拙速な行商
ルナール公国から必要な特権及び権利と、ある程度の資金を得た優斗は、荷馬車に商品を積んで街道を進んでいた。
旅の道連れは2人。
1人目は従者にして自称騎士のヴィス。御者に夜番、食糧確保の為の狩りと活躍の場は多い。
もう1人は、自称商売仲間のフレイ。今のところ優斗は協力者として接しており、食事の準備や洗濯などの雑務が主な仕事だ。
「なにか、ひさしぶりですね」
「確かに」
現在優斗が行っているのは、有り体に言えば行商だ。
何時もと違う点は、別の人間が仕入れを行っており、優斗はただひたすら村々を回って物を売り続ける予定となっている事くらいだろう。ちなみにチャイは別働隊に属しており、現在は次の合流地点に向かいつつキャリー商会から派遣された者達から行儀や言葉遣いなどを再教育されている真っ最中だ。
シーア公から与えられた期限は50日。
優斗はその時間を出来る限り活用する様な計画を立てており、伝令のタイムラグも考慮して1か月と数日を目途に勝負を決めると協力者たちにも説明している。
そんな時間に追われる状況の中、優斗は2人の女性と共に行商をしている。
現在は優斗が御者をしており、フレイはその話し相手として御者台に座っている。ヴィスは御者台に居場所が無いと判った時点で、寝ると言って荷台へ移動した。
「二人きりで話すのがですよ?」
「あぁ、そっちか」
行商の旅自体の話だと思っていた優斗は、ちらりとフレイに視線を向ける。
拉致され、別れていた期間はもちろん、再会後はまだ蟠りがあり、それがある程度解けた後も、フレイは優斗の指示で王国へ向かっていたので顔を合わせていない。その時は今以上に時間が無く、個人的に話す場を設ける事も出来なかった。
とは言え、少し話をするくらいなら出来ただろう。しかしお互いがお互いに負い目があった事が災いし、その機会は訪れなかった。
優斗は、一度向けた想いを自分勝手な理由で逸らし、向けられた感情を利用している事に。
フレイは、単純に迷惑をかけてしまい、それが原因で嫌われてしまう事を恐れ。
「そう言えば、そうかも」
「えぇ、そうですよ」
今回の行商で回る予定の村は、全てがユーシア領内に存在する。その為、優斗は王国から公国に向かっているフレイと連絡を取り、合流をユーシア領とクロース領の境にある関と定めた。そして実際に合流したのは昨日であり、今朝出発した直後は、ヴィスが御者台に座っていた。入れ替わったのは、一度目の休憩後だ。
「ん、何?」
「その、えっと」
何か言いたげな表情を浮かべているフレイに、優斗は前を見ながら尋ねる。
フレイは散々迷い、しかし意を決して優斗にずっと抱いていた疑問をぶつける為に、真剣な表情で問いかける。
「ここまで必死にクシャーナ様を助けたいと望むのは、愛しているから、ですか?」
フレイのストレートな問いに、優斗は返答に悩んでしまう。
今までの様に、僅かでも茶化すような気配が存在していたならば、優斗は即座に返答しただろう。俺は童女趣味じゃない、と。しかし問うたフレイの表情は至極真剣なものであり、優斗はそう言った返答をする事に躊躇してしまう。
そんなフレイの言葉が何を意味するのか気づいていた優斗は、嘘は吐かず、しかしこの場はどうにか誤魔化そうと慎重に返答の言葉を探す。
「愛しているか、いないかの二択なら、愛している」
「それは女性としてですか?」
その返答に、優斗は再び悩む。
血の繋がった孫であるクシャーナ。彼女は優斗の愛する女性との間に生まれた娘の娘であり、無条件の愛情を注ぐべき相手だ。しかし優斗にはその実感が薄く、今でもクシャーナは単に気に入っている女の子であると言う部分が大きく、そこに由美に後を頼まれた事が相まって、無条件で守るべき対象となっている。だからフレイの言う事は見当違いである。今のところは。
「家族として、かな」
「家族ですか」
優斗の答えを聞いたフレイは、それ以上同様の質問をぶつけて来る事はなかった。
フレイは今、優斗と自分の関係が危ういバランスで成り立っている事を自覚している。だからこそ、優斗が本気で困ったり、嫌がる行為はしない様に心がけていた。
しかし同時に、ユーシア奪還の協力者と言う立場で隣に居られるうちに、出来る限り優斗の内心を聞き出しつつ好印象を与えておかなければとも考えていた。嫌われると言う恐れは、何もしなければ始まらないと言う開き直りによって、今は影を潜めている。
だからと言って、フレイは優斗のご機嫌取りの為に媚び諂うつもりは毛頭なかった。むしろ、そうする事は最も嫌われる行為だと考え、いつも通りでありながらも優斗の好みに合わせた振る舞いと言う行動目標を立てていた。
「ところで優斗さん」
「えーっと、何?」
がらりと変わったフレイの口調に、話題が逸れた事を察した優斗は、安堵半分、困惑半分でフレイへと視線を向ける。
一直線に伸びる整備された街道を、優斗達を乗せた荷馬車は馬任せで進んでいく。
その御者台で嗜虐的に微笑むフレイは、ひさしぶりに優斗にじゃれつける事に心を弾ませていた。
「ヴィスにチャイ、でしたか?」
「うっ。いや、うん。何?」
「どう言った経緯で引き取ったのか。お聞かせ願えませんか?」
お伺いを立てている様な言い方だが、フレイからは何が何でも聞き出す気満々の雰囲気が漂っている。
それを感じ取った優斗は、抵抗は無駄だと2人との出会いと、引き取った経緯を正直に説明して行く。
極力簡潔にそれを語る間、フレイはただ黙って優斗の言葉に耳を傾けていた。
「――と、言うわけで必要に駆られて購入した」
「なるほど」
納得したかのように見えて、フレイは内心で怒りを覚えていた。
ヴィスの役割は、元々フレイが担っていた。チャイのギフトにしても、フレイは同じモノを持っている。むしろ、フレイのギフトの方が強力だ。
それに対して、自分は彼女達2人分の働きが出来るのだ、などと考えられる程、フレイは楽観的ではない。まったく思っていない訳でもないが、それ以上に居場所を奪われ、帰る場所が無いと言う焦りの方が大きい。ちなみに自業自得だと言う思いは、己の勢いに水を差さない為にも棚上げの真っ最中だ。
「優斗さん」
「何?」
「私は役に立ってますか?」
「もちろん」
優斗の即答は、心の底から出た言葉だった。
既にフレイは、十分に役に立ってくれている、と思っていた優斗にとって、それは当然の事であり、即答する事に微塵の迷いも存在しなかった。
王国首都で待機し、やって来たシャオジーと即座に接触。アロウズと協力して優斗の持たせた契約書通りの契約を締結した上に、注文通りに異国風の品をある程度仕入れた。それはこれからの駆け引きでも、良い働きをする駒となる可能性の高いモノだ。
それだけの働きをしたにも関わらず、フレイが不安を感じている理由は、任された仕事の半分を失敗したと思っているからだ。連邦との契約書は早馬で間に合わせたが、商品の方は謁見に間に合わず、結果的に優斗は下準備していた手札の1枚を手に入れ損ねた。
もちろん、フレイが品物を持ってユーシア領とクロース領の狭間にある関で優斗と合流した際には助かったと謝辞を告げていたが、それがどこまで真実なのか、フレイは知りたかったのだ。
「すごい助かってるし、ユーシアを取り戻すまでにまだ助けて貰う予定だから、よろしく」
「はい。何でも言って下さい。雑用でも、商談の手伝いでも。なんなら護衛だって」
「私の仕事」
声を共に荷台の布が捲れ、ひょこりとヴィスが顔を出す。
ヴィスは睡眠中でも優斗以上に警戒心、もしくは勘が働く。故に、眠って居たヴィスが起き出して来た理由を、何かを察知したからだと判断した優斗は、手綱を引くと荷馬車を停め、身体ごと荷台に振り返る。
「ヴィス、何かあった?」
「私は優斗の騎士」
「あー、うん。その通りだけど」
今は別の意味でもその言葉は正しいので、優斗は肯定する事しか出来なかった。
ヴィスは優斗の返答を受けると、満足したのか荷台に戻って行き、再び寝入ってしまう。
この切り替えの早さも彼女の特技の1つだ。しかしそんな事よりも、優斗は何故ヴィスが起き出して来たのか判らないままで放置されてしまい、戸惑うばかりだ。
「ふーん」
「えーっと」
「確かに、今の私は侍女ですけど」
そう言ってフレイは外套を捲り、その下に纏うエプロンドレスを外気に晒す。
外套にスカートが巻き込まれ、ちらりと見えた白い膝小僧に自然と視線が向いてしまった優斗は、邪念を振り払うように手綱を握り、荷馬車を再び進める。
予定では日が沈む前に次の村に到着する予定であり、そこで宿を取って次の日には更に東の村に向かう予定だ。
「早ければ昼過ぎにはもう村に着くだろうし、その時は打ち合わせ通りに、な?」
「もちろんです。
それはそれとして、今、話を逸らそうとしましたよね?」
にんまりと笑うフレイ。優斗の視界にそれは入っていないが、視線はひしひしと感じており、びくりと肩が跳ねる。
フレイが訪ねた事。それには続きがある事を、優斗は察知していた。そしてそれを避けたいと考えた事も事実だ。
「よく懐いておいでですね。さすが」
女たらしなご主人様、と言葉は続かなかったが、優斗には視線だけで十分に伝わった。
そしてそれ以外にも、あえて女性を連れているのはそういう意図があるのか、とか、手は出したのか、とか、どんな風に、とか、そんな様々な疑問の視線が向けられ、耐えられなくなった優斗は思わず言い訳を口にする。
「ヴィスを雇ったのは何と言うか、偶然であってそう言った意図で選んだ訳じゃ」
「へぇー。じゃあ、私と一緒ですね」
顔も声色もにこやかであるにも関わらず、優斗はそこから恐怖を感じていた。
優斗の行動に特に非は無く、過去も現在もフレイはそれを責める権利がある立場に居る訳ではない。
しかしこの場には、それを気にしたり指摘したりする無粋な輩は存在しない。
「もちろん、何もしていない」
「そうですね。ずっと私にも何もしなかった様な気がします。誘っても、誘っても」
声が少し怒っているような気がして、優斗は横目でフレイを見る。
すると頬を少し膨らませているフレイが優斗の視線に気づき、わざとらしく頬の膨らみに空気を継ぎ足すが、膨らませ過ぎて吹き出してしまう。
己の失態に僅かに頬を赤らめるフレイの反応に、優斗は、可愛い、と言う感想を思い浮かべる。それはあくまで優斗の主観であり、仕草自体は可愛らしいものであっても容姿は十人並みであると自覚しているフレイは、媚びるような仕草になってしまったのではと、優斗の反応を伺っている。1月ほど前にライグルにべた褒めされた事もある容姿ではあったが、あれが交渉の後処理の為に口にした心にもないでまかせ、もしくは社交辞令の類である事を理解出来ないほど、フレイは馬鹿ではない。
「それ以前に、あの子は子供すぎるというか、何というか」
「子供、ですか」
愚痴っぽく言葉を漏らした優斗に、フレイは視線とトーンを落として声を出す。
その視線は主に胸部に向かっており、あれが子供なら、自分は幼児か、下手をすれば男と同列に思われているのでは、と考えてしまい、思わず優斗に恨みがましい視線を向けてしまう。
「この場合、子供っぽすぎる、と言うべきかな?」
頭を回している事で視線を向けられた事に気付いていない優斗が、ぼそりと呟く。その言葉の意味を、フレイは上手く理解出来なかった。そして優斗はフレイの思考を雰囲気の変化で感じ取った。直前の視線には気づかなかったにも関わらず、だ。
「あの子は女性じゃなくて、まだ女の子、って言えばわかる?」
「それは、心が幼い、と言う事ですか?」
「そんな感じ」
心の中では、それそれ、と納得しながら、優斗はヴィスの事を考える。
相変わらず無防備で、スカート姿だと色々な意味で危なっかしい女の子。
さすがに携帯電話のメッセージを見て以来、色々と自重しているが、注意しても注意しても事故の発生率は0になっていない。ヴィス自身が、動きにくいからとロングスカートを嫌う事も原因の1つであるのだが、優斗には今更服装を正す様に命ずる気はなかった。
そんな事を考える優斗は、隣にいる人物が己の心情を読み取る事に長けていると言う事実を、すっかり失念してしまっていた。
「ゆ・う・と・さん?」
「ん、何?」
「いいえ。何でもありません」
意識を自分に向ける。それだけの為に発せられた言葉に他の目的などあるはずもない。
それから村に到着するまでの間、フレイは絶え間のない会話を心がけ、優斗の思考はずっとフレイ、もしくはフレイの言葉と共に過ごす事となる。
午後も遅めの時間に村に到着した優斗は、まず村長の家を尋ねた。
「初めまして。行商人の優斗と申します」
「俺はここの村長でバンラと言う」
代替わりしたばかりの、若い村長が優斗とフレイを出迎える。
村長はまず優斗の身なりが異常に良い、端的に言えば高級な服を着ている事に不思議そうな表情を浮かべ、次にフレイのどこから見ても侍女と言う恰好に眉を潜める。もしここに馬車の見張りをしているヴィスが居れば、その身を包むユーシア騎士団女騎士服を改造した洋服に、更に怪訝な表情を浮かべた事だろう。
そんなとても行商人に見えない優斗は、その容姿も相まって只者ではないと判断される事になる。
「小さな村で大したもてなしも出来ないが、ゆっくりしていってくれ」
「お気持ちはありがたいのですが、私は行商中の身。明日の朝には出発したいと考えております」
そう言うと優斗は、積荷の中からこの村で売れる物だけをピックアップした紙を取り出す。
村長自身は字が読めないのか、彼はそれを受け取ると一瞥すらせず交渉役らしい男にそのまま手渡す。
そして2人が幾つかの言葉を交わすのを待ってから、交渉が始まる。
「染めた布を幾つかと、結婚の祝いになるような品があれば分けて欲しいんだが」
「どなたかご結婚なさるのですか?」
「あぁ。幼馴染が嫁ぐ予定なんだ」
「そうすると、布は婚礼衣装用と言う訳ですね。バンラさん、運が良いですよ」
そう言って優斗は、フレイに値崩れを起こしている絹の布と絵本を取って来る様に指示を出す。
フレイはすぐに目的に品を持って戻り、それを広げると己の身体に巻き付けながら村長に見せつける。
「絹糸で織られた高級な布地です。まだ染めの入っていない品ですが、ご婚礼の衣装に使うならばこれ以上は無い一品です」
「確かに綺麗だ。が、正直に言えば、俺にそこまでの貯えはないぞ?」
「ご謙遜を」
村長の言葉は事実であり、現在この村に貯えはあまりない。
理由はもちろん、先の戦とそれに伴ったルエインによる無理な臨時徴税のせいだ。
そこに戦争になるかもしれないと言う噂が流れ、ならばその前にと彼の幼馴染、また別の幼馴染の男と結婚を決めた。父親の急逝で村長になる事を強いられ、村の有力者の娘と強制的に婚姻を結ばされた彼は、2人には自分の様になって欲しくないと、それを後押しした。己の心を押し殺して。
そんな彼らの物語を知るはずもない優斗は、ただ単純に結婚と言う良いイベントを称賛しようとして、フレイの視線に嗜められる。
「こほん。
ところで、最近ユーシアの街で食糧が不足していると言う話をご存じですか?」
「いや、知らないな」
正直に答えた村長に、隣の交渉役が呆れる。
その反応に、目の前の男は生来真っ直ぐな人間なのだろうと考えた優斗は、本物の混ざった笑顔を浮かべる。
「それを解決する為、この村で売れるだけの食糧を売って頂きたいのです。代金は、このくらいで」
そう言って優斗は、この村に備蓄されているであろう食糧の一覧に価格を書いた紙を取り出す。
価格表がそれなりに適正な価格である事を、交渉役の男はすぐに把握した。しかし直前の優斗の言葉が真実ならば、もう少し値上げも見込めるかもしれない。それを村長に進言しようと顔を上げた瞬間、彼は優斗と目が合い、一瞬だけ言葉を失う。その隙を狙って村長に視線を向け直すと、優斗は商談の続きを口にする。
「その価格で、一定以上の食糧を売って頂けるのであれば、こちらの絹と絵本をお付けします」
「はぁっ!?」
暴落したとはいえ、絹が高級な部類である事に代わりは無い。服を1着仕立てられる量となれば、なおさらだ。絵本だって直筆本なら高級、ギフトによる複製品でもそこまで安価な訳ではない。
故に、交渉役の男が考えた理由は2つ。
1つはそれほどまでに食糧が高騰している可能性。
もう1つは、目の前の男にはそこまでする理由がある可能性。
交渉役は後者であると判断し、優斗をユーシアに縁のある人物なのだろうと考えた。村長と違いきちんと外の様子も確認していた彼は、そもそも侍女と騎士を伴なって行商をする行商人と言うもの自体、不自然の塊であり、本当に行商人であると納得する方がおかしい、と言うのが彼の結論だ。
「村長、ここは」
「ん、わかった。それでよろしく頼む」
交渉役に耳打ちされ、村長が答える。
こうして優斗は、村人が食うに困らない程度、それよりも少し多めの食糧を除く全てを買い取る事に成功する。
目的を達成した優斗は、この村に居るユーシア騎士団の騎士の元で宿を取った。
騎士は内部に潜むこちら側の人間で、優斗の奸計により村の見張り、いわゆる屯田兵の様な立場にある。農家の出で、土地の相続が見込めない四男であった彼にとって、騎士団の仕事は仕方なく選んだもので、今の任務にはかなり乗り気だ。もちろん戦争になれば最前線にだって行くけどな、とは彼の弁だ。
現在ユーシア内の村々、そのほとんどに、このような屯田兵が配置されている。名目は村の守備だが、実際には反乱への抑止力兼、支出の切り詰めだ。
彼ら屯田兵には村の土地と家が与えられており、騎士団からの給与は無いが、己の田畑を耕し、収穫を得る事でその代わりとする。それだけではただの農民と同じだが、彼らにはもう1つの仕事をこなす代わりに、支給された土地には税金がかからないと言う特権が与えられている。極端な話、誰かに自分の田畑を預け、収穫の中から給金を支払うと言う生活も不可能ではない。
ちなみに、もう1つの仕事とは徴税を行う事であり、これにより専任の人間を雇う必要も無くなり、より経費が節減出来る。
それは一見、良い事尽くめであるが、実際にはそうで無い事を優斗はきちんと理解している。
翌朝、日が昇ってすぐに出発した優斗達は、夕方には次の村に到着し、やはり食糧を買いあさり、また次の村へと、を繰り返して東へ東へと向かっていた。
移動中は優斗かヴィスが手綱を引く。そしてフレイは当然の様に優斗が御者台に居れば御者台に、荷台に居れば荷台に移動していた為、2人は1日の大半を一緒に過ごす事となる。その結果、2人きりで行商をしている時よりも1日の中で共に過ごす時間が多くなっていた。
こうして村を回り続ける事7日、王国との境にある関にて別働隊と合流する事になる。
「ヴィスお姉さま、お帰りなさいませ。ご主人様、御機嫌よう」
「ただいま」
「……いったい何が」
優斗が驚くのも無理はない。
何せ、口は悪く、粗暴で粗雑の権化であったチャイが、静々と歩みよって来たと思えば、淑女の礼をとったのだから。
それは以前見たクシャーナのモノとは比べ物にならない雑な振る舞いではあったが、元を知っている優斗からすれば絶句モノである。
「ご主人様、約束守れ、です」
「あぁ、よかった。何時ものチャイだ」
「良くありません!」
チャイがびくりと肩を竦め、錆びついて居そうな程ぎこちない仕草で後ろを振り返る。
そこには縦はチャイの1.5倍、横は3倍ありそうな中年の女性が立っていた。優斗の記憶が正しければ、彼女はチャイの教育係を引き受けてくれた女性だ。
ちなみに約束と言うのは、一通りの礼儀作法が出来ないから行商には連れて行けないと言う優斗の言葉だ。転じて、礼儀作法が出来る様になれば連れて行って貰える、とチャイは考えていた。
チャイがついて行きたいのは、もちろん優斗ではない。何があったのか、チャイは妙にヴィスに懐いている。行動を共にできない事に、未だかつてない勢いで抗議をするくらいには。
「ちゃんと言われた通りに挨拶した、です、わ」
「ダメよ。全然だめ。
まず、奴隷が主人を差し置いて他の方に挨拶をするなんて言語道断。まずはご主人様。これは常識よ。
それに、先に声をかけるなんてはしたない行為もダメです。ご主人様に声をかけて頂けた時にのみ返答する。私はきちんと説明致しましたわよ!」
「あんないっぱい覚えきれるか! です」
チャイと注意する教育係を見て優斗は、そこまで厳密にやらなくても、と思いながらも、まだ連れて歩けるレベルじゃないな、とも思っており、好都合なので今の状況を放置する事を決める。
「お疲れ様。部屋、準備してあるから」
「お、ありがと」
説教されているチャイを後目に、優斗は声をかけて来たアロウズに返答しながら、視線は逆方向へと向けた。
そして荷馬車から滞在中に必要な荷物を降ろしているフレイと、荷馬車を騎士に引き渡しているヴィスに声をかけると、部屋に移動する旨を伝える。
「今、行きます」
「判った」
「後で話聞かせて、じゃない、お話を聞かせてください」
「うん」
説教が追加されたチャイをそのままに、3人は各々に与えられた部屋へと移動する。
部屋割りは、優斗が1人部屋でフレイはアロウズと相部屋、ヴィスはチャイと相部屋だ。ちなみに優斗の到着まではアロウズを除く全員、騎士団の人間が張ったテントの様な物を寝場所としていた。当初はフレイとヴィスを相部屋にする予定だったのだが、チャイの熱烈な働きかけにより、礼儀と文字を一定水準まで覚えた際のご褒美として、滞在中はヴィスとの相部屋が認められたと言う背景がある。
「で、何の用?」
フレイとヴィスを部屋に送った後、アロウズは自分の部屋に残らず、優斗を案内すると部屋の中まで押しかけて来た。
その行動には何か他意があると考えるのは自然であり、優斗もそう考えて質問に至った。
「もうちょっとしたら来客があるから、部屋に居てくれる?」
「いいけど、それだけならさっき言えば良かったんじゃ」
「んー。一応、お忍びだから人目は避けておこうかなって」
優斗はアロウズの言葉から、来客の予想を立てようとして、止める。
ひさしぶりの行商は楽しかったが、疲れもした。少し待てば判る答えを探すよりは、身体と心を休めよう。優斗はそう考え、用意されていた水差しを手に取ると、杯に水を注ぎ、口に含む。
「じゃあ、私は部屋に戻るから」
「あー、折角だから、相手が来るまで話でもしない?」
「? いいけど」
優斗の言動に何か意図があるのだろうか、と考えたアロウズが、口元を引き結ぶ。
その反応に、ただ単純に話し相手になって欲しいと考えていただけの優斗は苦笑する。
優斗はこの10日程、フレイ以外の話相手がいなかった。と言うか、今までにない勢いでフレイとばかり話していた。おかげさまでかなり打ち解け、ぎこちなさは無くなったが、慣れた分だけ何か無茶な事をされそうと感じる機会が増えていた。
それは時間制限のあるフレイにとって当然の行動だが、優斗は今――具体的にはユーシア攻略中に――それを表面化させたくないと考えていた。優斗の精神面も問題だが、返答が決まっているのだから、表面化した時点でフレイと言う強力で信用できる手札が失われる可能性は低くないと言う理由も大きい。
「君とクーナの祖母の事、聞いても良い?」
「もちろん!」
尊敬していると言う祖母の話に、嬉々として食いつくアロウズ。
優斗が由美について知っている事は、それこそ星の数に例えられる程多い。
しかし、それはあちらで過ごしていた時限定の話であり、こちらに来てからの彼女の事で、優斗が知っている事は少ない。
「彼女とは一緒に住んでたの?」
「そう出来たら、嬉しかったんだけどね」
こちらが素なのだろう、アロウズは何時か見た弱っていた時と同じ口調で語り始める。
そんな、少しだけ無防備な笑顔を見せたアロウズを、優斗は素直に可愛いなと感じていた。アロウズは年齢的にも、容姿的にも可愛いより美しい、もしくは美人なと形容されるべき女性だが、孫だと思って接している優斗にとって外見は些細な問題であり、心理的な見え方こそが重要だ。
「娘が領主に嫁いだと言っても、平民は平民。
しかもユーシアの外にある小さな町に住んでたから、たまにお忍びで遊びに行くくらいしか出来なかったわ」
お忍びで遊びに行く、と言う部分にお転婆だと言う単語を連想しながら、優斗は想像する。
が遊びに来て嬉しそうに微笑む由美。その姿が今のアロウズと写真で見た由美で再現されてしまい、思わず小さな笑いが零れる。
「孫が遊びに来て、やっぱりすごく喜んだ?」
「もちろん!
家を出てからもたまに遊びに行ってたのよ。クーナへの手紙を預かって貰ったりもしたわ」
楽しそうに語るアロウズに、優斗は自分も嬉しくなり、幸せそうな由美の話に込み上げて来るモノを感じていた。
2人はそんな状態だったが故に、扉の前まで誰かが来ている事を、その足音で察知する事が出来なかった。
「会えなくなってからどのくらいかな。出来る事なら、また色々な話を聞きた――」
「失礼」
扉を叩く音と、それに伴う男の声にアロウズの言葉が遮られる。
それは予定していた訪問者のモノで、ならば元々は時間つぶしの目的で始まった雑談を続ける理由もなく、アロウズは語り足りないと言った表情ではあるが、優斗に向かって無言で頷くと扉の方へと向かう。優斗が声をかけたら扉を開き、入れ替わりで部屋を出るつもりなのだ。
「どうぞ」
「キサマがウチのお嬢をタブラカした男カ!」
アロウズが空けるより早く扉が開き、1人の男が部屋へ飛び込んでくる。
優斗は突然飛び込んで来た見知らぬ男の登場に驚き、一歩二歩と後ずさる。
怒りを露わにする男と、怒りを向けられて戸惑う優斗を見つめ、アロウズはため息を吐き、まだ優斗の視界に入っていない、お嬢と呼ばれた人物は慌てる。
優斗にとってそれなりに重要であるはずの会談は、そんな混沌とした状況で幕を開ける事となった。
両手に花状態で行商を再開する話でした。
そんな中、優斗を訪ねてきた男の正体とは。
まぁ、大体予想はつくと思いますが。