初商談
ハリスは部下の報告を聞き、優斗と名乗った行商人から渡されたリストと見比べる。それがほぼ同じ内容である事を確認すると、紙の裏面にメッセージを書き込んだ。
「どうぞ」
「……私ですか?」
「フレイ、受け取って。で、読んで」
ハリスの意図に気づいた優斗の言葉に、フレイは素直に従った。
「本日は我がロード商会に素晴らしい商品を持ち込んでいただき、ありがとうございます。ところでうちの部下に口説かれませんでしたか」
淡々と読み上げるフレイの言葉に、若い商人が焦り、それを見たハリスが笑う。
その後、フレイの分の椅子が準備された。もちろん単なる好意ではなく、礼儀作法が出来ると言う優斗の言葉を確認する為だ。その露骨な行為に、優斗はただ苦笑するしかなかった。
フレイの価値確認が終わり、荷馬車に積まれた荷物の商談へと移る。
「公国銀貨でこのくらいでどうでしょうか」
ハリスが提示した価格は、露店で確認した物の半値以下だった。優斗の中では半分が最低ラインだった為、顔をしかめる。
「不作の割に、安すぎませんか?」
「不作だからこそ、です。質がイマイチのようですし」
質までは判断できない優斗は、こっそりフレイに視線を送る。その視線が否と言っている気がしたので、優斗は強気で攻める事に決めた。最悪、他の商会に持ち込めばよいのだ、と。
「そこまで悪くはないでしょう?」
「えぇ、その通りです。しかし、このくらいの物は、むしろ売られてくる事が多いくらいでして。
もう少し質が良ければ、飛ぶように売れるのですが」
ハリスの言葉は真実で、最近、例年ならば食用にする程度の物を売り、更に安い食糧を買っていく農家が多い。普段であれば往復のリスクから行われないが、不作の状況で、足りない食糧を少しでも増やしたいと考えるのは当然の事だ。
「それでも安すぎるでしょう。どうにもならないと言うのであれば、他をあたります」
「ふーむ」
ハリスがちらりとフレイを見た。彼にっとてこれは前哨戦だ。もっと大きな利益の為に、ここは少しだけ譲歩すべきだと考え、どこまでならば大丈夫かを考え始める。
「では、これで」
提示されたのは最低ラインである半値よりも少し高い価格だった。
他に行っても大差はないだろうし、手間を考えれば売る方が無難。一度はそう考えた優斗だが、今は経験を積む事が大事だと考え直す。
「ロード商会さんとは、今後も懇意にさせて頂きたいと思っていたのですが」
「それは私どもも同じ思いです。しかし、これ以上は。おお、そうだ」
さも今思いつきました、と言わんばかりに手を打ち、白い紙を取り出す。そしてそこに文字を書き連ね、優斗の前に差し出した。
「契約書、ですか?」
「はい。先ほどの価格で了承して頂けるのでしたら、輸送費をこちらで全額持たせて頂き、品物はその価格でお譲りいたします。どうですか?」
「うーん」
優斗にとって輸送費はそれなりの出費になるが、商会にとっては何かのついでで行う事が可能だ。別途、相手を探す手間、もしくは探してもらう手間賃まで浮くのであれば、優斗にとってそれは、大幅な値上げに等しい。
また、彼が提示した商品の額も、それなりだ。露店で買うよりは安く、大口の取引よりは高い。総合すれば、かなりお得だ。
簡易とはいえ、契約の文言を書き出したのは、これ以上は無理だ、と言うハリスの暗黙の主張だ。優斗も無意識にそれを感じ取っていた。
色々と考えた結果、優斗はここで手を打つことにした。商会の繋がりがどの程度か判らないが、あまりごねると旅先等でロード商会を利用しづらくなると考えたからだ。優斗が集めた情報によれば、ロード商会は北に支店が多いらしいので、これからの旅でもお世話になる事もあるだろう。
「では、それでお願いします」
「ありがとうございます。では、正式な契約についてはこちらで申請をさせて頂き、明日中に連絡させていただきますので」
「よろしくお願いします」
商談が1つまとまった事にほっとしながら、優斗は逗留している宿の名前を告げる。
正式な契約、とは契約見届け人を前に行う契約の事だ。契約を違えると、見届け人の持つギフトによって二度と契約出来なくなる、と優斗は聞かされていた。それがどんなギフトなのかは、説明をしてくれたフレイも知らない事だった。
契約が出来ない、と言うのは商人にとって致命的だ。どこかで働くにしても契約が必要になる事は多いので、実質街の中で暮らすことが出来なくなる。農村住まいならば問題ないが、特権階級である商人が、奴隷を除いて最下層の農民に降るのは、それなりの屈辱なので、進んで契約を反故にする人間は多くない。
商談が1つ終わり、ハリスはパイプを取り出した。そして優斗の許可を取ると、その中に火を落とす。道具を使う事なく。
「……火のギフト、ですか?」
「あぁ、はい。火の精霊様の欠片です。私などでは、火種くらいにしか使えませんが」
そう言って煙を吐き出す。
本当に色々なギフトがあるな。優斗はそう考えながら、次の商談に備えて身構える。
「で、優斗様。そちらの件ですが」
「はい」
フレイに視線が集まり、部屋に緊張が走る。唯一、彼女が奴隷である事に気づいていない人間は、相変わらず楽しげにフレイを見つめている。
「金貨10枚でどうですか? もちろん、公国金貨で」
「その値段であれば、お断りさせて頂きます」
優斗の即答に驚いたのは、フレイだけだった。
この交渉で、優斗は出来るだけ値を釣り上げてみるつもりだった。相手の反応から限界値を探る、と言う訓練だ。
「かなりの破格をつけたつもりですが、何か御不満でも?」
「破格なのはわかりますが、それはここでは、でしょう?」
需要の大きい街ならばもっと高値が付く。それは事実だが、あくまで行商人の感覚であって、街商人のそれではない。優斗の場合、輸送費と言う物を甘く見すぎているという事もある。
「しかしながら優斗様、物には相場と言う物があります」
「実は彼女の読み書きと礼儀作法は貴族様の館で教えられたものでして。それ以外にも、色々学んでいるそうですよ?」
その言葉を受け、ハリスが真面目な顔で検討を始める。実は適当に言っただけの優斗は、彼が何に反応したのか疑問に思いながら返事を待つ。
「ですが、うーん」
そこでようやく現状に気づいた若い商人が、目を見開いてフレイの首筋を凝視する。
「でしたら、これで。これでダメだと言うのでしたら、今回は縁が無かったという事で」
提示されたソロバンは10.7を指している。おおよそ公国金貨10枚と銀貨20枚程度だ。
ハリスの提示した金額に満足した優斗は、自然と笑みがこぼれる。それを良い返事が来ると判断したハリスは、ちらりとフレイを見た。
「わかりました。では、今回は見送らせて頂きますね」
「そ、そうですか」
ハリスと、それ以上にフレイが驚く。
笑顔の優斗を見て、ハリスは自分が乗せられた事に気づく。高額商品をチラつかせて他を高値で売る、と言うのは良くある戦略だ。普段の彼ならば気づいただろう。今回に関しては、相手がどう見ても商談に不慣れな、駆け出しにしか見えない行商人だった事もあり、油断していた。
優斗にとって幸運だったのは、ハリスが荷馬車を見ていない事だった。身なりや持ち込んだ商品等から、優斗の資産では奴隷を売らなければ買付が出来ないだろうとハリスは予想した。故に、先だって輸送の契約を行ったのだ。もちろん、この商会で購入した商品を輸送する、と言う文言で。仮の契約書とはいえ、その効力は十分なので、覆される事もない。今回はそれが裏目に出た。
仮に、ハリスがホロ付の大きなめの荷馬車を見ていたら、資産予想はもう少し高くなっていただろう。それはある意味で報告を怠った部下の失態であり、任せきりにしたハリスの責任である。
「では、輸送させて頂く品目は、これでよろしかったですか? ご確認ください」
「はい。それでお願いします」
「差額の支払いはどうされますか?」
「これでどうでしょう」
優斗が取り出したのは、馬車の隠しスペースにあった宝石とナイフだった。躊躇なく袋の中身を出した事に、ハリスは目の前の商人の評価を更に上げながら、後ろの部下に指示を出す。
しばらくしてからロード商会懇意の宝石商が現れ、鑑定を行った結果、その価値は公国金貨9枚と銀貨20枚と言う事になった。その中から物資代分だけ引き渡し、優斗の手の中に残ったのは、たった1つだけだった。
荷馬車を受け取り、仮の契約書を受け取った優斗は、フレイと共に宿の部屋に戻っていた。
状況が把握出来ず、まだ放心状態のフレイを椅子に座らせた優斗は、ベッドに座って彼女の反応を待っていた。
「次はどこで売るんですか?」
ようやく口を開いたフレイの言葉は、優斗が予想していたものだった。もちろん、その答えも既に用意されている。
「今のところ、売るつもりはないね」
「でも、お金が」
「俺が買い取った、って事で、ダメ?」
予定通り自分は買われ、村に物資が届く。ようやくそれを理解したフレイは、緊張の糸が切れ、椅子からずりおちてしまった。
「おいおい、大丈夫?」
優斗が差した手を掴んだフレイは、引かれたその勢いで彼の胸へ飛び込んだ。そしてそのまま抱き着く。
「ちょ、まっ。フレイさん、ロープロープ」
「う、あ。うぅ」
静かに、しかし激しくすすり泣くフレイ。優斗はかなり悩んでから背中に手をまわして抱きしめた。
久しく感じていなかった人肌の懐かしさに、いつしか2人は眠りに落ちていた。
ようやく商売らしいシーンです。
通貨価値の説明は……需要がなさそうなので割愛で。