ユーシア奪還会議
優斗とフレイの痴話喧嘩ともとれる――実際に円卓についているメンバーはそう感じていた――いざこざが終わり、優斗が場を仕切り直せたのは決着後20分以上が過ぎた後だった。
「では、改めまして第一回ユーシア奪還作戦会議を開始します」
そう宣言して、優斗は部屋の前方の壁にかけられている紙に筆で丸を描く。描かれた丸印の横には、既にある文字列が書かれている。
「あの、優斗くん」
「はい、アロウズ」
びしっと筆で指し示すと、部屋中の視線がアロウズへと集まる。
それにびくりと驚き、しかし次の瞬間には普通に話し始めた事に、さすが領主の娘と感想を抱きながら、優斗はその言葉に耳を傾ける。
「まず、皆さんにご挨拶をしたいんだけど」
「あー、そうですね。自己紹介を兼ねて、順番に名前と、何か一言お願いします。
とりあえず、アロウズからで」
アロウズが頷き、その場で立ち上がると円卓を見回し、深々と頭を下げる。
その真剣な姿に、直前の一件で浮ついていた場の空気が少しだけ引き締まる。
「私はアロウズ・ユーシアと申します。ユーシアを代表して、いえ、仮とは言え現当主のクシャーナに代わり、皆様にお礼とお詫びを申し上げます。
我がユーシア家の為に、集まって頂きありがとうございます。そしてご迷惑をおかけして、申し訳ありません。よろしくお願いします」
再び頭を下げ直すアロウズ。
その姿に、領主身内であると言う以外に彼女の事を知らないメリルやチャイが驚く。同じく知らないであろうヴィスは特に反応せず、シャーリーの方は無関心だ。
「私もかなり破天荒だって言われるけど、領主の身内、しかも姉が庶民に頭を下げるところなんて初めて見たかも」
「アロウズ様は家を出て、商人暮らしをしていたの」
メリルが呟き、それに対してフレイが説明を耳打ちしている。
ならば細かい説明は不要だろうと考え、優斗はあえてアロウズに対して言及せず、チャイに心の中でごめんと呟きながら次の人物へと目を向ける。
「キャリスさん、お願い出来ますか?」
「えぇ、もちろん。
キャリー商会を営んでおります、キャリスと申します。女性奴隷を専門に扱っておりますので、ご用命の際は是非お声をお掛け下さい」
こんな場で営業か、とその逞しい商魂に呆れと、少しだけ凄いなと思いながらも優斗は更に次を促す。
「シャーリー、自己紹介頼める?」
「ん? 何を話すの?」
「……待って。やっぱりこっちで説明するから立つだけ立って。
この人はシャーリーと言います。腕利きの薬師で、ちょっと特別な事情と能力を持っている、心強い協力者です」
優斗による紹介が行われている間、シャーリーはその場で踏ん反り返っていた。
貴族の関係者も同席するこの場において、その態度は不敬と取られるのではと緊張していた優斗だが、幸いメリルもその侍女も何も言わなかったのでほっとして次の人へと意識を移す。
「シャーリー、座って。次はライガットさん。お願いします」
「ん、俺もやんのか?
あー、元傭兵で、今ンとこユーシア騎士団のはぐれ部隊で部隊長なんてやらされてる、ライガットだ」
「腕は確かな人ですので、実働部隊として活躍して貰う予定です」
優斗の持ち上げる様な補足に、ライガットは一瞬だけ優斗に視線を向ける。そしてそう言った方面で注目を浴びる事に慣れていないのだろう、居心地悪そうに頭をがりがりとかくとそれ以上は何も言わず自分の席に腰かける。
「えー、じゃあ次はフレイ――」
「ちょっと、優斗くん。私を飛ばすなんて失礼じゃない?」
頬を膨らませるメリル。
優斗は判断を間違えたかと考えながらも、焦る事無くメリルに向き直ると軽く頭を下げる。
「すいません。ご高名な伯爵家の夫人様を知らない者はこの場にいないと思いましたので、つい」
「ぶぅ」
優斗の言葉と、何よりその態度が気に入らないメリルが、睨むような目つきで優斗と見詰め合う。
優斗はそれを解消する術に気付いていたが、冷静になった今、実行して良いモノか再び迷い、何より気恥ずかしいと考えている間にメリルの先手を許してしまう。
「私だってあの人、アロウズさんだっけ? と同じで貴族の身内なんだから、同じ扱いじゃなきゃヤダ」
「えーっと、じゃあ自己紹介をお願いできますか? めーちゃん伯爵夫人」
「よろしい」
予想通りの結果をはじき出した呼び名と言う手札は、優斗の羞恥心を苛む諸刃の剣だ。
これからは極力、公式な場以外で会わない様にしたいなと考えながら、優斗は嬉しそうに立ち上がるメリルの顔に視線を向ける。
「メリル・ヤードよ。旧名はメリル・クロース。
旦那様にはあまり我儘言えないけど、お父様には無茶も言えるから、色々と協力出来ると思うわ」
積極的な参加を意味する言葉に、優斗は少なからず驚いていた。
優斗はメリルがフレイの要請で動いてくれているのだと、心のどこかで考えていたからだ。
「その元従者で、優斗さんの元従者でもある、フレイです」
まだしゃべり続けそうなメリルの言葉を遮ったのは、先程まで場を荒らしていた張本人だ。
彼女の為に費やされた時間はメリルが語る事で消費されるそれよりかなり多かったはずなのだが、本人はそれを気にしている風でも無く、自ら次を促す。
「次、どうぞ」
「え? 私ですか?」
驚きの声を上げたのは、元々優斗のものであった席に居心地悪そうに座っているメリルの侍女だった。
年齢は二十代半ば頃に見える、金髪碧眼の女性。
フレイと同じく、街の雑踏に紛れればその姿を隠ぺいし易い、特徴の薄い容姿をしている。今は商人の娘風に変装しているので、化粧や服装が目立ち、その装いに対する印象が強い。
「そうですね。お願いしてもいいですか?」
「一々私に聞かなくてもいいのに。って言うか、もしかして私も名前知らない?」
メリルの言葉に驚いたのは、優斗だけだった。
身の回りの世話をしてくれる侍女や、フレイの様な例外的な付き合い方をしている者なら別だが、伯爵家の様な大きな屋敷では十把一絡げの侍女など文字通り山ほど存在しており、一々名前を憶えてなどいられない。他の者も、貴族が平民の名前と顔など覚えていない事に一々驚く様な様子はない。
「では、僭越ながら自己紹介をさせて頂きます。
メリル様の護衛にして侍女と言う大役を仰せつかっております、リャークと申します」
深々と頭を下げるリャーク。
そのまま己の席へ腰かけようとした彼女は、メリルが声をかけた事で、中腰の状態で固まる。
「そうそう、リャーク。思い出した。
ねぇ、あれやってよ、あれ」
メリルの言葉に、リャークは苦笑いして立ち上がり直すと、己の髪に触れる。そこから1本のヘアピンを取り出すと、手のひらに乗せ、前に差し出す。
場の視線が集まる中、銅は時間をかけ、徐々に形を変えて行く。
「金属操作か」
「はい。正確には銅操作です。さすが、ユーシア騎士団の誇る隊長様、ご慧眼に感服致します」
そう言いながらリャークは、変形したヘアピンを手の甲に乗せる。
彼女が目を瞑りって念じると、変形したヘアピンが手の甲の上で跳ねる。
優斗はそれを妖精の欠片、即ち操作系のギフトだろうと考えながら、想像以上の使い勝手の良さに驚いていた。
かつて見た操作のギフトは、小さい物を移動させるなどの、リャークの見せたもので言えば後者の跳ねた方に相当するモノだった。
ならば前者の変形はどう言ったものなのか。恐らく、金属そのものと言うより、金属分子を操作しているのではないかと予想を立てながら、優斗は後でどの程度までの質量を操作できるのか、もし大質量の操作が可能なら、金属の整形は相当楽になるのでは、と考えていた。
ちなみに後で訪ねた結果、返答は少量しか操作できないと言うモノだった。触れている部分から近い場所ならば、時間を費やせば操作出来るので細工などには使えるが鍛冶などでは実用は現実的でなく、逆に水の様な不定形物質との相性は良い、との事だった。
「いや、だから俺はそんな大層なモンじゃないんだが」
つい口にしてしまった事を後悔する様に再びあたまをがりがりとかくライガットの姿に、部屋の空気が僅かに緩む。
そんな中、あまり時間を使いすぎるのも問題と考えた優斗は、先を促す為に口を開く。それは、ライガットにとって救いの訪れに等しく、視線が再び優斗に集中する。
「では、次は私の番ですね」
そのまま自分の自己紹介に繋げようとした優斗は、場の空気が再び変化している事に気付き、言葉を止める。
視線が全て紹介者――今は優斗自身――に集まっているのは同じだが、優斗は全ての視線には同じ色が含まれている様に感じていた。
「主催の優斗さんを知らない人が、この場に居るんです?」
フレイの一言に、優斗はそういえばと気づき、あー、と声が漏れる。
とは言え、自分だけしないのもおさまりが悪いと考えた優斗は、隣のヴィスと、更にその隣のチャイに視線を向ける。ヴィスは視線があってすぐに、チャイはヴィスの行動を見て慌てて立ち上がったのを確認すると、右手を彼女達に向けながら、言葉を再開する。
「ご存知かと思いますが、私が今回、召集をかけさせて頂きました商人の優斗です。こちらの2人は従者と言うか、うちの従業員の2人です」
「ヴィス。よろしく」
「えっと、その。チャイ、です」
優斗は、こんな場でくらいもう少し愛想よくしてくれと主にヴィスに対して思いながら、2人に着席を促す。
居心地悪そうにしていたチャイがあからさまにほっとするのを見て、そう言うところは年相応だなと苦笑しながら、優斗はようやく本題に入れると再び壁に貼られた紙、そこに書かれた「第一回ユーシア奪還会議」を差し示す。
「自己紹介も終わった事ですし、早速今回の議題を発表します」
集まっている視線の強度が増した事で、優斗は少しだけ緊張しながら拳を軽く握ると、左から順に全員の顔を見渡す。
無節操とも言えるくらいに様々な種類の人間が集まったこの場であれば、きっと良い知恵の1つくらい出て来るだろう。そんな風にわざと楽観的な思考を走らせながら発した優斗の言葉は、この部屋にどよめきを呼ぶのに十分な内容だった。
「シーア公様を説得するのに、どういったモノが必要か。それを皆さんに考えて頂こうと思っています」
優斗の言葉にまず反応したのが、キャリスとアロウズだ。
2人は優斗が、自信たっぷりにユーシアを取り戻すと宣言した姿を見ている。その姿から、ある程度の目星、もしくは方策はあると考えていた。しかし今の優斗が発言した内容は、そんなものは存在していなかったと言っているに等しい。驚いて当然だ。
「具体的に何、とかでなくていいです。どんなものがあれば、とか、どんなものが欲しいか、と言った曖昧なもので」
次に反応したのは、フレイとメリルだ。
フレイは呆れ顔で、メリルは楽しそうに笑う。
ちなみに、他の面々は無反応か、でなければ話し合いに参加する気の無い、無関心な表情を保っている。
「優斗くん、そんな状態であの場に出て来てたの?」
「まぁ、優斗さんですし」
フレイの答えになっていない答えにメリルが妙に納得してしまい、優斗は返答するタイミングを逸してしまう。
ならば話を進めようと優斗は円卓を見回すと、並んでどちらもあまり興味なさ気な2人に視線を向け、問いかける。
「シャーリー、何か良い意見はない?」
「んー? 支配者が欲しがるモノなんて、富か権力くらいじゃない?」
「いや、それはちょっと」
「じゃあ、支配地」
人間、もとい人神に対して偏った知識しか持っていないシャーリー。
これ以上彼女に問いかけても同じ様な答えしか返ってこないだろうと判断した優斗は、彼女には誰かが出した意見の発展や別視点解釈などで活躍して貰おうと決め、その隣に視線を移す。
「ライガットさんはどうですか?」
「あん? 俺に聞くのか」
「もちろんです。その為に呼んだわけですから」
ライガットは両腕を組むと、眉間にしわを寄せて何事か考え始める。
ライガットはこの場に呼ばれた理由を、顔見世だろうと考えていた。まさか会議の頭数に入れられているとは考えておらず、何より大局を見て物を考えるなんて言うのは彼の性分ではない。
そんな状態のライガットに良いアイディアなどあるはずもなく、考える様な素振りも見せたのも数秒の事で、すぐに諦めて白旗を上げる。
「俺は小難しい事を考える性分じゃねーからな。悪いが他をあたってくれ」
「まぁ、そう言わずに。例えば、ライガットさんならこの状況で何が欲しいですか?」
「俺か? そうだな。ユーシアに攻め込むなら戦力と金だな」
「なるほど。戦力ですか」
資金的な意味で公国を援助出来るほどの資産を、優斗は持っていない。
必然、ライガットの意見を参考にするなら戦力と言う方向性で思考する事になるのだが、優斗はそれに対してあまり乗り気ではなかった。
何せ、自分が失敗した場合、その戦力がユーシア戦線に投入される可能性が高いのだ。候補として消すほどではないにせよ、忌避するのに十分な理由となる。
「じゃあ、キャリスさんはどうですか?」
「私に聞かないで欲しいんだけど……」
「キャリスさんなら、公国が欲しがっている物、もしくは不足している物も調べてるんじゃないですか?」
「あー、そっち方面なら確かに心当たり、と言うか伝えておこうと思った事があるわ」
そう言ってキャリスは、メリルとアロウズをちらりと確認すると、こほんと咳払いをしてその場に立つ。
商会主であるキャリーは人前に立つ事にそれなりに慣れているが、さすがに貴族の身内2人の前で、商談以外の用件を口にする機会はこれまでにもあまりなかった事だ。
「ルナールの街全体にも言える事ですが、食糧や鉄製品の備蓄が徐々に減っているそうです」
「そうなんですか?」
「えぇ。多分、絹の暴落で絹を扱う商人が乗り換えた事と、幾つか商会が潰れて別の商会に買い取られたのが原因だと思われます。
ついでにもう1つ。公国金貨の流通量が減って、帝国金貨が流入してきており、そちらも不足気味です」
緊張気味のキャリスの言葉が途切れ、優斗は改めて彼女の言葉を状況に即して整理する。
絹の暴落後、潰れた商会を買い取っているのは十中八九ロード商会かその関係者だ。故に、王国金貨ではなく彼らの本拠地があるはずの帝国の金貨が流通している事には納得が行く。同じ理由で、銀貨も帝国の物が流入してきている可能性が高い。
ただ、食糧と鉄製品の備蓄が減っている事が気になった。そこに何か意図があるのではと優斗が考えていると、ライガットがぼそりと言葉を漏らす。
「戦争準備か」
「まだ国が動いていないなら、特需を当てにした先物買い、ですね」
続くフレイの言葉に、優斗ははっとする。
ユーシアに宣戦布告すれば、戦争の為に人員が動く。その人員には武器と食糧が必要になり、供給過多でもなければ値上りは確実だ。
「でもそれだと、ルナールに集まってくるのでは?」
「集まって来たら値上がらないでしょう? 多分、ルナール付近の街じゃ既に水面下で買占めが始まっているはずよ」
キャリスの更なる説明を聞きながら、これは重要な情報であると判断し、心に留め置く。
この件に関しては、そう言った事を検討する能力を持つ者だけを集めて考える機会を別に設けようと決め、ならば次の意見をと思考を切り替えた優斗は、キャリスの隣に座るアロウズに視線を移す。
しかし次は自分だと身構えていたアロウズに激しく拒否されてしまい、優斗は仕方なく他の者にしようと視線を移動させる。
「どう思いますか?」
「んー?」
「何か妙案がありましたら、教えて頂きたいのですが」
「誰にー?」
「貴方様に、です」
「だから誰に?」
マズったと気づいた優斗だが、時すでに遅く周りを見渡すと、円卓に座るほとんどの人間が楽しそうにこちらを見ていた。その行為がそれに対して羞恥を感じていたと自白しているようなものであり、これまで平気そうに口にしていたにも関わらず、内心では照れていたのかと誰もが楽しげに優斗へと視線を向ける。
同じ様に笑うメリルに対して、優斗は過去の自分を呪いながら、それを口にする。
「めーちゃん伯爵夫人。何か妙案はありませんか?」
「無いねぇ」
「無いんですか」
「うん。無いね」
ならば自分は何のために恥をかいたのかと、優斗は落胆する。
理不尽を噛みしめながらも、優斗は隣に視線を移すと、落ち込んでいる暇はないのだと己に活を入れてから口を開く。
「フレイはどう?」
「やはり、効率よく稼げるモノではないでしょうか」
「あー、うん。それは最もな意見だね」
少し心境を複雑にしながらも、表面上は以前の通りに会話する2人に、周囲から生暖かい視線が贈られる。
そんな状況に居たたまれなくなった優斗は、視線を反対側に向けると、次は己の従者に向けて質問を口にする。
「ヴィスは何か妙案無い?」
「……武器」
「戦争するなら確かに武器は一番売り込みやすいか。でもなぁ」
ライガットの案である戦力と被る点もある武器だが、それを売り込む事には、実はもう1つ問題がある。
それは時間。正確には、兵士の数だけ揃えるだけの量産性だ。
優斗はこの世界の戦争事情を知らないが、鉄砲や連弩と言った発明的な武器を再現出来たならば、十分な売りになるだろうと考えていた。さすがに詳細は知らないが、優斗も男なのでその運用例と基本原理くらいは知っている。しかしそれらを一か月間で開発・量産は不可能だろうとも考えていた。無論、他に手が無ければやってみるつもりではあるが。
「じゃあ、チャイ」
「……」
無言で立ち上がったチャイは、動揺しているのか座っていた椅子を派手に倒してしまい、大きな物音が部屋中に響く。
チャイはその椅子を気にする事なく優斗の方を睨みつけており、優斗はそれに対して不思議そうな表情で返答する。
「どうかした?」
「どうかした? じゃ、ねーです!」
「えっと。ごめん?」
突然怒られ、つい謝罪の言葉を返してしまった優斗だが、その原因はさっぱり理解出来ていなかった。
声を荒げるチャイを放置する訳にもいかず、優斗は、チャイの近くまで歩み寄ると、落ち着かせるように優しく頭を撫でる。この場合、叱りつけるべきなのだろうかとも考えた優斗だが、反射的に出た行動はこちらだった。
「どうしたの?」
「どうしたもこうしたも、アンタ、頭おかしいんじゃない!? いや、おかしいんじゃないか、です」
「急になんでまた。と言うか、言い直した方の言葉遣いおかしいから」
「そんな事はどうでもいーです!」
完全にパニックに陥っているチャイは、優斗に頭を撫でられている事を拒否する余裕すらなく、ひたすらその場でわたわたと慌て始める。
優斗はどうしたものか、一度退場させるべきかな、と考えながらも、屈んでチャイと目線を合わせると、真面目な表情を浮かべ、彼女と見詰め合う。
「何がおかしいのか、言ってごらん?」
「私は奴隷だぞ! 私を売った商会のヤツはまだしも、何で貴族様とか、騎士様と同席してんだよ!」
「そりゃあ、色々な身分の人から、忌憚なく意見を聞く為だけど」
「つーか俺は騎士じゃねーぞ。平民だ」
ライガットの茶々を無視しながら、優斗はようやくチャイが混乱している原因、その可能性の1つに気付く事が出来た。
チャイの常識ではありえない状況にありえない事象が重なり、思考がキャパシティオーバーを起し、混乱している。そして自分がこの場にいる事で貴族のご機嫌を損ね、何かお仕置きでも受けるのではと懸念している、のかもしれない。いや、最後のは無いか、と考えながら、優斗はフレイを一瞥する。
「チャイ、落ち着いて」
「これが落ち着いていられるか。られるか、です」
「じゃあ落ち着かなくてもいいから、あっち見て」
「その扱いは失礼ですよ、優斗さん」
僅かに頬を膨らませながらも、指差されたフレイは首元のスカーフを外すと、首輪の跡が残る白い首を外気にさらす。
あっさりと晒された元・奴隷である証に驚いたのはチャイのみ。
ほとんどの人間がそれを知っていたと言う意味では当然なのだが、チャイ以外で唯一知らなかったにも関わらず驚いていないヴィスは、らしいと言うか、さすがだなと優斗は変な感心を覚える。
「この場で身分がどうとか言う人は、あんまりいないって訳」
実際にはある程度の偏見を持つ者や、そもそも人間――と言うか人神――自体を嫌っている者もいるが、そこは無視して語る優斗は、倒れてしまっていた椅子を立てる。
そしてチャイを自然な動作でそこに腰かけさせると、優斗は定位置に戻り、再び問いかける。
「チャイなら、今、何が欲しい?」
「ん……」
問いかけられ、俯くチャイ。
次の瞬間、開いていた窓枠に何かが当たった音が聞こえ、全員の視線がそちらに向かう。
そこに居たのは、ヴィスの相棒であり友人でもあるノルだった。優斗の知らぬところでチャイにも紹介されていた彼は、混乱するチャイを宥めようとヴィスが呼び出した為、この場に参上した。
しかし既にチャイは落ち着きを取り戻しており、ノルは呼び出した友人であるヴィスが何も言わない事に不思議に思いながらも、窓枠に留まり続ける。
「何? あの鳥。びっくりした」
「すいません。彼はノルと言って、うちの……従業員です」
「鳥が従業員ってか。優斗殿は相変わらずだな」
「予想外だらけで面白すぎ」
「子供だけでなく、鳥にまで手を広げていたんですね」
聞き捨てならない台詞があった気がした優斗だが、きっと気のせいだろうと無視するとヴィスに視線を向け、彼の退室を促す。
ヴィスはそれに従い、ノルの方も一声鳴くと窓枠から飛び降り、大空へと戻って行く。
「空……」
「ん?」
「空が飛びたい、です。ノルみたいに」
珍しく年相応の少女らしい口調で、これまた珍しく少女らしい事を呟くチャイ。
そんな彼女の発言を、まともな意見として受け取った者は、優斗だけだった。
「それだ!」
「「「「「はぁ!?」」」」」
アロウズ、キャリス、ライガット、メリルに慎ましやかな声のリャークを加えた5人が驚きの声を上げる。
それ以外のメンツはと言うと、ヴィスはいつも通りでシャーリーは聞いているのか怪しい程に無関心。フレイはまたかと半ばあきれ顔だ。
「空飛ぶ乗り物があれば、交渉には十分ですよね、きっと」
「そりゃあ、十分だろうけど」
疑わしげな顔のキャリス。
しかし彼女のそんな反応を気にする事無く、優斗はライガットへと向き直る。
「ライガットさん。上空から敵の陣営を偵察出来るのって、戦争でどのくらいの価値がありますか?」
「そりゃ、お前。相手の陣形とか、後ろの方まで全部判るって事か?」
「はい。上手く使えば、逐一その変化も判るように出来るかと」
「そりゃあ、馬鹿みたいな大金に化けるんじゃねぇか? 騎士団のお偉いさん方がよっぽとの馬鹿じゃなけりゃあ」
ライガットの返答に満足した優斗は、早速ソレの構造を思い出そうと頭の中を引っ掻き回す。
まずは材料。そして人手と時間。急いで、具体的には一か月以内に完成させ、試運転も行う必要があると考え、時間との勝負だと考えた優斗は、今すぐにでも計画を練らねばと、一先ずこの場を解散させる事を決める。
「シーア公様を説得する方針が決まりました」
「それ、本気? 楽しそうだし、私としては大歓迎だけど」
「えぇ、もちろんです」
メリルの言葉に応えながらも、優斗は早くこの場に収拾をつけようと、貴族の身内相手にしてはならない様なおざなりな返答をしてしまう。
とは言え相手はメリルである。優斗のそんな不敬な扱いを微塵も気にする事無く、次の言葉を心待ちにするように、わくわくとした表情を浮かべている。
「空飛ぶ乗り物を交渉の切り札として、飛び杼の献上や連邦との取引、砂糖輸入の際の優先買付権なども使う予定なので、特に砂糖と連邦に関しては噂が広まらない様にお願いします」
「じゃあ、私は男爵と子爵の口止めでもしてこようかな」
「お願いします」
「私達は何をすればいいの?」
キャリスの言葉に、優斗は頭の中で役割分担を割り振って行く。
メリルとリャークを除けば、残るは7名。優斗自身は空飛ぶ乗り物作成の指揮と言う仕事があるので、残るはその補助や実働班だ。
「キャリスさんは人手と、材料の仕入れをお願いします」
「わかったわ」
「あ、資金提供は私もするからね。その代り、完成したらちゃんと乗せてよね」
優斗は興味津々のメリルににっこりと返答する。
優斗の手持ちである金貨百数十枚は大金だ。それでも有限な時間に有限な資金、その上、失敗によってやり直しが起こる事なども考慮すれば、予算計画が困難になる可能性は十分にある。そんな事務処理に時間を取られれば、その分だけ実作業時間が圧迫される。そのような理由もあり、メリルの提案は非常にありがたいもので、優斗は一も二も無く飛びついた。
「もちろんです。よろしくお願いします」
「で、私は何を仕入れればいいの?」
「それは後でお話します。で、フレイ」
「はい、なんでしょう」
「シャオジー、覚えてる?」
「もちろん」
優斗は真っ白な少女を思い出し、あの子を忘れるのは中々難しそうだと考えながら、フレイの瞳を見つめる。
フレイに対する蟠りが完全に消えた訳ではないが、優斗は今でも彼女を信用していた。
居なくなった理由が彼女の意志でなかった事は事実だろう。それを信じるのであれば、フレイは別れる前と同じ様に、優斗が信用しただけ、信用で応えてくれるはずだ。優斗はそんな風に結論し、手札の一角を任せる事を決める。
「王国首都でシャオジーに会って、可能なら連れて来て欲しい」
「……彼女を、ですか?」
「連邦との貿易があると言う実績と証拠が欲しい。連れて来れないなら、契約書を渡すから書いて貰って。それで他の品も仕入れて来て。出来るだけ異国っぽい物を」
「言葉が通じないと思うのですが」
「シャオジーが準備してくれると思う。してくれなかったら、コルト商会への紹介状を書くから、通訳はそこで頼んで貸して貰って」
1人で王国へ向かえ。優斗の指示をそう理解したフレイは、その意図を勘ぐる。
もしや近くに居て欲しくないと考えているのではと考えてしまい、少しだけ落ち込むフレイの心を救い上げたのは、ほぼ正面に座っているアロウズの言葉に対する優斗の返答だった。
「交渉事なら私かキャリスさんの方が適任なんじゃない? キャリスさんは商会の主だし、私はこれでも商人の妻よ」
「あー、それはですね。交渉相手が顔を知っているのが私とフレイだけだからです」
優斗の使いだと委任状を書いても、信用して貰えなければ意味がない。
その点、フレイならば優斗と共に彼女と会っている。失敗したからと一度戻って来る様な時間的余裕が無く、他の用事で優斗が動けない以上、適任はフレイしかない。
更に言えば、黒髪の優斗よりも金髪碧眼で人より白い肌を持つフレイの方が、王国内では動き回りやすい。
「フレイにしか出来ない役割だ。 頼める?」
「えぇ、もちろんです」
誰でも良い訳ではない。フレイでなければならない。フレイにとってそれは、最も求めていた役割だった。
優斗と離れるのは正直気が進まないフレイだが、優斗が他でもない自分を望み、それに応える事が出来ると言う誘惑には勝てなかった。一時的に別れるのも仕方がないと思える程度には。
「ん、でも交渉が発生した時の事も考えて、アロウズ、悪いけどフレイに着いて行って商談の時の手助けを頼める?」
「もちろん」
「んじゃま、騎士団の方から誰か護衛を出すか」
「お願いします」
返答をしながら残りの面子――ヴィス、チャイ、ライガットにシャーリー――にも、指示と言う名のお願いを告げるべく、優斗は直前に言葉を交わしたライガットへと視線を向ける。
「ライガットさんはユーシアを取り戻す下準備をお願いします。細かい事は後で話します」
「おうよ。了解だ」
「残りの3人はギフトを借りたいから待機で」
「わかった」
「わかった、です」
「私も?」
従者2人の素直な返事に混ざって異ともとれる言葉を唱えたのは、この会議にそろそろ飽き始めていたシャーリーだった。
ごねられたら何とか甘い物で懐柔しよう。そんな風に考えながら、優斗は一先ず頼み事の内容を大まかに伝えておこうと、そちらへと向き直る。
「シャーリーには空飛ぶ乗り物作りを手伝って欲しいんです」
「空を、飛ぶ?」
「えぇ、報酬は――」
「それ、良い!」
どうやら後半は完全に話を聞いていなかったらしいシャーリーが、今更ながらに興奮した表情を浮かべる。
目を輝かせ、先程ノルが留まっていた窓へと視線を向けると、遠い目で空を見つめ、懐かしそうに目を細める。
「よもや、この姿のまま再び空に帰れる日が来ようとは」
「再び?」
「帰る?」
その後、シャーリーの迂闊な発言をメリルとキャリスに問い詰められた優斗は、なんとか言い逃れる為に多大な労力を支払う事になるのだった。
ルナール公国を相手取る交渉の方針を決める話でした。
優斗くんは一体、何を使ってどの様な交渉に臨むつもりなのでしょうか。
次回からユーシア奪還の前哨戦が幕を開ける、かもしれません。