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異世界行商譚  作者: あさ
斯く為すべき者
88/90

手強い相手

 互いにサポートを侍らせた優斗とルエイン。これにより、部屋の中には2人を中心に合わせて5人の人間が配置された事になる。


 ルエイン側はクシャーナとその護衛の3人。優斗側はフレイと2人だけだが、部屋の外にヴィスが居る。

 ここはユーシアの屋敷なので全体的に見ればルエイン側の人間はもっと多くなるが、この交渉に関係する人間は、ほとんど出そろったと言える。


「では、質問だ。

 お前は私に食糧を高く売りつける為にここに来た。そうだな?」

「いいえ、違います」


 十数分前と同じやり取りではあったが、優斗の声にはその時にはない晴れやかさがあった。

 それはクシャーナの顔を見て憂いが無くなったせいであり、自分の後ろには支えてくれる人がいるのだと実感を持って再確認したからだ。


「む。では、関の徴税権か?」

「それも含まれますが、正確に言えば違います」


 ルエインは後ろのに立つクシャーナへと視線を向け、声をかけずに問いかける。もちろん返って来るのは否定――優斗は嘘を吐いていないと言う内容だけだ。

 このまま受け身でいても、時間を無駄に消費するだけだ。そう考えた優斗は、自分から説明する為の口実を探す。


「ルエイン様」

「なんだ? いや、ちょっと待て。わかっている。そう、だからちょっと待て」

「ルエイン様は1つ、勘違いをなさっています」


 ルエインの目つきが鋭くなり、表情が不機嫌そうなものへと変化しているが、優斗はそれに気づいていないかのような態度で言葉を続けていく。


「商品の説明をするのは、いえ、商品の売込みをするのは、商人の仕事です。その役目を取られては、商人は困るばかり。

 ですので、どうか私を助けると思って、ルエイン様に売り込みを行う権利をお与えください」

 そう言って優斗は、深々と頭を下げる。


 今まで以上に畏まった風に告げられた優斗の言葉を、ルエインは渡りに船だと思いながらも、表面上は悩む様な素振りを見せる。

 当ててみせようと言ったからには、途中で降参するなどと言う無様を晒す訳にはいかない。しかし、懇願されたのであれば仕方なく中断し、その権利を譲ってやらなくもない。ルエインはそうやって体裁を繕えた事を内心で安堵しながら、しばらく黙りこんだ。


 そんな内心の動きを予想して言葉を選んだ優斗は、当然ながらその無言に付き合って頭を下げ続けている。


「いいだろう。ただし、俺の予想を外さん面白みのない謳い文句なら聞き入れんぞ?」

「承知しました。では、僭越ながらわたくし、優斗が交渉の文句を告げさせて頂きます」


 ここに来てようやく、予想していたスタート地点の一歩手前まで来れたと考えながら、優斗は再び営業スマイルを浮かべる。

 しかし、敵対者がルエインを後ろから操る者ではなく、ルエインそのものになってしまった事により、優斗は交渉方針に多少の変化を加える必要があると、思考を回し始める。


「私は行商人です。どこかで仕入れたモノを、高く売れる場所へと売る事を生業としています。

 そして今回、ユーシアを訪れた理由は、実のところ売込みではないのです」

「なんだと?」


 ルエインが思わず驚きの声を上げる。

 彼は優斗が、食糧の売込み、もしくは荷馬車に積んで持ち込んだ何かの売込みに来たのだと考えていたのだから、驚くのは当然だ。それとは別に、自分が自信満々に語った予想が的の方向すら向いていなかったと言う事実に羞恥と、それに伴う怒りを覚えていた。驚きに勝る程ではないが。


「私は今回、欲しいモノがあってユーシアまでやって来ました。いわゆる、仕入れですね」

「なっ! ならば何故、食糧の買い込みをっ」

「確実に仕入れたいが故にです」


 優斗の発言に対して、ルエインの後ろに立つクシャーナが動く気配はない。

 立ち位置からして、恐らく嘘に反応して肩を叩くのだろうと予想しながら、優斗は視線をルエインに戻し、語り続ける。


「私が欲するモノは、普通にお願いしても売って頂けるとは到底思えないのです。ならば、対価として相手の最も欲しがるモノを準備するのは、当然の行動です」

「なるほどな。

 ならばお前が欲しがっているものは、俺が持っていると言う訳だ?」


 交渉において、交渉相手に自分が何を欲しがっているのかを伝えるのは下の下だ。それに加えて優斗は、どのくらい欲しいのかまで暴露してしまっている。何か理由が無い限り、これは完全に悪手だと言える。

 それを優斗のミスであると考えるほど、ルエインは馬鹿ではない。何か意図があるのだろうと考えて警戒を強めるが、心のどこかで、嘘を見抜けるのだから自分の方が優位であると目算が甘くなる。


「はい。ユーシア家にとって大事なモノを譲り受けたいが為に、私はここまでやってきました」

「そうか。ならば、聞いてやろう。お前は何が欲しいんだ?」

「クシャーナ・ユーシアを」


 その言葉に、ルエインだけでなく、名を呼ばれた本人も驚愕する。

 しかし優斗はそんな反応を無視し、真剣な表情で続く言葉を一気に吐き出して行く。


「私は、彼女を家族として迎え入れたいと考えています。ですから、ルエイン様を含むユーシアの家に残る全ての親族との縁を切った上で、正式に私のモノにする事を望んでいます」


 優斗の要求、その前半部分だけならば、そこまで馬鹿げた内容と言う訳ではない。

 商人が領主の親族を買い取る――否、貰い受ける事自体は珍しい事ではない。一族から有力な商人に娘を嫁がせる事で関係を結び、領主は金回りを、商人は後ろ盾を補強すると言う、互いに利益をもたらす政略結婚は、それなりの頻度で行われている。


 しかし、今の優斗は一介の行商人でしかない。ユーシアにとって関係を結びたい商人と言う意味では問題無いとも言えるが、一族と縁を切らせると言う内容がそれを台無しにしている。


「私は彼女と約束を2つ交わしました。そして今、それを成し遂げる為にここに立っています」


 優斗が言葉を止めると、相対する2人はどちらも黙ったまま優斗を見つめている。ルエインは探る様な、クシャーナは期待する様な眼差しで。


 最初は優斗の方を見ていたルエインだが、しばらくすると視線をクシャーナへと向ける。

 クシャーナが、似たような特徴を持つ、恐らく彼女の親と同郷の出である優斗に懐いている事は、ルエインも知っていた。しかし優斗の方は、年齢差のせいか、単純に好みの問題か、クシャーナに対して僅かに壁の様なものを作っていたはずだと記憶している。それはそう言った機微に詳しい、ルエインの妹であり、クシャーナの姉でもある人物から聞いた話だが、彼はそれを信用していた。


「お前は、俺が公国に攻め滅ぼされると。そう思っているんだな?」


 ルエインは優斗がそんな提案をする理由を、こう考えていた。

 独立したユーシアに向かってルナール公国が戦を仕掛けるのは当然の行動だ。そして普通に考えれば、ユーシア騎士団にルナール公国の攻めを防ぎきるだけの戦力は存在しない。だからユーシアが攻め滅ぼされる前にクシャーナを連れ出し、縁を切らせる事で戦後処理の網から抜け出させる。


「いいえ。恐らく、ルエイン様は既に手を打っていらっしゃるはずです」

「察しが良いな」


 独立を行うにあたってその問題を解決していないと考える方がおかしい。そんな風に考えながらも、優斗は真面目な顔を営業スマイルにシフトさせる。


 そんな優斗の言動に、クシャーナは混乱していた。


 自分の為にやって来たと言う優斗。2つの約束を守る為だとも言う優斗。それにも関わらず、ユーシア家と縁を切れと言う優斗。

 そんな彼の矛盾した言動を、自分にとって希望なのか絶望なのか判らないまま手にしてしまったクシャーナは、希望だと信じたいと願いながら、何が本当で何が嘘なのか判らなくなっていた。優斗は何1つ嘘を吐いていない事が判るにも関わらず、だ。


「それで、ルエイン様」

「ん、なんだ?」

「クシャーナ・ユーシアを私に譲ると言う件、いかがですか?」

「もちろん、却下だ」


 予想通りの返答であるにも関わらず、優斗はがっくりと肩を落とす。

 半分は演技で、もう半分はもしかしたらと心の片隅で思っていた事により、本気で。


 優斗のそんな様子を見ながら、ルエインはくつくつと笑うとクシャーナを振り返る。


「どうだ、クシャーナ。あそこまで想われるのは?」

「……」

「俺はアイツを気に入っているんでな。お前の婿にと今も考えていたんだが。

 まぁ、お前が嫌だと言うなら、無理にとは言わんがな」


 何時かも聞いた台詞に、まだ諦めていなかったのかと優斗は苦笑する。しかし問いかけられた当人は、優斗を自分の元へ繋ぎ止められる事に、僅かに心が揺れている様だった。

 優斗はクシャーナを家族として迎え入れたいと言っていた。それは普通に考えれば、嫁に迎えたいと言う意味であり、相思相愛であると勘違いしたクシャーナが、自分の望みである、共にユーシアを守る、と言う条件まで達成されるその提案に心動かされるのは仕方のない事だ。


 それにも関わらずクシャーナがそれを肯定しなかったのは、ルエインを信じていないからだ。


 ユーシアの独立宣言があるまで、クシャーナは彼の事を兄と慕い、敬ってきた。しかしユーシアを窮地に追い込む事が判って居ながら、己が領主の座に着く為だけにそれを行った事、加えて領民に重税を課して苦しめていた事で、彼に対する信用は皆無と言っても良いほど失われていた。


「ユーシアを守るのに、是非欲しい人材だしな?」

「っ!?」


 そんな信用できない相手にクシャーナが従っている理由が、それだ。

 今さら何を言ったところで、ユーシア家のした事は許されない。ならば、どうにかユーシアを守る手を打つ必要がある。その為には、権力の中枢に居る事が望ましい。自分のギフトを利用したいと言うルエインの思惑に乗る事になろうとも。


「どうだ、優斗?」

「ありがたい申し出ですが、私にはやるべき事がありますので」

「クシャーナを連れて、か?」

「クーナと一緒に、です」


 それが自分との約束を守る為だと言うのならば、優斗は一体どうやって為すつもりなのかと、クシャーナは考えていた。

 優斗が優秀な商人である事を、クシャーナは知っている。しかし如何に優秀と言えど、商人は商人。ルナール公国を相手取った戦争で、ユーシアを守りきるだけの力など持っているはずがないと考えるのは自然な事だ。


 ルナール公国はもう止まらない。ならば、守るべき手段を講じるべきだと考えたクシャーナは、間違っていない。優斗がルナール公国を相手取り、その交渉術によってユーシアに関する全権を委任されているなどと予想する方が、おかしいのだ。


「私の要求はお伝えしました。次は、私の差し出す対価を説明致します」

「食糧と、何か持ち込んでいたんだったな。まぁ、その程度で大事な妹を売り渡す気はないが」


 大事、の意味が優斗の常識による兄妹間のソレと同じで無い事は、確実だ。

 そんな、道具の様な扱いに対して多少の怒りを覚えた優斗だったが、自分も取引をするモノとして扱っているのだからと気づき、同じ穴のムジナだと反省しながら、頭の中でクシャーナに謝罪する。当然、本人には後で改めて頭を下げるつもりだ。


「ユーシアに接する4つの関、その税率を0にする事と引き換え、と言う事でどうでしょうか?」

「それについてはさっき。いや、待て。お前は4つの関、全てでその権利を持っているのか?」」

「はい。先ほどからそう言っております」

 クシャーナは動かず、それが真実であると告げている。


 ルエインはユーシアの独立を宣言したが、公式にそれを認めた国は存在しない。

 それが意味するところは、現在もユーシアはルナール公国の所領である、と言う事だ。とは言え、独立宣言と言う裏切りを犯した今、ユーシア家から領主としての権限は失われていると考えるのが普通であり、領主のいない地は公爵家の直轄となる。そうなれば、関も税も公爵家の管轄だ。


 通常、関の管理権を商人に売る様な事はない。税収と言うのは、使い方次第ではそれだけ大きな利益を生み出す利権なのだ

 しかし今のユーシアは違う。先ほどルエインが説明した通り、通行不能な関に、税などあってない様な物だ。現状、その可能性は低くとも0ではない。


 ちなみに、徴税権、税率設定権が無くとも、公国は通行禁止を言い渡す事や、騎士を派遣して関の守りを固める事が出来る。国防と言う観点から、公国がそれを売り渡すはずは無い。


「いや、待て。公国の騎士が通ったなんて話は聞いてないぞ」


 関に公国の騎士が駐在していないと言う事は、封鎖は行われていないと言う事だ。

 そう思い当たったルエインに、それが出来ないからこそ、徴税の権利を優斗に払い下げたのではと言う推測が生まれる。


 徴税を行うには、当然ながら人手が必要になる。基本的には一日中ずっと誰かが関で見張りをしている必要があるので、4か所ともなればそれなりの人数が動く。ユーシア内を通過せずとも関に到着する事は出来るが、帝国側から来れば何かしらの報告があるはずであり、停戦中の王国側を武装した騎士が通過する事は難しい。


 優斗はこの問題を解決する為に、公国との境は隣接する領の領主に委託し、他国との隣接地には少数のライガット隊の隊員を代表に、帝国側は傭兵、王国側はキャリー商会の手配した者を配置している。

 そんな事を知らないルエインだが、優斗が正式に徴税権を得ており、何らかの方法でユーシアを封鎖していると言うのは本当の事なのではないかと考え始めていた


「税が無くなれば、人の往来も増えます。そうすれば、食糧も入って来るはずです」

「言いたい事は判る。だがな、優斗。それはお前が仕組んだ不利益を無くすだけで、俺に利益がない」


 それは言外に、最悪お前を切れば解決すると告げている様なものだ。

 正確には、優斗が居なくれば権利は公爵家に帰属し、現状は変わらないのだが、優斗がそれをいちいち指摘する事はない。


 ルエインが求めているのは自分の利益であり、己が勝ったと言う優越感だ。そう考え、優斗はにやりと悪さを意識して笑みを作る。


「では、こうしましょう。

 私はユーシア家に、それだけではなく、関の管理を行う権利もお売り致します」


 優斗が新たに提示した条件には、徴税権や税率設定権も含まれている。それは言うまでも無く領主に与えられる権利の1つであり、ユーシアがそれを持つ事で得られる利益は大きい事はルエインもすぐに理解する。

 例えば、現在の優斗が行っているような、ユーシアと帝国の境にある関で公国の騎士が税を求める事が出来なくなる。対外的にも、公国の関で徴税を行っている事、それを認められている事はメリットになる。公国が認めれば、の話だが。


「お前がそれを持っていると証明できるのか?

 そもそも、それを公国が許すとでも?」

「えぇ、その辺りも抜かりありません」


 優斗はフレイに指示を出し、1枚の書類をルエインの前へと運ばせる。

 その書類に目を通したルエインは、驚愕し、何度も文面を読み直す。


 信じられないのも仕方がない。何故ならそこには、今回下賜した権利を転売する許可と共に、転売相手が誰であっても容認すると書かれていたからだ。もちろん、ルナール公国の名代で。


「お、お前、どんな手を」

「それに見合うだけの価値を持つものを献上した。それだけです」

「一体、どんな」

「お忘れですか? 飛び杼を開発したのは、私です」


 あれ以上の価値を持つ物を瞬時には想像できなかったルエインだが、あれ自体も想像だにしなかった品であった事を思い出し、優斗ならやりかねないと言う結論に達する。

 ルエインはまだ隠し玉があったのかと思いながら、何として優斗を引き入れたいとも考えていた。


「それで、どうですか?」

「ん、何がだ?」

「クーナを譲って頂くと言う話です」


 話を戻され、そうだったと思い出したルエインは悩んでいた。

 売るか売らないか、ではなく、どうすれば優斗を、公国を相手取ってこれほどの利権を取って来る商人を自分の下に引き寄せる事が出来るのか、を。


「ダメだな。クシャーナは大事な妹だ」


 クシャーナが正面から見て居れば、間違いなく嘘だと断言出来たであろう言葉を吐きながら、ルエインは考える。

 そして時間を稼ぐためにクシャーナの良いところ、もしくは高価であるところあげながら彼が辿り着いた方策は、カマをかけてみる事だった。


「それに、実を言うとクシャーナの嫁ぎ先は既に決まっているんでな」

「帝国の貴族様ですか?」


 ルエインの後ろのにいるが故に真偽を確かめられず、まさかと狼狽するクシャーナに対して、優斗の方は平然としている。

 それを見て、少しくらい動揺してくれても、と思ったクシャーナが視線を向けるが、肝心の優斗はルエインの方を向いている。目は見えるのでギフト使用には問題無いが、自分の方に意識が向いていない事に不満を感じている事をクシャーナは自覚した。


 ずっと会いに来なかった事も、ユーシアに来ているにも関わらず自分に会いに来る事を後回しにした事も怒っていたが、何よりも目の前に居るのに自分を見ていない事の方が嫌なのだと、クシャーナは感じていた。


「そんなところだ」

「婚約を破棄させるのだから、その程度では譲れない、と?」

「さすが優斗は話が早い」


 クシャーナのギフトを重用しているルエインが、今、彼女を嫁に出す可能性は低い。そう考えればそれは嘘だと考えられるが、逆に外に嫁いでいかない様に身近な人間を宛がう可能性が無い訳では無い。優斗をここに引き止める為に、クシャーナを宛がおうとしたように。

 そう言った意味では、優斗とクシャーナをくっつけるのが、ルエインにとってもっとも都合の良い展開であると言える。


「それは、もっと価値あるモノを提示すれば譲って下さると言う事でしょうか?」

「ん? まぁ、そうなるな」


 優斗の能力を欲している為、実際にはそれをまったく望んでいないルエインだが、更なる利権が出て来るのではと期待して、その意に反した言葉を口にする。

 ルエインは内心、関の管理権だけでもクシャーナを引き渡すに足る価値があると考えていた。対外的な効果はもちろん、関に騎士を送り込む大義名分にすらなると考えれば、その利用価値は外交や交渉で優位に立てるクシャーナのギフトと、十分に釣り合う。


 それにも関わらず否定を口にしたもう1つの理由は、優斗がどうしてもクシャーナを欲しがっている事を判っており、引くくらいならばこちらへやって来るだろうと予想したからだ。優斗をユーシアに引き入れる事で得られる価値は、それほどに大きいとルエインは考えていた。一方で、そうならなくとも、やはり気が変わったとでも言って提案を受けると言う手もあるとも考えていた。


「ならば、私の持つ最大の利権をユーシア家にお譲りいたします」

「あれよりも大きな利権か。何が飛び出すか、楽しみだな」


 半ば期待通りの返答に気分を良くしたルエインは、優斗の次の言葉への期待で上機嫌になり、笑みを隠しきれないでいた。

 まさか、ありえないとも言える程に大きな利権が優斗の口から飛び出すとも知らずに。


「私が提示する利権は、これです」


 執務机に置かれた契約書類に、ルエインが視線を落とす。反射的にクシャーナもそちらに視線を向けるが、まだ優斗の手が乗っている為、その内容を確認する事は出来ない。


「ルナール公国、ユーシア領の領主たる権利です」


 優斗が手を退けると、そこにはこう書かれていた。

 我、シーア・ルナール公爵は、汝、藍川優斗をルナール公国ユーシア領の領主に任ずる、と。


「ユーシア領、現領主である藍川優斗として、ユーシア家にお願い申しあげます。

 私の持つ領主と言う身分と引き換えに、クシャーナ・ユーシア嬢を譲って頂きたい」


 ユーシア領の領主たる権利。それが、優斗がシーア公から勝ち取った本当の利権だ。

 領主であれば当然、徴税権も隣接する地の境にある関の管理権も持っていると言う事であり、優斗は1つも嘘は吐いていない。


 しかし、優斗が購入したものをそれだと思っていたルエインやクシャーナの反応は、絶句とも言えるモノだった。

 ルエインは大口を開けて放心しており、クシャーナの方は服の胸元を掴み、震えている。ちなみにフレイとクシャーナの護衛は真顔だが、どこか呆れているような印象を受け、周りを見渡した優斗は自分が彼女たちにどう思われているのか、少し心配になった。


「どうでしょうか?」

「お前、それは本気でっ」

「お兄ちゃん、なんでそんなっ」


 優斗に声をかけられ、同時に動き出した2人が、叫ぶように声を叩きつける。

 ルエインは信じられないと言う反応で、なおかつ予想以上の利権が登場した事に興奮している。クシャーナは、己の願いを叶えられるだけのモノを手にしていながら、何故こんな風に使うのかと、感情を爆発させている。


「説明致しますので、お聞きください」


 優斗が浮かべる相変わらずの営業スマイルに、ルエインは興奮を隠せない様子ではあったが、これが事実ならば優斗の機嫌を損ねるのは得策ではないと自重し、クシャーナは悔しさに歯噛みしながらも、何か理由があるのだろうと口を閉ざし、耳を傾ける。


 優斗は2人が黙ってからたっぷり10秒を数えて、十分に意識を引きつけ、なおかつ己の心を落ち着かせながら、最終段階だと気合を入れ直す。


「私は、クシャーナと約束しました。ユーシアを守る為に力を貸すと。

 そしてこのままでは、ユーシア家も、領民も苦しむ事になるでしょう。戦に勝とうとも、負けようとも。

 ならば、と私は考えたのです。真にユーシアを救うには、ルナール公国との戦を避ける他無いのだと。

 ユーシア家がルナール公国、ユーシア領の領主である事がお嫌だと言うのであれば、別の案をお出しいたしますが」


 優斗の問いかけに、ルエインは己の心の内を語るべきか否か、悩み始める。

 彼が顔を伏して悩んでいる間、優斗は黙って自分を睨みつけるクシャーナと視線が合い、仕方ないなと言う笑みで言い訳を1つ口にする。


「クーナは、自分が助かれば兄弟全員が処刑されてもいいの?」

「……あ」


 もし仮に、優斗が領主たる権利を行使してユーシアを占拠し、クシャーナを娶って領主の座に就いたとして、その先に待っているのは裏切り者への粛清だ。少なくともユーシア家に連なる者は全て処断され、この地の名も別のものへと変わるだろう。

 地名がどこまで重要か、までは判らなかった優斗だが、少なくとも彼女が己の親族と家に仕える使用人全てを犠牲にしてまで願いを叶えたいとは考えていないだろうと、予想していた。否、確信していた。


「なるほどな。お前は確かに、クシャーナの意を汲み取って行動しているようだな」

「はい。そしてそれを果たす代わりに、彼女を頂きたいのです」


 優斗の言葉に、クシャーナがはっとする。

 ここに来て初めて、優斗が嘘を吐いたからだ。クシャーナは反射的にそれをルエインに伝えようとしてしまい、手を動かしかけて、止める。これは優斗から自分だけに伝わるやり方で送られてきた自分の為だけの言葉なのだから、他の誰かに伝えるなんてしたくないと思ったからだ。そして何より、自分が信じるべきは自分を利用する事しか考えていない兄ではなく、目の前の恋しい青年だと、そう確信したからでもある。


「条件を聞こう」

「ありがとうございます」


 一方、ルエインの方も、あえて己の心の内を晒す必要は無い、と結論を出していた。そんな小さなこだわりよりも、自分に相応しい地位を手に入れる事が重要なのだ、と。


「まず、ユーシア家にユーシア領の領主たる権利をお譲りします。

 文言は、そうですね。ユーシア家において、領主たる資格及び資質を有する者にこれを継承す、あたりでどうですか?」


 優斗が考えて置いた文言を口にすると、ルエインはそれを何度も反芻して確認を行う。

 そして粗さがしをするように精査しながら、不満点として指摘して行く。


「領主たる資格及び資質、と言うのは曖昧すぎるだろう」

「しかしながら、例えば、ルエイン様に、とすれば、次代に受け継ぐ権利が無いとされる可能性があります」

「むぅ、確かに」

「どうしますか?」

「そのままでいい。だが、継承と言うのは何か違わないか?」

「販売や譲渡でも構いませんが、安っぽく見えませんか?」

「む、むぅ。そう言われて見れば」


 これは、優斗が長い時間をかけて考えた文言だ。専門家の助言も聞いて作られた文言に、ルエインが即興で思い付く程度の指摘が通じるはずもなく、すぐに打ち止めとなる。

 そして、引き渡しの文言が決まれば、次は支払いに関するものが提示される。


「クシャーナ・ユーシアの身柄を、藍川優斗に引き渡す。

 この際、ユーシア家に属する親類縁者とは絶縁を行う事で家に干渉する権利を失い、同時に家からの干渉の一切を跳ね除ける権利を得る」


 条文を読み上げた優斗は、先程の内容が書かれた紙と合わせて、2枚の契約書をルエインに提示する。

 ルエインはそれを何度も確認し、何か落とし穴があるのではと悩み続けている。


「……部下と相談したい。時間を貰えないか?」

「時間ですか。どのくらいでしょうか?」

「1か月。いや、1週間で良い」

 優斗は悩む素振りを見せながら、その実返答は既に決まっていた。


 ユーシアの封鎖にしても、何時まで続けられるかは未知数だ。何より、わざわざ不利になる事を承諾する必要性は、まったくない。相手に、相談役と言うまだ見ぬ手駒がいる事を考えれば、猶更だ。


「1週間、ですか。そこまで長くなると……」

「何故だ? やましい事は無いのならば、そのくらいは待てるだろう?」

「うーん。では、条件付きならば、検討します」

「聞こう」

「待つ間に得られる見込みのある税収、そして関の維持にかかる費用、ルナールの騎士団を足止めする為にかかる経費、全てをお支払頂けるのであれば、検討致します」


 優斗の出した条件は、話し合いが決裂した場合の事を考えれば、維持し続けざるを得ないものばかりだ。

 ルエインに、それが事実であるかどうか、確認する術はない。例えあったとしても、幾ら支払うことを条件に待ち時間を設定されれば、これが嘘であっても契約は問題無く成立する。ルエインは念の為にと金額を提示させるが、莫大過ぎるソレに頬が引きつる。


「怪しむ気持ちは判りますが、私は間違いなく、ユーシア家に領主としての権限を継承致します

 部下との話し合いが必要と言う事でしたら、1時間ほどお待ちしますので」

「む、ん。そうだな」


 わかった、その取引を受けようとルエインが言おうとした瞬間、扉の外から合図が聞こえ、フレイと顔を見合わせる。

 扉越しに聞こえたそれは、敵襲の合図だ。恐らく相談役がやって来たのだろうと考えた優斗は、それでも慌てず、焦らず、しかし急ぐべしと自分に言い聞かせる。相談役が介入してくる前に契約書を交わしているか、いないかの差は大きい。ならば、足止めしてくれているであろうヴィスの献身に応える為にと優斗は、有無を言わせぬ迫力でルエインへ迫る。


「部下と相談なさらないのであれば、どうかこの場でご決断を」

「待て、もう少し考える時間を――」

「そうですか。では、他のご兄弟に話を持ちかける事にします」


 優斗の最後通告に、ルエインは慌てて立ち上がる。そして危険な橋を渡ってようやく手に入れた領主と言う立場を、再び別の誰かに横取りされる事など我慢ならないと考え、優斗の差し出す契約書を自分の目の前まで持ってくると、ペンを手に取る。

 しかしそれと同時に扉が開かれ、男が1人、中へと入って来た事で、ルエインの手が止まってしまう。


「おお、遅かったではないか。だが、良いところに来た」

「申し訳ありません、ルエイン様。少し足止めを食らいまして」


 そう言って男は、優斗の方へと視線を向ける。

 しかし優斗はそれを無視し、続いて入って来た2人の大男に羽交い絞めにされている少女へと視線を向ける。


 そんな優斗の行動に、男は口元に笑みを浮かべながら大男2人に向かって、視線でもって指示を出す。


「ごめん。突破された」


 羽交い絞めにされていた少女であるヴィスは、両腕を解放されて優斗の元へ辿り着くや否や、申し訳なさそうにそう告げる。

 恐らく、いや、間違いなくヴィスは、通せと言う男の言葉を受け入れず、大男2人の前に立ちはだかったのだろうと優斗は確信する。圧倒的な体格差であるにも関わらず、怯む事も、逃げ出す事もなく。


 優斗がそんな彼女に叱責の言葉をかけるはずもなく、しかし仕方ないと励ましの言葉をかける事もせず、ただ頭を優しく撫でる事で献身に応えると、視線でフレイの方を指し示し、2人共自分の後ろに控えている様に伝えると、今度こそ最初に扉を潜った人物と睨みあう。


「お久しぶりです、優斗さん。困りますね、相談役の私のいない隙に、ルエイン様を誑かされては」

「えぇ、とてもお久しぶりですね、ハリスさん。貴方がルエイン様の相談役だったとは、驚きです」


 こうして、本当の闘いの幕が切って落とされた。

ようやく本当の敵が交渉の場に現れました。


さて、優斗くんは彼をどのように攻略していくのでしょうか。

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