既知な未知
驚愕に目を見開く優斗の隣では、一足早く立ち直ったライグルがほくそ笑んでいた。
優斗は先日、意味深な態度で交渉は始まった時点で勝敗が決まっているものだと告げた。そして交渉の場に唐突に現れた、フレイと言うイレギュラー。ライグルは以前、彼女が優斗に付き従っていた事を知っており、当たり前の様にこれが優斗の仄めかした謀略であると誤解した。
「どうも、美しいお嬢さん。私はライグル・カートンだ」
「お目にかかれて光栄ですわ、カートン卿」
「いや、残念ながら私はまだ卿ではない」
「まぁ、申し訳ありません。貫禄のあるお姿に、つい」
「はは。世辞がうまいな」
上機嫌のライグルに、始めこそ子爵と男爵は訝しげな表情を浮かべたが、すぐに目の前の少女を気に入ったのだろうと納得する。
そんな好機を逃す事無く、メリルは柔和な笑みを浮かべながらライグルへと畳み掛ける。
「それで、ライグル様。わたしくの幼馴染を代理人とする件、ご承諾頂けますの?」
「あぁ、そうだな。しかし、その娘は平民だろう?」
「いいえ、ライグル様。これをご覧ください」
そう言ってフレイは、首元のスカーフを外す。
そこには、元奴隷の証である痣がくっきりと浮かんでおり、子爵や男爵はもちろん、それを知っていた優斗ですら驚きを隠せなかった。
「ほう、元奴隷か」
事情があるとは言え、メリルはフレイを貴族の、伯爵家の代理人に据えたいと主張している。それは伯爵家を代表してこの場に立っているのだと言っても過言ではない。元奴隷の社会的身分は低く、それに伴って信用も低いにも関わらず、だ。
「ちょっとした手違いで、売られてしまったんですの。幸いにして無事戻って来ましたが、売られたと聞かされた時には生きた心地がしませんでしたわ」
メリルの補足に、ライグルはほうと納得しながら、頭を働かせる。
どうすれば、優斗のお膳立てを最大限に生かせるのか。まるで演技とは思えない態度の優斗の尽力に応えるべく、必死に考えたライグルがだした結論は、悪趣味な貴族を演じる事だった。
「ふむ。エーカー子爵、マイル男爵。これは中々、面白い見世物になりそうだと思わないか?」
「は?」
「へ? あぁ、そうですねぇ。いいですねぇ」
男爵、子爵が順に口を開いた事を確認すると、ライグルは努めて醜悪そうな笑みを浮かべる。
その笑みをそのままに優斗に対して嗜虐的な視線を向ければ、まるで身分の低い者を見下し、思い付きで弄ぶ趣味の悪い貴族の振る舞いとなる。
ついでに、もっと育っている方が好みなんだがな、と思いながら好色そうな視線をフレイにぶつけておくのも忘れない。
「元奴隷と野心家の商人の対決など、中々見れる物ではないからな」
「お、お待ちください、ライグル様」
そこでようやく我に返った優斗は、慌ててライグルに制止の声かける。
何があろうともクシャーナを、ひいてはユーシアを救うと言う大きな決意を固めている優斗だが、だからと言ってまったく動揺せずに交渉を進められる訳ではない。取り繕うにしても、限界がある。
そんな優斗がかなり動揺している事は、その反応からも明白だ。判っていないのは、誤解をしているライグルくらいだろう。
「なんだ、商人」
「国の一大事を決めるこの場を、元奴隷などに任せるのはいかがかとっ」
「国の一大事、か。たいそれた事を言うな?」
「いえ、その。とにかく、お考え直し下さい」
優斗が必死に訴えれば訴えるほど、ライグルは嬉しそうに笑う。
優斗はイレギュラーな不確定要素の排除を訴え、ライグルはそれを迫真の演技だと感心する。優斗が心の底から懇願すればするほど、誤解は深まって行く。
事情を知る人間が見れば滑稽な光景だが、この場にそれに気づいている人間はほとんどいない。
「煩い。それは俺が決める事だ。場を開いてやっているんだ。感謝しながらそこで待っていろ」
「そこを何とか」
「しつこい」
この場の主導権を握るライグルがそう一喝すれば、優斗は黙るしかない。
この場で事情の説明など出来るはずもなく、かと言って退席を促せば不自然極まりない。
優斗は仕方なく、この場では無理に全員――主に伯爵家――の説得をするのではなく、出来るだけ多くの賛成を得る方向に、計画を立て直す。時間のロスは厳しいが、大敗を喫すれば貴族内で噂になり、今後に差し支える可能性もあると考えれば焦りは禁物だ、と優斗は己に言い聞かせ、小さく深呼吸を重ねる。
しかし妙な方向に張り切ったライグルは、優斗の予想の斜め上を行く行動に出た事で、その目論見は海の藻屑と消える。
「名案が浮かんだ」
「おぉそれはそれは。さすがライグル様。して、どんな名案が浮かびましたのか、是非私にもお教え願いたい」
「うむ、エーカー子爵。商人と元奴隷の2人に交渉を行わせ、我々貴族は高みの見物としゃれ込むのだ。そしてその結果をこの場の結論とする」
「それは国政を担う者として、無責任すぎる言動であると思いますぞ、ライグル様」
「責任は私とヤード伯爵で取る。押し付ける様な事をするつもりもない故、その辺りの心配は無用だぞ、マイル男爵。俺の我儘に逆らえなかったとでも言えば良いだろう?」
「しかし!」
「それでどうかな。メリル夫人」
「私は勿論、賛成致しますわ」
「エーカー子爵」
「無論、私もライグル様の意見に賛成致します」
「多数決で決まりだな。何か言いたい事はあるか、マイル男爵」
「そうですな。そう言う事なら仕方ありません」
「決まりだな。2人の出した結果を我々の結論とし、必要ならば署名もしよう。
何かあったら、遠慮なく俺に責任を押し付ければ良い。我が侯爵家が貴公らとの約束を違える事などないと知れ」
目の前の絶望的な会話に介入する事すら出来ず、優斗は再び茫然とする。
そして話題の中心でありながら、同じく会話に参加出来ないフレイに視線を向けると、にこりと微笑まれ、背筋が凍る。
「そう言う事に決まった。異存はないな? 商人」
「仰せのままに」
「この場はお前に譲る。好きに仕切ると良い」
「ありがとうございます」
さぁどうだ完璧だろうと言わんばかりの表情でライグルが発した言葉に、優斗は頬をひきつらせながら応える。
それもまた名演技だと感心しながら、ライグルは柔らかい椅子に全身を委ね、既に勝利を確信して香り付けにお茶に垂らす為の葡萄酒を口にし始める。
優斗の方は、ありえない程最悪に回る運命の歯車に翻弄され、交渉が始まる前から既に息も絶え絶えだ。
フレイの凍える様な微笑に晒されながら、優斗は頭の中でひたすら「何故」を繰り返していた。
何故、いなくなったのか。何故、貴族と共にいるのか。何故、今、目の前に現れたのか。
それ以外にも尋ねたい事が多数浮かんでいたが優斗だが、この場で問いただす訳にもいかず、口ごもる。
混迷する思考と思い通りにならない脈拍を、己が為すべき使命の義務感でなんとかねじ伏せた優斗は、気づかない内にかけられた声で無意識に柔らかい椅子に座っていた事に気付く。
このままではマズいと考えた優斗は、大きく深呼吸をすると己の正面、円卓の反対側に腰かけているフレイに向けて、いつも通りの営業スマイルを取り繕う事で何とか相対すると、口を開きかける。
「今回の集まりはシーア公様への謁見許可を得る為に催されたと聞いておりますが、間違いないでしょうか」
「っぇ、えぇ、はい。その通りです」
「では、何故謁見を申し込んだのか、理由をお聞きしても?」
強気にそう問うたフレイに、優斗は虚を突かれ、面食らう。
そして次の瞬間、優斗は先手を取られた事に気付き、しまった、と短く息を飲む。
会を催す切っ掛けを作り、しかもライグルから直接場の仕切りを任された優斗は、言うなればホストとも言うべき立場であり、進行を行う義務がある。言い換えれば、先手を取る権利が与えられ、主導権を握りやすい様に場を誘導する事が出来る立場なのだ。
しかし優斗は動揺しており、その為不自然な程に間を開けてしまい、その義務を怠った。それに対してフレイは、まるで何時までも話し合いを開始しない優斗に助け舟を出すかの様に言葉を掛けたのだ。
結果、フレイは先手と共に主導権を奪い取り、優斗は一手目の選択肢を大幅に狭められる事となる。
「もちろんです」
優斗はフレイと正面切って向き合いながら、再びこのままではマズいと懸命に心情を立て直す。
先手を譲り、主導権を一時的に奪われてしまったとは言え、まだ始まったばかりだ。そんな風に考える優斗は、フレイが自分が話を切り出す瞬間を違わず予測して、その寸前を狙って言葉を発していた事に気付いていない。それこそが、フレイにとって最大の、そして優斗にとって最悪の相性を誇る武器であるとも知らずに。
「まず、国外貿易についてのご許可を頂く事が1点」
ある程度の冷静さを取り戻した優斗が、まずは無難なところからと1つ目の項目を口にする。
貴族相手であれば、利益をチラつかせる事で優位を引き出せるはずのそれは、しかしながら微笑を浮かべたままのフレイによって両断されてしまう。
「貿易と言いますと、相手はズウェイバー連邦でしょうか?」
「……えぇ、さすが伯爵家のお方。お詳しいですね」
1手目からいきなり出鼻を挫かれ、優斗は小さく歯噛みする。
フレイは連邦については国名と、遥か東の海の向こうにある国、程度の知識しか持ち合わせていない。教えたのは勿論、優斗だ。
誰も知らない、未知の相手と既に商談を行ない、話をまとめていると言う事実は、それなりにインパクトがある事柄だ。しかし相手側からあっさりとその名前を出されてしまえば、そのインパクトは薄れてしまう。これは情報戦で優位を図ろうと考えていた優斗にとって大きな痛手だ。
無論、既知である可能性も考えて優斗はそれ以外にも幾つかの手札を準備しているが、それでも最初から失態が続けば、先程から押さえつけていた焦りが頭をもたげる。
「ズウェイバー連邦。長い名前ですので連邦と略させて頂きますが、その国は遥か東に存在します」
「えぇ、存じています」
「東の海からやって来る訳ですので、貿易を行うにはどうしても東海岸沿いに港が必要になる、と言うのはご理解頂けるかと思います」
優斗は立ち上がると、予め準備をしてもらっていた、壁に貼られた地図へと近づき、自作の指示棒で東海岸をなぞる。
指示棒の挙動に合わせて貴族たちの視線が誘導されているのを視界の端に捉えつつ、あっち相手の方が絶対に楽だよな、と思いながら優斗は説明を続ける。
「ですので、ユーシアへの騎士団派遣を中止して頂きたいと言うのが2点目」
「しかしながら優斗様。ユーシアが独立したままでは、港も使用できませんでしょう? まさかとは思いますが」
「それは誤解と言うモノですよ、フレイさん」
優斗がユーシアの上に指示棒で円を描く。そして焦りを更に笑みを深める事で隠しながら、部屋全体を見回す。
「私はただ、戦争が原因で連邦がユーシアの港への寄港を渋る事を懸念しているだけです」
「ですが、ユーシアは実際に独立宣言をしています。それに関しては、どの様に対応なさるおつもりですか?」
「私が責任を持って公国へと帰属させます。戦争以外の方法で」
当然だと言わんばかりの優斗の態度に、観衆から驚きの声が漏れる。
しかし今回の相手であるフレイに対して優斗の虚勢が通じるはずもなく、彼女はすぐさま言葉を返してくる。
「具体的な方法をお聞きしても?」
「シーア公様に直接お話ししたいと思っております」
「それは困りました」
控えめな胸の前で腕を組みながら、小首をかしげるフレイ。
その表情は心底困ったと告げているが、優斗にはそれが、そんな我儘を言うなんて困った人ですね、と聞こえていた。そして同時に、ならばどうしてくれましょうか、とも。
「教えて頂けないのであれば、シーア公様にお会いして頂く価値があるのか、判断出来ませんわね」
予想範囲内ではあったが、その中で最悪に近い返答をしたフレイに、優斗は奥歯を軽く噛みしめる。
実際のところ、優斗はまだ方法論を確立していないどころか、その片鱗すら掴めていない。無い袖は振れないのが当然であり、答えようがないのだ。
「それでも十分に謁見の価値があると判断して頂ければ、ご許可を頂きたいのですが、どうでしょうか?」
「と、言いますと?」
「すいません。準備を」
優斗の指示により、ライグル・メリル・子爵・男爵の前に菓子を乗せた皿と砂糖の粉が盛られた小鉢が置かれ、続いてフレイと優斗の前にも同じ皿が並べられる。
皿の上にある菓子はチーズケーキで、横には生クリーム添えられている。どちらも砂糖を使った、この国にはない甘さを持つ品だ。
「どうぞ、お召し上がりください」
優斗の声に応え、真っ先に手を出したのはフレイだった。続いてライグルとメリルが口にすると、子爵もそれに続く。男爵は侍者に毒見をさせてから口に含むと言う慎重さを見せ、優斗はそれを感心して見ていた。
「ほう、これは」
「確かに、これなら」
「むうぅ」
「これは、是非うちの人にも食べさせてみたいですわね」
好評を得た優斗は、これを契機に畳み掛けるべきだと口を開くタイミングを見計らう。しかしそれが、優斗のミスだった。
「砂糖ですか」
「なっ!?」
これを手に入れたのはフレイと別れてからであり、見た事も聞いた事もないはずだと考えていた優斗は、口に出てしまった驚嘆の声を慌てて御する。
もしかすると雑談の話題に上げた事があったかもしれないと、無理やりに自分を納得させる事で今にも吹き出しそうな焦燥感を押しとどめながら、優斗は無言でフレイを見つめる。
「確かにこれは、多大な利益を生み出す物だと、私も思います。ですがそれは、シーア公様に会う理由となりますか?」
「他国との取引を行うのに、国の許可を得るのは当然の事です」
「あら、これは意外ですね」
フレイが心底驚いたと言う表情を浮かべ、優斗は自分の発言の何がそんなにおかしいのかと困惑する。
そしてフレイから返ってきた言葉は、そんな優斗を更なる困惑へと誘う。
「他国との取引を行う際、特別な許可は必要ありません」
「は? そんなまさか」
「正確には取引を実施する国の商取引許可証は必要ですが、商人の方には言うまでも無い事ですよね」
「え、えぇ」
許可を必要とせず国外と交易が可能であれば、自国から何かが過剰に放出されても、逆に違法な物が流入して来ても止める方法が無いと言う事になる。故に、税関で手続きを行い、許可を得た上で検閲を受ける。そして必要とあらば関税を支払うと言うのが、優斗の知る一般的な輸入・輸出のルールだ。
しかしそんな優斗の知識は、今回の一件に置いて大きなミスを呼び込む結果となる。
「国内から持ち出した物や、国外から持ち込んだ物をどう扱うかまで、いちいち国が関与する事はありません」
「そんなまさか」
「問題がある商品を扱われるのですか?」
「いえ、そんな事は」
「でしたら、問題ありません。仮に問題があったとしても、関の兵士様がきちんと止めて下さいます」
フレイの指摘で、優斗は自分が犯したミスの原因に気付く。
優斗が生まれ育った国では、個人の財産やプライバシーなどは法律によって守られていた。しかしこの国には、それが存在しない。その気になれば関で全ての荷物を検める事が出来る程度には、国が力を有している。
「ですから優斗様は気兼ねなく、連邦と取引を行ってください」
「ちょっとま、いや、お待ちください、フレイさん」
それだけなら終わりだとばかりに話を収束させようとしているフレイの言葉を、優斗は慌てて遮る。しかしフレイはそれを再度遮ると、笑みを形作っていた口元と目元を釣り上げ、睨みつけるように優斗を見据える。
「優斗様はユーシアと懇意でいらっしゃいますよね?」
「え、えぇ。その通りですが」
「そしてユーシアは、復興に必要な様々な物資の大部分を、ある2つの商会から仕入れている」
「それが、何か?」
フレイの視線がより一層厳しくなる。
フレイの反応に、優斗は嫌な予感を覚える。
その誤解を受ければ、自分に協力してくれる人がほとんど居なくなると言う、最悪の予想があたる予感を。
「優斗様。私は貴方が公国に仇なす人間なのではないかと疑っているのです」
「っ」
予感が直撃し、優斗は予想していたにも関わらず、僅かに動揺してしまう。
予想していたが故に、優斗は早期に立て直せる状態であったが、冷静さを取り戻す間を開けるなどと言う愚行をフレイが犯すはずも無く、彼女は畳み掛ける様に質問を突きつける。
「一度、ルナールの街を出られましたよね?」
「えぇ、まぁ」
「その直前にロード商会と接触していたそうですね?」
「え!?」
フレイが知るはずの無い情報で指摘を受けた事で、優斗の混乱に拍車がかかる。
それでもなんとかパニックに陥らない様にと心を支えながら、優斗はフレイと視線を合わせ続ける。
「そして直後にクシャーナ・ユーシア様が失踪。貴方はほとぼりが冷めた頃にルナールへ戻って来た。違いますか?」
「ち、ちがっ!」
思わず否定の言葉が出てしまい、しかしそれが逆効果である事を判っていた優斗は、右の掌で口を押える事で己の言葉を遮る。
優斗とロード商会が敵対的である事を、フレイが知らないはずはない。それにも関わらず発せられたフレイの言葉。その内容に場がどよめく。
「では、実際にはどう言ったものだったのですか?」
「それは……」
問われ、優斗はどこまで真実を語るべきか頭を悩ませる。
しかし周りで見ている者から見れば、それは嘘を取り繕う言い訳を考えている様にも見えていた。
「あの日、私はお忍びで街に繰り出したクシャーナ様の付添をしていました。
ロード商会の方にあったのは事実ですが、彼は以前取引をした際の担当者で、王国が攻めて来た際にユーシアに滞在していた事を知っていた為、心配してくださっていたそうで、街中で見かけて思わず声をかけてきたのだそうです」
優斗の話した事は全て真実ではあったが、フレイの詰問の後では陳腐な言い訳にしか聞こえないものでもあった。
そんな穴だらけの反論に対するフレイの反応は、またもや優斗の予想外のものだった。
「クシャーナ様と逢引をしていた、と言う事ですか?」
「いや、ちが、わないような、違うような」
しどろもどろに答える優斗は、その動揺故に、一瞬だけフレイの口元が僅かに尖った事に気付かなかった。フレイの方はそれを表情に出してしまった事を自覚するよりも早く、半ば反射的に強い口調で優斗に返答を迫る。
「どちらかはっきりして下さい」
「違いません」
あまりの迫力に思わず正直に答えてしまった優斗に、貴族達から生暖かい視線が向けられる。
それに気づく余裕すらない優斗は、どうすれば誤解を解き、自分がルナールに害するつもりがないと伝える事が出来るのか、その方策を考える為に必死に頭を働かせる。
「ならばやはり貴方は、ユーシア側の人間であると考えて良い訳ですね?」
「間違ってはいません。ですが、今のユーシアではなく、クシャーナ・ユーシアの治める、そしてルナール公国に属している時のユーシアの、ですが」
またもや言い訳じみた反論になってしまったと、優斗は内心で頭をかかえる。
そんな優斗の返答に、フレイはまたもや腕を胸の前で組むと、数秒間沈黙して思考をまとめてから次の言葉を発する。
「では、クシャーナ・ユーシア様は己の意志で式典を放棄した訳ではない、と?」
「はい。彼女はルエイン・ユーシアの手の者によって拉致されたのだと私は考えています」
「ならばクシャーナ様にはルナール公国の領主となる意思があると言う事でしょうか?」
「はい」
即答で断言した優斗の中には、既に動揺や混乱は存在しなかった。
それは時間経過や深呼吸による一時的なものなどではなく、きっちりと冷静さを取り戻した所以のものだ。
目先の事柄に目を奪われ、右往左往していた優斗は、その名前を口にする事でようやく思い出したのだ。何故この場にいるのか、と言う事と、守るべき存在を。故に、何が何でも負けられない。
「信じられませんね」
「どうしてですか?」
フレイは優斗が立ち直った事を、雰囲気の変化から察していた。
だからこそ先手を取った時からずっと手にしていた優位を離すまいと、更なる揺さぶりをかける為にフレイは断言する様な口調でそれを口にする。
「まず、式典を目の前にして護衛も付けず、お忍びで街に繰り出す事自体が不自然です。では、何故そんな不自然な理由で大事な時期に抜け出したのか。それは、監視の目を掻い潜り、ルナールを抜け出す為にロード商会の手の者と合流し、手引きを受ける為。そう考えるのが自然ではないでしょうか」
フレイの推論は、状況から考えても不自然の少ない、ある種筋の通ったものであり、それは貴族達が納得してしまいそうになる程度には説得力のあるものだった。
しかし優斗からすれば、それは自分の大切な女の子を侮辱する言葉だ。
「あり得ません」
「即答ですか。
そんな風に断言するからには、根拠を説明して頂けますよね?」
フレイは意地悪な笑みを浮かべ、挑発的に優斗を見つめている。出来るのならばやってみろ、と告げている事は口に出さずとも、その目を見れば容易に想像がついた。
そして優斗は、フレイが予想している通り、根拠も理由も説明する事が出来ない。優斗の中には間違いなくそれらは存在するのだが、それを理由に信じられるのは、優斗だけだ。
しかし優斗は焦りも怯みもせず、フレイに向かって堂々と胸を張ると、少しだけ口角を上げながら返答を口にする。
「必要が無いので、説明を拒否します」
「……は?」
フレイが呆気にとられているその表情を真正面から見た優斗から、思わず笑みが零れる。
それに気づいたフレイは慌てて表情を取り繕うが、時既に遅く、場の主導権は優斗へと移っていた。
「今は私がシーア公様に謁見する価値のある人間か確かめる場です。そうでしょう?」
「その通りです。だからこそ、私の質問には答えて頂かないと」
「無関係で無意味な質問で場を掻き回し、皆様の時間を徒に消費する行為は感心しませんよ?」
優斗が諭すようにそう告げると、フレイの眼尻が若干吊り上る。
それは怒りにより起こった現象ではなく、訝しがると言う意味合いの強い表情だった。
「そのお言葉、説明を拒否した優斗様にそっくりそのままお返しします」
「あら、これは意外ですね」
フレイは優斗が、自分の言葉を引用して口にした事に気付いていた。
それが安い挑発なのか、若しくは他に何か意味があるのかと考えてしまった事でフレイは一瞬の間を作ってしまい、その結果優斗の言葉に牽制の1つも返す事が出来ないまま、言葉を重ねられてしまう。
「私は、正式な場で貴族様を非難する様な言葉は吐くべきではない、とお伝えしたかっただけなのですが」
「……ユーシア家は既に貴族ではないでしょう?」
「例えばですが、クシャーナ様が争いを避ける為に業と従う振りをして、ユーシアを穏便に公国へ帰属させる為に敢えて泥を被っていたとしてもですか?」
それは単なる推論であり、可能性などほとんどない代物だ。それでも、その為に彼女は大人しくルエインに従っている、だとか、伏して機会を狙っている、だとか付け加えれば、一応の筋は通る。フレイの口にした推論と同じ様に。
優斗がとても回りくどく告げた言葉は、このまま水掛け論を続けるならば、先にそう仕向けたフレイの責任であり、自分は止めたぞと言う警告だ。優斗はこれにより、不利な話を続けられない様に仕向け、取り返した主導権で自分優位な状況を作り出すお膳立てとしようと目論んだ。
「可能性の話なんて言うモノは、この場において時間の無駄です。そうでしょう?」
「っ! その様ですね」
フレイが歯噛みしながら向けて来る睨むような視線に、優斗は勝ち誇った様な視線でもって応える。
ようやく一矢報いた優斗は、フレイが視線を伏せたのをきっかけに、きっかり2秒間だけ瞼を閉じる。そこに守るべき相手を思い浮べてから目を開くと、フレイの表情は再び微笑を形作っていた。
手札が幾つか潰された上、まだ出していない手札の中にも使用不能となったものが存在する。それによって、優斗の優位はそれなりの分量が削られた事になる。
それでもまだ手詰まりではない。まだ諦める程追い詰められていない。何より、優斗には負けて良い理由が存在しない。
さぁ、反撃開始だ。
内心でそんな風に呟いた優斗は、フレイに負けじと口の端を持ち上げ、笑みを浮かべる。少しだけ、嗜虐的な笑みを。
優斗vsフレイ。舌戦の火蓋が切って落とされました。
果たして優斗くんはここから逆転する事が出来るのでしょうか。