと、ほほ笑みました。
遺伝子操作によって天才を作りだす方法を知っている研究員と、世界を破滅させるような兵器の作り方を知っている自分。
その二つがいなくなれば、いい。
爆発まで残り、3秒。
彼はゆっくりと、目を閉じました。
彼は生まれてから一度も、空を見たことがありませんでした。
だけど今、彼の中には大きな青い空が、広がっていました。