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異世界行商譚  作者: あさ
斯く為すべき者
89/90

契約の行き付く先

 元・ロード商会アロエナ支店買取担当責任者にして、現・ユーシア独立領取引責任者及び領主相談役。それが彼の肩書だ。


 優斗から手に入れた飛び杼の技術を使ってロード商会内を怒涛の速度で昇進した彼は、技術を持ち込んだと言う立場を最大限に利用し、この地位を得た。上層部や頭の切れるモノに話を持ちかけ、今回のルナール公国市場を利用した大儲けを成功させた功績で。


 話を持ちかけた、と言っても、彼が発案し、実行させたと言う意味ではなく、こんな技術があるのだがどうすれば儲けられるだろうかと、手柄を分け合うと言う条件で優秀な人材に問うたのだ。

 昔の彼ならば、そんな事をせずに技術を囲い込んだかもしれない。だが、まだまだ若く、経験が足りていない様にしか見えない優斗に敗北を喫した事、そんな彼が1か月にも満たない間に領主のお抱えにまでのし上がっていたと言う事実を目の当たりにした事が、ハリスの心に大きな変化を生み、それが彼の商人人生の転機となった。


「ずいぶんと出世されたそうですね。おめでとうございます」

「ありがとうございます。優斗さんも大きな商いをされているようで、羨ましい限りです」

「えぇ、おかげさまで」


 お互いがお互い、お前の事は調べが付いていると、ルエインに知られると困るだろうと牽制しあう。

 何せ、どちらもルエインを利用して何かをたくらんでいる事は確実なのだ。両者が敵対的である事ですら、知られてしまうと今後に差し支える可能性がある。


「挨拶はもう良いだろう。優斗、約束通り部下と相談させて貰うぞ」

「えぇ、どうぞ」

「ハリス、これを見てくれ」


 そう言ってルエインは、優斗が提示したシンプルな契約内容の書かれた紙をハリスへと差し出す。

 優斗は、もう少しだったのに、と悔しがりながら、段取りが狂った事を忌々しく思っていた。しかし何時までもそうしている訳にもいかないと気を取り直し、元々は後ろ盾のある状態で交渉するつもりだったのだから、元に戻っただけだと自分に言い聞かせ、心を落ち着かせる。


 優斗が見守る中、ルエインは優斗が領主たる権限を持っている事は間違いない事、そしてそれをクシャーナと引き換えに譲渡される事になった事を告げると、契約書の文言に問題が無いか確認して欲しいと依頼する。

 それは、ルエインの中で契約する事自体は決定事項である事を示しており、上手くやればこのまま押しとおる事も可能ではと言う期待が優斗の中で生まれる。


「ふむ、それはおかしいですな」

「何がおかしい?」

「ルナールにとって、ユーシア家は裏切り者。それをこんな簡単に許すはずが御座いません」


 契約内容の書かれた紙をルエインへと返すハリスは、その際にクシャーナと視線の合わない方向に体をずらす。

 その行動のさり気無さにさすがだと感心しながら、優斗はその指摘は当然あるべきものだと考えていた。むしろルエインが思いつかなかった事の方に、驚いたくらいなのだ。だからこそ、筋の通った言い訳は既に準備されている。


「さる商会がルナール公国の市場を荒らしたせいで、公国内では武器や糧食が不足しており、値上りしつつあります。その上、停戦中とは言え油断出来ない王国との国境警備費用も考えれば、ユーシアとの戦争がルナールの財政を圧迫する事は容易に想像が付くと思います」


 優斗の滑らかな返答に、ルエインは、なるほどな、と納得している。もちろん、ハリスは納得していない、と言う反応すらせず、すぐさま優斗の説明の穴を探し、突き崩さんと頭を働かせている。


「だ、そうだぞハリス。

 ルナール公国が俺の能力を認めるのなら、戻ってやらなくもないと俺は考えている訳だが、どうだ?」

「これをもってルナール公国がルエイン様の能力を認めたと考えるのは、少々早計であると私は考えます。無論、ルエイン様はそれだけの器と能力をお持ちですが」

「ならば」

「お忘れですか? 何故、貴方が領主に選ばれなかったのかを」


 帝国貴族から嫁いできた帝国人の娘から生まれた事。見た目が完全に帝国人である事。言うなれば、帝国人差別が自分が領主になれなかった理由だと、ルエインは信じていた。

 無論、そう言った理由でユーシアの領主が選ばれた訳ではない。しかしルエインは、クシャーナが公国と帝国の混血であると言う理由で領主に選ばれたのであれば、それは自分も同じであり、ならば領主となるべきは自分であると考えていた。ルエインは、領主としての能力で自分がクシャーナに劣る部分など無いと確信している。ならば何故と考え続け、辿り着いた答えが帝国人差別と言うものだった。


 現在、ユーシアの家に残っているほとんどの者が、帝国人の特徴である黒い肌を持っている。血縁と言う観点で言えば嫁いだり婿養子に出た者がいるが、彼らは基本的にユーシア家の当主になる権利を持たない。

 これは王国軍が攻めこんで来た際、帝国系の容姿を持つ者が捕虜となれば酷い仕打ちを受けると言う事情により優先的に逃がされたり、戦場に残るにしても最前線に配置されなかった結果だ。

 そんな理由で、今、当主としての活動を支障なく行う事が出来る人間、すなわち領主を継ぐことが出来る人間のほとんどが帝国系の容姿を持っている。例外は、クシャーナだけだ。


 クシャーナは末娘で、単純な継承序列で言えば最下位に当たる。そんな彼女が選ばれる理由、すなわち他の候補者と違うところは、肌の色くらいだ。だから公国は、公国人の肌とは多少違えど、他の帝国寄り過ぎる者達よりは比較的ましなクシャーナを、強引に国からの命令と言う手段で領主に据える事で、黒の肌を持つ人間がルナール公国の領主になる事を未然に防いだのだと、ルエインは考えた。

 ルエインがそんな歪んだ結論に達するまでの間に、ハリスとの何気ない雑談が何度かあった事は、言うまでもない。


「だ、だがな。間違いなく正式な書類が――」

「冷静になって下さい、ルエイン様。

 仮にルナール公国の領主になったとしても、何かしらの理由を付けて処分、いえ、処刑する事は可能です」


 領主になれば安泰、と短絡的に考えていたルエインは、その指摘に思わず優斗の方へ視線を向ける。

 優斗の方は、まだまだ予想範囲内であると、再び用意していた言葉から必要な分を引っ張り出して口にする。


「新領主様の身の安全は保障します、とまでは言えませんが、何かあったら一蓮托生で責任を取る契約を交わす、と言う事でどうですか?」

「それなら――」

「優斗さん、貴方は可哀想な人だ」


 突然憐れまれた優斗だが、そんな事よりも先程からルエインの言葉を遮り続けているハリスに驚いていた。

 ルエインがプライドの高い人物であると、優斗は知っている。そんな彼は自分の言動を遮られる、すなわち自分の意志が通らない事を嫌う。それを容認されていると言う事は、ハリスがそれだけルエインの信頼を得ていると言う事だ。それが容易で無い事を、優斗は知っていた。


「ルエイン様、どうか彼を責めないであげて下さい。彼もまた、被害者なのですから」

「は? どう言う事だ?」

「恐らく、彼は国の要請でやって来たのでしょう。そして、必要な契約を交わし、ユーシアの地をを取り戻す事が出来たら貴方様と共に切られる運命にあるのです」


 面倒臭い事になった、と優斗は内心で舌打ちする。

 優斗とハリスは敵対しているが、この場においてはそうではないと言う事になっている。ならば、相手の意見をひたすら否定し続ける事は不自然であり、疑われる切っ掛けとなり得る。

 そうであるにも関わらず、ハリスは優斗の出した条件を否定し続けなければならない立場にあった。1つでも認めればそのまま契約を認める流れになりかねないからだ。


 故にハリスは、否定対象をズラした。優斗ではなく、ルナール公国そのものに。

 普通に考えればそれは不敬であり、訴えられれば罰せられる可能性もある。だがしかし、この場でそれを行う可能性が在るのは優斗だけであり、その優斗も大義名分さえ示せば、ルエインがどうにかしてくれる可能性が高いとハリスは踏んでいた。


「私は、私の意志でここへやってきました」

「しかし、それを証明する事は出来ない。そうですよね?」


 それは事実ではあったが、ハリスが意図してニュアンスを曲げた事でルエインに勘違いをさせた事に気付き、優斗は思わず歯を噛みしめて口の端を歪める。

 自分の意志で来たことを確実に証明する方法は、ハリスの言う通り無いに等しい。しかしハリスによる印象操作によってルエインは、証明できないのだからハリスの指摘は真実であるのだろうと受け止めている。すなわち、優斗は騙されているのだと。

 そんな状態のルエインに正しく説明を行ったところで言い訳としか捉えられないだろうと考えた優斗は、この件に関してはこれ以上の指摘を行う事を諦める。


「私はルエイン様を信じております」

「ほう、俺を、か?」

「はい。ルエイン様であればどんな妨害があろうとも、領主としての任を全うされるだろうと言う事を」


 経験が浅い自覚のある優斗は、自分とは比較にならない場数を踏んでいるはずのハリスとの直接的な舌戦を回避し、ルエインの懐柔へと目標を変更する。

 ハリスを完全に無視出来る訳ではないので、それは相手を黙らせる事が出来る優位な状況を作る為に話の方向を誘導する為であり、強引にルエインを説得する為ではない。


「まぁ、それは当然だな」

「はい。ハリスさんと言う優秀な相談役もいらっしゃいます。

 もし万が一、私が公国の手先で被害者でもあるとしても、お二人が力を合わせれば乗り切る事が出来ると信じております。例えルナール公国を相手取ろうとも」


 先程は扱き下ろされた形になっていた優斗は、逆にルエインと共にハリスを持ち上げる事で打開を図り始める。ルエインのプライドを刺激しつつ自分に有利な方へ話を誘導する事で、彼もハリスを押さえつける為の駒にしようと言う算段だ。

 この作戦の成功率はルエインのハリスへの信用度合が高い程、それに比例して高くなって行く。失敗しても、出来ないのですね、自信がないのですねと強調する事で、一時的にでも信用度を下げられるかもしれない、と言う心算もある。


「そうだぞ、ハリス。むしろこれは好機なのだ」

「……なるほど、確かにその通りですね」

 畏まった表情や真面目な表情を浮かべていたハリスの口元がほころび、笑みを形作る。


 それは交渉用の営業スマイルでありながら、同時に嬉しさを包み隠す為の偽装でもあると察知した優斗は、裏をかかれない様にと、同じく営業スマイルを返しながら警戒を強める。


「ルエイン様のおっしゃる通り、これは好機です」

「そうか、なら早速契約を」

「焦ってはいけません、ルエイン様。

 先程も言った通り、これは優斗さんの、いえ、ルナール公国の仕掛けた罠なのですから」


 そう言ってハリスは、ルエインの前に置かれた契約書を手に取る。それを一瞥すると新たな紙を執務机に準備し、ルエインに一言断ってからペンを取ると、そこに2枚分の契約書の内容と、それに加えて幾つかの文章を継ぎ足し、書きこんでいく。


「これは罠だと判っているのです。ならば、わざわざ罠の中へ飛び込む必要性は御座いません」

「では、どうするのだ?」

「契約内容は優斗さんが一方的に提示したもの。

 ならばそこに罠が仕掛けられていると考えるのは当然の事です。ねぇ、優斗さん?」


 その言葉に、優斗は何も答えず曖昧な笑みを返す。

 ここで優斗が何を言おうとも、ハリスが筋の通った推論を述べればルエインがそれに納得する事は確実だ。ならば、反論はハリスの説明を聞いてからでも遅くは無い。何より、ハリスがどこまで優斗の策を読んでいるのか知らずに言葉を選べば、最悪自白してしまう可能性がある。


「ですから、こうしましょう」


 ハリスは優斗に向かって手を伸ばし、新たな契約書の内容を指し示す。

 優斗が描いた文言は"ユーシア家において、領主たる資格及び資質を有する者にこれを継承す"だ。ハリスはこれに手を加える事はせず、文を追加した。



 ユーシア領主である藍川優斗は、ユーシア家において領主たる資格及び資質を有する者にこれを継承する

 ただし、資格及び資質を有する者無き場合は、ルエイン・ユーシアにこれを譲渡する

 ユーシア家は対価として、クシャーナ・ユーシアの身柄を、藍川優斗に引き渡す

 この際、ユーシア家に属する親類縁者とは絶縁を行う事で、彼女は家に干渉する権利を失い、同時に家からの干渉の一切を跳ね除ける権利を得る

 なお、クシャーナ・ユーシアの身柄は、領主となる権利の移譲直後に藍川優斗の所有となるものとする



 1枚にまとめられてしまった契約書。その中でも追加された2行目と5行目を睨みつけるように見つめる優斗は、それが自分の作った文言にどんな影響を与えるのか、あらゆるパターンを想定し、網羅する為に全力で頭を働かせる。


「この内容で契約して頂きます。それで構いませんね、優斗さん?」

「契約内容の追加を行うのであれば、十分に条文の整合性を協議して頂けると言う事ですよね?」

「えぇ、もちろん。ですが、貴方はルエイン様に領主としての権利を譲る為に来たのですから、この文言を追加しても、何も問題は無いでしょう?」


 そう言う体裁を整え、ルエインにもそう伝えている優斗は、どうすればそれに抵触せずに文章の変更にケチを付けられるのかと考えているが、そんな隙は与えないとばかりにハリスが畳み掛ける。


「領主の権利と引き換えにクシャーナお嬢様の身柄を得る。優斗さんの望む通りの契約ではないですか。ねぇ、ルエイン様」

「確かにその通りだな」

「ですがルエイン様、先程も申し上げた通り、個人名での契約は次代の問題などが」

「む、確かに。ハリス、どうだ?」

「ルエイン様のお名前を書かせて頂いた部分は、違約事項で御座います。違約事項は契約書の解釈による言い逃れを防止すると言う意味も御座いますので、曖昧な表現を避けるべきです」


 ルエインはハリスの説明に、なるほどな、と大仰に頷いているが、どこまで理解しているのかは怪しい。

 優斗はそれを利用すれば、と考えるが、そうなればハリスがきちんと理解するまで説明をする事で解決してしまうとこの案を却下する。


「ルエイン様、この内容で契約を致しましょう。契約のギフトを持つ者はおりますか?」

「騎士団の見習いに契約のギフトを持ったヤツがいたはずだ。おい、誰か」


 扉が開かれ、入って来た侍女はルエインの指示を受けると再び退室する。

 そして待ち人が来るまでの間にと、ハリスは自分の連れてきた大男2人を前に押し出すと、脅迫じみた交渉を開始する。


「優斗さん、諦めてこの内容で契約を交わしなさい。悪い様にはしません」


 それに対して、フレイとヴィスが前に出ようとする気配を感じた優斗は、2人を制して大男2人に視線を向ける。

 2人の男は優斗が見上げるほど背が高く、体つきも良い。片方など腕がフレイやヴィスの腰回りほどの太さがありそうだ、などと思いながら、優斗は状況をどう動かすべきか思案しつつ、時間稼ぎに別の事を口にする。


「護衛の選別を間違えたでしょうか」

「貴族様相手の交渉に連れてくる、と言う意味ではこの上ない見栄えだと思いますよ」


 契約しないならば力づくで従わせると匂わせながら、ハリスはにやりと笑う。

 とは言え、ハリスには本当に優斗を暴力で従わせるつもりはない。それが表ざたになれば信用問題に発展する上に、下手を打てば契約権の失効すらあり得るからだ。


 ハリスの企みはこうだ。

 優斗にも十分な分け前を提示し、こちらに引き入れようとしていると思わせる事で、この契約内容を呑ませる。商人にとって契約と利益は共通の価値観であり、それを使えば商人の端くれである優斗の説得は容易であるとハリスは考えていた。


「ルエイン様が領主になった暁には、貴方にも多額の報酬をお出しいたします。その上で、クシャーナお嬢様と旅に出るも良し、ユーシアに残るも良し」

「おいおいハリス、俺に相談も無く勝手に決めるな」

「すいません、気がはやっておりました。では、ルエイン様。ここに居る3人全員が利益を得る為に手を取る事をお許しください」

「いいだろう」

「ありがとうございます。では、到着次第、契約を。かまいませんね、優斗さん?」


 優斗の書いた文章を元にして、ハリスによって新たに作られた一枚の契約書。それを突きつけられながらも、優斗は名残惜しそうにクシャーナの方を見つめていた。

 それを万策尽き、従うしかない現状に敗北を悟ったのだと受け取り、ルエインとハリスは笑いあい、クシャーナは心配そうに優斗を見つめながら、もしかしたら一緒にユーシアで暮らせるかもと考えてしまった事に自己嫌悪している。


「その内容では困ります」

「ん、何故ですか?」

 悪あがきだな、と思いながらハリスがにやりと笑う。


 追加された内容は、優斗の持つ領主の権利を譲り渡し、クシャーナの身柄を得るには何の問題も無いものだ。それに難癖を付けると言う事は、何か企んでいる事を意味する。そう考えたハリスは、それをルエインにも伝えるべく、最も効果的な言葉を選ぶ為、営業スマイルににやける顔を隠しながら、頭を働かせ始める。


「違約事項にあります、譲渡と言う文言は取引による交換ではなく、引き渡しと取られる可能性があります」

「おぉ、確かに。では、何とする?」

「1文目と同じく、継承でお願いします」


 優斗の提案に、ルエインはハリスに伺いを立てる。返事は勿論、否。


「優斗さんは継承と言う言葉に拘っているようです。そこに、罠が仕掛けられている、と言う事ですよね?」

「まさか。それは邪推と言うものです」


 否定と共に曖昧な笑みを浮かべる優斗。

 そんな優斗の言葉は、予想外の人物によって、否定される事になる。


「嘘です」

「……は? おい、クシャーナ。それは本当か?」

「優斗様の先ほどのお言葉は、嘘です。竜神様に誓って、これは真実です」


 事実、優斗の言葉は嘘だった。

 敵対位置に居るルエインに侍るクシャーナが、優斗の嘘を指摘する事に、なんの不自然もない。それにも関わらず、部屋中の人間がその行為に驚き、場が騒然となる。


 そんな中、ハリスはそのクシャーナの言葉が嘘ならばと言う仮定を頭の中に巡らせていた。しかしいくら考えても、そうする理由は思い付かなかった。彼女が自分たちの味方であると言う事以外。

 彼が冷静な状態ならば違う結果もあったかもしれない。だが、今は相手が欲しがっている人物から発せられた、自分の仮説を補強し、状況を助ける様な発言に、僅かながら混乱を覚えていた。


「どうやら、文章の変更は認められん様だな、優斗」

「そこを、何とか」

「嘘を吐いた時点でお前の負けだ。最後の最後で、詰めを誤ったな」


 勝ち誇るルエインは、隣で困惑しているハリスに気付くことなく、項垂れる優斗を満足げに見下すのだった。


 しばらくすると扉が叩かれ、中に入って来たのはユーシア騎士団の見習い従騎士で、優斗とフレイの知り合いでもあるトーラスだった。

 しかし優斗はもちろんフレイもその事をおくびにも出さない。


「お呼びでしょうか」

「うむ。そちらの商人と契約を結ぶ事になった」

「かしこまりました。……!?」


 示された商人を振り返ったトーラスは、驚いて目を見開く。

 相手が顔見知り、しかもある意味で恩人である事を考えれば、大声を上げなかっただけでも上出来と言える。


 何か月ぶりかに見るトーラスがまた一段と大人びていた事を嬉しく、そして少しだけ寂しく感じながら、優斗は俯いて視線を逸らしてから、内心で苦笑する。トーラスはそんな優斗とその後ろに控えるフレイを交互に見ていたが、ハリスに声をかけられ、執務机の横へと移動させられる。


「ルエイン様、お手を」

「あぁ」

「優斗さん、こちらへ」


 ハリスの仕切りで、契約の儀が進められていく。

 優斗はその間にも何度か条約の文言に異議を申し立てるべく口を開こうと試みたが、その度に思いとどまり、結局は黙り込んだままハリスの指示に従って契約の儀を進めて行く。その姿を目にしたハリスとルエインは、どこか愉しそうだ。


 こうして儀は恙無く進み、契約書に血とインクで必要な装飾が為された事で、後はトーラスのギフト発動を待つだけとなる。

 当のトーラスは、準備が整うまでの間、それを見守りながらどうすべきか迷っていた。

 部屋に入った時に目に入った項垂れていた優斗は、今も無表情ながらどこか諦めたような雰囲気で契約に望んでいる。対するルエインやハリスは嬉しそうで、笑みを隠し切れていない。


「早くしろ、見習い」


 ルエインの言葉により準備が整った事を知らされても、トーラスはまだ迷っていた。

 自分が取り持った契約で、優斗が害される可能性がある。それはとても嫌な事だ。だが、自分がせずとも、代わりの誰かがやって来るだけだと心を決めると、トーラスは小さく息を吸う。


「なんだ、お前は。俺に逆らうのか?」

「もしやとは思いますが、ルエイン様。彼の出自はご存じで?」

「問題が無いかは調べさせているが、一々確認はしていないぞ。大きな問題がなく、優秀ならそれで良い」

「内通者の可能性も御座います。命を狙われる危険性もありますので、もう少しお気を付け下さい」


 ハリスは余りに無防備なルエインに呆れながら注意を促してから、トーラスを睨む。優斗は、ここで何か合図を送るとますますトーラスが疑われてしまうと思い、目を合わせる事もせず、ただ契約書に置いた手と、その内容をじっと眺めていた。


 そんな中、ルエインとハリスに見つめられながら優斗の様子を伺っていたトーラスは、長く息を吐くと今度こそ覚悟を決め、ギフトを発動させる。ユーシア家とユーシア領主・藍川優斗の交わした契約をギフトにて締結する為に。

 しばらくして、契約書がギフトにより正式な物へと変わると、優斗はとぼとぼとフレイ達の居る場所まで移動して行き、その後ろ姿を見たトーラスは、罪悪感で歯を噛みしめる。


「残念でしたね、優斗さん」

「……」

「そろそろどういう事か説明しろ、ハリス」

「もちろんで御座います、ルエイン様」


 そう言ってハリスは、にやりと笑うと得意げに己の戦果を語り始める。


「優斗さんが準備していた契約書で契約を結んでいた場合、ルエイン様は間違いなく処刑されていた事でしょう」

「ほう、何故だ?」

「ルエイン様はユーシアの領主たる資質をお持ちですが、資格をお持ちではない。それどころか、ユーシア家には資格を持つ者はおりません」


 ハリスがルエインに対し、熱の入った説明を行っている事で自分から注意が逸れていると判断した優斗は、その隙を狙ってヴィスに目配せする。それは、こう言った状況で起り得る事態――身柄を拘束されてしまう――への対抗策を実行する為の指示だ


「資格が無い、か。それは俺が帝国人だからか?」

「いいえ、そうではありません。もちろん、裏切り者だからでもありません。ルナールの公国法により、そう定められているからです」


 フレイにも目配せし、クシャーナの回収経路の確保を指示した優斗は、視線を大男2人に向け、その位置を確認すると僅かに移動し、立ち位置を調整する。


「元の文章には、継承する資格がある者が存在しない場合の事柄には触れておりませんでした。恐らく、正式に領主になる為にとルナールへおびき出され、その資格がないからと契約は為されず、やって来たルエイン様を反逆者として身柄を捕らえて処刑する腹積もりだったのでしょう。これならば、ルエイン様は次期領主に当てはまらず、優斗さんが巻き込まれる事はありません。

 ですが私が、継承ではなく譲渡と言う文言で違約事項を加えた事でそれも出来ません。念の為、契約書を統合し、クシャーナお嬢様の引き渡しを領主の権利移譲後と致しました。これでルエイン様は、間違いなく領主になる事が出来ます。少なくとも、そうしなければ優斗さんはクシャーナお嬢様の身柄を得る事が出来ません」


 口に出来る範囲の説明を終えたハリスは、勝ち誇った笑みを優斗に向ける。

 ロード商会としては、ユーシア領がルナールに戻ってしまうと帝国に恩が売れなくなってしまう。ユーシア領併合の手伝いこそが帝国からの依頼だったのだから。故にハリスは当初、優斗に対して、余計な事をしてくれたと恨めしく思っていた。しかし、今となっては感謝すらしている。


 帝国へ恩を売る事は出来ないが、そもそもそれで得をするのはロード商会であり、属するハリスが得られる恩恵は微々たるものだ。しかし、領主になる決定的な手伝いをしたとなれば、ユーシアで確固とした地位を得る事が出来る。

 無論、帝国からの依頼でロード商会の人間として動いているからには、それに反する行動を取れば罰せられる事だろう。だが、この話を持ち込んだのは優斗であり、彼がルエインを領主にしてしまったのだと報告すれば、責任の大半は優斗のモノとなる。帝国が調べても、事実、優斗が行った事なので、不自然な点は無い。


 それで責任の全てを回避出来る訳ではないが、ハリスの頭の中では既に責任を取って商会を辞すると言う筋書きまで用意されている。当然、その後はユーシアで要職に就く。ロード商会に睨まれるようなら、懇意にするようにルエインに働きかけ、取引を多く持って機嫌を取っても良い。

 要するにハリスの企みは、手柄は全て自分に引き寄せ、責任は全て優斗に押し付けると言うモノだ。


 ハリスが言葉を止めてそんな事を考えている間に、ルエインは怒りをもって優斗を睨みつけていた。

 優斗はルエインを騙して処刑の場へと連れて行こうとしていた。そう説明されたのだから、怒るのは当然であるとも言える。それにも関わらず問答無用で怒りに任せた行動を取らなかったのは、自分は器が大きな人間であると言う自負と、勝利者であると思っているが故だ。


「何か言いたい事はあるか」

「そうですね。とりあえず、契約通りクーナの身柄をこちらに頂きたいと思います」

「あぁ、そうだな。だが、逢瀬は地下牢でして貰う事になるぞ」


 ルエインがハリスに視線を向けると、ハリスが大男2人へと指示を出し、それを受けた彼らは優斗の前へとやって来る。従騎士とは言えクシャーナと大差ない年齢のトーラスは、戦力として数えられていないのか、眼中に無いのか、誰からも放置されている状態だ。


「私が、何の対策もせずにここまで来るとお思いですか?」


 数メートル離れた位置に巨体が迫った状態でありながら優斗が臆する事なくしゃべり続けていられるのは、両隣に移動している頼もしい付き人のおかげだ。

 優斗に良いところを見せたいと思っているフレイもそうだが、今回の事で一時的にとは言え優斗が領主になったおかげで、自称騎士から正式な従騎士となったヴィスも無暗に気合が入っている。先ほど失態を犯したと思っている事も、原因の1つだろう。


 大男2人は、ルエインの執務室であるせいか、武器を携行している様子はない。それでも少女2人と優斗を取り押さえるくらいは余裕で出来そうな雰囲気を発している上、ギフトも未知数であるのだが、それでもこちらに有利な状況ではあると優斗は考えていた。


「強がっても無駄ですよ。こちらは2人。いや、クシャーナお嬢様の護衛を含めれば3人いるのです。数の上では互角でも、貴方に勝ち目はありません」

「それは違いますよ、ハリスさん」


 ちっちっち、と人差し指を唇の前で振りながら、優斗は不敵に微笑む。

 それを単なる強がりだと判断したハリスは、大男2人に捕縛指示を出そうと口を開くが、それは優斗の言葉により遮られてしまう。


「クシャーナの護衛は、私の味方です。なぁ、ユーリス」

「勿論です、我が主」


 芝居がかった仕草でそう告げた護衛――ライガットの娘・ユーリス――を振り返るクシャーナの顔に驚愕が浮かんでいる事で、ルエインとハリスもそれが真実であると理解する。優斗はその隙を逃す事なく、フレイとヴィスの肩に触れ、お願い、と声をかける。


「ユーリス、クーナを連れてこっちへ」

 フレイが勢いよく前に躍り出た事が、始まりの合図だった。


 優斗の指示と同時にクシャーナを横抱きにして移動を開始していたユーリスだが、その先には当然、大男が立ちはだかっている。フレイはその進路上に立ちはだかる大男へ肉薄すると、躊躇なくギフトの雷撃を加える。ヴィスの方は、スカートの中に隠されていた銅製の二節棍を取り出すと、もう一方の男の足元へ投げつけ、文字通り足止めを行う。


 結果、ユーリスの方に意識の向いていた男がフレイのギフトによる奇襲で怯んだ隙に当のユーリスはクシャーナと共に男の横をすり抜ける事に成功し、ヴィスによりもう一方の介入も未然に防がれた。


「さて、形勢逆転ですね」


 フレイのギフトを受けた男が立ち直るまでの隙を狙い、ヴィスは最寄りの窓を開け放つ。そして外に向けて一瞬で合図を送り終えると、すぐさま優斗の側へと戻り、その傍らへと立つ。背後から自分の友人が飛び立つ音がした事を確認しながら。


「何をしている! 今すぐクシャーナを連れて戻れ!」


 護衛が裏切り、クシャーナが奪われた。そんな事実にプライドを傷つけられたルエインは怒り心頭だ。

 ハリスの方は、自分の連れてきた護衛は色々な意味で腕利きであり、もし優斗がこちらを攻撃してきたとしても、自分とルエインを十分に守りきる事が出来ると確信していた事もあり、あまり焦ってはいなかった。逃げる事に専念されれば取り逃がす可能性もあるが、そうなったとしても、既に契約は完遂されているのだから問題無いと考えていた。


 裏切った護衛も、クシャーナの身柄も、彼にとってはどうでも良い事なのだ。


「ルエイン様、放っておきましょう。どちらにしても、クシャーナお嬢様の身柄は既に優斗さんのモノです」

「そう言う問題じゃない!」

「そんな事よりも今重要なのは、領主となる権限は既にルエイン様の元にある、と言う事です。おめでとうございます」

「おぉ、そう言えばそうだな」


 ハリスが手を叩き、ルエインは急に上機嫌となり、にやにやと笑いだす。その間にも大男2人はハリスとルエインを守るように、優斗達の前に立ちはだかっている。

 そして優斗の側は両隣にヴィスとフレイ、後ろにはクシャーナを横抱きにしたままのユーリスが立っているが、逃げ出そうとする様子も襲いかかろうとする気配も無い。


 そんな中、立場的にも立ち位置的にも中間地点に取り残されたトーラスは、状況を把握出来ぬまま、茫然としていた。

契約が為される話でした。


この後、優斗くんはどんな行動に出るのでしょうか。

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